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和田義男

 旅紀行ジャパン

2008年1月2日改訂

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昨 日

♪海のアラベスク・水の宮・桜川・氷湖・手をつないで 水の宮・和風BGM

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謫居する菅公偲ぶ秋の風  北舟

2007年12月27日制作

菅公謫居(たっきょ)図

菅公謫居(たっきょ)図(太宰府天満宮/福岡県太宰府市)

太宰府秋の旅

御神牛

戒檀院 天満宮 御神牛 和田義男
 

梅ヶ枝餅うめがえもち

 本殿の奥(北)の裏神苑には梅園があるが、その入口に梅ヶ枝餅(うめがえもち)の茶店(ちゃみせ)照星館がある。西鉄観光バスに乗ると、ここで、お茶と梅ヶ枝餅の無料接待を受ける。

境内にある梅ヶ枝餅の茶店

境内にある梅ヶ枝餅の茶店

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   フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の解説は、「梅ヶ枝餅(うめがえもち)は、主に福岡県太宰府市で販売されている餅菓子の一種である。 【うめがやもち】とも言われる。 小豆餡を薄い生地でくるんだ餅を鉄板で焼き、軽く梅の焼き目をつけたもの。 梅の味がするわけではなく、梅の刻印が入っている焼餅である。」とある。
 秋日和梅ヶ枝餅のかうばしき  北 舟

あきびより うめがえもちの こうばしき

梅ヶ枝餅を焼く職人

梅ヶ枝餅を焼く職人

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   解説を投稿した人は梅ヶ枝餅を食べたことがないのだろうと思う。「小豆餡(あずきあん)薄い生地でくるんだ餅」ではない。正真正銘のあんころ餅で、二個食べるとお腹がふくれてしまう。焼きたての梅ヶ枝餅を一個だけ食べ、もう一個を持ち帰る人が多く、私もその例に倣った。店ではちゃんと包み紙を用意していた。

あんころ餅の名物「梅ヶ枝餅」

あんころ餅の名物「梅ヶ枝餅」

 

飛 梅 とびうめ  

 神苑(しんえん)と呼ばれる境内に入ると、右側の老楠(ろうくす)の下に菅公御神詠の歌碑「東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ」が立っている。道真は、梅の花をこよなく愛し、大宰府へ西下のとき、京の紅梅殿の梅を見てこの歌を詠んだところ、梅の花は、あとを慕って配所・大宰府の菅公のもとに飛んできたという。

天満宮の飛梅

天満宮の飛梅

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本殿右前の御神木「飛梅」は、1100年経った現在も毎年最初の清香の花を咲かせ、「飛梅さま」と愛されている。

飛梅の由来

飛梅の由来

ユニークな太宰府天満宮の

狛犬こまいぬ

ユニークな太宰府天満宮の狛犬

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御神牛ごしんぎゅう

 道真の亡き後、その遺骸を都まで送ろうとしたが、大宰府から外れた所で牛車を曳いていた牛が動かなくなったため、そこに留まりたいという死者の遺志によるものと考え、そこに墓が作られ、延喜5年(905)には墓所に廟が建てられた。これが太宰府天満宮の起源であることは前述した。
太宰府天満宮の

御神牛ごしんぎゅう

天満宮の御神牛

 しかし、そのエピソードは、御神牛の解説では「〈遺骸を牛車にのせて人にひかせず、牛の赴くところにとどめよ〉という遺言があった」と変質している。同じ神社の解説で、一つの故事に二通りの説明があるのは、少しおかしい。
   ともあれ、菅公が神になると、牛車を引いていた牛も神となり、薬師如来や文殊菩薩のような御利益(ごりやく)を叶えてくれることになったという。

紅白の鉢巻を締めた御神牛 銅製 江戸時代 文化2年(1805)

紅白の鉢巻を締めた御神牛 銅製 江戸時代 文化2年(1805)

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麒 麟きりん

 宝物殿の前に麒麟のブロンズ像があった。麒麟は中国の瑞獣(ずいじゅう)思想上の動物で、聖人が現れて王道が行われる時に出現すると伝えられ、菅公の聖徳をたたえるもの。嘉永5年(1852)に奉納されたもので、福岡県指定文化財となっている。
宝物殿の前に建つ麒麟のブロンズ像 高:206cm 江戸時代 嘉永5年(1852)

宝物殿の前に建つ麒麟のブロンズ像

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力強いフォルム

力強いフォルム

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宝物殿
 
 昭和3年(1928)に開館、昭和28年(1953)には福岡県第一号の博物館登録を受けた。現在の建物は、平成4年(1992)に菅公御神忌1090年、御本殿再建400年を記念して全面改築されたもの。

菅公座像/下村観山筆 明治35年(1902)

菅公座像/下村観山筆  明治35年(1902)

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資料
 菅公の真筆、佩刀、国宝「翰苑(かんえん)」を始め古文書、工芸品等約5万点の宝物を収蔵・展示している。また大宰府と太宰府天満宮の調査研究のための文化研究所が併設されている。
菅公

謫居たっきょ

菅公謫居(たっきょ)図

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資料
 謫居する菅公偲ぶ秋の風  北 舟

たっきょする かんこうしのぶ あきのかぜ

 

天神髭てんじんひげ

   写真下の板絵の菅公像のように、口の両端に垂れた髭(ひげ)を天神髭と呼ぶ。学問の神様にあやかったのか、明治時代には教育者に天神髭が多かったという。

江戸時代に奉納された板絵・菅公像 延享4年(1747)

江戸時代に奉納された板絵・菅公像 延享4年(1747)

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資料
 
天然記念物の

大楠おおくす

   神苑(しんえん)と呼ばれる境内には、5,500本の梅の木と見事な楠(くすのき)が52本植えられている。特に、この大楠は、全て天然記念物に指定されている。

屋根を突き破って伸びる楠の大木

屋根を突き破って伸びる楠の大木

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浮 殿うきどの

 水面にその影が映る建物を浮殿といった。浮殿は、鎌倉時代の境内図にも見え、戦前までは心字池の辺にあった。秋の神幸式の御旅所(おたびしょ)・行宮(あんぐう)で、神輿はここで休み、竹の曲(はやし)の一座が「御供上げ(おごくあげ)」の曲を奏上する。

御旅所の浮殿

御旅所の浮殿

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和田義男

  
撮 影


2007年11月21日


OLYMPUS  
E-510 E-410
 
11-22mm 14-54mm
 
1000万画素 455枚 963MB
 

仏教の渡来と国難

 日本に仏教が公に伝えられたのは6世紀の538年、欽明(きんめい)天皇の治世のときで、百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)(523〜553在位)が仏典や仏具などとともに釈迦如来の金銅仏一体をもたらしたという。
 その恩義ある百済が660年唐・新羅(とう・しらぎ)に滅ぼされたため、倭国(わのくに)(日本)は救援軍を派遣したが、663年8月百済の首都・扶余(ぷよ)の西方、朝鮮半島南西部にある白村江(はくすきのえ)の戦いで大敗した。
 海を渡った倭国水軍は、唐・新羅連合軍の170隻の軍船に迎え討たれ、海は流血で真っ赤に染まり、夥しい兵士が海の藻屑と消えた。この国家危急存亡のときに、倭国は太宰府政庁を国防上の重要拠点と定め、太宰府に水城(みずき)、大野城(おおのじょう)、基肄城(きいじょう)を築き、対馬(つしま)、壱岐(いき)、筑紫(つくし)に防人(さきもり)を緊急配備するなどして、背水の陣を引いた。
 618年に隋(ずい)が滅び唐が建ったとき、倭国はそれまで派遣していた遣隋使に代えて遣唐使(けんとうし)を朝貢使(ちょうこうし)として派遣するようになった。659年に実施された第4回の派遣のあと、この国防上の危機が訪れた。第5回の派遣は、国難が収まった2年後の665年に行われ、894年に菅原道真の建議により停止されるまで遣唐使の派遣は20回を数えた。やがて907年唐が滅亡して遣唐使の歴史は終った。
 第18回の804年に渡唐した遣唐使の中に最澄(さいちょう)と空海(くうかい)がいた。唐の高僧から天台宗や真言密教を学んだ彼らは、日本仏教に大きな足跡を残した。両国の国交が安定していたことが、この偉業につながったといえる。
 ちなみに、中国が元(げん)(蒙古)となり、その属国・高麗(こうらい)とともに実際に北九州を襲った元寇(げんこう)がおこったのは、鎌倉時代に入ってからのことで、1274年の襲来を文永の役(ぶんえいのえき)1281年の襲来を弘安の役(こうあんのえき)という。いずれも神風(かみかぜ)(台風)が吹き、日本は国土防衛を果たすことができた。

日向ひゅうが

師走祭しわすまつり

 仏教を日本に伝えた百済が唐・新羅連合軍による侵略で660年に滅亡したとき、百済の都・扶餘(ぷよ)から日本に亡命してきた禎嘉王(ていかおう)一族の物語は、千年の歴史を刻む師走祭となって現代に伝えられている。上平明さんの力作 日向の師走祭 に詳しいので、興味のある方は是非ご覧いただきたい。〈 完 〉

★☆★彡

旅紀行ジャパン第48集(実質第98集) 「太宰府秋の旅」

撮影・制作 : 和田義男

  平成19年(2007)12月27日 作品:第40作 画像:(大41+小6) 頁数:3 ファイル数:99 ファイル容量:23MB
  
平成12年(2000)〜平成19年(2007) 作品数:271 頁数:934 ファイル数:31,265 ファイル容量:4,517MB
戒檀院 天満宮 御神牛 和田義男
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