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 旅紀行日本の祭り

2004年4月30日改訂

祭囃子メドレー

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2004年4月30日制作

2004ミス鎌倉 (鶴岡八幡宮・神奈川県鎌倉市)

2004ミス鎌倉 (鶴岡八幡宮・神奈川県鎌倉市)

小町通りこまちどおり

 JR鎌倉駅東口から若宮大路に平行に 北に延びる狭い商店街が賑わっている。飲食店や名物店など、どれも小粋な感じで、ついつい足を引き込まれてしまう。どの店も試食が徹底している。往復すれば、試食だけで満腹するかも知れない。鎌倉に行けば、是非立ち寄りたいスポットである。 鎌倉小町通り

小町通り

拡大写真(1200x800)207KB 【E-1 47mm  F8.0 1/500秒 ISO200】

若宮大路二の鳥居と段葛

若宮大路二の鳥居と段葛

拡大写真(800x600)100KB

若宮大路わかみやおおじ

段 葛だんかずら

 JR鎌倉駅東口からバス通りに出ると、南北に伸びた幅広い道路がある。若宮大路である。左手に石造りの大きな二の鳥居があり、その下に段葛(だんかずら )(一段高くなった参道)がある。
 段葛は、源頼朝が妻の北条政子の安産を祈願してつくったもので、明治時代になるまでは、更に南にある一の鳥居まで続いていたという。
 昔は松並木であったが、大正時代から桜並木に変わった。現在はその下にツツジが植えられている。

 治承4年(1180)、鎌倉入りした源頼朝は、由比郷にあった八幡宮(元八幡)を小林郷(現在の鶴岡八幡宮)に移 し、造営した。
 そして、養和2年(1182)、京の朱雀大路(すざくおおじ)に倣(なら)って、由比ヶ浜(ゆいがはま)の一の鳥居まで、全長1800mの若宮大路の築造を開始した。鎌倉の町はこの大路を中心に造られていった。

パレード

 昼食後、若宮大路に出ると、パレードが続いていた。鎌倉まつりでは、午前11時から午後2時頃まで、神奈川県警音楽隊をはじめ神輿囃子など、各地区から工夫を凝らした華やかなパレードが繰り広げられる。

今泉囃子会と白山神社の神輿

今泉囃子会と白山神社の神輿

拡大写真(1200x800)278KB 【E-1 58mm  F9.0 1/500秒 ISO200】

 パレードのフィナーレは、各地区の神輿である。それぞれの地区には氏神を祀る神社の祭りがあるが、この日 は、各神社の氏子たちが自慢の神輿を担ぎ、鶴岡八幡宮を目指して若宮大路に繰り出していた。

五所神社の神輿

獅子の洗礼

五所神社の神輿 獅子の洗礼

拡大写真(1200x900)290KB 【E-1 62mm  F7.1 1/320秒 ISO200】

拡大写真(10240x768)139KB 【E-1 40mm  F8.0 1/320秒 ISO200】

五所神社の神輿

 五所神社は、JR鎌倉駅から15分ほど歩いた海に近い住宅街の中にある。氏子たちは五所和賀会として神輿を担ぐ。神輿は4基あり、壱号と呼ばれる六点棒で屋根紋が3枚の柏の葉の神輿が鎌倉まつりに担がれる。
 弐号は四天棒の神輿で、屋根紋は御所車となっている。壱号と弐号は湘南流のどっこい担ぎである。子供神輿も1基あるという。

三の鳥居を通過する神輿

三の鳥居を通過する神輿

拡大写真(1200x900)306KB 【E-1 28mm  F10.0 1/400秒 ISO200】

 鎌倉の神輿は、江戸の神輿と同様に老若男女が入り交じって神輿を担ぐ。全国的には神輿は男衆が担ぐものということになっているが、関東では男女平等である。家族ぐるみで楽しむことができるのが良い。

宮入した神輿

宮入した神輿

拡大写真(1200x900)306KB 【E-1 58mm  F10.0 1/640秒 ISO200】

最後の神輿練り

最後の神輿練り

拡大写真(1600x1000)275KB 【E-1 28mm  F8.0 1/320秒 ISO200】

記念撮影

鎌倉市観光協会会長の挨拶

記念撮影 鎌倉市観光協会会長の挨拶

拡大写真(1200x900)263KB 【E-1 50mm  F7.1 1/320秒 ISO200】

拡大写真(1024x768)79KB 【E-1 416mm  F5.6 1/320秒 ISO200】

鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐう

 鶴岡八幡宮は康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神を 由比ヶ浜に祀ったのに始まる。その後、源頼朝が鎌倉に入ると、現在の地に八幡宮を移し祀り、建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく、上下両宮の現在の姿に整えた。祭神は応神天皇、比売(ひめ)神、神功(じんぐう)皇后。
 現在の本宮(上宮)は、文政11年(1828)江戸幕府11代将軍徳川家斉(いえなり)造営による江戸建築で、二代将軍徳川秀忠(ひでただ)が修造した若宮(下宮)とあわせ、国の重要文化財に指定されている。 鶴岡八幡宮

舞 殿まいでん

鶴岡八幡宮の舞殿

拡大写真(1200x900)251KB 【E-1 28mm  F8.0 1/320秒 ISO200】

昨年のミス鎌倉

昨年のミス鎌倉

2004ミス鎌倉の披露

 午後1時過ぎから舞殿において本年度のミス鎌倉の披露があった。神奈川県では唯一のミスコンテストとして知られるミス鎌倉の本審査は、4月2日に鎌倉市小町の鎌倉生涯学習センターで開かれ、161名の中から4名が選ばれた。応募者の2/3は、市外に住む女性だったという。
 「鎌倉まつり」初日のこの日、鶴岡八幡宮舞殿で、鎌倉市観光協会会長による任命式が行われた。1名が辞退したため、2004年度は3名のミス鎌倉が古都鎌倉のPR役を務めることになった。 鎌倉市観光協会

2004ミス鎌倉に任命される永田磨梨奈さん(鎌倉市の大学生)

2004ミス鎌倉に任命される永田磨梨奈さん(鎌倉市の大学生)

拡大写真(1200x900)191KB 【E-1 204mm  F4.5 1/250秒 ISO200】

 舞殿の振袖姿春の色  北舟 

佐藤藍子さん(鎌倉市の会社員)

花原緑さん(藤沢市の大学生)

佐藤藍子さん(鎌倉市の会社員) 花原緑さん(藤沢市の大学生)

拡大写真(1024x768)138KB 【E-1 400mm  F4.5 1/320秒 ISO200】

拡大写真(1024x768)114KB 【E-1 400mm  F4.0 1/250秒 ISO200】

2004ミス鎌倉

2004ミス鎌倉

拡大写真(1200x900)278KB 【E-1 166mm  F4.0 1/400秒 ISO200】

 花どきのミス鎌倉の笑顔かな  北舟 
 古都鎌倉にふさわしい艶やかな振り袖姿のミス鎌倉は、終始にこやかな笑みを浮かべ、境内は春の訪れを思わせる華やいだ雰囲気に溢れた。舞殿は、彼女たちの檜舞台となった。

笑顔でポーズをとるミス鎌倉たち

笑顔でポーズをとるミス鎌倉たち

拡大写真(1600x1200)172KB 【E-1 158mm  F7.1 1/1250秒 ISO200】

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