ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記ホームページ奮闘記作者のプロフィール

★★★  ようこそ 英訳写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2011年9月22日改訂

ログイン時刻

 

 

 

今 日

昨 日

♪海に帰る〜水の都〜精霊

さや       つ  く  も    
清けしや九十九里の浜の夏禊   北舟
拡大写真(2150x1500)451KB

Refreshed feeling, the summer ablution at Tsukumo beach.

2000年7月16日開設

海から引き揚げる行者たち

玉前神社夏越禊'11

海から引き揚げる行者たち/九十九里浜釣ヶ崎海岸(千葉県長生郡一宮町)

俳句「海の風景」第31集

 









 




1548

















1547
















1546
















 

1545






















1544















1543















1542


















 







1541















1540
















1539
















1538
 

2011年9月22日(木)

 平成23年(2011)の初秋、静岡県磐田市(いわたし)に鎮座する矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)において、700年余の伝統を有する見付天神裸祭(みつけてんじんはだかまつり)が開催された。事前に 見付天神裸祭のご案内 により和田グループ(第三期)を募集し、水曜日の浜垢離(はまごり)に5人(水浴4人)、土日の御大祭(ごたいさい)に8人(堂入り7人)、合計9人(札幌市、土浦市、 新座市、八王子市、青梅市、川崎市、相模原市、静岡市、豊中市)が参加した。
 午前10時過ぎから遠州灘に面する磐田市福田海岸の松原に注連縄を張り巡らした斎場(さいじょう)で「松原の神事」と呼ばれる「松原放生会祭(まつばら・ほうじょうえ・さい)」が始まった。

神籬に玉串捧ぐ秋の浜

Autumn beach, offering branches of a
 sacred tree to the descending site of gods.

ひもろぎに たまぐしささぐ  あきのはま

 見付天神に向けた祭壇を囲み、氏子28ヵ町の神社総代(見付天神三社崇敬者会)と烏帽子(えぼし)・白丁(はくちょう)姿の神輿先供係(みこしさきともがかり)や宮神輿を担ぐ輿番(こしばん)たちがコの字型に陣取った。
 この神事は、神宝(しんぽう)(神社の宝物や調度品)を祓い清めることと、命之魚(みょうのうお)を放つことにより殺生(せっしょう)の罪を祓い清める放生(ほうじょう)が目的である。神職二名により献饌(けんせん)と命之魚の献上が行われた後、鈴木俊彦宮司による祝詞(のりと)奏上と玉串奉奠(たまぐしほうてん)が行われ、その後、氏子総代2名が玉串を捧げた。

颱風の怒濤寄せ来る浜禊

Beach ablutions, surging waves
of typhoon rushing
ashore.

たいふうの どとうよせくる はまみそぎ

 松原の神事が終わると、氏子たちは次の神事である海浜の修祓(しゅばつ)のため、福田浜に移動。神事のあと、浜垢離が行われた。最初は神職たちの禊で、鈴木宮司、2人の禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)の4人が白鉢巻・越中褌姿で並び、遠州灘に向かって柏手(かしわで)を打ち、拝礼したあと、海に入って波を被り、身体を清めた。 
 神職たちの禊が終わると、長老を肩車に御輿先供係(みこしさきともがかり)と書かれた浜印(はまじるし)を持つ二人の旗手を先頭に、六尺褌姿の先供(さきとも)たちが氏子一番乗りで海に入った。

颱風の白浪被る浜の垢離

Beach ablutions,
being dashed the white waves of typhoon.

たいふうの しらなみかぶる はまのこり

▲ 続いて、輿番(こしばん)と呼ばれる神輿の担ぎ手たち(地脇町)が、白丁姿のまま、海に入って、垢離を取った。
▼ その後は、氏子28ヵ町の祭組の裸っぽたちが順番に海に入って、禊をした。この日は、台風12号が太平洋の南方海上にいて、北上を続けており、その影響で大波が打ち寄せる厳しい海上模様だった。

颱風の波に諍ふ褌衆

Guys of loincloth,
resisting the waves of typhoon.

たいふうの なみにあらがう ふどししゅう

▲ 午前11時過ぎ、西中区の二番町(にばんちょう)二番觸(にばんぶれ)がやってきた。今年は祭組毎に入って来るので、順番に撮影できる絶好のチャンスである。薄曇の柔らかな日射のお陰で、白飛びのない、美しい肌色を存分に切り取ることができた。
見付天神裸祭で目につくのは、次代を背負う子供たちの姿が多いこと。28の祭組は各々「子供連」を編成して世話役が付きっきりで指導し、保護育成に当たっている光景が印象的である。
 台風12号による驟雨性の雨が断続する中で、お祭り広場では、あちこちで肩車による親子や爺孫の微笑ましい裸の触れ合い(スキンシップ)が見られた。父や祖父の肌の温もりは、子らにとってかけがえのない一生の思い出となることだろう。

颱風の雨に押し合ふ褌っ子

Children of loincloth, pushing
one another in the rain of typhoon.

たいふうの あめにおしあう ふどしっこ

▼ 御大祭の9月3日(土)午後6時から東中区の子供連の道中練りが始まったので、彼らを撮影しながら一緒に天神様に向かった。
 午後6時20分頃、見付天神に到着。既に、東区子供連の宮入は終わっており、東中区の幼児たちが父親や祖父に肩車してもらい、拝殿前で押し合いへし合いする様子を撮影した。間もなく、赤いリボンのついた觸鈴(ふれすず)を手にした西中区の子供連が到着。子供たちの勇姿を激写した。

天神に鈴打ち鳴らす秋夕べ

Autumn evening,
ringing a handbell at Tenjin shrine.

てんじんに すずうちならす あきゆうべ

▼ 午後7時ころから松本邸で新尺・長谷川両世話役が褌を締める奉仕をすると聞いていたので、子供連の取材の後、松本邸に直行したところ、二階にある居間の奥の仏間で、二人の世話役が和田グループ参加者や希望者の褌を締めていたので、その様子を取材した。
 新尺・長谷川の両世話役は、裸祭の超ベテランで、全国の裸祭に参加して、種々の褌を締めてこられ、匠の技ともいうべき技術を持つ。その素晴らしさに、前二番觸警固長の内田さんも感服し、締め直してもらったほどである。

いざ行かむ褌腰蓑秋祭

Let's go to the autumn festival,
wearing loincloth and straw skirt.

いざゆかん ふんどしこしみの あきまつり

▼ 渡り付けが終わると、いよいよ宵祭の見せ所である街道練りが始まった。御瀧車は、旧東海道の見付宿場通りに繰り出し、行進を始めた。かねての予定通り、福代邸二階の窓からシャッターチャンスを待った。
 福代邸の二階からの眺めが素晴らしい。まさに高見の見物とはこのことだろう。この交差点で、東中区梯団の地脇と北部4町が写真右下の地蔵小路から御瀧車などと合流。千人という見付天神裸祭最大の勢力にふくれあがり、その熱気に圧倒される。
御瀧車の最前列は前〆(まえじめ)として隊列が崩れないようスクラムを組み、その中に練りの集団を封じ込めている。青のリストバンドが前〆であることを示す。庄さんの顔も見える。「オイッショ、オイッショ!」の掛け声と共に行進する褌腰蓑姿の裸っぽたちの集団は、あっという間に町中を熱気に包んだ。

街道の裸腰蓑秋祭

Autumn festival, bare-chested guys
 wearing straw skirt at the main road.

かいどうの はだかこしみの あき まつり

▼ 西区の堂入りは、23:00と決まっているが、その時刻は、觸鈴が堂入りする時刻と解釈されているようで、丁度その頃、觸鈴を持った一番觸の長老 幹部たちが堂入りを果たす勇姿が見られた。
 天井のスプリンクラーから撒水(さんすい)が開始されると、拝殿の中は徐々に汗と熱気が広がり、やがて堂内を広く包んでむせ返るほどになる。褌腰蓑姿の裸っぽたちが押し合いへし合い、「オイッショ、オイッショ!」という精力的な掛け声と地団駄(じだんだ)を踏む床音が次第に激しくなって行く。

夜半の秋鈴打ち鳴らす鬼踊り

The middle of the autumn night,
dance of ogre ringing a bell.

よわのあき すずうちならす おにおどり

 写真右の男性は、毎回お馴染みの一番觸の方で、今年のポスターに採用されている。見付天神裸祭の看板スターのような存在で、今年もたっぷりと魅せて頂いた。
 この人の優れているところは、表情が豊かな点と、觸鈴を持つポーズが格好いい点である。写真家の立場からいえば、つまらなそうな無表情が一番困ることで、子供にはそのような表情が多く、なかなか魅せる絵にならないので苦労する。
 日本人は、英米人のようにオーバーな表情を好まないため、どうしても控えめになってしまう。せめて年に一度の裸祭では、この男性のように、気持ちを切り替え、気合いを入れてやって欲しい。

赤鈴の音色聞こへぬ秋祭

Autumn festival, hearing
the soundless tone of the red bell.

あかすずの ねいろきこえぬ あきまつり

▲ 23:20ころ、二番觸の觸鈴が堂内に入ると、一番觸の觸鈴は振り合わせをしたあと仕舞われる。觸鈴は予備があるが、堂内で打ち鳴らすことができるのはこの新品の1個だけ。二番觸の觸鈴は、赤いリストバンドの觸番(ふればん)しか手にすることができないという厳しい掟が今も守られている。
 神輿が御旅所の総社に到着すると、煙火(はなび)が上がり、それを合図に町内は光を取り戻した。ここから再びフラッシュ撮影が可能となった。 総社の拝殿前では、榊を手にした〆切が群衆を鞭打ち、進入を阻止する姿があった。

腰蓑を納めて開く秋祭

Autumn festival, finished with
putting a straw skirt in the sacred place.

こしみのを おさめてひらく あきまつり

▲ 総社では、まだ神事が行われている一方で、神輿渡御にお供してきた裸っぽたちは、総社境内の注連縄(しめなわ)に囲まれた納所(おさめどころ)で腰蓑納めをしたあと、三々五々帰途に着いた。腰蓑だけでなく、草鞋も脱いで納める人もいた。

「見付天神裸祭'11」 2011.8.31 9.3-4 撮影・制作:和田義男

********

水陣と龍神を襲った大波の一撃! 11:19

神社総代による

玉串奉奠たまぐしほうてん

 10:08

神社総代による玉串奉奠 10:08

拡大写真(2000X1400)820KB

寄せ波に堪える鈴木俊彦宮司

寄せ波に堪える鈴木俊彦宮司

拡大写真(2000X1600)379KB

波の襲来!/

地脇町じわきちょう

(西中区) 10:49

波の襲来! / 地脇町(西中区) 10:49

拡大写真(2400X1800)613KB

海に向かって叫ぶ!/

二番觸にばんぶれ

(西中区) 11:08

海に向かって叫ぶ!/二番觸(西中区) 11:08

拡大写真(2400X1800)633KB

雨の中の裸練り / お祭り広場 12:07

雨の中の裸練り / お祭り広場 12:07

拡大写真(2400X1600)730KB

お父さんの気合い! /

二番觸にばんぶれ

(西中区) 18:30

お父さんの気合い! / 二番觸(西中区) 18:30

拡大写真(2000X1750)418KB

和田グループ /  

二番觸にばんぶれ

の晴れ姿(前) 20:47

和田グループ / 二番觸の晴れ姿(前) 20:47

拡大写真(2400X1800)795KB

盛り上がる裸っぽたち!

盛り上がる裸っぽたち!

拡大写真(2600X2000)1.19MB

魅せる男! 23:09

魅せる男! 23:09

拡大写真(1700X1550)340KB

内田啓吾・前警固長の鬼踊り / 二番觸(西中区) 23:26

内田啓吾・前警固長の鬼踊り / 二番觸(西中区) 23:26

拡大写真(2400X1800)676KB

腰蓑と草鞋を解く裸っぽたち / 総社境内 00:45

腰蓑と草鞋を解く裸っぽたち / 総社境内 00:45

拡大写真(2000X1350)360KB

 







 





1537

















1536



















1535
















 

1534






















1533














1532













1531















 




1530



















1529










1528















1527











1526






















1525



















1524




















1523



 

2011年8月29日(月)

 平成23年(2011)8月6日(土)から8日(月)迄の三日間、山形県鶴岡市に鎮座する出羽三山神社で錬成修行道場が開催された。
 出羽三山は、山形県庄内地方に広がる羽黒山(はぐろさん)(414m)月山(がっさん)(1,984m)湯殿山(ゆどのさん)(1,504m)の総称で、修験道を中心とした山岳信仰の場として、現在も多くの修験者や参拝者を集める。
  1,300km2に13万人が暮らす鶴岡市は、山形県の日本海沿岸南部に広がる庄内(しょうない)地方に位置し、山形市に次ぐ県内第2の都市である。江戸時代には、鶴岡藩(通称 庄内藩)の城下町として盛えた庄内南部の街であり、郊外には庄内米やだだちゃ豆の農地が広がる。

緑陰の桃聖見上ぐ羽黒山

Mt. Haguro,
looking up Tohsei in the shade of trees.

りょくいんの とうせいみあぐ はぐろさん

 出羽三山神社の創建は、推古元年(593)に蜂子皇子(はちこのおうじ)が羽黒大神を勧請した事が始まりという。彼は、羽黒山に寂光寺を開山すると、月山と湯殿山を次々に開いて出羽三山修験の祖となった。
▲ 羽黒山頂には芭蕉の銅像と三山巡礼句を記した句碑がある。「奥の細道」の中でも出羽三山は、旅の最も重要な場所のひとつとして記述されている。最上川を下って狩川経由で羽黒山に入った芭蕉は、続いて月山、湯殿山にも登拝して、それぞれ、「涼しさやほの三日月の羽黒山」「雲の峰いくつ崩れて月の山」「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」の三山巡礼句を残している。

雲の峰即身仏の湯殿山

The ridges of summer clouds,
Mt. Yudono the mummificated monks.

くものみね そくしんぶつの ゆどのさん

▲ 湯殿山(1,504m)は、出羽三山の南端に位置し、その北東約5kmの月山(1,984m)に連なる霊山である。湯殿山北側中腹の梵字川(ぼんじがわ)の侵食によってできた峡谷に、五穀豊穣・家内安全の守り神として崇敬される湯殿山神社(1,100m)がある。女性の秘所に似た霊巌(れいがん)が御神体で、不思議なことにその頂上から湯が流れ出ており、社殿のない神社として知られる。
 出羽三山の奥宮とも呼ばれ、「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められてきた清浄神秘の世界であり、羽黒山と月山で修行をした行人(ぎょうにん)がここで仏の境地に至るとされている。即身仏の修行地として知られる仙人沢(1,000m)は、湯殿山本宮の東方、徒歩約20分の山腹にあり、赤い大鳥居と湯殿山参籠所がある。

月山にのぼる小径や草葎

The overgrown weeds,
a path for climbing Mt. Gassan.

がっさんに のぼるこみちや くさむぐら

▲ 湯殿山本宮前の小橋を渡り、左手をのぼって行くと、芭蕉の句碑があり、その奥が月山登山道になっている。
▼ 芭蕉の句碑には、「語られぬ湯殿にぬらす袂(たもと)かな」の有名な句が刻まれている。「奥の細道」の本文では、「そうじてこの山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。よりて筆をとどめて記さず。」とある。

緑さす芭蕉の句碑や登山道

A mountain trail, Basho
haiku monument with fresh verdure.

みどりさす ばしょうのくひや とざんみち

▲ 筆者も御祓を受け、本宮に入って参拝したが、御神体に触れたり、湯を口に含んだり、背部にのぼって頂部から湯が湧き出る様子を観察したり、霊巌が鉄分を含んだ結晶体であることを確かめたりした。
 常識では、御神体に触れることはタブーなのだが、ここでは許されているのが何とも有り難い。芭蕉も感激し、問わず語らずを実践したので、筆者も芭蕉に習い、神社の説明以外は書かないことにした。
▼ 二日目、月山から山駈けして湯殿山参籠所に到着した修行道場の行人(ぎょうにん)たち56人には、遅い昼食後、ゆっくりと休む暇もなく、参籠所を出立した。これから歩いて湯殿山本宮まで行き、含満ノ滝(かんまんのたき)で滝行を行った後、本宮で正式参拝を行う。

万緑の赤橋渡る白袴

Fresh green trees, crossing
a red bridge wearing a white hakama.

まんりょくの あかばしわたる しろばかま

  午後3時過ぎ、湯殿山本宮の境内に到着。女性たちは、更衣室で滝行用の白衣に着替えたが、男性は空き地で褌一丁になった。
 滝行の装束は、男性は越中褌一丁の裸形、女性は白の上衣に半股引(ハーフパンツ)。男女とも出羽三山の朱印を押した白鉢巻を締め、白足袋 (靴下)・草鞋(わらじ)を履いている。
▼ 鳥舟によるウォーミングアップが終わると、梵天(ぼんてん)を持つ佐藤篤班長を先頭に、道彦、助彦、行人の順に一列縦隊となり、駆け足で含満ノ滝に行き、滝行が行われた。

湯殿山白褌の滝行人

Mt. Yudono, ascetics of white loincloth
beneath a waterfall.

ゆどのさん しろふんどしの たきぎょうにん

▲▼ 午後4時前、含満ノ滝の雪解水が容赦なく膚を刺す滝行が終わった。夏にもかかわらず、鳥肌を立てている人もみられた。長いと思っていたが、滝行は正味20分ほどだった。
 含満ノ滝のそばには、空き地がなく、行人たちが更衣できないことから、湯殿山本宮の境内で裸になり、褌一丁で片道約100mの沢を往復するという珍しい光景となった。

滝の音や褌一丁沢下り

The sound of waterfall, going down the
stream wearing a fundoshi loincloth.

たきのねや ふんどしいっちょう さわくだり

▲ 沢駆けには足袋草鞋(たび・わらじ)が欠かせない。草鞋も結構丈夫で、頼りになる履き物であるが、足指が草鞋の前方にはみ出てしまう欠点がある。そのため、足袋(靴下)草鞋とすることで、ダメージを防ぐようにしている。
 行人たちは、整理運動の鳥舟をみっちりと行ったあと更衣し、裸足になって御祓所に整列して御祓を受け、人形(ひとがた)による厄払いを行った後、晴れて湯殿山本宮に踏み入り、御神体に対面して正式参拝した。
▼ 滝行者たちは、30分ほどで正式参拝を済ませ、足袋草鞋を履いてもと来た道を引き返し、午後5時半ころ湯殿山参籠所に戻った。

焼印の杖の古びし滝行者

The ascetic of waterfall,
the old stick with brands.

やきいんの つえのふるびし たきぎょうじゃ

▼  湯殿山参籠所の御神前で護摩祈祷の申込が行われた。自分で神木に願意・住所・祈願主をしたためておくと、神職の方で紙に書き写し、護摩祈祷のときに、祭主が読み上げながら神木(護摩木)を炊き上げてくれる。
  今回の錬成修行道場の責任者は、吉住登志喜・禰宜(ねぎ)で、護摩祈祷の祭主である。筆者の電話とファックスによる密着取材の事前申込を快く受け入れて下さった方である。
  御神前の間には、錬成道場の行人たちのほか二組の団体が着座し、午後6時20分ころから天井の照明が落とされて護摩祈祷が行われた。燃え上がる炎が神の化身の如く見えた。

夏深山託す護摩火や神のごと

Deep summer mountains, holy fire
of hope standing like a god.

なつみやま たくすごまびや かみのごと

▼ 3日目、午前5時起床。5時半すぎ湯殿山参籠所を出発し、御沢駆け・滝行・湯殿山神社本宮参拝に向かった。徒歩8分ほどで御沢橋南端に到着。太田道彦が法螺を吹鳴しつつ橋の南東端から梵字川の沢に入った。

湯殿山夏早朝の御沢駆

Mt. Yudono, going along a stream
early morning in summer.

ゆどのさん なつそうちょうの おさわがけ

▲ 一行は一列縦隊になり太田道彦を先頭に男性行人が進みその後を女性行人が追った。手を貸さないと危ない箇所が出現する毎に班長たちが張りつき最後の人が通過するまで支援してくれるので女性でも安全に通過することが出来た。
 沢に入って50分ほど経った頃、二筋の滝が見えてきた。これが目指す御滝神社(おたきじんじゃ)で、滝そのものが御神体となっている。これからこの聖なる地で、錬成修行道場最後の修行となる滝行が行われた。

滝行者褌一丁雪解水

Melted snow running, the ascetic naked
with a loincloth beneath a waterfall.

たきぎょうじゃ ふどしいっちょう ゆきげみず

▲▼  御滝(おたき)は、縦縞模様の赤く鮮やかな岩壁の上端から落差10mほどの雪解水(ゆきげみず)が二筋流れ落ちている。向かって左が雌滝(めだき)、 右が水流の強い雄滝(おだき)である。崖の表面を彩る赤色模様は、御神体と同様の鉄分を含んだ結晶体と思われる。

湯殿山御滝行人濡褌

Mt. Yudono, the wet fundoshi loincloth
of the ascetic of Otaki falls.

ゆどのさん おたきぎょうにん ぬれふどし

▲▼  鳥舟が終わると、昨日の含満ノ滝と同じように、佐藤篤班長が真っ先に雄滝に入って滝行を行い、錬成道場最後の修行が始まった。
 滝行を終えて滝壺から上がる佐藤さんを見ると顔面が赤らみ、目が充血していた。傍目には楽そうに見えても、かなり厳しい水行である。一部、鳥肌が立っている。雪解水は英語で書くと melted snow つまり「解けた雪」ということなので、夏でも冷たい。湯殿山の滝行は、一回の時間がかなり長く、身体への負担は予想外に大きい。
▼ 雄滝の水流は、その流量と相まって予想外に強く、水圧に屈して倒れる初心者も見られたが、佐藤助彦の支援で、男性行人の滝行は、滞りなく進められた。

迸る霊気に打たる滝行者

An ascetic of waterfall, purifying himself
with outpouring sacred energy.

ほとばしる れいきにうたる たきぎょうじゃ

▼ 女性行人たちは、太田道彦の支援を受けて雌滝に打たれた。含満ノ滝では男女が並んでいたので、双方を撮影できたが、御滝では、雄滝の男性を撮影していると、雌滝の女性は撮影出来ないので、男性主体の取材となってしまった。
 ハワイから参加した奥山佳子さんの滝行は、親切にも男性行人が奥山さんの番が来ると教えてくれたお陰で、かろうじて撮影の約束を果たすことができた。
 この女性は、唯一男性用の雄滝に打たれた方で、激写することができきた。赤壁(せきへき)を背に静かに合掌する姿は、神々しく、つややかな黒髪が美しかった。

黒髪や滝に打たれつ合掌す

Black hair, purifying herself beneath
a waterfall joining her palms togerther.

くろかみや たきにうたれつ がっしょうす

  約30分にわたる滝行が終わり、滝の下で整理運動の鳥舟が行われた。夏とはいえ、鳥肌が立った男性もいた。また、気分が悪くなった女性をベテランの今野和子さん(福島市)が介抱するなど、雪解水を浴びる滝行の厳しさを感じたが、行人たちは、互いに励まし合い、助け合いながら無事に滝行を終えることが出来た。
 鳥舟の後、行人たちは、 道彦に合わせて御滝に拝礼し、三日間にわたる錬成修行道場の全課程を終了した。
 行人たちは、更衣の後、最後の難所である梯子場(はしごば)を登り、湯殿山本宮に向かった。長さ約30mの鉄梯子は、ほぼ垂直に取り付けられており、梯子が外れたり、足を踏み外したりすると大事故になる。

法螺の音の響き渡るや夏深山

Deep summer mountains, the sound of
a conch shell resounding far away.

ほらのねのひびきわたるや なつみやま

▲  湯殿山本宮に無事到着した一行は、昨日と同様、全員裸足になり、御祓のあと、御宝前ごほうぜん(御神体の前)で正式参拝をしたのち、全てのカリキュラムを終えて、帰途に着いた。佐藤助彦の吹く法螺の音が夏の深山に響き渡った。

「湯殿山滝行」 2011.8.6-8 撮影・制作:和田義男

********

筆者の依頼により佐藤篤先達による二度目の滝行

桃聖芭蕉像/羽黒山山頂

桃聖芭蕉像/羽黒山山頂

拡大写真(2000X1800)827KB

高さ18mの巨大な大鳥居/湯殿山仙人沢

高さ18mの巨大な大鳥居/湯殿山仙人沢

拡大写真(2400X1800)644KB

芭蕉の句碑と月山登山道

芭蕉の句碑と月山登山道

拡大写真(2000X1500)984KB

芭蕉の句碑

語られぬ湯殿にぬらす袂かな  芭蕉

芭蕉の句碑

拡大写真(2000X1650)880KB

太田慶春

道彦みちひこ

を先頭に

滝行たきぎょう

に向かう56人の行人たち

太田慶春道彦を先頭に滝行に向かう56人の行人たち / 梵字川・御沢橋 14:44

拡大写真(2400X1800)1.10MB

梵天ぼんてん

を先頭に滝行の開始 / 含満ノ滝かんまんのたき  15:32

男女を左右に振り分ける太田慶春道彦 15:28

パノラマ写真(2800X1500)999KB

梵天ぼんてん を持って沢下り

梵天を持って沢下り

パノラマ写真(2900X1500)890KB

小橋を渡る長老の行者

小橋を渡る長老の行者

拡大写真(2000X1800)506KB

住所・氏名・願文を一人ずつ読み上げる

住所・氏名・願文を一人ずつ読み上げる

拡大写真(2000X1500)265KB

岩壁の直下を進む 05:54

岩壁の直下を進む 05:54

拡大写真(2400X1800)1.32MB

気合いの滝行

気合いの滝行

拡大写真(1800X2000)384KB

まだまだ続く滝行 / 雄滝 2011.8.8 07:12

まだまだ続く滝行 / 雄滝 2011.8.8 07:12

拡大写真(2000X1500)399KB

合掌!

合掌!

拡大写真(2000X1500)411KB

法螺ほら

を吹きながら下山する 08:44

法螺を吹きながら下山する 08:44

拡大写真(2000X1400)495KB

 







 








1522















1521












1520























 

1519



















1518















1517













1516




















1515



















1514


















1513

 

2011年8月5日(金)

 平成23年(2011)7月24日(日)、埼玉県秩父市荒川白久に鎮座する猪鼻熊野神社で、埼玉県無形民俗文化財に指定されている「猪鼻の甘酒こぼし」が開かれた。
 578km2に7万人が暮らす秩父市は、埼玉県北西部の秩父地方(秩父盆地)に位置し、埼玉県内で最も広い自治体である。市域のほとんどが秩父多摩甲斐国立公園や武甲・西秩父埼玉県立自然公園に指定されている。
  「甘酒こぼし保存会」の浅香文男会長 (72歳)から前日から取材したらどうかとのアドバイスを受けたので、7月23日(土)・24(日)の両日、朝5時起きし、JR青梅線(河辺〜拝島)・八高線(拝島〜東飯能)・西武秩父線(東飯能〜西武秩父)・秩父鉄道(御花畑〜三峰口)を乗り継ぎ、朝8時に猪鼻熊野神社に行き、二日間にわたって祭の一部始終を激写し、貴重な記録を残すことが出来た。

緑陰に集う村人奉仕の日

The day of volunteer labor,
villagers meeting  in the shade of trees.

りょくいんに つどうむらびと ほうしのひ

  保存会の資料によると、「景行天皇(西暦71-130年)の第三皇子である倭建命(やまとたけるのみこと)が東夷(とうい)(東方のえびす、えぞ)平定のおり、甲斐の国(山梨県)から雁坂峠を越えて三峯(みつみね)に登り、下山の途中、この地で人々を苦しめていた大きな猪(いのしし)を退治した。
  実はこの猪は山賊の頭で、仲間たちもみんな巨岩に押し倒されて死んでしまった。この巨岩が猪の鼻にそっくりだったので、この土地を「イノハナ」と呼ぶようになった。

水槽の小桶大樽村祭

A village festival, small pails
and big barrels floating in a pool.

すいそうの こおけおおだる むらまつり

 現在は、毎年七月第四日曜日の午後一時、無病安全豊作などの祈願をし、土地の人が造った甘酒を熊野神社にお供えし、参詣の人々や氏子たちが飲んでから、子供から老人までが、ふんどしひとつで賑やかに甘酒を頭からかけ合う「甘酒こぼし」をしている。」(埼玉県秩父市荒川白久猪鼻 熊野神社社務所 甘酒こぼし保存会)。

緑陰の草鞋作りや赤幟

A red flag, straw sandals
making in the shade of trees.

りょくいんの わらじづくりや あかのぼり

  祭に使用される大樽や小桶などは、「甘酒かきこみ所」に保管されている。朝8時に来たときには、既に水槽に入れられていたので、事前に担当の人が搬出したのであろう。これから全部の備品を洗浄し、水槽も水を抜いて、綺麗にした上で、湛水(たんすい)する。
 かき込み番が二台のお釜を使い、汗だくで薪(まき)をくべてお粥(かゆ)を炊いていた。炊きあがったお粥は、桶(おけ)に移され、冷ました後、甘酒醸造用の大樽に入れられる。甘酒に使用されるお米は、あきたこまち20kgである。隣の仏堂では、麹箱(こうじばこ)に入った麦麹(むぎこうじ)10kgの熟成作業がかき込み番の手によって続けられた。

大樽や粥に混ぜたる麦麹

A big barrel, mixing barley aspergillus
with rice porridge.

おおだるや かゆにまぜたる むぎこうじ

  麦麹(むぎこうじ)の投入は午後4時頃ということだったが、樽の中のお粥が人肌の温度になり、醸造時間を長くした方がよいとの~辺さんの判断で、30分ほど早く麹が大樽に投入された。
 九つの麹箱(こうじばこ)で熟成させていた10kg の麦麹(むぎこうじ)を一度に投入し、かき込み篦(かきこみへら)で十分に攪拌する。米と麦麹と水以外は何も添加しない純粋の甘酒の仕込み作業は、あっけなく終わった。
 美味い「いちやざけ」をつくるべく、かき込み番は、徹夜で甘酒の番をする。醸造の状態を確かめ、発酵が早すぎれば冷やし、遅すぎれば暖める対策をとる。

甘酒の神饌壺に奉じたり

Provisions for gods,
presenting sweet sake in a pot.

あまざけの しんせんつぼに ほうじたり

  祭当日となった。前日と同様、5時起きして電車を乗り継ぎ、迷うことなく熊野神社入口に着いた。前日は快晴だったが、この日は薄曇だった。万緑の境内で繰り広げられる裸祭の写真を撮るには、曇空の柔らかい光が最良なので、神のご加護に感謝せずにはいられなかった。
 午前10時、神事を告げる花火が打ち上げられると、神職たちは、手水舎で手を清めた後、 神社の前で鈴木宮司が祓詞(はらえことば)を奏上した。
 その後、氏子役員や来賓者たちが拝殿にあがり、開扉(かいひ)、献饌(けんせん)、祝詞(のりと)奏上、区長、来賓、役員などによる玉串奉奠(たまぐしほうてん)などフルコースの神事が行われた。

夏祭グラスの御神酒一気飲み

The summer festival, drinking
a grass of sacred sake in one gulp.

なつまつり ぐらすのおみき いっきのみ

  猪鼻区公会堂の準備が早めに整ったので、午前10時50分から小林淳一・氏子総代代理の司会で氏子・役員・来賓・参加者たちが列席して直会(出陣前の昼食会)が始まった。
 直会の冒頭、黒澤勝孝猪鼻区長の挨拶があり、来賓や参加者への謝辞の後、事故防止などの注意事項の伝達と、祭装束は褌でお願いしたいとの発言があった。

抜刀の天狗を迎ふ夏祭

The summer festival, receiving a long-
nosed goblin carrying a naked sword.

ばっとうの てんぐをむかう なつまつり

 午後1時きっかりに花火(煙火)の轟音が響き渡り、裸祭の開始が告げられた。神輿抜きの神幸行列が熊野神社前を出発。区長の扮する猿田彦は、高下駄を履いているので、補佐役が手を取り、慎重に石段を下った。
 猿田彦は刀で空を切り結び、悪霊(あくりょう)や疫病神(やくびょうがみ)を追い払いながら進んだ。この所作は、区長が発案したものではなく、従前から定められたものであるという。
 記念撮影が終わった後、 裸たちは大樽の南側に整列して北側の神職たちと対峙し、甘酒神事が始まった。

白褌の甘酒こぼし奥秩父

The back Chichibu, sweet sake
scattering wearing white loincloth.

びゃっこんの あまざけこぼし おくちちぶ

  生の甘酒だけでは量が少なく、祭は直ぐに終わってしまうので、水を入れて甘酒の量を増やす作業が必要となる。
 大樽の甘酒がほぼ一杯になったころ、大樽に取り付いていた一人の裸が突然近くにいた裸の背後から急襲して甘酒を掛けた。これを合図に、「甘酒こぼし」が始まった。
 エキサイトした裸たちは、相手かまわず水を掛ける。拍子木も例外ではない。観客やアマチュア・カメラマンにわざと水を掛ける人もいる。私も随分水を掛けられ、カメラがびしょ濡れになったが、愛機のOLYMPUS E-5は、ボディ・レンズともに防水仕様なので、故障の恐れがないのが嬉しい。

褌の樽転しや村祭

A village festival,
cask-rolling wearing a loincloth.

ふんどしの たるころがしや むらまつり

  多くのアマチュア・カメラマンや観客の注視の中、裸たちは濡れ鼠状態になりながらも賑やかに「甘酒こぼし」に興じていたが、甘酒の掛け合いが始まって8分後に、終了を命ずる木入れがあった。
 これで終わりかと思いきや、次のシナリオが用意されており、拍子木立ち会いで、空(から)になった大樽を倒して、転がしはじめた。樽転がしの開始である。
 裸たちは、樽を洗い終わった後、熊野神社前に集合し、鉢巻を外して参拝し、鈴木宮司からお祓いを受けた。

万緑や幟を倒す褌衆

Full of green trees, guys of
naked loincloth putting a flag down.

りょくいんの のぼりをたおす ふどししゅう

  これで終わりだと思っていたが、最後に裸たちがもう一働きする作業が残っていた。彼らは参道の石段を下り、幟の周りに集まって一対の大幟の撤収作業を行った。

「猪熊の甘酒こぼし」 2011.7.23-24 撮影・制作:和田義男

********

刀で厄払いをする猿田彦

出仕した氏子たちの打ち合わせ 08:30

出仕した氏子たちの打ち合わせ 08:30

拡大写真(2000X1500)1.05MB

たる

おけ の洗浄

樽や桶の洗浄

拡大写真(2000X1500)664KB

木陰で

草鞋わらじ

の準備 11:18

木陰で草鞋の準備 11:18

拡大写真(2000X1400)931KB

麦麹むぎこうじ

の投入 15:28

麦麹の投入 15:28

拡大写真(2000X1550)561KB

甘酒の

献饌けんせん

 10:14

甘酒の献饌 10:14

拡大写真(2000X1500)176KB

御神酒で乾杯! 11:05

御神酒で乾杯! 11:05

拡大写真(2400X1800)943KB

褌衆のまわりを一周する行列 13:01

褌衆のまわりを一周する行列 13:01

拡大写真(2600X1950)1.3MB

盛り上がる甘酒こぼし 13:18

盛り上がる甘酒こぼし 13:18

拡大写真(2000X1800)872KB

止まらない樽転がし

止まらない樽転がし

拡大写真(2000X1500)874KB

二本目の幟を倒す 13:36

二本目の幟を倒す 13:36

拡大写真(2000X1500)678KB

 







 





1512













1511

















1510

 

2011年7月17日(日)

 平成23年(2011)7月10日(日)、神奈川県藤沢市に鎮座する江島神社の末社・八坂神社で江ノ島天王祭が開かれた。
 この日は、関東の梅雨明け宣言がなされた翌日で、快晴に恵まれた絶好の祭日和だった。鵠沼(くげぬま)海岸に住む友人宅にお邪魔し、海パン姿で江ノ島に到着すると、既に辺津宮(へつみや)での神事が終わり、神輿行列が山を下り、参道入口を通過するところだった。
  午前10時40分ころ、ドッコイ、ドッコイと掛け声を掛けながら下ってきた八坂神輿は、急な石段と狭い参道を無事に通過し、参道前広場に到着した。 ここで、海上渡御のための準備が行われ、準備完了次第、海に入る。

江ノ島や団扇太鼓に浴衣掛

Enoshima island, beating a hand drum
wearing a summer kimono.

えのしまや うちわだいこに ゆかたがけ

 予定時刻より10分遅れの午前11時10分、二本の丸太に乗せられた八坂神輿は、白ふんどし一丁の男たちによって担ぎ上げられて参道前広場を出発し、海に向かった。
 八坂神輿は、特設の斜路(スロープ)を下り、湘南の海に入った。海水パンツ・ビーチサンダル姿の筆者は、今回初めて海に入り、海を渡る神輿を激写した。

江ノ島や天王祭の白ふどし

Enoshima island, white
fundoshi loincloth of Tennoh festival.

えのしまや うちわだいこに ゆかたがけ

 神輿は後ろ向きに進んでいる。斜路に入る前に、舁手は180度向きを変え、先棒(さきぼう)が後棒(あとぼう)に、後棒が先棒になった。これは、海に入った後、再度舁手の向きを変えることで、簡単に引き返すことができるようにするための工夫である。2本の導索は、本来の先棒に付けられている。
 江島神社の神職たちは、第十八べんてん丸に乗って海上に待機しており、神輿が接近すると、御祓いを行った。神輿が海上に止(とど)まっている間、何度も御祓いをする姿が見られた。

江ノ島や白水褌の神輿舁

Enoshima island, mikoshi
carriers of white swimming loincloth.

えのしまや しろすいこんの みこしかき

  海に入って5〜6分が経過した頃、神輿は、舁手たちが前を向いたまま後退をはじめ、彼らの褌が見えるところまで、戻ってきた。
 海に入ってから9分後、白水褌(しろすいこん)の舁手に担がれた八坂神社の神輿は、陸を目指して進み始めた。
 神輿が湘南(しょうなん)の海に入っていた時間は10分ちょっと。長いと思っていたが、意外と短い時間だった。

「江ノ島白褌神輿'11」 2011.7.10 撮影・制作:和田義男

********

湘南の海に入る白褌神輿 11:15

八坂神社の神輿を出迎える氏子たち

八坂神社の神輿を出迎える氏子たち

拡大写真(1800X1400)575KB

神職による海上での 清祓きよはらえ

神職による海上での清祓(きよはらえ)

拡大写真(2400X1650)582KB

陸に還る 2011.7.10 11:24

陸に還る 2011.7.10 11:24

拡大写真(2000X1500)469KB

 







 






1509


















1508




















1507

 















1506
















1505



































1504


 

 

2011年7月11日(月)

 平成23年(2011)7月3日(日)、長野県 松本市(まつもとし)島立堀米(しまだちほりごめ)に鎮座する 津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ)(津島神社)で、長野県無形 民俗文化財に指定されている「島立堀米の裸祭り」が開かれた。
 裸祭りに参加するのは、全員、島立(しまだち)小学校の児童で、町会長によると、男子49人、女子42人、合計91人 ということだった。裸で参加するのは男子だけで、女子は、運動服姿で参加する。
▼ 男子児童は、全員白晒の前袋式六尺褌、いわゆる水褌(すいこん)と、「堀米」と染められた黄色い鉢巻を締めている。親玉(おやだま)の6年生は大幟(おおのぼり)、中玉(ちゅうだま)の4〜5年生は中幟(ちゅうのぼり)、小玉(こだま)の1〜3年生は五色の紙幟(かみのぼり)を持つ。

幟持つ児らはふんどし村祭

A village festival,
children of loincloth each holding a flag.

のぼりもつ こらはふんどし むらまつり

 津島神社は、江戸時代の中期、宝暦(ほうれき)(1751-1763)の頃、当時流行した疫病除けに尾張(愛知県)津島神社から勧請(かんじょう)されたもので、祭神は牛頭天王(ごずてんのう)。堀米公民館の西方100mほどに鎮座しており、3本の大幟(おおのぼり)が立てられている。
 このうち2本の大幟が親玉に抱えられ、中幟と紙幟を持つ中玉・小玉とともに二手に分かれて堀米の町内を巡行し、牛頭天王の霊力により疫病神を追い払い、除災浄化する神事がこの裸祭りの目的である。子供たちが全員褌姿になるのは、悪霊(あくりょう)を威嚇(いかく)するためだという。

褌の童の参拝天王祭

Tennoh festival, worship of
the children wearing Fundoshi loincloth.

ふんどしの わらべのさんぱい てんのうさい

 裸祭りは、毎年、7月第一日曜日に行われる。祭前の日曜日、子供たちは、紙幟をつくり、褌を締める練習や神社境内の清掃、幟の建立、紙幟を差し立てる泥山(砂山)づくりなどの準備を行う。祭の前日の夜は、神社に角燈籠(かくとうろう)を掲げて参拝し、太鼓をたたいて宵祭を祝う。
 祭当日は、堀米公民館に集合し、六尺褌を締め、勢揃いして神社に赴き、拝礼して神社を三周したあと、親玉(6年生)が大幟、中玉(4〜5年生)が中幟、小玉(1〜3年生)が五色の紙幟を担ぎ、AコースとBコースの二手に別れて、先頭の親玉の「オンヤーサー」の掛け声に呼応して、中玉と小玉が一斉に「モンヤーサー」と叫びながら町内を巡行して厄払いを行う。

ふどし締め悪霊祓ふ子らの夏

Summer of the children, exorcising
evil spirits, wearing fundoshi loincloth.

ふどししめ あくりょうはらう こらのなつ

 愛知県津島市に鎮座する尾張津島神社は、全国で三千以上といわれるの牛頭天王社の総社であるが、7月第4土日に開催される尾張津島天王祭は、褌一丁の鉾持ちが川に飛び込んで禊を行う勇壮な祭である。この川祭りが堀米の裸祭りのルーツになっているという。
 堀米の裸祭りは、昭和63年(1988)に長野県無形民俗文化財に指定されており、神社の赤鳥居のそばに、黒御影石でできた立派な記念碑が立てられている。

町中を幟で清む裸っ子

Bare-chested children,
purifying whole town with sacred flags.

まちなかを のぼりできよむ はだかっこ

 かつて、祭の日は、田植えを終えて一息つく農休みだった。重労働を終えてホッとしての一日、「オンヤーサー」「モンヤーサー」の掛け声が田園から聞こえてくると、家の裏に出て、畦道を行く裸の子や孫の成長した元気な姿に眼を細める姿が見られたという。
 裸祭りは、かつては男児の祭りだったが、近年、参加者が減少傾向にあり、また、男女平等の人権思想の普及などにより、女子の参加が認められており、運動服の女子は行列の最後尾につく。

青田道豊作祈願のふどしっ子

A path of green fields, children
of loincloth praying a good harvest.

あおたみち ほうさくきがんの ふどしっこ

▲ 神社を出発して1時間5分が経ち、やっと青田に出て、視界が広がった。かつては、殆どがこの青田や麦畑が広がっていた肥沃な農村地帯は、近年の宅地化により、田畑が消えてしまったのであろう。
 長野市に次ぐ長野県第二の都市・松本市は、空襲も受けず、国宝・松本城を仰ぐ城下町として着実に発展してきた。松本電鉄上高地線のお陰で、島立堀米からわずか6分で松本駅に着く。車でも都心まで10分の距離である。サラリーマンにとっては、最高のベッドタウンであり、松本市の発展と共に宅地化が進むのもやむを得ない。
 出発して1時間15分後にスタート地点の津島神社に帰還した。田園地帯を行進したのは僅か10分間だった。
▼ 子供たちは、町内巡視を終えて神社に戻ってくると、幟を収め、参拝のうえ禊場に飛び込んで禊を行った。
 元気な子供たちは、池の中を徘徊(はいかい)し、中には泳ぎ出す子もいて、アッという間に泥池(どろいけ)になり、清浄であるべき禊場(みそぎば)が泥んこ遊びの遊園地と化したが、大人たちは男児らの元気な姿に眼を細めるばかりだった。
 神事のために締めた純白の褌もあっという間に泥褌となってしまった。禊に充てられた時間はきっかり5分間だった。

泥池の禊楽しき村祭

A village festival, how pleasant
the ablution in a muddy pond.

どろいけの みそぎたのしき むらまつり

 この後、公民館に戻り、シャワーを浴びて汗や泥を流してから更衣し、大広間で鍋物の食事会となり、ご褒美の品をもらってお開きとなった。

「島立堀米の裸祭り」 2011.7.3 撮影・制作:和田義男

********

リフレッシュして町内廻りの再開 16:04

津島神社( 津島牛頭天王社つしまごずてんのうしゃ )へ向かう裸集団

津島神社(津島牛頭天王社)へ向かう裸集団

拡大写真(1800X1560)606KB

津島神社(津島牛頭天王社)に参拝 14:55

津島神社(津島牛頭天王社)に参拝 14:55

拡大写真(1800X1350)635KB

民家の前を通る大幟

民家の前を通る大幟

拡大写真(2000X1500)673KB

リフレッシュして町内廻りの再開 16:04

リフレッシュして町内廻りの再開 16:04

拡大写真(2000X1370)617KB

全員揃って

青田道あおたみち

を行く 16:25

全員揃って青田道を行く 16:25

拡大写真(2600X1500)745KB

フルメンバーで津島神社を目指す

フルメンバーで津島神社を目指す

拡大写真(2400X1600)822KB

アッという間に 泥池どろいけ と化した

禊場みそぎば

16:34

アッという間に泥池と化した禊場 16:34

拡大写真(2400X1800)978KB

★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2011年6月30(木)曇 俳句「海の風景」1,500句達成! 2011年6月30日(木)夜、日本の裸祭り第137集「玉前神社夏越禊’11」をアップして5句を俳句「海の風景」に追加し、「清けしや九十九里の浜の夏禊」の句で遂に1500句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ12年、実質約11年かかって達成した。1000句から1500句までは、29ヶ月しかかかっていない。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。当面の目標は2000句だが、このペースで行けば、あと2〜3年で実現できる。ゴールは夢物語ではなくなってきたのが嬉しい。
 

1500句目の俳句

1500句目の俳句
 
東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。
 
東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝の寝ぼけた部分が残る頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の記憶から実景が鮮明に蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 俳人協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 HAIKU for PEOPLE

 
特集!旅紀行(海外写真集)   世界の名城 感動写真集
旅紀行ジャパン   奉納相撲   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2011 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記ホームページ奮闘記作者のプロフィール