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 旅紀行日本の祭り

2002年9月5日改訂
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2002年7月28日制作

祇園祭山鉾巡行(南観音山)

祇園祭山鉾巡行(南観音山)

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四条通の山鉾巡行

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祇園祭 祇園祭りは、八坂神社の例大祭で、昔は祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)と言われていた。貞観(じょうがん)11年(1869)京中や全国に疫病が流行り、清和(せいわ)天皇が神泉苑に長さ2丈(約6m)の矛(ほこ 鉾 諸刃(もろは)の剣に長い柄(つか)を取り付けた武器)66本(当時の国の数)を立て、祇園社の神輿を迎えて疫神の退散を祈ったことに始まる。
 天禄元年(970)に毎年の儀となって以来、千年余にわたって、各山鉾町の町衆によって受け継がれてきた。現在、各山鉾町に並べられる山鉾は全部で32基を数える。
 一般に、祇園祭と言うと宵山や山鉾巡行が有名だが、ほぼ1ヵ月にわたってさまざまな行事が行われる。神輿洗(7月10日、28日)、お迎提灯(7月10日)、神幸祭 (7月17日 鷺舞)、還幸祭(7月24日)など。

【鎮座地】 〒605-073 京都市東山区祇園町北側625番地
【連絡先】 075-561-6155    Fax 075-531-1126
【ホームページ】 
八坂神社

 都大路を次々と山鉾が繰り出してくる様は壮観だ。写真左は、21番・放下鉾を先頭に、岩戸山、船鉾、北観音山と続く。通りの右側(南)には観覧席が設けられている。
全山鉾の紹介:  祇園祭山鉾

 鶏 鉾

鶏鉾

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重要文化財のゴブラン織  綱方の朱塗りの陣笠が人目を引く13番・鶏鉾(にわとりほこ)。鶏の赤いとさかを表しているのだろうか。
 鶏鉾は、中国・尭(ぎょう 中国・古代伝説中の帝王)の時代に天下が良く治まり、諫鼓(かんこ)という訴訟用の太鼓も用がなくなり、鶏が巣を作ったという故事からとったもの。
 見送(みおくり 後幕)はトロイの王子と妻子の別れを描いた16世紀ベルギー製ゴブラン織タペストリー。
 (壁に飾る織物) 国の重要文化財に指定されている逸品を雨に濡らしてはいけないので、鶏鉾は特に厳重にビニールカバーを掛けていた。屋根上の網隠(あみかくし)や御幣(ごへい)にまでカバーが掛けられていた。 鶏鉾
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鈴鹿山の行列

鈴鹿山

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鈴鹿山

 26番・鈴鹿山は、伊勢国鈴鹿山で道ゆく人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現の話を趣向した山である。
 御神体は金の烏帽子をかぶり能面を付け、腰に錺太刀(かざりたち)、左手に長刀を立てて持ち、右手に中啓(ちゅうけい 扇の一種)を持っている。山には松の生木に鳥居・松・木立と宝珠を描いた絵馬がつけられていてる。
 今年、270年ぶりに胴掛を新調した。今春亡くなられた京都市出身の今井俊満画伯が思い描いた真っ赤な紅葉が金色の水辺に映えている。 
 紅葉図はつづれ織で縦1.7m横2.7m。2年前に完成したペアの桜図と共に画伯が手掛けた。新調費は1千万円。

紅葉の胴掛 

飛び入り客と記念撮影
 四条河原町の辻回しに時間がかかるので、行列は滞りがちで、前が空くのを待つ。感激した外国人のおばさんが立ち入り禁止の道路に侵入し、記念撮影を所望。鈴鹿山の旗手は気持ちよく応じていた。微笑ましい光景だ。
 警察官がガッチリと固めており、道路に入れる雰囲気ではないのだが、このおばさんは相当の心臓とみえる。

黒主山

 31番・黒主山(くろぬしやま 写真下)は六歌仙の一人大伴黒主が桜の花を仰ぎながら愛でている姿を表している。ご神体は寛政元年の作。前掛は中国の雲龍文綴錦(うんりゅうもんつづれにしき)。 飛龍
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 都大路を行く山鉾

都大路を行く山鉾

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黒主山

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 写真左は手前から北観音山、船鉾、岩戸山。北観音山は後祭(あとのまつり)の巡行列の先頭を務める。かっては先祭(さきのまつり)(7月17日)と後祭(24日)に分かれていた巡行は、昭和41年(1966)に17日に一本化された。

南観音山

 32番・南観音山がやってきた。(写真下) 素晴らしいことに、雨の中、ビニールシートは屋根上の網隠(あみかくし)以外はつけていない。運行者の粋な配慮が嬉しい。
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南観音山

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 お囃子にあわせて長く垂らした房紐がおどる。この紐は鉦方の鉦すり(撞木)を持つ方の手首に結ばれており、鉦の音にあわせて動きをつける役割を持つ。いつ誰の発案によるものなのか、躍動感溢れる演出で素晴らしい。

粋な音頭取

南観音山の音頭取

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 今日は前掛や胴掛がひときわ艶やかに見える。音頭取も格好よくきまっている。如何にも晴れ舞台という感じだ。
 巡行時は女人禁制という掟があるにもかかわらず、昨年、女性を乗せて話題になった。 京都新聞 なお、鉾と違って山には稚児は乗らない。
 南観音山は、下り観音山とも呼ばれ、後祭の殿(しんがり)を務める。御神体は北観音山と同じく楊柳(ようりゅう)観音座像と脇侍(きょうじ)の善財童子。
 華厳経の説話で文殊菩薩の教えを受け、南へ南へ53人の聖者を訪ねて菩薩道修業をした話は、東海道五十三次や指南の語源になっているという。
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四条河原町の辻回し

南観音山の辻回し

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最後を飾る南観音山

 真木(しんぎ 屋根から天に向かう柱)の代わりに立てた松の横枝には尾長鳥をとまらせている。諸病を防ぐといわれ、山鉾巡行には柳の大枝を差している。南観音山独自の行事として、宵山の深夜に楊柳観音像を台座に縛り付け担ぎまわる「あばれ観音」がある。
最後を飾る南観音山

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 南観音山は、四条河原町の辻回しをしっかりと決め、四条通の山鉾巡行は終わった。 南観音山

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