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和田義男

 旅紀行ジャパン

2006年5月25日改訂

♪Forever Smile TAM Music Factory

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宮島や堂塔洗ふ花の雨  北舟

2006年5月20日作成

廻廊と反橋

廻廊と反橋(厳島神社/広島県廿日市市宮島町)

世界遺産

宮島の春雨桜

平舞台

 

海に建てられた神社

   厳島は神の島で島全体がご神身体であることから、神聖な島の陸部を避けて海上に神社が建てられたという。

平舞台(桟橋)と朱塗りの回廊

毛利元就が寄進した塚石が今も平舞台を支えている。

平舞台(桟橋)と朱塗りの回廊

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 宮島や堂塔洗ふ花の雨  北 舟 
 

 玄界灘の沖合い60kmに浮かぶ沖ノ島は、古来より神の島として崇められ、宗像大社の沖津宮として田心姫神(たごりひめかみ)が祀られているが、女人禁制という掟があるものの社殿は島の陸部にある。同じ信仰でも宮島の方が徹底しているのは、穏やかな海と社殿を建てるのに都合の良い入江があったからと思われる。神の島の祭り

満潮の社殿(2004年8月21日1244)

満潮の社殿(2004年8月21日1244)

撮影:ちばあきお

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西に向いて建つ神社

 

平清盛が帰依する仏教は、死後の極楽は西にあるとする西方浄土思想のため、西に向けた社殿が建てられた。

宮島の唐獅子

宮島の唐獅子

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平舞台ひらぶたい

 

 拝殿の前に張り巡らされた板間(桟橋)が国宝の平舞台で、その中央から沖合の大鳥居に向かって伸びる桟橋を火焼前(ひたさき)と呼ぶ。かつてはこの桟橋が唯一の玄関で、ここに舟を横付けして神社にお参りしたという。

火焼前ひたさき

大鳥居おおとりい

火焼前(ひたさき)と大鳥居

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 正面には大鳥居と青い海、対岸の山々の緑が鮮やかなコントラストを見せ、絶景の雰囲気を醸し出している。平舞台を支える塚石(安山岩)は、毛利元就の寄進といわれ、火焼前(ひたさき)分と合わせると239本あるという。

大鳥居の中の拝殿と高舞台

大鳥居の中の拝殿と高舞台

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管弦祭かんげんさい

   御座船が平舞台から出御しゅつぎょ(出港)し、還御かんぎょ(帰港)する管弦祭は、平清盛が京の都の池や河川に船を浮かべた「管絃の遊び」を厳島神社に移し、神を慰めるために始めた神事で、毎年旧暦6月17日(2006年は7月12日)に行われる。
 

出御した御座船

 

還御した御座船

出御した御座船   還御した御座船
   

資料

   まだ明るい夏の夕方5時ごろ、本殿から出御した三女神の鳳輦(ほうれん)を乗せた御座船(ござぶね)が、楽器を奏でながら対岸の地御前(じごぜん)神社に向かう。

地御前神社

資料

 再び戻ってくるころには、月が天中に輝く深夜になり、舳先(へさき)のかがり火が一層輝きを増し、満潮で浮き宮となった厳島神社に向かう幻想的な光景は、まさに800年の時空を超えてよみがえる平安絵巻である。

地御前神社じごぜんじんじゃ

 厳島の対岸、明神山を背にして鎮座する地御前神社は、厳島神社建立と同時に外宮社として造営された。
 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)のほか十柱の神を祀る古社で、みやびな平安絵巻を再現する管弦祭では、管弦船による神輿渡御を受け入れる御旅所となり、全国から集まる見物客で大いに賑わうという。

拝殿の前に常設されている高舞台(国宝)

拝殿の前に常設されている高舞台(国宝)

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 厳島春雨踊る高舞台  北 舟 

優雅な舞楽「陵王」

優雅な舞楽「陵王」

資料

高舞台たかぶたい

 平舞台の中央に一段と高くなった舞台が舞楽(ぶがく)*の奉納に使われる高舞台(国宝)である。
 現在のものは天文15年(1546)に造営された。天正年間(1573〜1591)の頃は舞楽の奉納の度に平舞台の上に舞台を組み立てていたが、元和年間(1615〜1623)に現在のような作り付けの構造になったという。
*舞楽:日本の雅楽(ががく)のジャンル名。外国渡来の音楽に源をもち、雅楽器の伴奏によって舞を鑑賞するもの。(雅楽は宮廷の楽舞の総称。)

舞 楽ぶがく

 平清盛によって京の都から宮島に伝えられた舞楽は、その後800年の間、厳島神社で守り伝えられ、4月15日の桃花祭(とうかさい)と10月15日の菊花祭(きっかさい)に奉納される。高舞台の優雅な舞楽「陵王(りょうおう)」は、王が軍を指揮し、敵を打ち破る様子をかたどったものと伝えられている。
 インド発祥の舞楽は、中国〜朝鮮半島を経て日本に伝わったものであるが、現在は日本の宮内庁、大阪・四天王寺、宮島・厳島神社のみに残る貴重な芸術である。

拝殿より本殿(賽銭箱より奥)を臨む

拝殿より本殿(賽銭箱より奥)を臨む

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玉取祭たまとりさい

   玉取祭は、かつては「延年祭」といわれ、旧暦7月14日頃(現在では8月の正午前後が満潮時に当たる日曜日)に厳島神社の火焼前(ひたさき)と大鳥居の間の海中で若者たちが直径20p位の楠(くす)でできた宝珠を奪いあう勇壮な祭りである。 最後に宝珠を注進所に持ち込んだ者が年男となり、幸運が約束されるという。 宮島玉取祭

櫓につり下げられた玉に飛びつく裸の若者たち/玉取祭

櫓につり下げられた玉に飛びつく裸の若者たち/玉取祭

撮影:ちばあきお

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反 橋そりばし

 

 反橋は、長さ26.7m、幅4.3mのみやびな太鼓橋で、勅使橋(ちょくしばし)とも呼ばれ、かつて朝廷の勅使が厳島神社に参拝するときに使われたもの。現在は特別な行事があるときにだけ使われるという。

廻廊と反橋

廻廊と反橋

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