ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行日本の祭り

2005年9月10日改訂

今 日

昨 日

祭囃子メドレー

拡大写真(1600x900)433KB

2005年8月15日制作

宮前の神輿差し

深川祭(東京・富岡八幡宮)

わっしょい!深川祭

速報版

わっしょい!深川祭/速報版 わっしょい!深川祭/完成版 和田義男

富岡八幡宮例大祭

 
 2005年8月14日(日)、東京都江東区富岡に鎮座する富岡八幡宮の本祭りの連合渡御が行われた。古くからこの祭は深川祭と呼ばれ、江戸三大祭りの一つに数えられてきた。江戸時代から「神輿深川、山車神田、だだっぴろいは山王様」といわれているように、神輿祭りとして名を馳せてきた。

永代橋に入る駒番一の晴れ姿 / 駒番一:千石一

永代橋に入る駒番一の晴れ姿 / 駒番一:千石一

拡大写真(1300X940)294KB

隅田川に架かる永代橋の神輿差し / 駒番三:石島

隅田川に架かる永代橋の神輿差し / 駒番三:石島

拡大写真(1400X1050)395KB

   濡れ鼠永代橋の神輿舁き   北舟 

ぬれねずみ えいたいばしの みこしかき

   今年は三年に一度の本祭り。絶好の祭り日和に恵まれ、54基の町内神輿が力水に濡れ鼠になりながら、終日「わっしょい!わっしょい!」と威勢の良い掛け声と共に、歩行者天国の車道を練り回った。

力水の降り注ぐ中を行く神輿 / 駒番八:東陽二

力水の降り注ぐ中を行く神輿 / 駒番八:東陽二

拡大写真(1400X1050)418KB

   深川の水迸る夏祭   北舟 

ふかがわの みずほとばしる なつまつり

永代通りの神輿差し / 駒番九:東陽三

永代通りの神輿差し / 駒番九:東陽三

拡大写真(1200X900)309KB

 祭りの掛け声は「ワッショイ!」だと思っていたが、東京の祭りは「セイヤッ」に変質してしまっている。嬉しいことに、この深川祭だけは日本伝統の掛け声「ワッショイ!」を守っている。ただし、アクセントは、「ワッ」ではなく、「ショイ」の方にあるので、少し違和感を感じた。

深川八幡宮を目指す神輿 / 駒番八:東陽二

深川八幡宮を目指す神輿 / 駒番八:東陽二

拡大写真(1400X1050)410KB

永代通りを埋め尽くす観衆 / 駒番二十一:清澄三北

永代通りを埋め尽くす観衆 / 駒番二十一:清澄三北

拡大写真(1400X1050)417KB

成田山・深川不動前で水の集中攻撃 / 駒番七:東陽一

成田山・深川不動前で水の集中攻撃 / 駒番七:東陽一

拡大写真(1400X1050)413KB

赤褌の棒端 / 駒番十九:枝川

赤褌の棒端 / 駒番十九:枝川

拡大写真(1200X1215)375KB

  棒端の汗一升の法被かな   北舟 

ぼうばなの あせいっしょうの はっぴかな

 祭り衣装は、法被にハンダコ姿。殆どの町内が衣装統一をはかり、ふんどしを禁じているという。残念に思っていたが、堂々と尻からげして赤褌を見せている人がいた。深川にもまだ粋な江戸っ子が健在である。

神前で宙に舞う神輿 / 駒番十三:新川一南

神前で宙に舞う神輿 / 駒番十三:新川一南

拡大写真(1400X1050)408KB

宮前で躍動する神輿 / 駒番二十二:清澄三南

宮前で躍動する神輿

拡大写真(1400X1050)406KB

   宮前の波打つ神輿練り比べ   北舟 

みやまえの なみうつみこし ねりくらべ

富岡八幡宮前の神輿差し / 駒番二十四:三好二

富岡八幡宮前の神輿差し / 駒番二十四:三好二

拡大写真(1400X1050)402KB

和田義男

 
  撮影 2005年8月14日

 
《 OLYMPUS E-1 》

 
14-54mm 50-200mm EC-14

500万画素


 1,680枚  1,930MB
 

  深川祭は別名「水かけ祭り」といわれるだけあって、氏子たちは力水を頭から被ってビショビショになりながら神輿を担いでいた。水でも掛けてやらないと暑くてやってられないからだろう。私もペットボトルを二本空にしたが、暑くて倒れそうだった。(^^;
 日中、4時間にわたり、暑い夏の祭典を激写し、大量の画像を切り取ってきた。本日、とりあえず速報版を作成した。後日、正規の作品が完成するまで、江戸下町の威勢の良い夏祭りの雰囲気を味わって頂きたい。 2005.8.15 0100 〈 完 〉

2005年8月15日(月)晴   村野公一   様より  墨江町囃子連

Re: わっしょい!深川祭(速報版) 
和田さま こんばんは、村野です。今日(14日)は予定通り、深川祭りに行かれたのですね。さぞ、暑かったことでしょう(^_^;)。お疲れ様です。こちらも予定通り、川越まで行って、静御前の人形と仲町囃子連の実演をみてきました。(中略)

さて、お祭り帰りの即日に「速報版」のアップとは、和田さんの相変わらずのバイタリティに脱帽です。特に、 “神輿深川、山車神田、だだっぴろいは山王様” あるいは、“祭りの掛け声は「ワッショイ!」だと思っていたが、東京の祭りは「セイヤッ」に変質してしまっている。嬉しいことに、この深川祭だけは日本伝統の掛け声「ワッショイ!」を守っている” といったコメントが実に当を得ています。全く、東京の祭りときたら、山車をなくしてしまったばかりでなく、どうして「わっしょい」のかけ声までやめてしまったのでしょうね。

江戸三大祭りの一つといわれた富岡八幡宮の祭り、昔いうところの富ヶ岡八幡様の祭礼は、なんといっても、「紀文」こと紀伊国屋文左衛門が奉納したといわれる豪華な宮神輿が有名だったとか。しかし、明治の頃までは、その神輿とともに、台数こそ少ないものの、神田や山王に引けをとらない立派な山車も曳き出されていました(特に、大きな茶筅を仕立てた山車は有名でした)。

村野の仮説では(前にもお話ししたかも知れませんが)、鳶と辰巳芸者との関係などを考えると、芸者衆が男装するという手古舞の装束は、富ヶ岡八幡様の祭礼こそが嚆矢で、まずは深川で生まれ、育まれたスタイルが、そのあとになって、天下祭りなどに採り入れられたのではないかと思っています。また、いわゆる江戸の祭り囃子についても同様に、立地的な条件などからして、天下祭りの山車上において脚光を浴びる以前から、深川の祭りには、お目見えしていたのではないかと思っています。

そうしたところは、いずれそのうち、あちこち取材などしてから、活字にしてみたいところではありますが、とりあえずは、和田さんの写真を見ながら、江戸の祭り気分に浸らせていただくことにいたします。(^_^) 取材、お疲れ様でした&速報版のご連絡、ありがとうございました。

村野 様 おはようございます。早々に深川祭の速報版をご覧いただき、また、貴重なコメントをお寄せ頂き、有り難うございました。完成版を作成の折は、ご紹介頂いた話題にも言及させて頂きたいと思います。

祭りは「わっしょい」だと強く主張されたのは、今年の5月97歳で帰幽された鐵砲洲稲荷神社の中川正光名誉宮司でした。同社のホームページに 「和し背負へ(ワッショイ)」 という見出しで紹介されています。

ところが残念なことに、歌舞伎座前の神輿練りで知られる鐵砲洲稲荷神社の例大祭では、氏子の皆さんは「セイヤッ」という掛け声で、「ワッショイ」は聞かれませんでした。本当に残念に思っていましたので、深川祭で隅田川に架かる永代橋の上で「ワッショイ」の声が鳴り響いたのには感激しました!
 
こんばんは、村野です。メールのお返事、ありがとうございます。もう少し、オマケ情報を…。(^^ゞ

明治六年生まれの新聞記者で、作家の山本笑月氏は、明治の世相に関するショートエッセイを書き連ねたその著書「明治世相百話」の中で、次のような文章を書き残しています。

------------------------------

大江戸豪華の名残 鍾馗の山車が現した奇異

 大江戸の豪華を誇った祭礼の山車も、明治の中期を最後として全くみられなくなった。麹町山王、深川八幡、神田明神、いわゆる江戸の三祭りにはことに名代の鉾山車もそろって、景気のいいことお
びただしい。山車に囃子の音、花笠の警固や芸者の手古舞、何十本もそろって練り込む有様は全く壮観。−中略−
 八月の深川祭りは山車も一番少なかったが、霊岸島の茶筅の山車がふるっていた。茶柄杓のぶっ違いの中央に、一丈ばかりの銀色の大茶筅、紅白の吹き流しで風流なところが妙。−以下略−

------------------------------

斎藤月岑の「東都歳時記」によれば、江戸期にはざっと、12〜13台の山車や練り物が曳き出されていたようです。また、大正生まれの新聞記者・作家の槌田満文氏の編纂による「明治東京歳時記」には、次のように記されています。

深川八幡宮祭礼

 八月十四日から十六日にかけて各所の八幡神社の大祭。もっとも盛なのは深川富岡八幡で、次いで市ヶ谷亀岡八幡、牛込高田穴八幡、若宮町若宮八幡、芝西大久保八幡、浅草今戸八幡などが賑やかだった。
 深川公園にある深川富岡八幡の祭礼は八月十五日。昔から幟祭りといわれ、氏子の町々は幟を立て、軒燈を掲げた。深川一円、京橋の霊岸島付近、日本橋の北新堀、箱崎町などが氏子で、前日から神輿、山車が町内をめぐった。
 氏子中の意気込みが盛んで山王祭、神田祭を凌駕するほど。三木露風は「白き手の猟人」(大正二年)に納められた詩「祭」に「八月十四、十五両日は深川大祭なり。八十あまりの神輿と数台の山車出づ。担う者一万余人、牡牛数匹、手古舞などを持って数ふ。今年大正二年の祭りは就中(なかんづく)豪華を極めたりき」という註を付けている。

 「山車にきらめく花たばは、
  聖きおごりの供物なり。
  僕(しもべ)となれど、身も足らはず
  牛は、おづおづ曳きめぐる。……」

------------------------------

山車と神輿の両方が繰りだし、豪勢を誇った富賀岡八幡様のお祭りも、このあたりが一つのピークだったようで、「紀文」こと、紀伊国屋文左衛門(何代目かはわかりません)が奉納した総金張りの三
基の神輿も、関東大震災で消失してしまったそうです。

ちなみに、現在の宮神輿は一ノ宮と二ノ宮の二基あって、いずれも、おそらくは日本一の豪華さです。共に鳳凰の目にはダイヤ(それぞれ4カラットと2.5カラット)が埋め込まれ、一の宮神輿についてはさらに、狛犬、隅木、小鳥の目もダイヤになっている上に、鳳凰の鶏冠にはルビーが2010個使用されているとのこと。また、その重さは4.5トンで、屋根は純金を24kgも使用しているといいいますから、大変なものですね。
 

富岡八幡宮祭禮(東都歳時記)

富岡八幡宮例祭(東都歳時記)

拡大写真(1064X779)349KB

なお、添付の画像は、斎藤月岑著/長谷川雪旦画による「東都歳時記」に掲載されているものです。この絵に描かれている三基の神輿が、紀文が奉納した黄金の神輿なのでしょうね。

------------------------------

東京の神輿祭りを古くからみている人たちの中には、「わっしょい」でやって欲しいという人が少なくありませんね。時代の流れの中、なにかしらの理由やきっかけがあって、「そいや・せいや」に変わってきたのでしょうけど、でも、故中川正光名誉宮司のおっしゃる言葉は、祭りをする者にとっては、とても深く響くものがあるのではないかと思います。

ところで、手古舞の装束についてですが、僕は、深川の辰巳芸者の風俗は当時、江戸の中にあって、ファッションリーダー的な位置にあったこと、また、火消し職へと変貌を遂げていった鳶の者たちは、向こう見ずではありながらも、その義侠ぶりから、町の中で男からは信頼され、女からはあこがれられる存在であり、かつ、祭りの采配に大きく関わっていたこと、さらには、歌舞伎の演目などにみられるように、吉原とは違って庶民色があふれていた深川の地における芸者と鳶とのつながり…、といったことを考えると、どうしても、あの粋な装束を着こなす手古舞の姿は、深川の祭りが発信源であったのではないかと考えてしまうところです。

おはようございます。貴重な画像と情報、有り難うございました。江戸時代の深川八幡の祭礼は本当に豪華ですね。当時の8月15日は旧暦ですので、新暦では9月中旬になります。だから衣装も涼しげなんですね。現在は正月が旧正月ではないために、祭りも8月14日という暑い最中にやるようになったんでしょうね。有り難うございました。
 

2005年8月15日(月)雨   志村清貴   様より

Re: わっしょい!深川祭(速報版) 
和田さん こんにちは わっしょい!深川祭(速報版)をご案内いただきありがとうございました。私は、昨日は牡丹二三で、朝早くからの連合渡御、引き続いて町内渡御、夜7時過ぎまで水かけ祭りに酔いしれていました。まだまだ昨日の余韻と興奮、そして疲れが残る中で、速報版の迫力ある画像にあらためて祭り時がよみがえります。三年後が待ち遠しくなります。

私たちも自然と掛け声は「わっしょい・わっしょい」となります。この掛け声と気合がなければ、連合の距離を乗り切れないのだと思います。掛け声の諸説教えていただき、とても興味深いものがあります。それにしても暑さ中の神輿渡御で水を浴びるとすごく気持ちいいものです。快感です。完成版を楽しみにしております。

お便り有り難うございました。昨日は一日中、真っ黒になって深川祭に参加されておられたんですね。牡丹二三ですか。駒番五十一ですね。私は、八幡前で撮影していたのですが、2ギガのCFで1600枚を写し切ってしまい、40番ほどのところで帰ってしまいました。皆さん、濡れ鼠状態で神輿を担いでいましたが、見ている方が暑くて、カメラがなければ、放水の中に突入したことでしょうね。(^^; 見ていると、担ぎ手たちも掛けてくれと催促していましたから・・・。完成版は当分先ですが、そのときはまたご案内させていただきます。有り難うございました。
 
和田様 返信ありがとうございました。私たちは水をかけられる度に気合が入りますが、写真を撮られている方たちは、炎天下で、しかも、水濡れとの攻防で大変だったのでしょうね。いつもは、神輿に入ったり出たりしてのデジカメ撮影ですが、富岡は全身ずぶ濡れなのでそうはいきません。知り合いにデジカメを任せましたが、永代橋で大トリの「深濱」駒番56番は自分で撮りました。牡丹二三は51番なので、永代橋で神輿から抜け出して、待ち構えました。
 

永代橋を渡る大トリ神輿 駒番五十六:深濱

永代橋を渡る大トリ神輿 駒番五十六:深濱

拡大写真(1400X1000)328KB    撮影:志村清貴さん

和田さんは、40番の佐賀までは、激写されていたのですね。残念です。「牡丹二三」の神輿は、神社型の神輿で2尺8寸、大正15年行徳・後藤作だそうです。とても風格があります。永代橋での牡丹二三と深濱の神輿画像を添付します。ご笑納ください。完成版を心待ちにしています。失礼します。

志村 様 おはようございます。追加のお便り、有り難うございました。また、私が撮れなかった写真をお送り頂き、光栄です。志村さんがお撮りになった大漁旗をなびかせた大トリの深濱の写真、「撮影:西浅草 志村 さん」とキャプション入りで使わせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。有り難うございました。
 

2005年8月20日(土)晴  三田明夫   様より

ホームページみました 
和田様 はじめまして!! 私、川崎に住む三田と申します。8月14日は。46番福住のみこしを担いでいました。前回と違い好天に恵まれ、又、水もかぶらずさぞ大変だったと思います。私は、深川焼けと言うのでしょうか、胸のあたりからVの字型に、足ははんだこ下から足袋まで綺麗に焼けました。私も、稚拙な写真ですが、撮影してみましたのでお送りさせていただきます。ちょうど、箱崎のあたりで撮ったものですが・・・ 

駒番四十六:福住の神輿差し/深川祭

駒番四十六:福住の神輿差し/深川祭

撮影:三田明夫さん

こんにちは。お便り有り難うございました。真夏の太陽の下で一日中町内を練り歩くのは、水を被ったとしても本当に大変だったでしょうね。ご苦労様でした。深川焼けですか・・・ まさしく日焼けはその勲章といったところでしょう。貴重な写真をお送り頂き、有り難うございました。早速紹介させていただきます。
わっしょい!深川祭/速報版 わっしょい!深川祭/完成版 和田義男
  フォトギャラリーへ 特集!旅紀行目次へ 世界の名城 感動写真集目次へ  
旅紀行ジャパン目次へ   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花目次へ
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2006 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク