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2007年4月28日改訂

今 日

昨 日

メドレー(お江戸日本橋(鼓)・早春賦・お江戸日本橋・さくらさくら)

パノラマ写真(1600x770)539KB

濠に這ふ桜の枝の龍のごと  北舟

2000年7月31日開設

田安門東の牛ケ淵の桜

田安門東の牛ケ淵の桜(東京都千代田区)
2007年の日記  

 

4
 

4月

目次


2007年4月27日(金)晴
■■■     伊那・高遠の桜」完成! ■■■
  昨日、本年第15作目の作品をアップした。

 旅紀行日本の花第17集(実質第26集) 「国宝・松本城の桜」

 撮影・原作:和田義男  http://wadaphoto.jp/sakura/takato1.htm 

 この作品は、今年4月12日(水)長県伊那市の高遠城址公園に花見に行ったときのもの。高遠(たかとう)といえば1500本の小彼岸桜で知られる「高遠の桜」が有名で、シーズン中全国から40万人超の花見客が集まる必見の名所である。800万画素・530枚・780MBの中から厳選し、3頁29枚の作品になった。

     平成19年(2007)4月26日 作品:第15作  画像:(大22+小7)  頁数:3  ファイル数:63  ファイル容量:17.6MB
     平成12年(2000)〜平成19年(2007) 
作品数:306 頁数:1,066 ファイル数:27,125 ファイル容量:3,657MB

北ゲート

高遠閣たかとうかく

北ゲートと高遠閣

パノラマ写真(1600x920)486KB

 「思い立ったら吉日」とは良く言ったもので、松本城の夜桜を含む人工美と高遠(たかとう)の自然美という両極にある花見を味わうことができ、満足度100%の旅だった。しかも松本では北アルプス、高遠では中央アルプスと南アルプスと、日本アルプス全てを鑑賞することができたのは想定外の収穫で超ラッキー! 往路の特急あずさ車窓から見た八ケ岳も美しかった

ラッシュの白兎橋

ラッシュの白兎橋

拡大写真(1400x1050)479KB

 前作のあとがきで、「花見は桜の本数が多ければ多いほど良いというものではなく、まわりの景色とそれを取り込んだ文化の成熟度が大切であることに気付いた」と書いた。高遠は松本城の五倍に当たる1500本の桜があるため、桜そのものの魅力を前面に打ち出しており、文化財や自然の景観を取り入れることには余り熱心でないように思われる。

二の丸で満開の花見を楽しむ人たち

二の丸で満開の花見を楽しむ人たち

パノラマ写真(2000x900)540KB


2007年4月21日(土)曇
■■■ 300万アクセス達成! ■■■
 本日午後9時半頃、トップページの累計アクセスカウンターが3,000,000件を示した。2000年7月16日(日)にサイトを立ち上げてから100万件を頂くまで4年11ヵ月、100万件から200万件まで1年7ヵ月、そして今回、200万件から300万件まで3ヵ月半(107日 9346件/1日)で達成。今年の7月16日に満7歳を迎えるWa☆Daフォトギャラリーにあって、またひとつ嬉しい記録であり、素直に喜びたい。

300万アクセス達成の瞬間

300万アクセス達成の瞬間
 「継続は力なり」を信条にここまで歩いてきた。「人の真似をしたくない」という思いから、ホームページを立ち上げるまでに2年かかった。「高精細の綺麗な写真と簡明直截な説明」「BGMを聞きながら旅行した気分に浸ってもらう」「個人の写真利用はフリー」というコンセプトは、誰もやったことのないものであった。小さな画像で、わざと圧縮率を高め、写真にサイト名を入れて勝手に使用されないようにしているサイトもある中で、読者本位の編集方針が多くの方々のご賛同を頂き、そのお陰でここまで続いてきたものと思う。
 加速度的にアクセスが増えたのは、昨年12月上旬に1000を超える全ての頁にアクセスカウンターを設置したためで、増えたと言うより、把握していなかったアクセスを100%反映できるようになったからである。ここ100万件のアクセスでは、1日平均9346件となるが、最近は1日7000〜9000件で推移している。同じ人が何度アクセスしてもその日は1件としかカウントされないので、この数字は一日の来訪者の実勢を反映している。この重みをしっかりと認識し、これからも美しい画像と正確で読みやすい解説をベースに、ロマンと感動あふれる多彩な作品を作りつづけて行きたい。今後益々のご愛顧をお願い申し上げる。

2007年4月20日(金)曇
■■■ 3年連続して青梅大祭のポスターに! ■■■
 平成19年(2007)の青梅大祭は、5月2日〜3日に開催されるが、それに先立ち、青梅大祭事務局長の栗原郁夫さんからポスターやチラシを頂いた。今年のポスターには、私が撮影した仲町(なかちょう)の静御前と森下町(もりしたちょう)の武内宿弥(たけうちのすくね)の二体の山車人形が掲載されており、これで三年連続して青梅大祭の公式ポスターに私の写真が採用された。地元民として、大変光栄に思う。
 ちなみに、平成18年は私の写真が全面的に採用されている。また、平成17年は獅子舞と猿の写真が私の写真である。

青梅大祭のポスター

平成19年(2007)

平成19年(2007)

拡大写真(1000x1400)274KB

 

平成18年(2006)

平成18年(2006)

拡大写真(965x1400)222KB

 

平成17年(2005

平成17年(2005)

拡大写真(1000x1400)270KB

■■■ 2007年は本町の密着取材 ■■■
 青梅大祭については、平成16年(2004)から取材を始め、既に平成16年(2004)に「青梅大祭 」、平成17年(2005)に「青梅大祭2 」と二つの作品を発表している。昨年は都合により取材できなかったが、今年は、村野公一さんにご紹介いただき、本町の祭典委員長の齋藤愼一(さいとう・しんいち)さんや副委員長の須崎八洲治(すざき・やすはる)さんのご配慮を頂き、本町(ほんちょう)を密着取材することになった。

拍子木贈呈式/本町会館(青梅市本町)

拍子木贈呈式/本町会館(青梅市本町)

拡大写真(1600x1130)350KB

■■■ 本町拍子木お披露目 ■■■
 4月19日(木)午後8時からJR青梅駅のそばに建つ本町会館で「平成十九年度青梅大祭本町拍子木お披露目」が行われたので、早速、取材した。今年の拍子木は澤渡敏夫(さわたり・としお)さん(57歳)。氏子総代の岸亨さんなど長老や幹部たちが見守る中で、伝統の口上のやりとりによる贈呈式が行われ、齋藤委員長から拍子木など一式が紋付き袴の盛装に身を固めた澤渡さんに贈呈された。
 会場には、澤渡さんが特別にあつらえた拍子木の晴れ着が飾られ、参加者に披露された後、懇談となり、最後に拍子木着
付役の高橋平太郎さんの音頭取りにより全員が木遣りを唱和したあと、3・3・1拍子の青梅締めで閉会した。この模様は、「青
梅大祭07(仮称)」で詳しく紹介したい。

2007年4月17日(火)雨
■■■     国宝・松本城の桜」完成! ■■■
 先ほど、本年第14作目の作品をアップした。

 旅紀行日本の花第16集(実質第25集) 「国宝・松本城の桜」

 撮影・原作:和田義男  http://wadaphoto.jp/sakura/matumoto1.htm


 この作品は、今年4月11日(水)に長野県松本市の国宝・松本城に花見に行ったときのものである。桜は僅かに300本と少なかったが、とても素晴らしく、必見のスポットである。

     平成19年(2007)4月17日 作品:第14作  画像:(大41+小10)  頁数:4  ファイル数:106  ファイル容量:20.8MB
     平成12年(2000)〜平成19年(2007) 
作品数:305 頁数:1,063 ファイル数:27,007 ファイル容量:3,634MB

梅と桜と松本城(南西面)

梅と桜と松本城(南西面)

拡大写真(1600x1200)443KB

 今回、手間暇が掛かったが、JRと路線バスとタクシーを組み合わせた個人旅行にしたので、最良の日にゆったりと花見ができ、素晴らしいシーンを切り取ることができた。バスツアーは便利で良いが、あれもこれもと欲張りで、見学する時間が短く、集合時間に間に合わせるために走りながら撮影するようなこともあったので、これからは個人旅行を主体にしたいと思っている。

松本城(東面)と夜桜を楽しむ人たち

松本城(東面)と夜桜を楽しむ人たち

拡大写真(1400x1000)220KB

 去年、松本城の花見ツアーを申し込んだが、最少催行人員に達せず中止となり、行けなかったので、今年はどうしても行こうと思った。僅か300本の桜では大したことはないと思っていたが、行ってみると、とても素晴らしいので驚いた。人の評価や噂は当てにならないことが良く分かった。

夜の松本城(南面)

夜の松本城(南面)

拡大写真(1600x920)122KB

 また、花見は、桜の本数が多ければ多いほど良いというものではなく、まわりの景色とそれを取り込んだ文化の成熟度が大切であることに気付いた。全国には知られざる名所がまだまだ沢山あると思われるので、これからもそれを発掘して紹介するのも私の楽しみのひとつにしたい。


2007年4月13日(金)曇
■■■ 「伊那・高遠の桜」速報! ■■■
 4月12日(木)に松本市で一泊の後、翌朝9時過ぎの特急あずさ10号で茅野(ちの)まで戻り、茅野からJRバスで伊那(いな)市の高遠(たかとう)に午前11時頃到着。個人旅のお陰で、午後3時までゆったりと高遠城址公園の桜を満喫した。

桜雲橋(おううんきょう)の桜 / 高遠(たかとう)城址公園 2007.4.12

桜雲橋の桜 / 高遠城址公園

パノラマ写真(1600x860)623KB

 天文(てんぶん)14年(1545)甲斐の武田信玄は領主・高遠頼継(たかとう・よりつぐ)を降伏させ、古くから伊那谷の要衝であった高遠城を奪った。その2年後、信玄は高遠城の大改修を命じ、この城を南信州の拠点とした。この大改修を取り仕切ったのが現在NHKの大河ドラマ「風林火山」の主人公・山本勘助といわれている。
 その後、武田信玄の五男・仁科五郎盛信が織田信長の長男・信忠と戦い、壮絶な死を遂げて、戦乱の時代が終わった。徳川の時代になって280年余りが過ぎた明治4年(1871)に廃藩置県となり、城が取り壊された。翌年民間に払い下げられた城跡は、明治8年(1875)に公園となった。

桜雲橋(おううんきょう)の池の桜

桜雲橋の池の桜

パノラマ写真(1400x1200)582KB

 公園になってから高遠藩の旧藩士たちが「桜の馬場」から桜を移植したことにより、今では桜の日本三大名所の一つに数えられるようになった。本丸の老木はこの時植えられたもので、4月には、130年生以上の古木20本、50年生以上のもの500本などに若木を加えた約1,500本のタカトオコヒガンザクラが淡紅色で小ぶりの花を枝いっぱいにつける。

踊るコヒガンザクラ

踊るコヒガンザクラ

パノラマ写真(2000x945)638KB

  高遠の踊る桜の城址かな  北舟 

たかとうの おどるさくらの じょうしかな

 高遠城址公園で可燐(かれん)な花を咲かせるこのコヒガンザクラは、「天下第一の桜」と賞され、長野県の天然記念物の指定を受け、日本さくらの会の「さくら名所百選」にも選ばれている。

白兎橋(はくときょう)から見た中央アルプス

白兎橋から見た中央アルプス

拡大写真(1600x1200)744KB

 高遠の桜といえばこの高遠城址公園の桜のことで、シーズンになると全国から観光バスやマイカーで花見客が押し寄せ、東京の千鳥ヶ淵の桜のようなラッシュとなるのは、地方ではこゝだけではないだろうか。桜雲橋(おううんきょう)や白兎橋(はくときょう)を渡るにも大変な人混みに揉まれなければならない。特に、写真上の白兎橋から中央アルプス(木曽山脈)がよく見えるため、アマチュア・カメラマンの撮影スポットとなっており、それが障害となってなかなか前に進めないほど。私もその障害物になってしまったが・・・(^^; 
 一番良かったのは、写真下の南曲輪(みなみくるわ)から眺める中央アルプスで、最高峰の木曽駒ヶ岳(2956m)を中心とする連山がよく見えるのでお勧めのスポットである。ただ、限られた場所しか見えず、枝の張り具合で毎年変わると思われる。後日、「伊那・高遠の桜」として発表する予定であるので、乞うご期待!

南曲輪(みなみぐるわ)から見た中央アルプスの勇姿!

アルプス連山と手前の桜双方にピントが合っているのは、デジタルならではの技であり、ノウハウは秘密。(^^;

南曲輪から見た中央アルプスの勇姿!

拡大写真(1600x1250)375KB


2007年4月12日(木)晴
■■■ 「国宝・松本城の桜」速報! ■■■
 4月11日(水)中部地方が移動性高気圧に広く覆われたので家内と二人で特急あずさ3号で長野県松本市に行き、花曇りのような霞のかかった晴天の下で、満開の国宝・松本城の花見と戦国時代の様式を色濃く残す天守閣の探訪を楽しんだ。

広い内堀に浮かぶ松本城の勇姿! 2007.4.11

広い内堀に浮かぶ松本城の勇姿! 2007.4.11

パノラマ写真(3000x1100)468KB

 松本城は、別名を烏城(からすじょう)とも呼ばれ、地元市民の憩いの場として親しまれているが、400年ほど前に建造された日本最古の城郭である。5重6階の天守を中心に、乾小天守を渡櫓で連結し、辰巳附櫓、月見櫓を複合した連結複合式天守で、初期の天守に多く見られる下見板張が特徴。

二の丸土蔵と外堀の桜

二の丸土蔵と外堀の桜

パノラマ写真(2000x970)611KB

 天守閣には鉄砲の展示があり、これほど多種多量の鉄砲と解説が充実している城は他には見あたらない。また、階段は他のどの城よりも急で、戦時さながらの設計であり、大変感動した。姫路城などと比べると、知名度はいまいちだが、予想外に濠も広く、必見の城である。

枝垂れ桜と松本城 2007.4.11

枝垂れ桜と松本城

拡大写真(1240x1600)664KB

 国宝に指定されている日本の城は、姫路城・彦根城・犬山城とこの松本城の4城だけであり、今回、懸案の松本城を追加することで、国宝の城を全てWa☆Daフォトギャラリーに収録することとなる。後日、「国宝・松本城の桜」として発表したい。乞うご期待!

松本城の夜桜会 2007.4.11

松本城の夜桜会

拡大写真(1600x1300)590KB  三脚使用

  夜桜の彼方に今も烏城  北舟 

よざくらの かなたにいまも からすじょう


2007年4月9日(月)曇のち雨
■■■     天念寺修正鬼会」完成! ■■■
 先ほど、本年第13作目の作品をアップした。

 感動写真集第80集「天念寺修正鬼会」

 撮影・原作:清原 浩  監修:和田義男  http://wadaphoto.jp/maturi/onie1.htm

 この作品は、清原 浩さんの第2作で、今年2月24日(土)に大分県豊後高田市の天台宗・天念寺で国東半島の六郷満山に伝わる修正鬼会(しゅじょう・おにえ)を激写したものである。6頁63枚の大作になった。

    平成19年(2007)4月8日 作品:第13作  画像:(大35+小28)  頁数:6  総ファイル数:122  ファイル容量:19.2MB
     平成12年(2000)〜平成19年(2007) 
作品数:304 頁数:1,059 ファイル数:26,901 ファイル容量:3,613MB

裸形の僧侶とテイレシ(

介錯かいしゃく

)たち

裸形の僧侶とテイレシ(介錯)たち

白黒拡大写真(1200X1030)140KB

 2007年2月24日、豊後高田市の都甲地区に伝わる『鬼会』の撮影に新しい相棒オリンパスE-500と共に行って来ました。急遽仕事となり天念寺に着いたのはPM16:30。もう既に昼の勤行の終行前で、慌てて数枚の写真を切り取りました。

 地元に住んでいながら初めて見る鬼会。初めての相棒。緊張し、無我夢中でシャッターを押しました。香水棒を持った僧侶が舞う姿は、まるで『タップダンス』を踊っているみたいで、何とも言えない安堵な気持ちになりました。
 しかし、鬼が登場してからは急展開。小松明の火が参拝者に容赦なく襲いかかり、この展開は予想以上に激しいものでした。千年も続くこの鬼会を、来年はもっと素晴らしいアングルで撮影したいという気持ちに駆りたてられました。   清原 浩

赤鬼と黒鬼の法舞

赤鬼と黒鬼の法舞

拡大写真(1400X1100)285KB

鬼祭きさい

奇祭きさい
 僧侶が主役の祭礼はとても珍しい。香水棒、団扇、鈴などのアイテムを持ち、最後は男女面を被り、お囃子に合わせて飛んだり跳ねたりして舞い踊る姿は、普段の聖職につく真面目なお坊さんというイメージから乖離しているために、微笑ましく、親しみ深い。
 圧巻はフィナーレの鬼の登場で、角のない鬼面をつけ、毛皮の褌の代わりに荒縄に縛られたタイツ姿の赤鬼と黒鬼が火のついた松明を振り翳して暴れ回る。
和田義男
 堂内は火の粉と煙が充満して騒然となる。鬼の目餅という丸餅が撒かれ、争奪戦のあと、鬼が信者らの肩や尻を松明で叩き、無病息災の加地を与えて終了する。葬式仏教となった感のある都会の仏教とは違って、国東半島では未だに僧侶と地域住民が一体となって祭礼を祝う古き良き時代の仏教文化が息づいている。
 いかめしい盛装からはじまり、垢離取りの褌姿、道服に着替えた後の法舞に鬼の衣装をまとった活劇と、七変化ともいえる僧侶たちによる鬼会は、民衆と共に祈り、祝い、楽しむ、とてもユニークな火祭りで、人と仏と神が一体化する素晴らしい村祭りである。
 しかし、鬼が興奮のあまり一般の観客にもかなりの攻撃をしかけてくるので、見物するには火の粉を被って焼け穴が空いても良い服を着て、松明で背中を叩かれることを承知でやって来ないとショックを受けるだろう。これを東京でやろうとすれば、過激だとして中止させられる公算が高い。この点で、天念寺修正鬼会は鬼祭中の奇祭といえるだろう。

鬼が登場する南北の奇祭
 清原さんが天念寺の鬼会を激写した同じ2月24日(土)、私は岩手県奥州市の天台宗・黒石寺(こくせきじ)で行われた蘇民祭(そみんさい)を取材し、既に「黒石寺蘇民祭」として発表した。
 黒石寺でも2月24日午後10時から同じ薬師如来の前で、裸参り、柴燈木登(ひたきのぼり)、別当登(べっとうのぼり)、鬼子登(おにごのぼり)、蘇民袋争奪戦の五つの行事が夜を徹して行われたが、こちらにも鬼が登場する。
 鬼子登という儀式で、数え年7歳の男児2名が鬼子(おにご)として麻衣(あさごろも)をまとい、木製の鬼の面を逆さに背負い、強力(ごうりき)と呼ばれる檀徒の丈夫な大人におんぶされて薬師堂にのぼるのである。

鬼子が背負う逆さ鬼面/黒石寺蘇民祭 2007.2.24

鬼子が背負う逆さ鬼面/黒石寺蘇民祭 2007.2.24

拡大写真(1500x1600)233KB

 黒石寺の方は、神道に加え、東北独特の修験道との習合があり、祭礼の色合いが異なるが、川中の垢離取りや、炎と鬼が登場するのは同じで趣向ある。しかも炎により魔を打ち祓い、厄を落とす点や、鬼が神仏の化身として邪悪を打ち払う役割を担うのも同じコンセプトである。北と南に遠く離れていても、天台宗の初薬師にまつわる祭礼にこのような共通点があるのは、とても興味深い。

2007年4月1日(日)曇
■■■     還暦記念の赤褌水浴 ■■■
 昨日、鐵砲洲稲荷神社弥生会の石川辰夫幹事長から弥生会広報誌「いやおひ」第26号が送られきた。その3頁に私が「鐵砲洲寒中水浴'07」の編集後記として書いた随筆「還暦記念の赤褌水浴」が掲載されていた。

和田義男

 
撮影 2007年1月14日
 

 
OLYMPUS

E-330  11-22 mm
E-500  14-54 mm

 
800万画素 1090枚 1750MB

 

   今年も晴天に恵まれ、木漏れ日の下で、江戸下町に残る半世紀以上も続く歴史ある寒禊の一部始終を記録することができた。
   何よりも嬉しかったことは、私のような部外者を仲間として受け入れて頂いたことである。
   拝殿の前で解散した後、私と浦安の三木さんと浅草の志村さんの3人は、神社のそばにある石川邸での二次会に招かれ、美しいお母様の手料理と愛犬バロンのスキンシップのもてなしを受けた。
   また、戦後、鐵砲洲稲荷神社が再建されたときの貴重なビデオテープを拝見しながら青柳会長ら幹部の皆さんと歓談させて頂いた。

還暦記念 赤褌あかふん 水浴
 再三にわたり、石川幹事長や三木さんから寒中水浴を誘われてきたが、撮影を理由に断ってきた。しかし、今年3月6日に還暦を迎えるので、人生の大きな区切りを記念する意味で、来年の寒中水浴大会には同い年の三木さんとともに赤褌で参加することにした。青柳会長ともご一緒できれば幸甚である。
 私は、「ふんどし談義」を通じて、日本男児のアイデンティティ(日本人らしさ)は、裸褌(はだかふんどし)文化にあることを繰り返し述べてきたが、1年先とはいえ、公衆の面前で身をもってその姿を披露するとは思ってもみなかった。
 しかし、江戸っ子の開かれた文化の中に溶け込むことができた今、私もどっぷりと浸かってみたいと思った。インターネットでいえば、ROM(ロム Read Only Memory :読むだけのメモリー→読むだけの人、傍観者)からRAM(ラム Random Access Memory :読み書きできるメモリー→参加型の人)に変わろうとしている。
 趣味で始めたホームページを通じて、人の輪が広がり、その影響を受けて変革してゆく自分がいる。これもインターネット文化のお陰で、団塊の世代の一つの生き方であるかも知れない。来年を愉しみに、今から身体を鍛えておこう。 2007.1.26 〈 完 〉

「還暦記念の赤褌水浴」が掲載された「いやおひ26号」

「還暦記念の赤褌水浴」が掲載された「いやおひ26号」

拡大写真(980x1400)312KB

 4枚の写真も「鐵砲洲寒中水浴'07」の中に掲載したものである。事前に広報誌担当の高橋健男さんから依頼があり、了解していたもので、拙文が「いやおひ」誌に大きく掲載されて大変光栄に思う。赤褌水浴を公約してしまった以上、来年はカメラを知人に託し、覚悟して寒中禊を経験してみたいと思う。

 

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