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Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2012年6月15日改訂

 

 

 

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♪海のアラベスク 水の宮・和風BGM

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         夏の天五重塔のハーモニー  北舟

2006年6月23日作成

文政3年(1820)の淺草寺

文政3年(1820)の淺草寺(東京都台東区)

淺草神社神紋「三葉葵」   淺草神社神紋「三網」   淺草神社神紋「左三巴」

江戸っ子!三社祭

観 音

撮影原作・志村清貴

 

はじめに

 江戸の下町情緒が色濃く残る浅草に暮らす江戸っ子たちは、漁師が神様になった三社様(さんじゃさま)の氏子として、先祖代々、庶民の伝統文化を受け継いできた。小さいときから血湧き肉躍る三社祭に親しんできた浅草っ子にとって、三社祭は正月のようなもので、「おめでとう」と挨拶を交わし、この祭を中心に1年の計を立てる。
 このたび、和田さんから依頼を受け、Wa☆Daフォトギャラリーの鮮やかな大画面で私の住む西浅草三丁目北部町会の三社祭をありのままに紹介させていただくことにした。

淺草寺・淺草神社案内図

淺草寺・淺草神社案内図

資料

淺草寺せんそうじ
 淺草寺は、東京都台東区浅草二丁目にある都内最古の寺院で、山号は金龍山(きんりゅうざん)。本尊は聖観音(しょうかんのん)。もと天台宗に属していたが、戦後独立し、聖観音宗総本山となった。
 観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。都内では唯一、坂東三十三所観音霊場の13番札所となっている。
 淺草寺縁起によれば推古36年(628)3月18日未明、宮戸川(隅田川)で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟の網に仏像がかかった。

淺草寺付近の衛星写真

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

淺草寺付近の衛星写真

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資料

 郷司(ごうし 村の長)の土師真中知(はじのまつち)がこれを見て尊い観音像であることを知り、深く帰依して自宅を寺とし、その観音像を奉安し、拝礼・供養に勤めた。
 これが1寸8分(約5.45cm)で金無垢と伝える本尊であるが、大化元年(645)、勝海上人がこの地に留まり観音堂を建立し、また、夢告により、本尊は秘仏(非公開の仏)とされ、武蔵国の観音信仰の中心地となった。
 平安期初頭、慈覚大師の巡拝により伽藍の整備が行われ、信者の層も厚くなった。江戸時代、天海僧正の進言もあって徳川幕府の祈願所と定められ、江戸の信仰と文化の中心として庶民の間に親しまれるようになった。

大提灯が畳まれた雷門

大提灯が畳まれた雷門

撮影:和田義男

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雷 門かみなりもん
 淺草寺の雷門は表参道入口にある切妻造の八脚門で、向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから「風雷神門」というが、「雷門」の通称で通っている。
 慶応元年(1865)に焼失後、長らく仮設の門が建てられていたが、昭和35年(1960)、鉄筋コンクリート造で再建された。松下幸之助が浅草観音に祈願して病気平癒したお礼に寄進したもので、門内には松下電工寄贈の大提灯がある。三社祭と台風のときだけ提灯が畳まれる。

仲見世の賑わい

仲見世の賑わい

撮影:和田義男

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仲見世なかみせ
 仲見世は日本で最も古い商店街のひとつ。慶長8年(1603)徳川家康が江戸幕府を開いてから江戸の人口が増え、淺草寺が賑わいを増すにつれ、境内の掃除の賦役を課せられていた近隣の人々に、境内や参道上に出店営業する特権が与えられた。これが仲見世の始まりで、元禄、享保(1688〜1735)の頃といわれる。
 今の仲見世は東側に54店、西側に35店、合計89の店舗があり、長さは約250m、統一電飾看板と四季折々の装飾が石畳に映える。雷門をくぐったとたん、江戸時代に戻ったような日本情緒豊かな雰囲気が広がり、仲見世は淺草商店街の代名詞ともなっている。
夜の 宝蔵門ほうぞうもん

夜の宝蔵門

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宝蔵門ほうぞうもん
 雷門をくぐり、仲見世を抜けた先にある宝蔵門は、入母屋造の二重門*で、昭和39年(1964)に再建された鉄筋コンクリート造。門の左右に仁王(金剛力士)像を安置することから、かつては仁王門と呼ばれていたが、昭和の再建後は宝蔵門と称し、門の上層が文化財の収蔵庫となっている。
 日本橋の小舟町(こぶなちょう)から寄進された大提灯と大きな草鞋(わらじ)が目を引くが、この提灯は雷門の提灯と共に平成15年(2003)に15年ぶりに新調されたもの。重さ400kg の大草鞋は、山形県村山市から奉納されたもので、「 仁王様の草鞋」と呼ばれる。
*1二重門:二階建てで、屋根も上下二重になっている門。

淺草寺の巨大な観音堂(本堂)

淺草寺の巨大な観音堂(本堂)

撮影:和田義男

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観音堂かんのんどう
 観音堂は淺草寺の本堂で、観音本堂とも呼ばれる。旧堂は慶安2年(1649)に再建されたもので、近世の大型寺院本堂の代表作として国宝に指定されていたが、昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失。現在の建物は昭和33年(1958)に再建されたもの。

本尊・聖観音菩薩が安置されている観音堂内陣

本尊・聖観音菩薩が安置されている観音堂内陣
撮影:和田義男

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聖観音菩薩に手を合わせる人たち

聖観音菩薩に手を合わせる人たち

撮影:和田義男

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文政3年(1820)の淺草寺
 東都金龍山淺草寺図を見ると、当時の隅田川は物流や交通、漁業の中心で、賑わう様子が良く描かれている。川に掛かる橋は吾妻橋。隅田川は下流から永代橋、新大橋、両国橋、吾妻橋、千住大橋が架設されており、 五大橋と呼ばれていた。

東都金龍山淺草寺圖 / 文政3年(1820)

東都金龍山淺草寺圖 / 文政3年(1820)

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五重塔ごじゅうのとう
 再建前の塔は慶安元年(1648)の建立で、関東大震災では本堂と共に倒壊しなかったが、1945年の東京大空襲で焼失した。現在の塔は昭和48年(1973)に再建されたもので、鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5m、塔自体の高さ約48m。
 基壇内部には永代供養のための位牌を納めた霊牌殿などがある。塔の最上層にはスリランカから将来した仏舎利を安置している。現在の塔は本堂の西側にあるが、再建以前の塔は東都金龍山淺草寺図に描かれているように東側にあった。

五重塔のハーモニー

五重塔のハーモニー

撮影:和田義男

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 夏の天五重塔のハーモニー 北舟 

なつのてん ごじゅうのとうの はーもにー

二天門にてんもん
 二天門は本堂の東側に東向きに建つ切妻造の八脚門。元和4年(1618)の建築で、先の戦争にも焼け残った。淺草寺境内にあった東照宮(徳川家康を祀る神社)の門として建てられたが、東照宮は1642年に焼失後再建されていない。
 門の左右に安置されている二天(持国天、増長天)は、上野・寛永寺墓地にある厳有院(徳川家綱)霊廟から移されたもの。淺草神社とともに国の重要文化財に指定されている。

戦災にも耐えた二天門

戦災にも耐えた二天門

撮影:和田義男

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