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JR軽井沢駅 |
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2004年8月中旬、真夏日の連続記録を更新中の暑い東京から脱出し、家内と二人で軽井沢に行った。 |
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軽井沢 |
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長野県東部、北佐久郡にある軽井沢は、地元では「かるいさわ」という。浅間山南東麓に位置する標高約1,000mの高原の町で、1万7千余の人々が暮らしている。 |
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8月の平均気温が20.5℃と札幌より1.2℃ほど低く、東京駅からJR長野新幹線で80分という地理的条件から、夏の全盛期の入込客は常住人口の10倍にのぼるという。
軽井沢観光協会 |
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軽井沢は、JR軽井沢駅周辺や旧軽井沢、新軽井沢などの目抜き通りを外れると、あとは森そのものであり、ホテルやペンション、民家や別荘などは、鬱蒼と茂った木々の中にある。 |
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JR軽井沢駅前広場 |

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高級別荘地
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軽井沢は、明治19年(1886年)イギリスの宣教師 A. C.ショーが、旧軽井沢(中山道・軽井沢宿)の民家を借りて一夏を送ったことから避暑の歴史が始まった。明治26年(1893)信越本線が全通してからはホテルもできて避暑客が増え、大正6年(1917)に西武資本による建売別荘分譲が始められてから本格的な避暑地になった。 |
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昭和10年(1935)代までは旧軽井沢を中心にした外人別荘地として知られ、日本人では政財界人や文人などに限られた高級別荘地であった。第2次世界大戦後、中軽井沢(沓掛宿くつかけじゅく)、西軽井沢(御代田町みよたまち)、信越本線南側の南軽井沢と開発が進み、1万戸をこえる別荘が作られ、ホテル、旅館、民宿も多い国際的避暑地に発展した。 |
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古井戸のある別荘 |

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ポピュラーなリゾート地
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夏には別荘客のほかテニスやゴルフなどのスポーツ、さらに軽井沢宿あとにひらけた旧軽銀座へのショッピングに訪れる観光客が多く、冬にはスケート客(軽井沢スケートセンター)、スキー客(人工スキー場)でにぎわう。 |
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平成7年(1995)には上信越自動車道碓氷(うすい)軽井沢インターチェンジが開設し、平成9年(1997)10月には長野新幹線が開通して関東圏からのアクセスが便利になり、JR軽井沢駅南口に隣接する大規模なアウトレットができてからは、ショッピング客も多く、軽井沢は年間800万人が訪れるポピュラーなリゾート地に変貌した。 |
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森の中の案内標識 |
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軽井沢は、森の中のサイクリングに人気がある。一日1,500円で乗り放題のギアチェンジ付きレンタサイクルに乗り、ガイドブックに従って森の街・軽井沢を散策した。 |
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軽井沢は予想外に広いので、歩いて廻るのはとても無理で、自転車が一番便利である。 |
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サイクリングコースの主要な交差点には番号表示と案内標識があるので、道に迷うことはない。 |
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森の中に入ると、苔むした木々が空を隠し、ひんやりとした冷気が広がっている。東京の蒸し暑さを逃れて来た避暑客にとっては天国のように思われるのも納得がいく。 |
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サイクリングは、軽井沢の町を南北に流れる矢ヶ崎川(やがさきがわ)の「ささやきの小径」からスタート。 |
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せせらぎの音や野鳥のさえずりに耳を傾けながらノンビリと走る。森の中はとても清潔で、虫除けスプレーを用意していなかったが、蚊に刺されることもなく、舗装されたサイクリングコースは快適だった。 |
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ジョン・レノン |
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資料 |
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明治27年(1894)創業の万平ホテルは、落葉松(からまつ)林に囲まれたスイスシャレー風の粋なホテルである。 |
ホテルの資料室には、田中角栄首相とキッシンジャー大統領補佐官がこのホテルで会談した写真などが展示されていて、歴史を感じさせる。 |

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緑豊かな庭に面したカフェテラスは、ちょっとレトロ調だが、ジョン・レノンが大変気に入っていたという。今でも彼の写真が飾られている。 |
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カフェテラスで、ジョン・レノンが好んで飲んだというロイヤル・ミルク・ティとケーキを注文。ロンドンのアフタヌーン・ティを思い出させる本格的な味だった。大きな窓がオープンになっていて、爽やかな自然の風が心地よい。 |
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ジョン・レノン愛用のカフェテラス
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JR軽井沢駅の北方、徒歩約20分の位置にある旧軽井沢は、避暑地として最初に開けたところで、軽井沢の中心地である。旧軽井沢の中央部には、旧軽銀座と呼ばれるメインストリートがあり、軽井沢観光会館をはじめ、東京・関西方面の有名ブティックやレストランの出張店・みやげ物店などが軒を連ねる。著名人の別荘や教会、文学碑などが多く、夏は若者たちで賑わう。 |
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294mm F7.1 1/640秒 ISO200
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軽井沢リンタク |

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28mm F9.0 1/320秒 ISO200】
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軽井沢会テニスコート |
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ここは、現在の天皇・皇后両陛下のロマンスが生まれたことで有名な場所。ロイヤルファミリーの特集番組で良くお目にかかるテニスコートだが、旧軽銀座の直ぐ近くにある。 |
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5面のクレー・コート |
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Alexander Croft Shaw |
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軽井沢ショー記念礼拝堂 |
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軽井沢の父と讃えられるカナダ生まれのイギリス宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー
Alexander Croft Shaw 1846-1902
は、明治19年(1886)キリスト教の布教の途中、軽井沢に立ち寄り、軽井沢が避暑地として最適な土地であることを知って、国内外に広く紹介し、自らも茶店(ちゃみせ)を購入して別荘を構え、今日ある軽井沢の基礎を築いた。 |
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その後政治家、実業家、文士、画家などが次々と別荘を構え、明治41年(1908)には136軒、大正12年(1923)には542軒、昭和9年(1934)には915軒と激増し、現在は1万3千軒を数えるに至った。 |
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彼の功績を讃えて地元民が明治36年(1903)にその碑を建立し、昭和61年(1986)には軽井沢最古の木造教会が軽井沢ショー記念礼拝堂として復元された。礼拝堂の裏には別荘第1号のショーハウスが建っている。 |
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