ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2007年9月20日改訂

今 日

昨 日

♪祝詞・越天楽

拡大写真(1400x840)203KB

 

2007年9月9日作成

伊佐賀を目指す神門一行

伊佐賀を目指す神門一行(日向の師走祭/宮崎県美郷町・木城町)

国指定/選択無形民俗文化財

日向の師走祭

のぼりまし

撮影・原作 上平明

 
日本最大級の火祭り「 師走祭しわすまつり 
   平成19年1月26日から2泊3日で神門(みかど)神社で行われた師走祭に行ってきた。宮崎県北部、日向市から国道327号線を経由して西へ車で約1時間半の山奥に旧南郷村がある。ここにあまり知られていない「百済(くだら)伝説」という凄い伝説がある。
 師走祭は、宮崎県木城町(きじょうちょう)比木(ひき)神社と美郷町(みさとちょう)南郷区(旧美郷村)神門(みかど)神社の二社合同で、1,000年以上にわたり脈々と受け継がれ行われているもので、百済王族の年一度の対面を再現する大変珍しい祭りである。 
 平成3年(1981)、極めて古い形態を残す祭として「記録作成の措置を講ずべき無形民俗文化財(選択無形民俗文化財)」として国から指定を受けている。

迎え火一本鳥居

迎え火一本鳥居

拡大写真(1800x1150)304KB

 
旧南郷村に伝わる百済伝説
 西暦660年百済の国は、唐と新羅(しらぎ)の連合軍に滅ぼされた。このとき王の一族は多くの百済人と共に日本に亡命し、一時畿内地方に定住した。その後、大和政権の動乱により、2隻の船で現在の北九州地方を目指したが、激しい時化にあい、日向の国・金ヶ浜(かねがはま)と蚊口浦(かぐちうら)に別々に漂着した。
 金ヶ浜に着かれたのが、父の禎嘉王(ていかおう)、二男の華智王(かちおう)、お側の女官(にょかん)、舎人(とねり)など数十人であった。禎嘉王が住居の地を占ったところ、ここより78里(現在の13里、約53km)の山中が良いと出たので、そこに居を定めることなり、この定住の地が「神門(みかど)」であった。
 一方、蚊口浦に着いたのは、長男の福智王(ふくちおう)とその妃、禎嘉王の后、福智王の姉らの一行であった。福智王は、球を投げて住居の場を占ったところ、球は18里(現在の3里、約12q)の地まで飛び、そこで止まったので、そこを定住の地とした。そこが現在の比木(ひき)である。
 それぞれ別に住んだ王族にしばらく安息の日が続いたが、王の所在を突き止めた追討軍が神門に迫ってきた。これを伝え聞いた福智王は、禎嘉王を救わんと神門入りをし、禎嘉王に心服する豪族と共に追討軍と大戦闘となったが、ついに王族は破れ、禎嘉王は塚の原(古墳)に葬られ、後に「神門(みかど)大明神」として祀られた。

神門御神行みかどごしんこう

路程図

註:図中番号は祭典が行われる場所

神門御神行路程図

資料

恋人の丘

 旧南郷村では、村に伝わる百済伝説を縁に韓国と交流をつづけており、神門の集落を一望できる丘は、「恋人の丘」と名付けられ、韓国の古都「扶餘(プヨ)」の落下巌(ナッカアム)に建つ「百花亭(ベッカジョン)」が交流のシンボルとして再現されている。
 百済の古都・「扶餘(プヨ)」は、現在フジテレビで放映中の大人気韓国ドラマ「朱蒙〔チュモン〕」の舞台である。
 「朱蒙〔チュモン〕」のオフィシャルサイト: http://www.bsfuji.tv/jumong/
恋人の丘の百花亭

恋人の丘の百花亭

    拡大写真(1400x933)313KB

絆の鐘

 百花亭の中に吊されている鐘は「絆の鐘」と呼ばれる一対の鐘で、ハングル文字で「百済(くだら)古都・扶餘(プヨ)から百済の里・南郷村に送る音」と記されている。恋人、親子、兄弟姉妹などで鐘を鳴らすと、より絆が強くなり、ここで誓った愛は永遠に変わらないとされる。
韓国との絆の鐘

韓国との絆の鐘

拡大写真(1600x1067)276KB

百済くだら

の館
 百済の館は、韓国大使館等の協力を得て、古都「扶餘」の王宮跡に建つ元国立博物館の「客舎(かくしゃ)」をモデルに建てられた。瓦や敷石は、韓国から取り寄せられており、丹青(タンチョン)仕様といわれる赤、青、緑といった極彩色の梁や軒は、韓国の名工による。館内には、百済時代の国宝、重要文化財のレプリカが多数展示されている。

百済の館

百済の館

拡大写真(1400x933)253KB

西の正倉院と王族の遺品
 百済伝説を実証する古文書等は、現存していないが、神門神社に長らく保存されてきた銅鏡、馬鐸(ばたく)、馬鈴、直刀の鉄剣、須恵器の甕(かめ)などが存在する。

校倉あぜくら

造りの西の正倉院

校倉(あぜくら)造りの西の正倉院

唐花六花鏡
 これらの宝物の中にある「唐花六花鏡」は、奈良正倉院宝庫の御物と同一品であり、他にも奈良東大寺の大仏殿、大仏の台座より出土した国宝の鏡と完全一致の品がある。
 いずれも日本有数の文化財であるが、何故このような貴重な物が、中央より遠く離れた九州の山間僻地の一神社に千年余りも永きにわたり保管されてきたのか、実に不思議であり、百済伝説が単なる伝説ではなく、そこに厳然たる史実があるということがこれらの品から伝わってくる。
 旧南郷村では、これらの貴重な文化財を後世に伝えるため、宮内庁や奈良国立文化財研究所の協力・支援を受け、さらに建設(国土交通)大臣の特別許可により、門外不出とされていた正倉院原図を元に樹齢400年から500年の木曾天然檜により、奈良の正倉院を忠実に再建した「西の正倉院」を建設し、平成8年(1996)5月に完成させ、「唐花六花鏡」をはじめ学術的にも貴重な国宝級の宝物を展示している。

唐花六花鏡

唐花六花鏡

海獣葡萄鏡かいじゅうぶどうきょう

文様が割と鮮明で、神門神社鏡の中では最も優れた品であり、国内で同文様の品は見あたらないという。

国宝級の海獣葡萄鏡

国宝級の海獣葡萄鏡

拡大写真(1200x1130)254KB

ほこ

 平成10年(1998)4月、神門神社本殿の建物調査時に内部の天井裏から総数1,006本の鉾が発見された。これらの鉾の中に、神門神社の師走祭の起源を遡ると思われる長禄3年(1457)12月19日の日付が残されており、この頃には既に師走祭が行われていたことを証するものと考えられている。

 寛政4年2月(1792)の高山彦九朗の「筑紫日記」には、師走祭と鉾の関係が記載されている。これほど大量の鉾が集積されているのは、他に例がないという。
大量の鉾

大量の鉾

拡大写真(1067x1600)247KB

神門神社みかどじんじゃ

 神門神社は、奥日向と呼ばれる宮崎県美郷町南郷区の中心集落「神門」の小高い丘の上に古式蒼然として鎮座しており、本殿は平成12年に国の重要文化財に指定されている。
 伝承によると神門神社の創建は養老2年(718)といわれ、御祭神は百済禎嘉王(くだらていかおう)、大山祇命(おおやまづみのみこと)(木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の父)ほか六柱が祀られている。

国の重文・神門神社本殿

国の重文・神門神社本殿

拡大写真(1400x933)223KB

比木神社ひきじんじゃ

 比木神社は、宮崎県児湯郡(こゆぐん)木城町(きじょうちょう)椎木(しいのき)に鎮座している。創建は不明であるが、仁寿2年(852)の説がある。

 祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)、妃・三穂津姫命(みほつひめのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、素盞鳴命(すさのをのみこと)、妃・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、福智王(ふくちおう)(禎嘉王の長男)の六柱が祀られている。神社入口には、樹齢800年を超えるといわれる2本の大楠(おおくす)が聳えている。

大楠のある比木神社

大楠のある比木神社

 
師走祭しわすまつり
   師走祭は、比木神社に祀られている福智王が、神門に祀られている父・禎嘉王を訪問するため、王族ゆかりの地で行事をとり行いながら、約90qの道のりを2泊3日かけて行う御神幸(ごしんこう)である。昔は旧暦の12月14日から21日にかけて9泊10日で行われていた。比木から神門までの往路を「のぼりまし」、中日の2日目を「中の日」、復路を「くだりまし」という。この師走祭の存在自体が百済伝説を裏付ける大きな証であるという。

金ヶ浜での禊

金ヶ浜での禊

美郷町提供

 
のぼ りまし(1日目)
 1日目の「のぼりまし」は、木城町の比木神社から美郷町南郷区神門神社に向かう神事である。比木神社を出発した福智王一行は、父禎嘉王が漂着したとされる日向金ヶ浜の海岸で禊ぎ神事を行った後、王族ゆかりの地で祭典や神楽を行い、神門から出迎えにきた一行との会合のため伊佐賀(いさが)神社へと向かう。
 伊佐賀の地は、追討軍との戦いが行われたところで、禎嘉王の次男華智王が戦死した場所だと伝えられる。当日、師走祭が本格的に始まる塚の原古墳を目指し車を走らせていたところ、幸運にも伊佐賀へ向かう神門神社の一行に出会うことができた。
伊佐賀を目指す神門一行

拡大写真(1400x840)203KB

 伊佐賀で合流した一行は、神門グループを先頭にして、禎嘉王の墓であるといわれる塚の原古墳を目指す。祭はこのあたりからようやく雰囲気が盛り上がってくる。
合流して塚の原へ向かう
合流して塚の原へ向かう
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2007 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク