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 旅紀行日本の祭り

2009年9月9日改訂

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♪和楽器メドレー

絹垣の浅間大神火の祭   北舟

 

The fire ritual, Asama great god in the silk curtain.

2009年9月8日制作

絹垣に囲まれて諏訪神社に遷御

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絹垣に囲まれて諏訪神社に遷御/北口本宮冨士浅間神社(山梨県富士吉田市)
北口本宮冨士浅間神社神紋   北口本宮冨士浅間神社   北口本宮冨士浅間神社神紋

吉田の火祭り

本殿祭

北口本宮冨士浅間神社きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ

▼ 火伏・安産・産業の守護神として崇められている木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を主祭神とする北口本宮冨士浅間神社は、景行天皇40年(110)、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に、大塚丘より富士山の神霊を遥拝し、「富士の神山は北方より登拝せよ」と勅(みことのり)して大鳥居(おおとりい)と祠(ほこら)を建てさせたのが始まりとされている。広大な鎮守の杜に鎮座する社殿は、富士登山道の吉田口の起点にあたる。
鎮守の杜の入口に立つ鳥居/北口本宮冨士浅間神社 2009.8.26 14:00

鎮守の杜の入口に立つ鳥居/北口本宮冨士浅間神社 2009.8.26 14:00

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 境内の富士山大鳥居は日本武尊(やまとたけるのみこと)の故事に従って建立されたもので、高さ58尺5寸(17.7m)柱間(はしらま)35尺(11.55m)の丹(に)塗りの四脚鳥居で、木造では国内第一という。
鬱蒼たる巨木の参道の奥にある朱塗りの富士山大鳥居

鬱蒼たる巨木の参道の奥にある朱塗りの富士山大鳥居

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大鳥居には上野寛永寺門跡・蔓珠院宮二品良怒法親王(まんじゅいんのみや・にほんりょうじょうほうしんのう)による「三國第一山」と書かれた扁額がある。この大鳥居は60年を式年と定めて造替(ぞうたい)する。現在のものは昭和27年(1952)に再建されたもの。
 「三國第一山」という表現は富士講の開祖・食行身禄(しょくじきみろく)の和歌にも登場し三國とは日本・朝鮮・中国を指すもので、富士登山最大のキャッチ・フレーズである。

「三國第一山」の扁額のかかる大鳥居

「三國第一山」の扁額のかかる大鳥居

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▼ 写真下は拝殿の全景で、八棟造り・向拝唐破風造り。伽藍は、江戸時代中期の様式がよく現れているという。本殿・幣殿・拝殿が接続されていて、全形は権現造り。昭和28年(1953)国の重要文化財に指定された本殿は桃山時代の代表的な建築様式である。

北口本宮冨士浅間神社の拝殿

北口本宮冨士浅間神社の拝殿

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 古く神道において山・森・岩などを神奈備(かんなび)と呼び神が鎮まるところとして崇められた。冨士浅間神社の拝殿のそばにある御神木は、古くは4本あったが、3本が現存する。第一神木を富士太郎杉、第二神木を富士次郎杉、第四神木を富士夫婦桧といゝ、全て樹齢千年の天然記念物である。

樹齢千年の御神木「富士太郎杉」/天然記念物

樹齢千年の御神木「富士太郎杉」/天然記念物

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▼ 拝殿のそばには、江戸期と同じ行衣(ぎょうえ/ぎょい)姿の道者(一般信者)たちが神事の開始を待っていた。宝冠(ほうかん)と呼ばれる独特の頭巾(ずきん)を被っているのが先達んだつ)と呼ばれるリーダーである。
 富士山は神聖な山なので、道者たちは江戸時代から登拝時には清浄な白装束を身にまとった。あの世である山頂に向かうところから、死装束としての意味もあったという。
拝殿に立つ正装の先達と道者たち

拝殿に立つ正装の先達と行者たち

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 冨士講の登山行程は御師坊(おしぼう)を出発した後、三合目あたりで昼食を取り六〜八合目の石室(いしむろ)という溶岩でできた山小屋に泊まり、翌朝、頂上を目指すのが一般的だったという。
拝殿の御朱印所

拝殿の御朱印所

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 慶長17年(1612)の「富士山内證事」によれば、富士山は金剛界(こんごうかい)・胎蔵界(たいぞうかい)の大日如来が支配する山で、山頂には熊野権現、鹿嶋大明神、春日大神など九神とその本地(ほんじ)である阿弥陀如来、十一面観音菩薩、不動明王など九尊が祀られていたという。これは、典型的な神仏習合(しんぶつしゅうごう)による宗教文化である。
鎮火祭神札

鎮火祭神札

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▼ 拝殿の右(西)側に小型の鳥居が立つ。ここが富士北口登山本道の入口である。登山道入口の鳥居に張られた注連縄(しめ なわ)を切る「お道開き」は、毎年6月30日に行われ、翌日の7月1日にお山開きとなる。
   今年も富士講信者ら約500人が参加した富士山開山前夜祭の「お道開き」で、注連縄が木槌(きづち)で打ち落とされ富士山吉田口登山道が開かれた。  
 今年のお山開きの当日は富士山は8合目途中から1m近い残雪があり山梨県は登頂できないことを知らせる看板を設置。冬山装備を身につけた登山客の姿も見られた。また、今年から山小屋は7月1〜4日まで団体客を受け入れないことになったため、5合目から上の登山道は、例年と比べて閑散とした様子だったという。
拝殿右(西)の「富士北口登山本道」入口

拝殿右(西)の「富士北口登山本道」入口

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 冨士浅間神社の境内の西に鎮座する諏訪神社(すわじんじゃ)は、諏訪明神を祀る神社である。かつての火祭りは諏訪明神の祭りだったが、富士講が盛んになった江戸時代になると、冨士浅間神社が台頭し、火祭りは両社の祭礼となった。明治以後、諏訪神社は冨士浅間神社の摂社(せっしゃ)となり、現在、冨士浅間神社の宮司が諏訪神社の宮司を兼務しており、専属の神職は存在しない。
天然記念物の富士夫婦檜(左)・富士次郎杉(右)と諏訪神社

天然記念物の富士夫婦檜(左)・富士次郎杉(右)と諏訪神社

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▼ 既に大神輿(明神神輿)と御山神輿が出発の位置に置かれていた。そのそばに腰に鈴と草鞋を下げた世話人(せわにん)たちがいたので、撮影させてもらった。
諏訪神社の「おやまさん」(

御影みかげ

)と世話人たち 14:30

諏訪神社の「おやまさん」(御影)と世話人たち 14:30

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▲ 「吉田の火祭り」は上吉田地区の夜祭りで、神社に近い南から北にかけて上町(かみちょう)中町(なかちょう)下町(しもちょう)の氏子3町で構成され、上町・中町から各4人、下町から6人の合計14人が世話人となる。その資格者は、42の厄年になる前の既婚の男性で、1年間不幸がなかった家から選出されるという。
 

 過去1年以内に不幸があった家の者たちは、火を見てはいけないという「手間とり」の掟があり現在も2台の神輿が神社に還御するまでの2日間は外泊して家を離れているという。「手間とり」とは、家人たちが祭りの準備に協力できず、他人に手間をとらすことからそういわれるようになったという。

 
出番を待つ4基の子供神輿(明神神輿 1,御山神輿 3)

出番を待つ4基の子供神輿(明神神輿 1,御山神輿 3)

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本殿祭 15:05

本殿祭 15:05

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▲ 8月26日午後3時から冨士浅間神社拝殿において鎮火大祭最初の神事である本殿祭が催行された。祭神に対し、神輿への動座を願う神事であるという。出席者は、氏子総代、世話人、講社、御師団、公共機関の代表者、地元議員など100人にものぼる。
 氏子総代10名は白衣・青袴姿、御師は白い斎服姿、消防団員は印半纏(しるしばんてん)姿の正装で臨席して神事を見守り、最後に玉串奉献(たまぐし・ほうけん)を行った。
本殿祭を見守る

先達せんだつ

や講社の人々

本殿祭を見守る先達や講社の人々

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▼ 午後3時45分ころ、神輿に浅間神社と諏訪神社の分霊を移す御霊(みたま)移しの儀式が始まった。社殿や境内の明かりが全て消され、拝殿奥から神職による「オーッ」という警蹕(けいひつ)の声が響き出すと、浅間大神(あさまのおおかみ)は長さ10m高さ2mの絹垣(きぬがき)に囲まれて境内に現れ、諏訪神社の方へ運ばれていった。
 絹垣の中には、宮司と露払い役の行障(こうしょう)の二人がおり宮司は袖の中に御神体を抱きながら進む。行障は手に提灯を持っているので、絹垣の外からは、その提灯の灯がぼんやりと見える。
浅間の大神が

絹垣きぬがき

に囲まれて諏訪神社に遷御 15:45

冨士浅間神社の御神霊が絹垣に囲まれて西隣りの諏訪神社に遷御 15:45

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  絹垣の浅間大神火の祭 北舟 

きぬがきの あさまおおかみ ひのまつり

The fire ritual, Asama great god in the silk curtain.

厳かに諏訪神社に向かう白衣の行列

厳かに諏訪神社に向かう白衣の行列

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