ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行ジャパン

2003年11月30日改訂

今 日

昨 日

♪街道 MIDI for Long Term Version

          写真をクリックすると新しい窓が開き拡大写真(1600x730)238KBが表示されます。

2003年10月1日作成

多摩川の夏(東京都青梅市河辺)

多摩川の夏(東京都青梅市河辺)

秩父多摩甲斐国立公園

拡大写真(1200x1520)284KB

はじめに

 東京都青梅市(おうめし)河辺(かべ)の我が家は、標高200m、西から東に流れる多摩川の北岸に建つマンションで、奥多摩湖から流れてくる多摩川を毎日眺めて暮らしている。これからの私の人生は多摩川と共にある。
 マンションの北側には、南白はけ*公園を挟んで奥多摩街道がある。上流に向かって行くと、東青梅で青梅街道と合流し、30kmほどで奥多摩湖に至る。河辺から7km上流にある日向和田(ひなたわだ)から秩父多摩甲斐国立公園に入る。
* はけ:丘陵山地の片岸 
 秩父多摩甲斐国立公園の概要
 2003年4月以降、週末には電車やマウンティンバイクを利用して多摩川周辺を散策し、その風景をデジカメに収めてきた。今後「多摩川紀行」と題し、多摩川の四季折々の風景をシリーズで紹介してゆきたい。

軍畑(いくさばた)

拡大写真(1200X900)172KB

軍 畑いくさばた

軍畑大橋

拡大写真(1200X900)232KB

 中世、秩父鎌倉道は、青梅市軍畑で多摩川を渡っていた。川の水の多い4月から11月の間は渡し舟が使われ、水の少ない期間は丸太を組んだ仮橋が架けられていた。現在は立派なアーチ型の軍畑大橋(写真)が架かっている。
 このあたりは永禄6年(1563)武蔵滝山城の北条氏照(ほうじょううじてる)が三田弾正の辛垣(からかい)城を攻めたときの古戦場で、この名がついた。
 古戦場にちなみ、橋の欄干には鎧武者のモニュメントがあしらわれている。橋からの眺望は素晴らしく、渓流釣りの絶好のポイントにもなっている。(2003年8月10日)
* 三田氏は、鎌倉時代中期、平将門の後裔と称して東青梅にあった勝沼城を本拠地とし、約350年にわたって三田谷(奥多摩渓谷)を支配した名族である。永禄6年(1563)三田弾正は北条氏照の攻撃を受け、勝沼城は落城、二俣尾(ふたまたお)の辛垣城に移動して最後の決戦に臨んだが、軍畑で敗れ、三田氏は滅亡した。

ルアーフィッシング

岩場の釣り人

ルアーフィッシング 岩場の釣り人

拡大写真(1200x820)231KB

拡大写真(1200x900)263KB

太公望

多摩川の夏は、鮎の友釣りやルアーフィッシングなど、多くの釣り人で賑わう。(2003年8月23日 河辺)

鮎の友釣り ルアーフィッシング入門

太公望 1

拡大写真(1200x780)263KB

太公望 2

拡大写真(1024x640)139KB

吉川英治記念館

拡大写真(1200x900)249KB

 多摩川は、大古の昔から人の営みを支えてきた。それは現在も変わらず、多くの生命を育み、母なる川として人々を魅了してきた。宮本武蔵の原作者・吉川英治(よしかわえいじ)は、この地をこよなく愛し、吉野村の村民として生涯を閉じた。現在、青梅市吉野梅郷(よしのばいごう)に吉川英治記念館がある。
 吉川英治記念館 (写真) 
 日本画の大家・川合玉堂(かわいぎょくどう)も奥多摩町に住み、多摩川の風景を取り入れた名作を残した。現在、青梅市御岳(みたけ)に玉堂美術館がある。
 玉堂美術館

毬 栗                     (2003年8月10日 軍畑)

毬 栗

拡大写真(1200x680)201KB

 毬栗のたわわに実る散歩道  北舟 

多摩川たまがわ

 多摩川の源流は、埼玉県と山梨県の県境にある笠取山(かさとりやま)(1953m)の山頂近くの水干(みずひ)にある。一の瀬川と呼ばれるこの流れは、柳沢川(やなぎさわがわ)などと合流し、丹波川(たばがわ)となって奥多摩湖に流入し、多摩川となる。

 奥多摩湖の下流で日原川(にっぱらがわ)が流入する。更に下ると、八王子市で最大の支流である秋川(あきがわ)、日野市で浅川(あさかわ)、多摩市で大栗川(おぐりがわ)、世田谷区で野川(のがわ)と合流し、羽田空港の先で東京湾に注ぐ。

昆 虫

向日葵

昆虫 向日葵

拡大写真(1024x640)41KB

拡大写真(1024x640)54KB

 多摩川は、全長約138km、全流域面積1240ku、山地は68%。上流の水源地は、標高1500〜2000mの山地で、谷口の青梅までは急勾配をなす。これより下流は武蔵野台地を浸食し、数段の河岸段丘(かがんだんきゅう)を形成する。福生(ふつさ)からは、北を武蔵野台地、南を多摩丘陵などに区切られた細長い谷底平野(たにぞこへいや)となる。
 多摩川北岸の大田区下丸子(しもまるこ)と南岸の川崎市幸区鹿島田(かしまだ)付近より下流は三角州となり、河口部は羽田空港などを含む埋立地となっている。
梅 林

青梅市は梅の名所である。夏は枝一杯に太陽の恵みを受け、空に向かって伸びる。   (2003年8月10日 吉野梅郷)

梅林

拡大写真(1024x768)226KB

河 辺かべ

 青梅市は、河辺付近から平地が広がる。河辺は東京のベッドタウンで、JR青梅線河辺駅から立川まで25分、新宿まで1時間の通勤圏にあり、河辺始発の東京行き快速や特快が出ている。
 我が家は中央左の茶色のマンションである。マンション南側の河川敷は、サッカー1面、野球3面、テニス10面の青梅市球技場となっており、その緑地に続くなだらかな護岸を多摩川本流が洗っている。多摩川はこの辺りから川幅を増す。 青梅市公式サイト

河辺

拡大写真(1200x710)258KB

 青梅市球技場には駐車場が完備されているため、夏には多くの行楽客が水遊びやバーべキューを楽しみ、太公望たちの棹が並ぶ。午後5時にゲートが閉まるので、夜は静かである。朝晩は公園を散歩する市民の姿が見られる。(2003年8月13日)
行楽客

行楽客

拡大写真(1200x900)302KB

家族の団らん

家族の団らん

拡大写真(1024x768)174KB

青梅街道

 徳川幕府は、慶長年間(1596〜1615)、江戸城大改修に伴う白壁用の御用石灰を運ぶために、武蔵野の原野をまっすぐに拓き、石灰石の産地である青梅の後背地・成木(なるき)と江戸を結んだ。当時、成木街道と呼ばれていたこの道が青梅街道である。
 もともと甲州街道よりも古くから甲斐と武蔵を結ぶ大菩薩峠越えの道があったので、その後、新宿区の四谷から甲州街道の裏街道として整備されるようになった。
 現在の青梅街道は、新宿からほぼ一直線に青梅市に入ると、多摩川に沿って奥多摩に至り、更に丹波川(たばがわ)・柳沢川(やなぎさわがわ)沿いに柳沢峠を越えて山梨県の塩山市(えんざんし)まで通じている。

若 者

愛犬の水浴

若者 愛犬の水浴

拡大写真(1024x768)138KB

拡大写真(1024x768)145KB

物思い

浮き輪

物思い 浮き輪

拡大写真(800x600)128KB

拡大写真(1024x768)142KB

魚とり?

水汲み

魚とり? 水汲み

拡大写真(800x600)134KB

拡大写真(1024x768)209KB

水遊び

母と子

水遊び 母と子

拡大写真(1024x768)159KB

拡大写真(1024x768)223KB

水辺のひととき

水辺のひととき

拡大写真(1024x768)232KB

奥多摩大橋(斜張橋)

奥多摩大橋(斜張橋)

パノラマ写真(1600x754)205KB

川井キャンプ場

 JR青梅線川井駅の前に奥多摩町川井と梅沢を結ぶ奥多摩大橋が架かる。その下は多摩川が大きく蛇行し、河川敷がキャンプ場となっている。
 川井キャンプ場には第三セクターの管理事務所があり、都心から2時間で奥多摩の山・森・川の大自然を満喫できるため、有料ではあるが人気がある。デイキャンプのほか、希望すれば夜間のキャンプファイヤーも楽しめる。
(2003年8月13日)  川井キャンプ場

拡大写真(1200x710)248KB

万世橋

拡大写真(1200x900)279KB

古 里こり

 JR古里駅の前にトラス構造の万世橋(まんせいはし)が架かる。この付近から多摩川の川幅が狭まり、渓谷美を楽しむことができる。
 古里から鳩ノ巣(はとのす)渓谷、白丸(しろまる)ダム、氷川(ひかわ)へ至る8kmのハイキングコースは、大多摩ウォーキング・トレイルといい、秋の紅葉時期には行楽客で賑わう。

(2003年8月13日)

拡大写真(1200x900)292KB

  フォトギャラリーへ 特集!旅紀行目次へ 世界の名城 感動写真集目次へ  
旅紀行ジャパン目次へ   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花目次へ
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2006 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク