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旅紀行日本の裸祭り 

2013年2月21日改訂

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♪千年女王

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四天王寺どやどや(大阪)

四天王寺どやどや

2002年1月26日制作

 西大寺会陽(岡山) 黒石寺蘇民祭(岩手) 四天王寺どやどや(大阪)
 
 四天王寺では、元旦から14日間、六時堂で修正会(しゅしょうえ)が修せられ、14日の結願(けちがん)の日に「どやどや」が行われる。修正会は、毎年正月、天下泰平・五穀豊穣を祈願する行事で、正月に修せられることから修正会と呼ばれる。827年(天長4年)正月に京都のお寺で始まり、以後諸大寺に広まっていったという。

四天王寺

 四天王寺は、日本最初の官寺で、荒陵山(こうりょうざん)と号し、荒陵(あらはか)寺、天王寺ともいう。もとは天台宗で、第2次大戦後独立して和宗総本山となった。587年物部守屋(もののべのもりや)討伐のとき聖徳太子が四天王に戦勝を祈願して寺院の建立を発願し、593年(推古1年)造営に着手したと伝えられる。

 伽藍配置が中門(仁王門)、塔、金堂、講堂を南北中軸線上南向きに並べる四天王寺式として知られている。

六時堂

 六時堂(写真上)は、境内中央に位置する雄大なお堂で、亀の池の北にある。昼夜6回にわたって諸礼讃をするところで、六時礼讃堂が正式名。薬師如来と四天王等を祀っており、回向(えこう 供養)、納骨等の法要が行われる。どやどやは六時堂で行われ、御札争奪戦が繰り広げられる。正面・特等席の石舞台は、報道陣が占領し、我々一般見学者は入れない。

どやどや

 毎年正月14日の修正会(しゅしょうえ)結願(けちがん)の日に、僧侶の儀式に平行して、鉢巻とふんどしを赤白に色分けした血気盛んな若者たちが、東西から六時堂前面の拝殿に押し寄せ、双方の代表者各4名が背中合わせになり、全員で左右から押し合い揉み合い、いずれかへ押し切った方が勝ちとなった。 
 東の白は生野方面の百姓、西の赤は阿倍野方面の漁師であった。このため現在も白組は東から、赤組は西から登場する。勝負がつくと同時に六時堂前に篝火(かがりび)がともされ、その後、数百の牛王宝印楊枝(ごおうほういんようじ)(柳の枝にはさんだ魔除けの護符)がお堂の梁の上から群集の中に投げ入れられ、それを取ろうとして裸の群れがひしめきあった。 
 持ち帰った柳の枝を水田に立てておくと、害虫がつかず豊作になると信じられた。このようなことから、どやどやの行事は、もと天王寺村の農家が五穀豊穣を祈願した名残りだと見られている。
 以前は修正会結願の日の真夜中に御福窓から住職によって護符の牛王紙(ごおうし)が投下されていた。争奪戦が激化するにつれて、紙ではちぎれてしまうことから、室町時代の1510年(永正7年)、当時の住職忠阿上人により牛王宝印楊枝(木製の宝木しんぎに代えられた。
赤組の入場

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 牛王宝印楊枝を受けようと、どやどやと六時堂に群衆が集まることから、この習俗がいつしか「どやどや」と呼ばれるようになった。また、ドヤドヤ(どうだどうだ、これでも負けないか)と言って押し合ったからだともいわれる。  

 昔は酉の刻(午後6時)から法要が始まり、牛王宝印楊枝を投ずるのは夜8時〜9時頃だったという。 

 現在は、混乱を避けるため、午後2時頃から始まり、参加者も特定の生徒・教職員に限定されている。また、事故防止の観点から、楊枝を止め、護符(御札)だけがばらまかれている。 
 肌が乾いていると、もみ合いの際、肌と肌がこすれて皮膚が剥けたり、火傷を負ったりするので、事故防止の観点から、裸の男たちに大きな柄杓(ひしゃく)で水をかける。撒水自体には、宗教的な意味合いはないという。

ふんどし姿の中高生

 参加者は、全員鉢巻、ふんどし、白足袋を着用。ふんどしは並幅(約35cm)に切った木綿で長さが5mほどある。半幅に折り、前袋式に締め込んでいる。普通の水褌(すいこん)と比べてかなり長いので、縦廻しは二重だが横廻しを幾重にも巻いている。
 当世、初めてふんどしを締めた生徒も多いようで、締め方はあまり上手ではない。臍下5cmほどのところに締めるという基本を知らないのか、横廻しが上すぎて締まりのない格好の生徒も散見される。先生は最終点検をキチッとすべきだろう。教職員は、さすがに板についた締め方で、前垂れ式の人もおり、必ず腹巻きをしているので判別がつく。 
 先頭集団は旗や幟(のぼり)を持っている。先頭が持つ赤い垂(しで)の付いた2m余りの太い竹筒は、梵天(ぼんてん)といい、指揮棒の役目を果たす。教職員が手にしている赤い札をつけた50cmほどの細い竹竿も指揮棒だという。白組は白いシデの梵天に白い札の指揮棒を持つ。
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御札争奪戦

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裸祭りの概要

園児の部 午後2時20分、上半身裸の園長先生を先頭に、男児と女児が仲良く手をつなぎ、赤組と白組に分かれて境内東側の本坊通用門から入場。園児たちは全員上半身裸、短パン、運動靴、紅白の鉢巻姿。先生方は、紅白の鉢巻に半袖、トレパン姿。園児たちの可愛らしい仕草や無邪気さに心が和む。総勢300名余の大集団となる。
 境内東側の参道をとおり、六時堂にのぼる。お詣りをしてもみ合った後、退出。園児には御札はまかれない。園児が退出した後、前半と後半の2回に分けて本番が行われる。
前半の部 前半の部は、学校法人四天王寺学園が経営する四天王寺羽曳丘(はびきがおか)高校と中学校(いずれも男女共学)の男子生徒423名に教職員31名が参加。午後2時45分、一行は境内南に建つ仁王門の前から二手に分かれて出発。「わっしょい!わっしょい!」という声が四天王寺に響き渡る。白組は東側から、赤組は西側から、それぞれ六時堂に向かう。 赤組は西方から、白組は東方から、亀の池の石橋南端で合流し、六時堂正面に至る。
 六時堂に集まった参加者は、般若心経(はんにゃしんぎょう)を読誦のあと、もみ合いに移り、25枚の御札(おふだ)と呼ばれる魔除けの護符が2回まかれ、激しい争奪戦が繰り広げられる。
後半の部 午後3時15分、後半の部が始まる。寒さに備えてしっかりと準備運動をして身体を温めた生徒たちが、北門から元気良く飛び出してくる。後半は、仏教系の学校法人・清風(せいふう)学園が経営する清風南海高校と清風高校(いずれも男子校)の生徒400名に教職員45名が出場。ふんどしを締めてどやどやに参加した人は、総勢1,000名余となる。

 一行は二手に分かれ、白組は園児が通った東側の参道から、赤組は六時堂の裏手から西側にまわり、亀の池の石橋南端で合流し、六時堂の正面に向かう。

 六時堂に到着すると、前半の部と同様の要領でもみ合いが始まる。例年だと身体にかけられた水が湯気となり、もうもうと湯煙がたちのぼるそうだが、今年は暖かくて全く湯気は見えない。後半の部では、1回15枚の御札(おふだ)が3回にわたって撒かれる。
 赤組、白組、赤白全員の順に、梁から落ちてくる御札の争奪戦が繰り広げられる。次々と投下される御札。それを何とか取ろうと必死に腕を伸ばす生徒たち。堂内は若者の発散する熱気に包まれ、騒然となる。各回の争奪戦で御札をとった人は、毎回一列に並び、一人ずつ観客に紹介され、拍手を受ける。

白組の勝利

 最後の赤白全員による御札の争奪戦の結果、白が10枚、赤が6枚を取った。今年は白組の勝ちとなって行事が終わった。
 六時堂の前で水をかけられ、髪や上半身だけでなく、ふんどしまでずぶ濡れとなる。今年は無風だったので寒くはないだろうが、例年だと震えが来るのではないだろうか。今年のどやどやは、耐寒訓練にはならなかったようだ。
 白組は勝ち名乗りを受け、意気揚々と引き揚げて行った。貴重な御札を取って誇らしげに翳す生徒もいた。全員、行事が無事に終わり、先生方もホッとした表情だった。拡大写真を良く見ると、もみ合いで肌が赤くなったり、かすり傷を受けた人もいたようだが、大した怪我ではなかったようだ。 参加者は、もと来た道を引き返し、本坊に戻り、冷え切った身体を風呂に入って温め、ぜんざいを食べたあと解散となる。

御札をとった!

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 大阪といえども寒い真冬にふんどし一丁で御札を奪い合う裸祭り・・・どやどや。 古来から脈々と受け継がれてきた四天王寺独自の習俗である。 大都会の難波(なにわ)の地に、昔の人々と全く同じ衣装で伝統文化を受け継ぐ現代人がいた。
 これからもこの伝統のスタイルを崩すことなく、子々孫々に受け継いでいってもらいたい。日本の裸文化を頑なに守っている四天王寺の取り組みに、心から声援を送りたい。
 裸の若者が発散するエネルギーに刺激され、どやどやを鮮明な映像に残したい衝動に駆られ、途中から撮影に集中。その結果、後半の部で、六時堂での御札争奪戦をズームでとらえることに成功した。
 撮影を終えた今、私にはどやどやが日本三大奇祭の一つだとは思われなかった。ふんどし一丁で禊ぎをしたり神輿などを担いで練り歩く祭礼は全国に多くの例があり、どやどやもそのジャンルに入る裸祭りだと思う。参加者も我々と変わらないごく普通の市民だった。その中で高校三年生は、センター試験を目前に控えた参加であり、その労を多としたい。 

 四天王寺どやどやは、昔は旧正月の修正会結願日の夜、西大寺会陽や黒石寺蘇民祭と同じように地元民が争奪戦を繰り広げていた。しかし、ふんどし一丁で御札を奪い合うという伝統は固持しているものの、現在は実施時期を新正月にシフトし、混乱を避けるため、日中に特定の団体だけが参加する行事となっている。観光客からすれば、日本三大奇祭のひとつを日中容易に見物することができるようになったが、反面、古来から継承されてきた伝統が変質している点は否めない。(完)

日本三大奇祭の特徴

  歴 史 性 困 難 性 知 名 度 地域密着度 見物の容易性 奇 祭 度
西  大  寺  会  陽 ★★★ ★★ ★★★ ★★★ ★★ ★★
黒 石 寺 蘇 民 祭 ★★★ ★★★ ★★ ★★★ ★★★
四天王寺どやどや ★★★ ★★★

凡例 ★★★・・・優 ★★・・・良 ★・・・可

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