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2008年6月21日改訂

今 日

昨 日

medley 'Loreley'

夏入日野生王国茜色  北舟

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Summer setting sun, the kingdom of wilderness in red.

2000年7月31日開設

野生王国の日没

撮影:松井 公代

野生王国の日没/チョベ国立公園(ボツワナ/南アフリカ)

2008年の日記  

 

6
  5月

6月

7月/上

目次


 
2008年6月21日(土)曇
 
 

■■■ 「南ドイツ感動の旅」速報! ■■■

 
   平成20年(2008)6月12日(木)から19日(木)までクラブツーリズムが主催する「ドイツハイライト8日間」に参加し、実質6日間、初夏の南ドイツの旅を満喫した。  
 

★☆★彡

 
   ツアー初日は午後1時頃日本航空JL407便のジャンボ機で成田空港を出発。約12時間のフライトの後、午後6時頃ドイツのフランクフルト空港に到着。出迎えのツアーバスで市内のホテルにチェックインして一泊。翌13日(金)午前8時半、ツアーバスでホテルを出発、リューデスハイムから観光船に乗り、約1時間半のライン川の船下りを楽しんだ。  
 
ドイツ鉄道(DB)の真っ赤な列車/ライン川下り 2008.6.13

ドイツ鉄道(DB)の真っ赤な列車/ライン川下り 2008.6.13

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   ドイツの父なる川といわれるライン川は、スイスアルプスの山中から端を発し、フランスとドイツの国境を流れ、オランダのロッテルダムで北海に流れ込む全長1,320kmの国際河川である。点在する古城とぶどう畑が織りなす景観は、19世紀にロマン派の作家によって賞賛され、ハイネの詩にズィルヒャーが曲をつけた有名な「ローレライ」で世界的に知られるようになった。ドイツ政府による国賓級の接待にもライン川下りが組み込まれるなど、ドイツ人の大きな誇りとなっている。  
 
葡萄畑と中洲に建つ船形のプファルツ城/ライン川下り 2008.6.13

葡萄畑と中洲に建つ船形のプファルツ城/ライン川下り 2008.6.13

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   ツアー3日目は、ケルンとハイデルベルクを観光した。古くから学生の町として知られるハイデルベルクは、その昔、ゲーテやショパンなど多くの詩人や芸術家が訪れ、数々の芸術とロマンを生み出した。ネッカー川の滔々たる流れを見下ろすハイデルベルク城は世界遺産に指定されており、城内からの眺望は素晴らしい。   
 
ネッカー川を見下ろすハイデルベルク城(世界遺産)/ハイデルベルク 2008.6.14

ネッカー川を見下ろすハイデルベルク城(世界遺産)/ハイデルベルク 2008.6.14

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   ヘッヒンゲンの小高い山上にドイツでも屈指の名城として知られるホーエンツォレルン城がある。プロイセン王家であるホーエンツォレルン家はこの地で生まれ、11世紀に築城されたが後に破壊されたため、1867年にフリードリヒ・ヴィルヘルムIV世によって再建された。  
 
麦畑と山城/ヘッヒンゲン 2008.6.15

麦畑と山城/ヘッヒンゲン 2008.6.15

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   1869年に建造が始まったノイシュバンシュタイン城とほぼ同時期に建てられたものだが、ホーエンツォレルン城は無骨ともいえる重厚な城で、様式もかなり違っている。現在でも最後の皇帝ヴィルヘルムII世の子孫が使用しているが、城内はガイドツアーで見学できる。  
 
山頂に建つホーエンツォレルン城/ヘッヒンゲン 2008.6.15

山頂に建つホーエンツォレルン城/ヘッヒンゲン 2008.6.15

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   ツアー4日目は、ドイツ南部のシュバンガウにあるノイシュバンシュタイン城(新白鳥城)を観光した。政治には一切関心がなく、築城オタクといわれるバイエルン国王ルードヴィヒII世(1845-1886)が17年の歳月と巨費をつぎ込んで建てた白亜の美しい城である。見る方角によって姿かたちが変わるロマンあふれる名城として知られ、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとなっているという。  
 
街道から臨むノイシュバンシュタイン城/シュバンガウ 2008.6.16

街道から臨むノイシュバンシュタイン城/シュバンガウ 2008.6.16

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   妃をめとらず、孤独で数奇に満ちたルードヴィヒII世の生涯は、シュタルンベルク湖での謎の溺死により幕を閉じたため、この城は未完成のまま現在に至っている。国王による浪費は民衆の反感を買ったが、今となっては大きな観光資源となり、地元に巨万の富をもたらしているのは皮肉である。  
 
白亜の名城ノイシュバンシュタイン城/シュバンガウ 2008.6.16

白亜の名城ノイシュバンシュタイン城/シュバンガウ 2008.6.16

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   ツアー5日目は、午前中、ヴィースにあるヴィース教会(ヴィースの巡礼教会)を観光した。1745年から1754年にかけて建てられた教会で、外観は平凡だが、ロココ様式の内部の装飾がヨーロッパ随一といわれている。特に、その天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられ、世界遺産に認定されている。  
 
世界遺産ヴィース教会の豪華な内部/ヴィース 2008.6.16

世界遺産ヴィース教会の豪華な内部/ヴィース 2008.6.16

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   午後、ミュンヘンに入り、市内観光。夜は、ホーフブロイハウスの3階ビアホールで、フォークダンスやヨーデルなどのショーを見ながら夕食を取った。ホーフブロイは宮廷ビール醸造所という意味で、かつてはバイエルン王室の御用醸造所であったという。ヒトラーがしばしばこのビアホールで大衆を前に演説を行った話は有名。現在は、陽気で楽しい市民の憩いの場となり、多くの観光客を集めている。  
 
ホーフブロイハウスの陽気なショー/ミュンヘン 2008.6.16

ホーフブロイハウスの陽気なショー/ミュンヘン 2008.6.16

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   ツアー6日目は、ディンケルスビュールとローテンブルクを観光。世界遺産として名高いローテンブルクは、中世の宝石箱と呼ばれるように、とても美しい町で、旧市街は城壁にスッポリと囲まれた中にある。中心のマルクト広場に市庁舎があり、写真はその塔の上から撮影したもの。  
 
中世の宝石箱ローテンブルク旧市街/ローテンブルク 2008.6.17

中世の宝石箱ローテンブルク旧市街/ローテンブルク 2008.6.17

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   ツアー7日目は、午前中、ビュルツブルクの市内観光を行い、バロック建築様式を代表するヨーロッパでも屈指の宮殿として知られるレジデンツを見学した。世界遺産に指定されているレジデンツは、1720〜1744年に大司教の宮殿として建設された。  
 
世界遺産レジデンツとホーフ庭園/ビュルツブルク 2008.6.18

世界遺産レジデンツとホーフ庭園/ビュルツブルク 2008.6.18

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   午後、フランクフルトの市内観光。フランクフルト中央駅は予想外に大きく、中に自由に入れたので、いわゆるドイツ新幹線と云われるICEを撮影することができた。写真はICE T と呼ばれる車種で在来線を最高速度230km/hで走行する。  
 
ドイツ鉄道(DB)が誇る新幹線「ICE」/フランクフルト中央駅 2008.6.18

ドイツ鉄道(DB)が誇る新幹線「ICE」/フランクフルト中央駅 2008.6.18

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   市内見学とショッピングの後、フランクフルト空港2105発JL408便にてドイツを後にし、11時間ほどのフライトで、翌6月19日(木)午後3時頃、無事成田空港に到着した。6日間で1,000万画素の写真4,090枚、8,581MBを撮影。まずまずの天候に恵まれ、満足ゆく旅だった。今回、ノイズのない高感度撮影と手振れ防止機能を誇るオリンパスの最新型機のお陰で殆どフラッシュを使わず、屋内や夜間もありのままの姿で切り取ることができた。記録メディアのCFカードも8ギガと2ギガ各1枚で済み、予備のカードの出番はなく、余裕の撮影だった。完成版を乞うご期待!  

  2008年6月11日(水)  
 

■■■ 累計700万アクセス達成! ■■■ 

   平成20年(2008)6月10日21:40、トップページの累計アクセスカウンターが7,000,000件を超えた。2000年7月16日(日)にサイトを立ち上げてから100万件を頂くまで4年11ヵ月、100万〜200万件まで1年7ヵ月、200万〜300万件まで3ヵ月半(107日 9,346件/1日)、300万〜400万件まで4ヵ月(118日 8,475件/1日)、400万〜500万件まで4ヵ月(121日 8,265件/1日)、500万〜600万件まで2.5月(74日 13,512件/1日)、そして今回の600万〜700万件まで3.3ヵ月(103日 9,708件/1日)という記録だった。
 

700万アクセスをクリアーしたときのトップページ

700万アクセスをクリアーしたときのトップページ

画像記録:S. K. さん

   500万〜600万件まで2.5月(74日 13,512件/1日)で達成したのは黒石寺蘇民祭騒動でアクセスが集中したことが原因で、その後沈静化し、今回、9,708件/1日のペースで100万アクセスを得た。今後、このペースは変わらず、一日1万アクセス前後で推移するものと予想されるので、1000万アクセスは来年の4月頃になりそうである。

  2008年6月11日(水)  
 

■■■ 安くなったコンパクト・フラッシュ(CF ■■■ 

 

8GBコンパクト・フラッシュ

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 2007年7月3日、E-510の発売にあわせ、4ギガのコンパクトフラッシュ(CF) SanDisk Extreme III 4.0GB をアマゾンに出店している会社から13,300円(税・送料込)で購入した。
 1年半前に同製品の2ギガ版を25,567円(税・送料込)で購入したことを考えると、単純計算しても1/4の値段であった。
SanDisk Extreme III 4G
 この永久補償のCFは、プロの写真家による厳しい環境下での撮影に要求されるスピード、パフォーマンス、信頼性を備える究極のメモリーカードで、革新的なEPS ( Enhanced Super-Parallel Processing ) 技術を搭載し、読み書き速度20MB/sec以上を達成しているという。

 先日、ドイツ旅行に備えて、容量8GBのコンパクトフラッシュSanDisk Extreme III 8GB を2枚購入した。価格.COMで調査し、最安値だったark オンラインショップから 24,069円(送料467円 代引手数料550円 消費税1,146円込み)で購入した。1枚約12,000円という安さだ。1年前に買ったときの1/2、2年半前の1/8の値段である。
 しかも同じExtreme III ではあるが、読み書き速度は30MB/secを達成しており、それがカードに明記されている。8ギガだと3,246枚撮影できるので、2枚で6,500枚、4ギガ800枚、2ギガ400枚x2=800枚、合計8,100枚撮影できる。このほか、512MB2枚と128MB10枚をあわせると、合計27GB約9,000枚撮影することができるので、今回はソニーの40GBフォトストレージ HDPS-M10 を持参しないことにした。
 また、愛機オリンパスE-3とE-510による高感度手振れ防止撮影で、夜間でも三脚は不要となり、いつもズッシリと重かったリュックサックの重量がかなり軽減された。フィルム換算24mm〜600mmをカバーする二刀流でどこまで迫れるか、明日の出発に期待はふくらむ。科学技術の急速な進歩に改めて感動する今日この頃である。

 
2008年6月11日(水)曇
 
 
■■■       感動写真集第100集 「クロアチア感動の旅」完成! ■■■
 
   6月10日(火)、今年第19作(通算第350作)の作品をアップした。

感動写真集第100集  「クロアチア感動の旅」

 
http://wadaphoto.jp/kikou/kuro1.htm
 

撮影・原作:南光 優  協力:松井 公代  監修:和田 義男

 この作品は、感動写真集の大御所・南光優さんの第18作で、平成19年4月20日(日)から5月31日(木)までの12日間、バルカン半島西部に位置するクロアチアなど3ヵ国を旅されたときのもので、5頁102枚の大作となった。
        平成20年(2008)4月16日 作品:第14作  画像:(大88+小14)  頁数:5  ファイル数:218  ファイル容量:52.6MB
        平成12年(2000)〜平成20年(2008) 
作品数:350 頁数:1,258 ファイル数:34,987 ファイル容量:5,141MB

★☆★彡

 

バイア宮殿にて
撮影・原作:  アマチュア山岳写真家 南光 優 (なんこう まさる)

住居:豊中市

趣味:パソコンいじり、写真、山登り、ガーデニング

感想記

 先ず第一歩がスロヴェニアの美しいブレッド湖で始まり、続いてサッカー場がスッポリと入るというヨーロッパ最大のポストイナ鍾乳洞の巨大さに驚き、そして、クロアチアに入って、美しいプリトヴィッツェ湖群国立公園に感動。更に街でも建造物で世界遺産に指定されているものが多く、見応えがあり、カメラの被写体としても大満足の旅行となった。
 特にドゥブロヴニクの旧市街地は、アドリア海の真珠と云われるだけあって本当に美しい街だった。ただ、しっとりとした美しい色の瓦は昔のもの、内戦により破壊され新しく葺かれた瓦の色とは歴然とした差があり、この国の悲しみを表しているようにも思えた。
 我々夫婦はこの旧市街を通り抜け、観光客が殆ど行かない山手の住宅街の路地を登ることにより、城壁に囲まれた町並みを俯瞰することができ、また、道中手入れの行き届いた庭や花壇、路地裏の野草の花を堪能し、花撮影担当の家内は大忙しであった。思い出に残る南光旅行社お勧めの特選コースである。
 

【編集子が選ぶ名作】

イストラ半島の陸繋島ロヴィニィ/クロアチア

イストラ半島の陸繋島ロヴィニィ/クロアチア

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感動写真集第100集!記念作品
 平成20年(2008)6月10日(火)、感動写真集の大御所・南光優さんの第18作「クロアチア感動の旅」が完成した。南光さんの作品をきっかけに平成15年(2003)3月にスタートした感動写真集がとうとう3桁に達したことは、とても感慨深い。
 奇しくもこの日は、Wa☆Daフォトギャラリーが総計700万アクセスを達成した記念日となり、また、新たに3ヵ国が増えたので、合計39ヵ国をカバーすることとなった。
 「モロッコ感動の旅」に引き続く海外旅行の大作で、素晴らしい内容に仕上がったと思う。バルカン半島の西部、アドリア海に面する旧ユーゴスラビアの国々は、近年、独立するための戦乱に明け暮れ、クロアチアといえば、悲惨な戦闘シーンの報道しか思い浮かばなかった。
 しかし、この作品のお陰で、アドリア海の豊かな恵みを受けて発展してきた歴史的文化遺産の溢れるとても美しい国であることが分かり、認識を新たにすることが出来た。
 

 

和田義男
 
 

【編集子が選ぶ名作】

無数の滝と緑の湖水/プリトヴィツェ湖(クロアチア)

無数の滝と緑の湖水/プリトヴィツェ湖(クロアチア)

拡大写真(1300x1800)434KB

 
 
固有名詞の表記
 今回の編集で苦労したことは、固有名詞の公定訳がないため、資料によって違っており、別の場所かと思われるほど類似性がない地名もあって、確認作業に手間取った。4日目のロヴィニィは、朝日サンツアーズではロヴィンとなっており、internetで検索しても一件もヒットせず、地球の歩き方でロヴィニィであることが分かった。
 また、表記にも揺れがあり、例えば世界遺産の「 Dubrovnik 」は、ドブロヴニク、ドゥブロヴニク、ドゥブロブニクなどがあって迷ってしまったが、地球の歩き方が採用しているドブロヴニクを使った。
 地球の歩き方は、原音に近い表記を目指し、VA を「ヴァ」に、BA を「バ」に区別して訳している。日本ではかつて両方とも「バ」と訳すことが多かったが、それを見直したようである。しかし、原音に近づけたいなら、ドブロヴニクではなくドゥブロヴニクだと思われる。
 最近良く参照するフリー百科事典 Wikipedia も見出し語によって表記の揺れがあるが、これは投稿によって成り立つ辞書の宿命だろう。団塊の世代である筆者は、「ヴァ」を多用することに抵抗があるが、時代の流れと受け止めて努力しているが、不徹底であることは否めない。(^^; しかし、必ずinternet で検索して、表記例が多数あることを確認している。〈 完 〉   2008.6.10  和田義男
 
 

【編集子が選ぶ名作】

旧市街最高地点に建つミンチェタ要塞/ドブロヴニク(クロアチア)

旧市街最高地点に建つミンチェタ要塞/ドブロヴニク(クロアチア)

拡大写真(1800x1230)452KB

 

  2008年6月2日(月)  
 

■■■ パソコン内蔵ハードディスクの危機! ■■■ 

 

Endeavor Pro-1000

 現在我が家の居間で稼働中のパソコンは、平成16年(2002)5月1日に購入したEPSON DIRECT のフラッグシップ・モデル Endeavor Pro-1000 で、その年の日経パソコン4/29号でパソコン性能ランキング・デスクトップ編第1位を獲得した最速のWindowsXpマシンである。
 以来、はや6年が経過したが、その間、光ケーブルが引かれてinternetを中心とするIT環境が整備され、毎日1万件前後のアクセスを頂いているWa☆Daフォトギャラリーは、このパソコンをホームグラウンドとしている。ハードも格段の進歩を遂げ、メモリーやハードディスク、DVDなど、高性能化が進み、値段も安くなり、誰でも手軽にIT文化を享受できる世の中になった。
 6年の間にOSもWindowsVistaが投入されるなど、高性能化が著しいが、それに伴うCPUなどのハード器機の高スペック化も進んだが、体感的には6年前のXpパソコンの快適さは変わらず、買い換えたいと思ったことがない。ウィルス対策やサービスパック2の導入などで、ソフト的には遜色が無く、これからも壊れない限り使い続けて行きたいと思っている。
 

★彡

   しかし、先週末は、内蔵120ギガのハードディスクに悪夢のトラブルが発生し、パソコンが起動できないという事態に至ってしまった。ことの発端は、20ギガの領域を割り当てているCドライブの残容量が少ないという警告が頻繁に出るために、ハードディスクを買えばおまけに付いてくるパーティション変更ツールで、Cドライブの容量を残り100ギガを割り当てているDドライブから5ギガを移動し、25ギガにするようにしたのである。CとDにあるシステムやデータは、別のハードディスクにバックアップしているので、万一失敗しても大丈夫だとたかをくくっていたのが悲劇の始まりだった!
   パーティション変更ツールを実行し、パソコンを再起動しようとしたところ、バイオス(パソコン本体のラムにあるプログラム)が起動したあと、「・」が点滅するだけで、Windowsが起動しなくなってしまったのである。そのソフト会社は土日は勤務しておらず、サポート電話をかけられない。仕方なく、ビックカメラ立川店に行き、同じ容量のバッファロー製の120ギガ・ウルトラATA内蔵ハードディスクを1万円(6年前は4万円!)で購入した。(私のパソコンは規格が古く、最大120ギガのハードディスクしかつけられない。)
   早速、ジャンパーピンをマスターに設定して新しいハードディスクを古いものと交換し、パソコンに付いているリカバリーCDを立ち上げて、Windowsのインストール作業を始めた。Windowsがインストールでき次第、フロッピーからバックアップソフトを起動し、丸ごとリストアすれば、約1時間くらいで完璧に以前の環境を構築することが出来る・・・とばかり思っていた。
   ところが、パーティションをC:25ギガ、D:95ギガに設定したまでは良かったが、Cをフォーマットすることができないというトラブルに見舞われた。「このドライブはWindowsに対応していません」というメッセージが出て、そこから先に進むことが出来ないのである。対応ドライブであることを確認して購入したので、そんなはずはないと思い、何度か繰り返してみたが、まったく同じところで行き止まりになってしまった。オーマイゴッド!
 

★☆彡

   そこで、ハードディスク・メーカーのバッファローに電話をかけたが、週末で、何度かけても話し中のツーツーという音しか聞こえず、全くつながらない。「大事な土日にサポート電話が混雑でつながらないような会社はダメだな」といらだちが増してくる。そこで、パソコン・メーカーのエプソン・ダイレクトのサポート電話にかけると、自動音声での応対があり、パソコン・サポートの3をプッシュすると、いくらか待たされたが、間もなくつながり、懇切丁寧な対応を受けた。
   しかし、フォーマットができないというトラブルを解決するアドバイスは得られなかったので、ハードディスクの初期不良に違いないと思い込み、ピック立川店に電話した。ここは何度も電話したが、直ぐにつながり、内蔵ハードディスク担当のフロアにつなげてくれる。これがビックの魅力の一つに違いない。
   店員に事情を説明すると、在庫を確認し、交換に応じるというので、青梅から立川まで往復し、新しいバッファローのハードディスクに交換してもらい、再度、パソコンに取り付けてWindowsのインストール作業を再開した。ところが、同じところで、同じような表示が出て、フォーマットできないという事態は変わらなかった。つまり、前のドライブも正常だったということが判明したのである。
   万策尽きたので、バッファローに電話したところ、やっとつながったので、事情を説明したところ、私のパソコンの型式を聞かれ、間もなく、「このドライブはおたくのパソコンに適合しているかどうかを確認していないので、不適合機種の可能性が高い」という返事だった。つまり、ハードディスクの規格が同じでも、パソコンの機種によっては作動しないことがあるというのである。「そんなことは箱のどこにも書いていないぞ!」と切れかかったが、すでに体力を消耗しており、怒る気力も失せていた。(^^;
 

★☆★彡

   電話を切り、ビックカメラ立川店に電話して担当の店員にその旨を告げた。小売店は、販売するときに適合機種のパソコンかどうか確認する注意義務があるはずで、彼はそれに気づかなかったことを反省したに違いない。私のトラブルで彼が学習したことは確実である。私は店員に私のパソコンの機種を告げ、適合するハードディスクを探してもらうように依頼し、返事を待った。彼は責任を感じたらしく、間もなく返事が届いたが、それによるとアイ・オー・データ機にもなく、ベアドライブはなおさら危ないという。結局新しいドライブを調達できないことが分かり、彼は返品に応じてくれた。
   この時点で、私はかなり深刻な事態に直面していることに気付いた。バックアップがあるので安心していたのだが、新しいハードディスクが入手できない以上、バックアップすることができず、バックアップを取っていなかったことと同じ事態になっているのである。冷静になり、次の対応策を検討したところ、読者お気付きの通り、残された手段は、起動しなくなったハードディスクを正常に戻すことしかない。これが不可能であれば、新しいパソコンを購入するしかなく、現在のシステム環境を構築するとなれば、1週間はかかってしまうことだろう。それを思うと憂鬱になってしまった。
 

★☆★☆彡

   しかし、パーティション変更ソフトのメーカーは月曜日まで連絡できないし、月曜日になってもオフィスからではどうしようもない。そこで、パソコン・メーカーのエプソン・ダイレクトに電話し、立ち上がらなくなったハードディスクの現状復帰ができるかどうか相談した。
   すると、30分以上もかかったが、電話の子機でやりとりしながら、画面の表示にあわせてオペレーターの親切で適切な指示に従って復旧作業を進めたところ、見事に現状復帰に成功したのである! 失われたのは、私の週末の時間と体力だけで、パソコン環境やデータを完璧に取り戻すことが出来た喜びは大きかった。
   その作業を説明すると、バイオスの立ち上げ時にF-8キーを押してセーフモードでWindowsXpを立ち上げ、アクセサリーのフォルダーにある「環境の修復」ツールを実行する。カレンダーが現れ、どの日時の環境に戻すかを聞かれるので、バーティション変更・ソフトを使った日の前日に指定すると、しばらくして自動的に再起動され、無事、WindowsXpの高精細画面が現れた。セーフモードが起動しないとなると、事態は更に深刻だったが、上手くセーフモードで環境の修復ができたのは、ドライブ自体は正常だったことが幸いしたようである。遭難者が海上保安官に救助された心境はこのようなものだろうなと思いつつ、これからもエプソン・ダイレクトのパソコンを購入していこうと思った次第である。
   最後に、容量不足の件は、使わないソフトやデータなどを圧縮するウィザードが現れたので、それを実行すると、1時間ほどかかって、残容量0.3ギガ(300メガ)が5ギガとなり、余裕のスペースが生まれて無事解決することができた。めでたしめでたし・・・ (^^;

 
2008年6月2日(月)曇
 
 
■■■ 随筆 「江戸っ子!鐵砲洲大祭」 ■■■
 
   先日、鐵砲洲稲荷神社報道副部長の星宏幸さんから、神社広報誌「いやおひ」への投稿依頼があったので、5月19日にアップした「 江戸っ子!鐵砲洲大祭 」と同じ題名で随筆を書いた。  

★☆★彡

江戸っ子!鐵砲洲大祭

 5月19日(月)今年第17作(通算第348作)の作品「江戸っ子!鐵砲洲大祭」をWa☆Daフォトギャラリー wadaphoto.jp に発表した。この作品は、弥生会のお世話で神社近くのホテルに2泊して鐵砲洲稲荷神社例大祭(鐵砲洲大祭)を密着取材したもので、9頁150枚の大作となった。発表後1週間で3000件を超えるアクセスがあり、好評を博している。
   今年の鐵砲洲は、6年ぶりに絢爛豪華な御本社神輿が17ヵ町を渡御する素晴らしい神輿祭りだった。ヘトヘトになりながら神輿と共に全町内を廻ったが、それぞれに風情があり、楽しみながら土地勘を身につけることができた。  
   江戸っ子の下町文化が躍動する東京の夏祭りは、鐵砲洲から始まるが、何といっても歌舞伎座前の神輿練りが圧巻で、その感動を対面のビルからたっぷりと切り取ることができた。今回、弥生会の石川幹事長や報道部の星副部長から色々とご尽力を賜り、3ヵ所の建物から渡御の全景を撮影することができ、フィナーレの御本社神輿の宮入りなどスケール感溢れる感動シーンを多数切り取ることができた。お世話になった多くの方々には心よりお礼申し上げたい。  
 

【編集子が選ぶ名作】

宮元神輿に見送られながら宮入する御本社神輿

宮元神輿に見送らて宮入する御本社神輿

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   神輿の掛け声といえば「ワッショイ」のはずだが、近年の江戸神輿は殆どが「セイヤ」「ソイヤ」などに変質している。唯一その伝統が残っているのは富岡八幡宮の深川祭である。鐵砲洲では、先代の故・中川正光名誉宮司のご遺志を継いで、神輿が次の町会に引き継がれる毎に、掛け声は「ワッショイ」(和し背負へ)だと指示していたのが印象的だった。しかし、初めのうちは「ワッショイ」だが、いつの間にか「セイヤ」になったりした。都会の空洞化に伴い、地元の氏子が減り、外来の睦会に頼らざるを得ないためにそうなってしまうのだろう。弥生会のご苦労が偲ばれるが、「ワッショイ神輿は深川と鐵砲洲」といわれるようになって欲しい。  
 
宮元の神輿差し/歌舞伎座

宮元の神輿差し/歌舞伎座

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   石川さんによると、鐵砲洲の衣装は半纏と半股引(ハンダコ)が原則だが、褌も認めているという。そのため、睦会を中心に六尺をキリリと締めたこだわりの褌派を多数撮影できた。ハンダコは江戸時代には存在しないので、祭り衣装が変質していることは間違いない。筆者としては、粋で鯔背な江戸っ子の祭であれば、博多っ子の博多山笠のように、祭りには褌を締めて江戸っ子の心意気を示して欲しい。  
   神田っ子の水森亜土さんのコメント(東京人 2003年6月号52頁):お祭りは専ら行列を追いかけるだけだけど、実は・・・、お神輿を担ぐ人のふんどしを締めたお尻が美しい!中学生の頃からなんてセクシーなんだろうと思ってた、キャハハ。ませてたのかな。お祭りが盛り上がって熱気が最高潮に達すると、お尻もピンクになるのね。あっ、言っちゃった!  
 

こだわりの褌派

こだわりの褌派 1 こだわりの褌派 2

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撮影:小林豊一

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こだわりの褌派 3 こだわりの褌派 4

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こだわりの褌派 5 こだわりの褌派 6

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こだわりの褌派 7 こだわりの褌派 8

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銀座二丁目東の神輿で遊ぶ子供たち 2005.5.4

銀座二丁目の神輿東で遊ぶ子供たち 1 銀座二丁目東の神輿で遊ぶ子供たち 2

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   今年の鐵砲洲大祭では初めて「新富座こども歌舞伎」が奉納された。長いセリフに詰まる場面もあったが、無事に公演が終わり、関係者はホッとしたことだろう。公募で選ばれた全くの素人集団が、短い練習期間にもかかわらず、これだけの演技ができるとは驚きだが、今後、歌舞伎座前の神輿練りと共に「こども歌舞伎」が「歌舞伎の鐵砲洲」として祭りの目玉になることだろう。鐵砲洲のこれからが楽しみである。〈 完 〉  
 
金子きんす 入れから百両が出てきて驚くお 嬢吉三じょう きちさ /木村安寿(中央小学校3年)

金子入れから百両が出てきて驚くお嬢吉三/木村安寿(中央小学校3年)

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