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2005年7月1日改訂

♪満天の星の下で TAM Music Factory

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2003年11月5日作成

陽明門

陽明門(日光東照宮)


世界文化遺産

明智平 華厳滝 中禅寺湖 日光東照宮

日光東照宮にっこうとうしょうぐう

 中禅寺湖の遊覧を終え、中禅寺温泉で遅い昼食をとったあと、帰りのバスに乗ったが、予想通りの渋滞に巻き込まれ、下りの第一いろは坂はのろのろ運転となってしまった。30分で東照宮入口に着く予定が、1時間以上もかかってしまった。そのため東照宮に入ったのが午後4時。1時間で閉門となり、慌ただしい見学だった。

 世界文化遺産に指定されている日光東照宮は、栃木県日光市山内(さんない)にある徳川家康を祀る神社である。元和2年(1616)4月17日家康が駿府城で没すると、その夜幕府は遺言に基づき神式をもって駿河久能山に葬り、墓前に社殿を建てた。
徳川家康
 遺命により天海大僧正の主導で、一周忌を期し、下野国(しもつけのくに)都賀郡(つがぐん)日光山に改葬することとなり、翌年、本社、拝殿、本地堂以下が完成、神霊を移して4月正遷宮の祭礼が行われ、朝廷から東照大権現の神号の宣命と正一位の神階を受けた。

 寛永11年(1634)三代将軍家光の命により大造替( だいぞうたい )が開始され、2年後にほぼ今日みる堂社が完成し正遷宮がなされた。のち数回にわたる修理を経ているものの、現在の建物はほぼ当時の姿を伝えているという。

 寛永の造営は、幕府が総力を結集して行った。造営奉行は秋元泰朝(あきもとやすとも)、建築の総指揮は幕府作事方大棟梁(さくじかただいとうりよう)甲良宗広(こうらむねひろ)、建築の彩色や壁画・天井画は幕府絵所(えどころ)狩野探幽(かのうたんゆう)一門などが担当した。

 造営工事の資金は全て幕府から支出され、その額は金56万8,000両、銀100貫目、米1,000石。工事で働いた人力は延べ450万人を超え、多い日には数千人の大工や彫物師が働き、工期はわずか17ヵ月というスピードで完成したという。
 あらたうと青葉若葉の日の光  芭蕉 
あらとうと あおばわかばの ひのひかり

一ノ鳥居いちのとりい

 神橋(しんきょう)のほとりから長坂(ながさか)を経て、表参道をのぼり切ったところに立つ一ノ鳥居は、高さ9m、柱の廻り3.6mの明神鳥居で、石の鳥居としては日本一高くて大きい。
 元和(げんな)4年(1618)黒田筑前守長政(52万石)が福岡県志摩郡小金村から花崗岩(かこうがん)の巨石を切り出し、海路を運搬して建てたという。中央には、後水尾(ごみずのお)天皇の宸筆(しんぴつ)による東照大権現の大額が掲げられている。

一ノ鳥居

拡大写真(1400x1185)245KB 【E-1 102mm/28-108mm  F3.5 1/80秒 ISO400】

五重塔ごじゅうのとう

 一ノ鳥居をくぐるとすぐ左側に立っているのが五重塔。1650年に小浜(おばま)藩主酒井忠勝が奉納したが、1815年に落雷で焼失、現在の塔は1818年に酒井忠近が再建したものだという。各層には極彩色の彫刻が施され、見るものの目を奪う。
 五重塔の内部には大日如来像が安置されている。石鳥居(神社)のそばに五重塔(仏閣)があるのは、神仏混淆(しんぶつこんこう)の名残で、興味深い。

五重塔

拡大写真(1200x1100)250KB 【E-1 28mm/28-108mm  F4.5 1/80秒 オート発光 ISO400】

表 門おもてもん

 表門は、東照宮第一の門で、総門とも仁王門とも呼ばれるが、三間一戸の八脚門である。屋根は切妻造、間口8.3m、奥行は4.3mあり、正面左右に高さ4mの極彩色の仁王像を安置し、背面に狛犬を置いている。
 昔は、表門の石段下に警護の箇所があり、参詣者はそこで参詣切手の改めを受け、清め草履にはきかえて参入したという。

表門

拡大写真(1600x1200)264KB 【E-1 28mm/28-108mm  F4.0 1/30秒 オート発光 ISO400】

神厩舎しんきゅうしゃ

 神厩舎は表門をくぐり左手にある厩舎(きゅうしゃ 馬小屋)であるが、境内唯一の素木造り(もとぎづくり)である。右側は馬を扱う役人の詰所で、畳敷になっている。
 長押(なげし)には、猿の一生を描いた彫刻がある。馬小屋に猿の彫刻があるのは、古くから猿は馬の病気を治す守神といわれてきたからで、昔は馬小屋で本物の猿を飼っていたという。

神厩舎

拡大写真(1200x900)274KB 【E-1 28mm/28-108mm  F4.0 1/60秒 ISO400】

三猿さんえん

の彫刻
 東照宮で最も有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻は、神厩舎の8枚の欄間(らんま)の2番目にあたるもので、猿の一生をもって人間の生涯を風刺した物語となっている。

三猿の彫刻

拡大写真(1600x970)225KB 【E-1 166mm/100-400mm  F2.8 1/125秒 ISO400】

上神庫かみじんこ

 表門を入ると右から正面へ鉤の手(かぎのて)に3棟が並ぶ。右から下神庫(しもじんこ)・中神庫(なかじんこ 改修中)・上神庫(かみじんこ)。奈良の正倉院に代表される校倉造り(あぜくらづくり)を模した建物で、春秋の渡御祭の1,200人分の装束や流鏑馬(やぶさめ)の道具などが収蔵されている。写真は、ピカピカに改修された上神庫。

上神庫

拡大写真(1200x900)271KB 【E-1 34mm/28-108mm F4.0 1/80秒 ISO400】

想像の象そうぞうのぞう

 上神庫の妻(つま 側面)に2頭の大きな象の彫刻があるが、耳の付き方や尻尾の形が実際とは異なる。東照宮建立時、狩野探幽(かのうたんゆう)が、実物を知らずに想像で彫刻の下絵を描いたことから、想像の象と呼ばれている。

想像の象

拡大写真(1024x768)164KB 【E-1 234mm/100-400mm F3.0 1/160秒 オート発光 ISO400】

石段と石畳の続く境内

 境内は、石段と石畳の参道が続く。北に向かって進むと、左右の鼓楼と鐘楼(写真右)の奥に陽明門が見えてくる。鼓楼は太鼓を置く楼、鐘楼は釣り鐘堂で、いずれも大きな袴腰(はかまごし)の楼閣である。

石段と石畳の続く境内

拡大写真(1600x1200)307KB 【E-1 28mm/28-108mm  F4.0 1/60秒 ISO400】

陽明門ようめいもん

 国宝・陽明門は、朝廷から御所十二門の中の名称を賜ったもので、寛永13年(1636)に完成した。高さ11m、間口7m、奥行4mの12脚門は、日光を象徴する建物である。
 柱は欅(けやき)に渦巻きの彫刻をして、動物や花などが彫ってあり、右側2番目の柱だけは渦巻きの彫刻が逆さになっており、「魔除けの逆柱」と呼ばれる。天井に狩野探幽が描いた「八方睨みの昇竜、四方睨みの降竜、天人舞楽の絵がある。総工費は23,487両と記録されている。
 日光は江戸のほぼ真北にあり、陽明門は真南を向いている。北天は宇宙の中心であり、不動の北極星を中心に星々が規則正しく運行する。江戸から見ればその要の位置に日光があることから、家康は江戸と北極星を結ぶ宇宙の中心軸に祀られることによって、日本の平和の守り神になろうとしたという。

陽明門

拡大写真(2000x1320)347KB 【E-1 28mm/28-108mm  F2.8 1/25秒 ISO400】

東照大権現とうしょうだいごんげん

 陽明門の前面上部には、後水尾(ごみずのお)天皇の宸筆(しんぴつ)による「東照大権現」の勅額(ちょくがく)があり、勅額門ともいわれる。東照宮という名はここから生まれた。陽明門より奥は、明治維新まで庶民は入ることができなかったという。
 勅額の下に沢山の龍頭が横二列に並んでいるが、よく見るとどれ一つ同じデザインのものはない。口の開け方や歯の形などが微妙に違っている。

東照大権現

拡大写真(1300x970)303KB 【E-1 192mm/100-400mm  F2.8 1/30秒 ISO400】

日暮門ひぐらしもん

 陽明門は、1日中見ていても決して飽きないということで、別名日暮門とも呼ばれる。この門には装飾彫刻が500余りもあり、ひとつひとつじっくり見ていたら本当に日が暮れてしまうかもしれない。 

日暮門の彫刻

日暮門の彫刻1 日暮門の彫刻2

拡大写真(1024x768)186KB 【E-1 158mm  F2.8 1/30秒 ISO400 】

拡大写真(1024x768)176KB 【E-1 184mm  F2.9 1/20秒 ISO400 】

眠り猫ねむりねこ

 国宝・眠り猫は、坂下門へと続く東回廊の蟇股(かえるまた 重量を支える部材)の彫刻で、牡丹の花の下で眠っている小さな猫である。左甚五郎の作といわれる。その裏側には雀の彫刻がある。この彫刻の意味は、色々と取りざたされている。
 1 奥社に鼠一匹通さないように猫を配した。
 2 禅問答「牡丹花下眠猫児(ぼたんかかすいびょうじ)」を表した。
 3 裏側の雀と対で、猫の裏では雀も遊べるという安定と平和を表した。
 非常に小さな彫り物で、大きな看板が置かれていなければ誰も気が付かないだろう。「さすがに左甚五郎の彫り物は凄い」と言いたいところだが、どこが国宝に値する彫刻なのか、筆者には理解できなかった。

眠り猫

眠り猫

拡大写真(1024x768)188KB 【E-1 274mm/100-400mm  F3.1 1/160秒 オート発光 ISO400】

左甚五郎ひだりじんごろう

 左甚五郎は江戸時代の彫物の名人と伝えられ、日光東照宮の眠り猫、東京上野東照宮の竜など、甚五郎作と伝えられる彫物は全国に多数ある。しかし作品の量の多さや江戸初期から末期にわたる伝承の内容から考えて、実在したとすれば何人もの甚五郎がいたことになる。
 延宝3年(1675)医師で儒者の黒川道佑(くろかわどうゆう)が書いた遠碧軒記には、左の甚五郎と云うものが左の手にて細工を上手にし、京都の北野神社の透彫や豊国神社の竜の彫物がその作品だと書かれている。
 左利きの優れた技量を持つ甚五郎という実在の人物が、いつしか左甚五郎伝説として全国に広まっていったのではないかともいわれる。また、飛騨の国には昔から彫刻師が多く、「飛騨の甚五郎」が「左甚五郎」になってしまったという説もある。

裏の雀

裏の雀

拡大写真(1200x460)145KB 【E-1 100mm/100-400mm  F2.8 1/100秒 オート発光 ISO400】

唐 門からもん

 陽明門を入って正面に見える唐門は、彩色を白と黒のみとする建物だが、精巧で優雅な彫刻や欄間の彫り抜きは陽明門を凌ぐともいわれる。柱には唐木の寄木細工で昇龍・降龍の彫刻があり、屋根には「鰭切れ(ひれきれ)の龍(昼の守)」と「つつが(獣偏けものへんに恙つつが)(夜の守)」が飾られている。
 唐門と透塀(すかしべい)に囲まれるようにして拝殿、石ノ間、本殿が建てられている。この辺で日が暮れてきたので、本地堂(薬師堂)の鳴龍(なきりゅう)を見学して、下山した。 

唐門

拡大写真(2000x1480)350KB 【E-1 46mm/28-108mm  F3.2 1/50秒 ISO400】

注:文中の表記は全て35mm換算によるもので、 「274mm/100-400mm」は50-200mmズームの137mmで撮影したという意味である。

和田義男

 
《 撮影 2003年10月31日 》
 
OLYMPUS E-1

 
14-54mm 50-200mm EC-14

500万画素


 810枚  920MB
 

 紅葉の最盛期が過ぎていることは出発前に分かっていたが、盛りを過ぎた風景はどういうものなのか興味があった。
 結果は、枯淡の境地とでもいうべきか、枯れ木も山の賑わいというが、予想外に素晴らしく、見たことのない世界が広がっていた。
 枯れ木も景色のひとつとなっており、変化に富んだ色合いが付加され、景色に渋みや深みが加わっている。これはちょっとした発見だと思う。
 上りの第二いろは坂の途中にある明智平でバスを降りる人があまりいなかったが、日光に行けば、明智平は絶対に外せないスポットである。中禅寺湖と華厳滝を一望できるこの展望台は、素晴らしいの一語に尽きる。〈 完 〉

OLYMPUS E-1 の使用感

 今回、10月10日に新発売されたOLYMPUS E-1を使って全て撮影した。総じて素晴らしい使用感だった。
1 感 度 明るいところから夕方の暗いところまで、ISO100〜800まで試してみた。ISO400までは、雑音は全くなく、無条件で使用できる。ISO800は暗部に雑音が乗っていたが、よく見ないと分からない程度で、実用上問題のないレベルであった。
2 画 質 三脚は一切使わず、超望遠を含め、全てフリーハンドで撮影。超望遠だけは、レンズを手すりなどで支えて撮影した。標準のHQ(JPG1/8圧縮)で保存したが、解像力・発色ともに素晴らしく、E-20とは数段上の素晴らしい画質が得られた。
3 連 写 これも私の主義で、AF/AE フルオートの最速で撮影したが、撮影しながら同時に外部メモリーに転送されるので、12枚(128MB)のバッファは常に余裕があり、シャッターが切れなくなる事態は皆無で、メモリーがなくなるまで撮影でき、銀塩一眼レフと全く変わらない使用感だった。
4 電 池 専用のリチウムイオン電池BML-1は寿命が長く、夕方700枚ほど撮影した時点で電池切れのサインが出たので取り替えた。画像確認などで液晶を時々表示させたりしたのだが、驚くほどの寿命だった。
5 重 量 フォーサーズシステムのメリットは小型軽量ということだが、E-1はキャノンのEOS10DやニコンのD100と殆ど変わらない。そのため、フル装備のリュックの重量は、三脚抜きで 5Kg もある。日光は9時間ほど行動したが、ヘトヘトになった。オリンパスのホームページを見ると、今後小型軽量のモデルを発売するとのことだが、早期発売を期待したい。
6 フラッシュ 今回、日光東照宮で外付け専用フラッシュFL-20を使用したが、TTL AUTO自動シンクロ発光は快適だった。ただ、外付けのため、フラッシュを装着すると我が愛用のキャップのツバが当たり、ファインダーが覗けなくなった。やむなく帽子を後ろ向きに被って使用したが、家内からは「格好悪い」の一言。出っ張っているし、バッテリーは別途単三2本を用意しなければならないし、E-20の内蔵フラッシュの有り難さが思い出された。
明智平 華厳滝 中禅寺湖 日光東照宮
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