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★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

♪鎮守の森・想い川・水の宮・栄華の墓所

水の宮・和風BGM TAM Music Factory

拡大写真(1800x1100)343KB                

幟旗櫓を漕ぐ人の汗光る   北舟 

2001年7月16日制作

源平和船競争おしぐらんご(岡山県笠岡市)

撮影:ちばあきお氏              

源平和船競争おしぐらんご(岡山県笠岡市 2004年6月20日)

250

 

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2005年1月16日(日)

氷背に祈る裸の赤き肌

Ice on back,
red skin
the naked prayer.

あら玉の水に洗わる身と心   

Mind and body
purified
in cold water
of the New Year.

 特設プールには大きな氷柱が2本入れられ、そのそばでの水浴は見ているだけでも寒くなりそうだった。
 参加者は地元氏子たちのほか、金沢、福島、千葉などから毎年やってくる常連も多く、馴れているせいか、まるで寒さを感じないような表情だった。

心頭滅却すれば

心頭滅却すれば

拡大写真(1200x900)179KB

 参加者たちは水浴の後、そのまま近くの銭湯に行き、凍える身体を暖めた後、社務所二階で直会(なおらい)が開かれ、銀座から取り寄せた折詰寿司に舌鼓を打ちながら歓談し、新年を祝った。
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2005年1月9日(日)

褌を締めて禊の寒の水

Wearing a loincloth,
purification ceremony
with water
 of the cold season.

 本日午前11時から東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷(てっぽうずいなり)神社において第50回寒中水浴大会が開催された。
 女性を含む38名が裸になり、中川宮司の号令により櫓漕(ろこぎ)運動などで身体を温めた後、境内のキャンパス製の水槽に浸かり、新年の無病息災を祈念した。
 鐵砲洲稲荷神社は、平安初期の承和8年(841)以来、京橋地区一帯(銀座一〜八丁目、新富町、入船一〜三丁目、湊一〜三丁目、明石町)の土地生成の産土神(うぶすなのかみ)である生成太神(いなりのおおかみ)を祀る由緒ある神社である。

櫓漕運動

櫓漕運動

拡大写真(1600x1200)314KB

 昨年は、中川正光宮司が97歳の老齢にもかかわらず寒中水浴を無事に勤められた。今年は、ご子息が宮司を引き継ぎ指揮を執られた。
247

 

 

246

2005年1月1日(土)

本堂の人影絶えし冬構

The winter posture
of the main hall of the temple,
No one appears
any further.

山塊を超えて雪国合掌屋

Beyond the mountains,
wooden houses
with a steep rafter roof
in a snow country.

 2004年12月31日は豪雪になった。お陰で、世界遺産に登録されている五箇山(ごかやま)・相倉(あいのくら)と白川郷の雪景色を撮影することができた。

白川郷雪の明善寺(2004年12月31日)

雪の明善寺(白川郷)

拡大写真(1200x900)228KB

 白川郷は前日降った雪が積もっていたような感じで、2004年2月のライトアップの写真と比べると積雪は僅かで、豪雪地帯のこれからの冬ごもりを暗示する降雪だった。
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2004年12月23日(木)

山寺や破れ土塀の雪しぐれ

 A temple on a mountain,
A snowy shower
to a broken mud wall.
 

浅間山鬼押出し

 20048月12日(木)、夏期休暇で軽井沢に滞在していたとき、路線バスを利用して浅間山の麓に広がる鬼押出し園に行った。
 群馬県吾妻郡嬬恋(つまごい)村にある鬼押出しは、天明3年(1783)の浅間山大噴火によって生まれた溶岩台地で、「火口で鬼があばれて岩を押し出した」という当時の人々の恐怖の心情がこの名前の由来となっている。
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2004年12月21日(水)

冬の夜ひときは白き高嶺星

 A winter night,
The remarkable white star
high above
the mountain ridge.
 

800万画素のデジ一眼レフ機 E-300

 2004年12月3日(金)、オリンパスは、800万画素のデジタル一眼レフカメラE-300(イーサンビャク)を発売した。14-45mm標準ズームレンズとセットで9万円という破格の安さで、全国に衝撃を与えた。
 このたび待望の小型軽量のE-300と同時発売のレンズとフラッシュを入手し、本日ラインナップが完成した。オリンパスE-300公式サイト
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2004年12月10日(金)

寒椿多摩川すでに日を沈む

 Winter camellias,
The Tama river
set the sun down already.
 

wadaphoto.jp へ引っ越し!

 これまで300MB(メガバイト)のレンタル・サーバー5箇所にファイルを分散してホームページを運営していたが、手狭となったため、3GB(ギガバイト)(3,000MB)の大容量レンタル・サーバーを確保し、新たにドメイン http://wadaphoto.jp/ を取得して、引っ越した。また、これにあわせてメールアドレスも master@wadaphoto.jp に変えた。 
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2004年11月29日(月)

山里の鐘の音遠き秋の月

 Autumn moon
above a mountain village,
The boom
of a temple bell
 in the distance.
 

 11月2日(火)の宵曳山(宵ヤマ)は、唐津おくんちの前夜祭で、14台の曳山(ヤマ)に提灯を飾り、町内を曳き歩くもので、秋の夜に独特の雰囲気を醸し出す。
 11月3日(水)は御旅所神幸で、祭りのクライマックスの曳き込み・曳き出しが行われる。午前9時半、お旅所へ向かう神輿を曳山が先導して市内を巡行。午後0時に御旅所と呼ばれる砂地に一番曳山「赤獅子」を先頭に所定の位置に次々と曳山が曳き込まれる。
 11月4日(木)は、有終の美を飾る町廻りである。 前日の御旅所神幸を終えて各町内に持ち帰られた曳山が再び唐津神社前に集合し、午前10時30分、花火を合図に1番曳山から順番に出発。2日の宵山と同じ市内東廻りのコースをゆっくりと進み、午後零時頃にJR唐津駅前に並べられる。午後3時に駅前通りを出発して市内西廻りのコースを巡行し、フィナーレの曳山展示場に曳山が納められ、唐津くんちの幕が閉じる。
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2004年11月26日(金)

川の音の近くに聞こゆ良夜かな

 Wonderful moon night,
hearing closely
the murmur
of the river.
 

本町(ほんまち)八番曳山金獅子

本町八番曳山金獅子

拡大写真(1200x798)257KB

唐津くんち

魚屋町(うおやまち)五番曳山鯛

魚屋町五番曳山鯛

拡大写真(1200x768)301KB

 唐津くんちは、唐津っ子の産土神(うぶすながみ)である唐津神社の秋祭りで、400年の歴史がある。昭和43年(1968)から本殿祭を10月29日とし、宵曳山(よいやま)・御神幸・町廻り(まちまわり)は11月2日から4日までとなった。
 祭り期間中の人出は50万人を越えるといわれ、長崎市諏訪神社の長崎くんち、福岡市櫛田神社の博多おくんちとともに「日本三大くんち」の一つに数えられる。昭和55年(1980)国の重要無形民俗文化財に指定された。 
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2004年11月19日(金)

道問はば微笑み返る草の花

Asking how to go,
she smiles at me
by the flowers of weeds.

 今日、日経パソコン11/22号が届き、Newsを見てビックリ! オリンパスE-300(800万画素)レンズセット(本体+ズイコーデジタル14-45mmF3.5-5.6)が9万円で予約が始まったという。
予想では、ボディが10万円を切り、2万6千円のレンズを入れると12万円程度というのが大方の見方だった。それでも安いと思っていたのに、9万円とは衝撃の価格である!
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2004年11月11日(木)

月の夜そぞろ歩きの川明かり  

A stroll on a moon night,
The surface of a river
gleaming.

仲秋の名月

資料

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2004年11月7日(日)

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天高し坂越の浦の櫂伝馬

てんたかし さこしのうらの かいてんま
櫂伝馬

拡大写真(1200x800)259KB

 The sky is high,
Large paddle boats
at Sakoshi beach.

 

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秋の海島の御旅所暮れゆきぬ

あきのうみ しまのおたびしょ くれゆきぬ

神輿一体走り

拡大写真(1600x1064)307KB

 Autumn sea,
The lodging shrine on the island
darkening.

浦祭裸の胸に守札

うらまつり はだかのむねに まもりふだ

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秋の暮伝馬曳きゆく渡御船団

あきのくれ てんまひきゆく とぎょせんだん

船渡御

拡大写真(2000x1100)319KB

The evening late in autumn,
Rowboats towing
the convoy carrying a portable shrine.


 2004年10月10日(日)兵庫県赤穂市坂越(さこし)の大避(おおさけ)神社で300年の伝統を誇る船渡御祭が行われた。「坂越の船祭り」と呼ばれ、国の無形民俗文化財に指定されている。

海の男のロマン

 褌をきりりと締めた海の男たちが伝馬船を漕ぐさまは江戸時代さながらで、勇壮な瀬戸内の水軍を彷彿とさせる。後半は一転して雅な平安絵巻が繰り広げられる。9隻を珠数つなぎした渡御船団をたった2隻の櫂伝馬が曳航するさまは、凄いというほかはない。
 高度な機械文明を謳歌する現代に、全て人力で執り行われる海の祭典! 全く変質することなく、現代に伝わる伝統美! 国の無形民俗文化財にふさわしい壮大なページェント! 言葉では言い尽くせない海の男のロマンに感動を新たにした。
 今年は台風が何度も襲来し、生島御旅所は大きな被害を受けたという。坂越浦の綺麗に舗装された浜辺は、打ち寄せられたゴミで覆われ、祭りの開催が危ぶまれたそうで、大勢の人が汗を流して綺麗にした。浜に立てられた大きな幟は、前日に立ててやっと祭りに間に合ったという。 
 夕刻から豪雨となったが、神事は予定通り執り行われ、神輿は復路も船渡御により、深夜、無事宮入した。櫂伝馬の若衆は、濡れ鼠になりながらも、立派に勤めを果たしてくれたという。
 大変な苦労をして伝統の祭りを継続しておられる坂越の方々に心から感謝申し上げ、これからもこの素晴らしい祭りが末永く存続することを祈念したい。
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2004年10月30日(土)

川狩りや褌衆の頬被

 Kawagari festival,
The naked guys
of fundoshi loincloth
cover their heads and cheeks
with a hand towel.
 

 

神輿一体走り

神輿一体走り

拡大写真(1200x800)190KB

さやけしや裸の健児疾走す

 The refreshing air,
The naked young men dashing.
 

 

川狩り

川狩り

拡大写真(1200x800)237KB

 神輿一体走りは松山市無形文化財に指定された神事で、裸の若者達が神輿を担いで参道を駆け抜ける様は圧巻である。川狩りは久万川が汚染されたために途絶えてしまった神事が、住民運動の結果、行政が専用施設を建設し、33年振りに復活した貴重な事例である。
 今、写真の取材であちこちの観光地に行くが、共通することは、その土地でしか味わえない文化をアピールしていることである。学校によってはその土地の方言を教えているところもあると聞く。
 教育方針が180度転換し、今や地方の時代となった。田舎で生まれ育ったことに誇りを持ち、田舎特有の文化を持つことが、なんと豊かなことなのだろうと、やっと気付きはじめたのである。

みんなちがって、みんないい。

金子みすずの詩「私と小鳥と鈴と」より

 松山には日本の高温多湿の気候風土に根ざした田舎の裸文化が息づいている。
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2004年10月24日(日)

少年のふぐり見えもす宮相撲

 Ritual sumo wrestling,
The boy's testicles
happen to be exposed.
 

 

団体戦小学校の部に優勝した海神小学校

団体戦小学校の部に優勝した海神小学校

拡大写真(1200x900)314KB

はっけよい!

はっけよい!

拡大写真(1200x900)199KB

 子供相撲の熱戦を見ている内に、筆者の小学校時代を思い出した。
 その頃は殆どの学校に屋根付きの相撲場があり、授業の一環として男子は土俵で相撲を取った。 まわしは直接肌に締めるものと決まっていた。
 女子は観戦するだけだったが、四つ相撲となって立褌(たてみつ)が緩み、あるものが見えたとき、きゃーと言いながら手で顔を覆いながらも、指の隙間から覗いていた女子のことが忘れられない。
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2004年10月17日(日)

太陽を身いっぱいに宮相撲 

Dedicatory sumo mach,
Exposing whole bodies
to the sun.

土俵際の攻防

土俵際の攻防

拡大写真(1200x900)231KB

 10月17日、朝5時起きして船橋市にある船橋大神宮に行った。朝8時に着いたので、事前の取材も十分にでき、9時からの開会式に次いで、小学生の奉納相撲が執り行われた。主催者は船橋大神宮奉納相撲執行委員会だが、実質は氏子青年部である。10月20日(水)の秋期例大祭に奉納相撲が行われるが、学校があるので、子供の部が日曜日に行われる。
 快晴に恵まれ、終日木漏れ日の下で熱戦が繰り広げられた。主催者の話によると、日本相撲協会は、子供相撲はパンツの上にまわしを締めても良いというルールになっているが、船橋大神宮の奉納相撲は、国技の伝統にしたがい、女子以外は直接肌にまわしを締めさせているという。
 挨拶の中で、褌を締めて相撲を取るという言葉があり、子供たちは相撲まわしも褌と呼ぶことを知ったようだ。約140人(うち女子11人)の参加があり、男女別のまわし小屋で氏子青年部の用意したまわしを締めてもらい、競技に臨んだ。

 

 400年の伝統を受け継ぎ、日本の裸文化の華である相撲を変質させることなく伝えている船橋大神宮氏子青年部の皆さんの熱意には心を打たれた。

木漏日の土俵新たに宮相撲

宮相撲行列長し褌小屋

撫子も褌締める宮相撲

負相撲悔し涙の乙女子は

宮相撲緩む褌もなんのその

豚汁のおかわりもあり宮相撲

撫子も強くなりけり草相撲

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2004年10月17日(日)

たこ舞神事 

 

大注連のゆらりゆらりと里祭

里の秋藁蛸練りの裸衆

しがみつく梁のてかりや秋祭

 

▼ 平成16年(2004)10月17日(日)、鳥取県日野郡溝口町(みぞくちちょう)に鎮座する福岡神社の例祭で蛸舞式(たこまいしき)神事が行われた。町中を日野川が流れる溝口町は日本最古の鬼伝説があり、鬼の町として知られる。
 蛸舞式神事は、福岡神社の祭神・速玉男命(はやたまおのみこと)が熊野灘で嵐にあって遭難した際、蛸(たこ)に助けられ、無事に吉備国(きびのくに)に上陸したという故事にちなんで行われるようになった奇祭である。
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2004年10月16日(土)

仏堂も籠り入りたる刈田かな  

Reaped rice fields,
the Buddhist temple
in seclusion.

明善寺本堂(奥)と庫裏

明善寺本堂(奥)と庫裏

拡大写真(1200x900)265KB

 2004年10月7日(木)、家内と二人で立川からクラブツーリズム(株)のバスツアーに参加し、秋色の白川郷に行った。2004年2月6日(金)に雪の白川郷のライトアップを見に行って以来、二度目の白川郷である。
 幸い秋晴れに恵まれ、バスは運良く狭い荻町(おぎまち)駐車場に入ることができた。

 

 白川郷には約100軒の合掌造りの家屋が建ち、そのうち50軒が人の住む民家である。なかでも萩町は、合掌造りの民家が一番よく集積している集落として知られる。大きい家には20〜30人もの大家族が生活していたという。
 白川郷の家屋は棟(むね)が南北に沿うように建てられている。 強い季節風の風向にあわせて風の抵抗を最小限にするとともに、屋根に当たる日照量を減らし、夏涼しく冬保温されるという長年の経験による知恵だという。
 白川郷の秋は、稲の刈り取りも殆ど終わり、どぶろく祭のあと、冬ごもりに入る。半年の間、厳しい冬の中で生活する知恵が詰まっている白川郷。それが世界文化遺産という評価につながった。しかし、厳しい人々の暮らしが遺産と共にあることを忘れてはならない。

老翁の杖つきて立つ刈田径

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2004年10月10日(日)

黙々と猿の頬張る秋薊  

A monkey fills
his mouth
with thistles
in silence.

薊を食べる日本猿

薊を食べる日本猿

拡大写真(1200x900)228KB

 2004年9月10日(金)、上高地を散策した。

 

 田代橋付近の森の中でニホンザルに出会った。子猿が一匹、遊んでいる姿が何とも可愛い。近づいても逃げようとしないので、人間から危害を受ける恐れがないと安心しているのだろう。

アザミ

を食べる
 ニホンザルがノコンギク(野紺菊)の花に囲まれて、無心に 薊の花を食べていた。近づいても逃げる気配はない。あとで調べると、食べていたのはアズマヤマアザミ(東山薊)だった。
 よく見ると毛並みも良く、まるまると太っている。海抜1,500mの厳しい冬の到来に備えて、しっかりと食べて栄養を取り、冬ごもりの準備を整えるのが彼らの最大の仕事とみえる。
 アズマヤマアザミ Cirsium microspicatum : キク科アザミ属の多年草で、東(あずま)と名が付くように主に東日本に分布。植物に関する研究が当初、西日本を主なフィールドとして行われていたことがよくわかる。花は薄い紅紫色。 ノコギリ状の葉の付け根に花がつき、横向きに咲く。

河童橋昼にまどろむ通し鴨

梓川はぐれ山女魚の動かざる

夏鴨の糸を引きたる水面かな

秋の池立ち枯れし木の影長し

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2004年10月2日(土)

今日の月ふと立ち止まる通勤路  

The harvest moon,
I stop unconsciously
on my way home
from office.

仲秋の名月

仲秋の名月

資料

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2004年9月25日(土)

大原や浜の神輿の宙に舞ふ  

Ohara, The portable shrines
at the shore dancing in the sky.

日輪を掴みし神輿空に舞ふ

The mikoshi, dancing in the sky,
grabbing the sun.

太陽を掴んだ神輿!

太陽を掴んだ神輿!

拡大写真(1200x900)144KB

 20049月23日(木)秋分の日に外房の千葉県・大原町で大原はだか祭りが開かれた。東京駅からJR外房線大原駅まで、特急ビューわかしお号で70分。駅から大原漁港まで徒歩20分余りで着く。

 

 大原はだか祭りは、江戸時代から行われ、天保年間(1829〜)から祭りのしきたりや組織ができたという伝統ある祭りで、毎年9月23・24日の2日間にわたって行われる。
 上半身裸の男たちによって大原地区の十社に東海・浪花の両地区から参集した合計18社の連合神輿が一斉に外房の太平洋に担ぎ込まれ、揉み合う「汐ふみ」が祭りのハイライト。勇ましく、雄々しく、神輿が海の中を駆け巡り、投げ上げられる様は感動的である。
 大原はだか祭り最大の見せ場が、大原海水浴場で行われる「汐ふみ」と呼ばれる海中渡御である。太平洋の怒濤の中で、参加18社の連合神輿が勇壮に揉み合い練り合う禊ぎが行われる。神輿は高々と持ち上げられ、空に向かって投げ上げられる。長くしなりのある舁き棒とともに宙に舞う神輿は圧巻である。
 これほど大規模で、しかも怒濤逆巻く太平洋の荒波に繰り出す勇壮な祭りは他に例を見ない。厳しい海に働く男たちの真骨頂に心から感動した。惜しむらくは、はだか祭りといいながら、胸から上しか露出しておらず、また、股引の下は柄パンが多く、海水に浸かると透けて見えるのがみっともない。江戸時代は全裸か褌一丁のはだか祭りであったに違いなく、明治の文明開化のせいなのか、祭り衣装に変質が見られるのは誠に惜しいことである。
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2004年9月22日(水)

やはらかき木漏れ日のもと曼珠沙華  

The cluster amaryllises
under the soft sunbeams
 streaming
through the leaves of trees.

曼珠沙華の林

曼珠沙華の林

拡大写真(1200x590)295KB

 2004年9月19日( 日)、家内とともに埼玉県日高市(ひだかし)にある巾着田(きんちゃくだ)の曼珠沙華(まんじゅしゃげ 彼岸花)を見に行った。西武池袋線池袋駅から西武秩父(ちちぶ)線高麗(こま)駅まで特急で45分。そこから歩いて15分ほどで巾着田に着く。

 

 近くの日和田山(ひわだやま)から眺めると、高麗川に囲こまれた水田が巾着のように見えるので、川原田(かわはらだ)と呼ばれるこの地は、昔から巾着田と呼ばれてきたという。巾着田は広さが16.7haあり、高麗川に沿って長さ1.5kmの堤防が築かれ、総延長2kmの散策路がある。 昔は全て水田だったが、現在では一部を残して休耕田(きゅうこうでん)となっており、日本一の曼珠沙華の群生地として知られるようになってからは、コスモス畑のほか、ふれあい広場やグラウンド、牧場、駐車場などに利用されている。
 巾着田の南部から東部に至る高麗川沿いのニセアカシア林に入ると、100万本といわれる曼珠沙華が地面を覆い尽くしていた。息を呑むほどの光景で、赤い曼珠沙華の数の力に圧倒される。
  高麗の里には、1200年もの昔、当時としては途方もなく遠い朝鮮半島からやってきた高句麗人が開墾し、川を利用して築きあげた豊かな美田があった。高句麗人のロマンに思いを馳せながら、曼珠沙華の美しさを知った感動の旅であった。
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2004年9月16日(木)

秋の池立ち枯れし木の影長し  

The autumn pond,
The shadow
of the standing trees blighted
lays long
on the water.

幻想的な大正池の佇まい

幻想的な大正池の佇まい

拡大写真(1200x900)166KB

 2004年9月10日(金)立川からクラブツーリズム(株)による上高地日帰りバスツアーに参加した。東京から日帰りで行けるから驚きである。

 

 中部山岳国立公園にある上高地は、長野県北西部、南安曇郡(みなみあずみぐん)安曇村(あずみむら)にあり、特別名勝、特別天然記念物に指定された景勝地である。
 穂高連峰(ほたかれんぽう)や焼岳(やけだけ)、霞沢岳(かすみさわだけ)に囲まれ、槍ヶ岳(やりがたけ)を源流とする梓川(あずさがわ)に沿って標高1,500m、長さ16km、幅500mほどの細長い盆地が続く。
 一般の観光は、南西端の大正池から田代池、田代橋、上高地帝国ホテル、上高地バスターミナル、河童橋、小梨平(こなしだいら)を経て北東端の明神池(みょうじんいけ)に至るエリアが中心で、大正池から明神池まで歩いて片道3時間の距離である。
 車内で弁当を食べたあと、昼前、大正池で下車し、梓川に沿って河童橋まで3時間の散策を楽しんだ。帰りのバスは、河童橋西方徒歩5分の上高地バスターミナルで待機しているので、片道の散策である。
 平坦な道で、お年寄りでも大丈夫なように、難所には木道(もくどう)が整備されていて、安心して歩ける。マガモやオシドリ、ニホンザルにヤマメと、沢山の野生動物と出会った。
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2004年9月11日(土)

夏夕日赤壁の槍天を突く  

なつゆうひ せきへきのやり てんをつく

The summer sun
setting low
under the sky,
the red cliff of Mt. YARI
reaching high
in the sky.

真っ赤な大槍

青い虞美人草(ブルーポピー)

拡大写真(1200x900)250KB

 感動写真集第35集「夏の北アルプス縦走」をアップした。この作品は、8月11日(水)から3泊4日の日程で、北アルプス(飛騨山脈)を縦走された青木憲一さんの貴重な記録写真を編集したものである。 台風一過、素晴らしい晴天に恵まれ、これまでに見たこともないような素晴らしい山岳写真に、編集している私も感動の連続であった。

 

解説文抜粋

 中部地方の飛騨(ひだ)山脈、木曾(きそ)山脈、赤石(あかいし)山脈を合わせて日本アルプスと呼び、飛騨山脈を北アルプス、木曽山脈を中央アルプス、赤石山脈を南アルプスと呼ぶ。北アルプスは、日本アルプスの主部で、日本海沿岸の親不知(おやしらず)付近から急激に高度を増し、新潟、富山、長野、岐阜の4県にまたがって続く大山脈である。南北の延長約70km、東西の幅約25kmで、標高は奥穂高岳の3,190mを最高に3,000m級の峰が並ぶ。昭和9年(1934)、中部山岳国立公園に指定された。
 アルピニスト憧れの槍ヶ岳に初めて登頂したのは、江戸末期の山岳修行僧・播隆上人(ばんりゅうしょうにん 1786-1840)で、ウインパーのマッターホルン初登頂より37年も前の文政11年(1828)の夏だったという。その後、槍ヶ岳に登った英国人ガウランドが山頂からの景観を「ジャパニーズ・アルプス」と命名。この名称は、やがて明治25年(1892)に登頂した英国人ウエストンによって世界に広められ、Mt. YARI の存在が世界の登山家に知られるようになった。 
224

2004年9月2日(木)

噴煙の夏雲のごと浅間山

The thick smoke
rising from Mt. Asama
looks like summer clouds.

 2004年8月12日、軽井沢からバスで鬼押し出しに行った。目の前に浅間山の噴煙がモクモクとあがり、夏雲のようだった。
 9月1日、奇しくも防災の日、浅間山が噴火した。どおりで煙が濃いと思ったのだが・・・。

噴煙の浅間山(2004年8月12日)

噴煙の浅間山(2004年8月12日)
223

2004年8月31日(火)

幽谷の岩陰ひとつ薄雪草

ゆうこくの いわかげひとつ うすゆきそう

An edelweiss
beside the lonely rock
in a deep valley.

 高度を上げて行くにしたがってスイスの高山で撮ったエーデルワイスとそっくりな綿毛のふっくらとした薄雪草(エーデルワイス)が見られるようになった。
 エーデルワイスの花言葉は「気高く毅然とした勇気」「純潔と不死」。スイスの国花であり、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」中の曲名としても知られる。 大姑娘山の花園より

薄雪草(エーデルワイス)

薄雪草(エーデルワイス)

拡大写真(1200x900)181KB

222

2004年8月25日(水)

翠巒の虞美人草や空の青

すいらんの ぐびじんそうや そらのあお

 Field poppies
on the green mountains,
Blue of the sky.

青い虞美人草(ブルーポピー)

青い虞美人草(ブルーポピー)

拡大写真(1200x900)210KB

 標高5,025mの大姑娘山(タークーニャン)は、中国四川省の省都・成都(チェンドゥ)から北西200kmのアパ・チベット族自治州にある四姑娘連山(スークーニャン シャン)の端に位置する。 登頂には、アイゼンやピッケルなどの装備や特殊な技術を必要としないが、キャンプ地を標高の高い位置に移して登頂する方法をとるので、遠征隊の気分が味わえる。
 この時期、山麓にはブルーポピーやエーデルワイスなどの高山植物が咲き乱れ、大自然の壮大な花園が広がる。 世界で一番美しい花といわれるブルーポピーは、標高3,000m〜5,000mのヒマラヤの高山にしか自生しないという幻の花で、1913年に英国の探検家ベイリーとウォードによりチベットで発見された。

 

 標高4,300mの巴朗山(パーローシャン)峠を越えて登山基地の日隆(リーロン)までの道中、初めてブルーポピーを見つけた。英語でポピーと呼ばれる花はヒナゲシ(雛芥子、雛罌粟)のことで、ケシ科の一年草である。阿片(アヘン)が採れない種類なので自由に栽培でき、観賞用として花壇や鉢植え、切花として親しまれている。 阿片が採れるケシよりは丈が低く、幾らか分枝しており、全体に粗毛がある。
 夏目漱石の小説で知られる虞美人草は雛芥子の漢名である。本来は赤い花で、中国では秦代の実力者・項羽(こうう)の愛妾であった虞美人(ユメイレン)が流した血から生まれたという伝説からこの名があるという。  写真・解説:山岳写真家・南光優さんの大姑娘山の花園より
221

2004年8月20日(金)

白糸や滝の飛沫の中に居る

しらいとや たきのしぶきの なかにいる

 Being
in the spray
 of Shiraito falls.
 

白糸の滝の女

白糸の滝の女

拡大写真(1600x1200)345KB

 JR軽井沢駅から草津行きの草軽交通バスに乗ると25分ほどで白糸の滝に着く。湯川の水源に当たるこの滝は、高さ3m、幅70mの苔むした岩肌を数百条もの清水が白糸のように落下し、清楚でとても美しい。日光が当たると絹糸のような煌めきを放つ。水は透明度が高く、冷たくて気持ちが良い。
 この滝は川の水が落ちているのではなく、浅間山(あさまやま)の伏流水が崖の途中から噴き出しているもの。
 春は付近の林でウドやタラノ芽などの山菜類が豊富にとれ、夏の季節には滝しぶきと涼風が訪れる人々を楽しませる。秋はまばゆいばかりの紅葉が滝を覆う。付近に熊が棲息する旨の注意標識がある。

 

 軽井沢は、JR軽井沢駅周辺や旧軽井沢、新軽井沢などの目抜き通りを外れると、あとは森そのものであり、ホテルやペンション、民家や別荘などは、鬱蒼と茂った木々の中にある。今回、自転車とバスを利用して、緑と清水の町・軽井沢を探訪した。
 この時期、車で行くのは最悪である。首都圏から乗り込んできた車が碓氷峠(うすいとうげ)から珠数繋ぎとなり、軽井沢は都会並みの渋滞で、路線バスが1〜2時間遅れるのは当たり前の状況であった。文明の利器からしばし離れ、自転車や徒歩で大自然の中に入り、森林浴に徹するのが、夏の軽井沢を満喫する最良の方法である。

軽鴨のまどろむ池の木陰かな   

揺籃の杜より出ずる草清水

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2004年8月17日(火)

波を追ふ波の間に間の海月かな 

なみをおう なみのまにまの くらげかな

 Jellyfish
drifting between waves
 running after
foregoing waves.
 

クラゲ

資料

219

2004年8月13日(金)

軽井沢せせらぎの音青葉風

かるいさわ せせらぎのおと あおばかぜ

 Karuisawa,
Murmuring of a stream,
 Breeze of green leaves.
 

御前水

御前水

拡大写真(1600x1200)327KB

 軽井沢の一番人気は、自転車でノンビリと杜の小径を走ること。1,500円で丸一日乗り放題のレンタサイクルは快適だった。

軽井沢の緑陰

軽井沢の緑陰

拡大写真(1600x1200)340KB

 今週、真夏日の連続記録を更新中の暑い東京から脱出し、家内と二人で軽井沢に行ってきた。長野県東部、北佐久郡にある町・軽井沢は、地元では「かるいさわ」という。
 人口1万5千余。浅間山南東麓にある標高約1,000mの高原で、8月の平均気温が20.5℃と札幌より1.2℃ほど低く、東京駅からJR長野新幹線で80分という地理的条件から、夏の全盛期の入込客は常住人口の10倍にのぼるという。
 夫婦二人で矢ヶ崎川(やがさきがわ)の「ささやきの小径」からはじまり、明治天皇が軽井沢に行幸されたときに炊飯とお茶に使われたという御前水(ごぜんすい)や雲場池(くもばのいけ)など、暑さを忘れて緑と水の町を巡った。
218

2004年8月3日(火)

梵鐘のひとつ鳴りたる蓮の池

Temple bell
tolls once
at the lotus pond.
 

鶴岡八幡宮の源平池

 源平池は正面の太鼓橋から左右に広がる池で、 頼朝の勝利を祈って、妻の政子が造らせたといわれる。
 かつて政子が東の池に源氏の白旗を表す白蓮を、西の池に平家の 赤旗を表す紅蓮を植えたのでこの名がついたという。

鶴岡八幡宮の蓮

鶴岡八幡宮の蓮

拡大写真(1400x1050)157KB

誰がために鐘は鳴る

For Whom the Bell Tolls

by Ernest Hemingway

217

2004年8月1日(日)

山笠を舁く赤銅色の赤手拭

やまをかく しゃくどういろの あかてのごい

 Sun-tanned akatenogoies*
carrying a yama
on their shoulders.
 

* main force of carriers

雷風天下轟/四番・土井流

雷風天下轟/四番・土井流

拡大写真(1600x1064)363KB ちばあきお

しぶきを上げて!/七番・中洲流

しぶきを上げて!/七番・中洲流

拡大写真(1600x1270)271KB 大庭靖雄

 博多祇園山笠の凄さは、何といっても締め込みと呼ばれるふんどしの着用を徹底しているところにある。一人の例外もなく、女の子までが締め込み姿で街を闊歩しているのには驚いた。
 祭り期間中、祇園山笠振興会が締め込み姿の男性の臀部を拡大した写真を展示した「男の尻写真展」を三越で開催していたのも驚きである。おおらかな裸文化が息づく博多ならではの企画といえよう。
 日本の伝統文化をみんなで守っていこうという意気込み。親から子へ、子から孫へと受け継がれて行く博多っ子の祭り文化にすっかり魅了された私は、これからもエールを送り続けたいと思っている。
216

2004年7月20日(火)

益荒男や山笠清道を駆け抜けり

ますらおや やませいどうを かけぬけり

Brave men ran
through the purified road
with a yama
on their shoulders.
 

豪華な舁山/八番・上川端通

豪華な舁山/八番・上川端通

拡大写真(1600x1064)346KB ちばあきお

疾走!/五番・大黒流

疾走!/五番・大黒流

拡大写真(1600x1064)231KB ちばあきお

 2004年7月1日から15日まで開催された博多祇園山笠の迫力ある画像が届いた。先ほど速報版をアップした。
 これらの画像は、7月10日から13日の間、岡山のちばあきおさんが博多に泊まり込んで撮られたものと、福岡在住の大庭靖雄さんが撮影されたものである。
 天候にも恵まれ、規模と内容において日本一といわれる博多っ子の夏祭りを見事に捕らえた力作である。後日、作品にまとめてアップする予定である。
215

2004年7月19日(月)

夏の雲富士に向ひてパドリング


Paddling towards Mt. Fuji
 under summer clouds.
 

2004年7月11日(日)午前10時半から江の島・八坂神社天王祭の式典が江島神社辺津宮(えのしまじんじゃへつのみや)で始まると聞き、急いで弁天橋を渡っていると、西方に入道雲がわき上がっていた。富士山も影を見せ、4隻のカヌーがパドリングを楽しんでいた。

江の島の海

江の島の海

拡大写真(1600x1200)208KB 

214

2004年7月16日(金)

波の間に浮きつ沈みつ夏祓

なみのまに うきつしずみつ なつはらえ

Summer purification
drifting up and down
 on the waves.
 

船上のお祓い

船上のお祓い

拡大写真(1600x1200)292KB

江ノ島のどっこい神輿褌の白

えのしまの どっこいみこし こんのしろ

White is the fundoshi-loincloths,
Dokkoi mikoshi of Enoshima island.

深みに入った神輿

深みに入った神輿

拡大写真(1600x1200)317KB

 とにかく暑かった。帽子を被っているのに額の汗が眼が染み、眼鏡が滲んでよく見えないほどだったが、午前中の2時間、神輿を追って夢中で激写した。
  途中で 「和田さんでしょう?」 と声をかけられた。「常連が多いですね」と私。私のホームページの速報版を見て、参加していた赤銅色さんからもお便りをいただいた。裸祭りファンの多くがWa☆Daフォトギャラリーを見てくれていると知って嬉しかった。
 

下山道そろりそろりと神輿舁

げざんどう そろりそろりと みこしかき

A mountain path,
 slowly and prudently mikoshi carriers going down.

 

潮抜の清水に烟る神輿かな

しおぬきの しみずにけぶる みこしかな

The portable shrine looks dim
 in the fresh water washing seawater away.

213

2004年7月11日(日)

群青の海に入りたる神輿かな

A portable shrine
goes
into the deep blue sea.
 

ダイビング

ダイビング!

拡大写真(1600x1200)247KB

ウインド・サーフィンと神輿

ウインド・サーフィンと神輿

拡大写真(1600x1200)294KB

 今日午前中晴天に恵まれ、江ノ島で八坂神社の天王祭が開かれた。午前9時半から江島神社辺津宮(えのしまじんじゃ・へつのみや)の境内で、式典が行われた後、狭い石段や参道を下り、江の島ヨットハーバーの北西にある公園の特設スロープから入水。30分ほどであったが、江の島大橋の東側海域で神輿の海中渡御が行われた。

緑陰やシャンギリの輪の廻りたる

夏の雲富士に向ひてパドリング

212

2004年7月4日(日)

夏の海今に伝わる舟戦

なつのうみ いまにつたわる ふないくさ

Traditional boat battle
on the summer sea.
 

源平和船競争おしぐらんご

拡大写真(1200x1100)296KB

源平和船競争おしぐらんご

源平和船競争おしぐらんご

拡大写真(1800x1100)343KB

 2004年6月20日(日)岡山県笠岡市で開かれた「おしぐらんご」は、源平合戦の舟戦を起源とし、約800年前から伝わる伝統行事である。
 白幟(しろのぼり)の源氏と赤幟(あかのぼり)の平家の二手に分かれ、それぞれ紅白の幟を立てた四丁櫓の和船に各々紅白の褌を締めた裸形の男たちが乗り込み、海水を掛け合いながら速さを競う勇壮な祭りである。
 地域に根付く伝統的な祭りの継承が危ぶまれている昨今、この「おしぐらんご」が笠岡独自の魅力として、途絶えることなく代々受け継がれて、後世に残っていって欲しいものである。

幟旗舟人たちの汗光る

夏の海おしぐらんごの櫓の軋む

211

2004年6月29日(火)

黄金の鯱の眩しき夏の空

Golden syachi-hoko*
 glaring
under the summer sky.
 

*an imaginary sea animal with the head of a dragon and the body of a fish
 平成16年(2004)5月22日(土)、名古屋に行ったことのない家内と共に、名古屋周辺の観光地を見て回った。どこも新緑の美しい佇まいを見せ、予想以上に素晴らしかった。

名古屋城の金鯱

名古屋城の金鯱

拡大写真(1200x940)224KB

210

2004年6月19日(土)

夏祭振舞酒に塩を嘗め

Licking salt
 on a square wooden cup,
drinking sake
entertained in the summer festival.
 

 このイベントは、大手前通り完成50周年にあたる平成16年(2004)度を”国際観光都市元年”と位置づけ、この祭り屋台イベントを起爆剤に姫路の魅力を全国に発信し、「姫路躍進元年」のスタートを期すために、有志が組織するザ祭り屋台 in 姫路奉賛会が主催するものである。
 平成16年(2004)5月22日(土)、兵庫県姫路市最大の秋祭り「灘のけんか祭り」の屋台など10台が世界文化遺産の国宝・姫路城に集い、15万人が見守るなか、「ザ祭り屋台 in 姫路」と題する祭りが盛大に開かれた。

屋台祭りin姫路

屋台祭りin姫路

拡大写真(1600x900)252KB

209

2004年6月13日(日)

我が髪の薄きを嘆く麦の秋

My thin hair
makes me depressed
in the autumn of wheat.

 最近、新幹線を利用した出張が増えている。車窓の風景は、黄金色に実った麦畑と、田植えを終えたばかりの植田が同居している。
 実りの秋を迎えた麦畑を見ると、薄くなった我が頭髪に想いが巡り、発句してみた。
208

2004年6月10日(木)

白扇子御輿で踊る褌衆

White fans in hands
naked guys
of fundoshi the loincloth
dancing
on the portable shrine.
 

 例年、西浅草三丁目北町会の神輿が目を引くが、警察は危ないから神輿から降りるよう何度も注意していた。
 殆どの神輿が警察の指導に従っているため、観客は神輿しか見えず、盛り上がりに欠けた感じがする。
 事故防止の観点から注意するのはよく分かるが、余りにも管理された印象があり、もう少し氏子たちの自主性にゆだねても良いのではないかと感じた。
  「浅草・三社祭速報!」で既報の三社祭の作品が完成した。去年と同じ所はなるべく避けたが、100基の町神輿が集結する観音堂裏は、圧巻で、今年も追加した。
 新しいところは、浅草神社の宮入と祭褌を取り上げたことである。
 祭褌(まつりふんどし)は、最後のページに取りまとめた。年に一度の祭りの日に、日本古来の褌を締めてくる人がかなりいる。
 ただ、堂々と祭褌を見せる人が少ないのは残念である。博多山笠や灘のけんか祭りを見習って欲しいと思った。

観音堂裏の裸神輿

観音堂裏の裸神輿

拡大写真(1200x900)212KB

207

2004年6月1日(火)

空映し現はれ消ゆる植田かな

Newly planted rice fields
refrecting sky,
appear and vanish
one after another.
 

植 田

植田

資料

 今週の月・火と新幹線を利用して関西に出張した。
 既に関西は梅雨入りしており、車窓からは田植えの終わったばかりのみずみずしい田圃が現れては消えていった。
 発句を試みたところ、このような田を植田(うえた)ということを初めて知った。
206

2004年5月28日(金)

瀬戸物の栄華を残す夏館

A summer house
lingering scent of luxury
on  porcelain.

洞本業窯(ほら ほんぎょうがま)

洞本業窯

拡大写真(1200x900)167KB

 5月22日(土)家内と二人で瀬戸物のふる里を訪ねた。
 名古屋市栄町から名鉄瀬戸線で30分ほどで尾張瀬戸駅に着く。  
 日常用の陶磁器のことを瀬戸物というが、その用語例は永禄6年(1563)に織田信長が下した制札に始まるという。
 一般に用いられるようになったのは、江戸時代に入って瀬戸と美濃で大衆向けの日常食器類が焼かれ、それが全国的に広く流通するようになってからだといわれる。
 尾張瀬戸駅から東へ約1.5qの洞町(ほらまち)は、谷間の地形を生かして多くの窯が造られ、磁器を新製と呼ぶのに対して本業と呼ぶ陶器生産の中心地の一つであった。
 往時は、町内の細い路地を焼き物を積んだ荷車や担ぎ手と呼ばれる天秤棒をかついだ運搬人が行き来し、賑わったといわれる。そんな狭い道の中に、窯垣の小径(かまがきのこみち)と呼ばれる路地がある。この小径には、多くの窯垣(かまがき)が見られる。
 窯垣とは不用になったエンゴロ(登り窯で焼く際に製品を保護するための鉢)やエブタ(棚板)、ツク(棚板を支える柱)などを使って造った塀や壁のことで、その幾何学的な模様は見る人の目を楽しませてくれる。
205

窯元を巡る小径や夏木陰

A path through the potterys,
summer shade of the trees.
 

窯垣の小径(かまがきのこみち)

窯垣の小径

拡大写真(1200x900)309KB

204

2004年5月15日(土)

江戸子のセイヤで担ぐ大神輿

Big portable shrine,
rising on their shoulders
at the shout of "seiya!"
by traditional Tokyoite.
 

町神輿の晴れ舞台

町神輿の晴れ舞台

拡大写真(1600x1200)332KB

白扇子御輿で踊る褌衆

拍子木に送られて行く神輿かな

若衆の担ぐ神輿や土煙

大神輿大提灯をくぐり抜け

仲見世をのろのろ進む神輿かな

 今日、東京三大祭りのひとつ浅草・三社祭の町神輿連合渡御が催された。晴天に恵まれ、初夏の陽気の中で大いに盛り上がった。
 去年は雨が落ちてくるほどの高曇りで、早々に街灯がともった中での撮影だった 。今回、直射日光の中で撮影したが、太陽が雲に隠れたときに撮った写真が綺麗に写っていた。
 浅草神社では法被を着ていた氏子も、浅草寺の境内に入ると、法被を脱ぎ、褌一丁で気勢を上げる神輿もみられた。

観音堂裏の裸神輿

観音堂裏の裸神輿

拡大写真(1200x900)212KB

尻からげの男たち2

三社祭自慢の褌尻端折

Sanja festival,
a guy of loincloth, proudly tucking up his kimono.

203

2004年5月12日(水)

秩父路や野山の奥の芝桜

Country Chichibu,
Moss phlox
 blooming broadly
on the inner part of
the fields and mountains.
 

秩父の武甲山と芝桜

秩父の武甲山と芝桜

拡大写真(1200x900)315KB

 2004年4月30日(金)、 家内と二人で秩父の芝桜(しばざくら)を見に行った。秩父羊山(ちちぶ・ひつじやま)公園にある芝桜の丘は、埼玉県秩父市の武甲山(ぶこうさん)のふもとにある。
 秩父のシンボル・武甲山(1,295m)は、市街地の南にそびえる名山で、秩父地方の人々にはなじみ深い山で、信仰の山でもある。関東百山にもその名が見える。
 秩父は山の中である。萌え出る若葉や菜の花畑、葱坊主、麦畑、ビニールハウス、端午の節句を前に武甲山を背景に泳ぐ鯉のぼり・・・。都会では味わえないのどかな田園風に心が癒される。

 田園風景を楽しみながら芝桜の丘に着くと、一面カラフルな芝桜の畑が目に飛び込んできた。羊山公園の南側にある芝桜の丘には11,700m2の畑地に 、9種類約245,000株の芝桜が植えられている。
 芝桜の模様は、毎年12月初めに催される秩父神社の秩父夜祭の屋台や笠鉾の囃し手(はやして)の襦袢(じゅばん)模様と夜祭の躍動感をデザイン化したものだという。全体的にはパッチワークの絨毯をイメージさせる印象で、メルヘンの世界のようである。
 芝桜よりも雑草が伸びる方が速いので、雑草を除去する手作業が大変だという。秩父市を挙げて町おこしに当たる関係者の汗と努力の結晶が、この美しい芝桜となった。

芝桜眺める人の数珠つなぎ

芝桜人人人の行楽日

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2004年5月5日(水)

競ひ合ふ狐ひょっとこ山車の上

A fox competing with
a hyottoko the clown
on  the floats.

上町<旭連>の囃子(青梅大祭)

上町<旭連>の囃子(青梅大祭)

拡大写真(1200x900)215KB

 
 5月3日(祝)旧青梅市街地で住吉神社例大祭が開かれた。地元では青梅大祭といい、青梅で一番盛大な祭りである。
 12台の山車が街道を巡行し、祭囃子の競り合いが終日賑やかに行われた。
 青梅の祭りで山車が曳かれるようになったのは明治初期のこと。
 当時活況を呈していた旧5町(住江町、本町、仲町、上町、森下町)の商人たちが、江戸から山車と人形を買い求めたのが始まりだといわれる。
 戦後には、住吉神社の氏子町内のほか、勝沼町、日向和田も加わり、12町の山車による関東屈指の規模を誇る祭りへと成長した。
201

夏祭猿と戯る大五郎

Daigoro the kid
playing with a monkey 
at the summer festival.

★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭

東京 2003年8月16日 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。

神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、継続は力なりで遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.

広島 2000年4月23日 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 

稚内 1994年3月26日 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

 

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