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 感動写真集

2004年6月17日改訂

地の精霊 水の宮・和風BGM

 

2004年6月12日作成

祈 り

神の島の祭り(宗像大社/福岡県宗像市)


禊ぎ場みそぎば

 沖ノ島の船着き場のそばに禊ぎ場があり、参加者は全員裸になって海水で禊ぎをする習わしである。

禊ぎ場

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海中の

禊ぎみそぎ

 古例によれば、禊ぎをする際には一糸まとわぬ姿、すなわちすっぽんぽんになるということである。褌を身につけたままの人もいたが、それは少数にとどまり、ほとんどの人は何も身につけずに海に入った。

海中の禊ぎ1

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 事前に想像している段階では気になるところもあったが、上陸地点にある上陸心得を読み、参加者のうち手早い人たちが禊ぎの用意を始めたのを見ると、全く羞恥心などを感じることはなかった。

海中の禊ぎ2

 むしろ、生まれたままの姿で海に浸かる自分自身が新鮮で、それこそ衣服とともに俗塵をすっかり払いのけたようで、まっさらになったような感じがした。

海中の禊ぎ3

祈 り

 それよりも、海に入った時間が午前9時頃で、季節は5月の下旬。海水が冷たいのが身にしみた。自然に手を合わせ、声を出したくなる。それぞれに、思い思いの経文や自分なりの言葉を出しながら手をもむようにしつつお祈りをする。
 私も、日の出の方向に向かい、手を合わせ、九州の安全と発展を心の中でお祈りしながら、口からはウオーッというような声を上げていた。

祈 り

塩抜きと着衣

 禊ぎのあとは、山から小屋のそばに引いた清水をかぶって塩分を流し、服を着る。更衣室のような気のきいたものはないので、防波堤の下で着替えをした。

塩抜きと着衣

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禊ぎから参道へ

 禊ぎが終わると、石鳥居をくぐり、急勾配の階段を踏み、森の中の草の生えた道をのぼって沖津宮に至る。

禊ぎから参道へ

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草の生えた参道

草の生えた参道

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岩陰の沖津宮

 沖津宮は、巨石の陰に隠れるような社(やしろ)である。この島は岩が多く、森の中にも多く散在しているが、これらの岩上で、あるいは岩陰で古い時代の祭祀が行われていたのである。掘れば出てくるものがあるのだろう。

岩陰の沖津宮

沖津宮現地大祭

 沖津宮で、午前10時から修祓(しゅうばつ)、祝詞奏上(のりとそうじょう)、玉串奉奠(たまぐしほうてん)と続く祭りが行われた。その後祭祀遺跡や山頂の灯台を見学し昼前に岸壁に戻った。

沖津宮現地大祭

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日本海海戦の日

 ところで5月27日は日露戦争の日本海海戦の日である。この聖なる島は国運を賭けた生々しい戦いを目撃した島でもある。いやそれどころか軍の通信所が置かれた島でもあった。
 国を守る、安全に通航する、そんな祈りを捧げるときに、忘れられない島なのである。来年は日露戦争100周年。沖津宮の大祭もより盛んなものになるだろう。

祭祀場の跡

祭祀場の跡

 海べりには時代を重ねた粘板岩の断層が露出していた。悠久の時の流れを実感する。

時代を重ねる

時代を重ねる

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 港には参拝者を運んだ漁船、フェリー、エスコートした巡視艇が行儀良く並んでいた。

上陸の船団

上陸の船団

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直 会なおらい

 港ではいつも近海で操業している漁師たちが魚料理を振舞って直会が行われる。持参の酒をたしなむ者、大社の神職が用意した缶ビールを買って喉を潤すもの。儀式が済んだ後のすっかり和んだ風景がある。
 12時頃に再び乗船し、船でこの島を一周してこの日の行事が終わった。

直 会

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世界文化遺産に向けて

 驚くべき遺産を持つこの宗像大社を、世界文化遺産に登録しようという運動が行われている。そうなればこの北部九州の地が、内外の人々から一段と注目を浴びることになるだろう。
 最寄の駅は、JR九州の鹿児島本線東郷駅と西鉄宮路岳線の津屋崎駅である。登録がうまくいけば、これらの鉄道や沿線の活性化へと期待は膨らむ。

漁師の手料理

漁師の手料理

 

若葉の辺津宮

 
 沖ノ島から大島に戻り、更に宗像の神湊(こうのみなと)に戻った。その足で宗像の辺津宮(へつみや)にお参りして今回の参拝を終わりにした。

若葉の辺津宮

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プロフィール
 
 
撮影 ・ 原作 : 
 

大庭靖雄おおば やすお

 

住居:福岡市

趣味:写真、読書、バイク、フィッシング、合気道

ただいま単身赴任中なるも、家内と 3 人の娘達という暖かくも厳しい写真批評家あり

禊ぎと女人禁制

 宗像大社は、沖の島の沖津宮と大島の中津宮と宗像の辺津宮の三者が一体となったものです。貴重な祭物は沖の島の祭祀遺跡から出ているものの、辺津宮の神宝館で展示されています。世界遺産として登録されるとすれば、三者一体の宗像大社を登録することになるのではないかと思います。
 そのようななかで、沖の島の禊ぎや女人禁制という掟も古来の文化として理解されるのではないでしょうか。

女人禁制の理由

 神職の説明によると、沖の島が女人禁制とされているのは、女性を忌むべきものと考えているというよりも、母性の保護から来ているのではないかと思う、ということでした。
 すなわち、沖ノ島は、壱岐(いき)の島より北にあり、対馬(つしま)の厳原(いずはら)あたりと同じくらいの緯度にあります。すなわちこの島へ行き着くには厳しい玄界灘を渡っていかなければなりません。
  古来この荒れる海で命を落とした人も少なくなかったはずです。大事な女性をそのような危険に晒すわけにはいかない、実体的にそういう理由で女性の入島はいけないというルールができたのではないでしょうか。
 また、禊ぎは、女人禁制だから、男ばかりのなかで、心おきなくできるという面もあるように思います。〈 完 〉
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