ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2010年1月30日改訂

今 日

昨 日

♪山伏/邦楽囃子

元旦や褌外して垢離を取る   北舟

 

New Year's Day, performing water ablutions taking off loincloths.

2010年1月24日制作

褌を外して初禊 01:07

拡大写真(2000X1500)274KB

褌を外して初禊 01:07/小松神社(大分県国東市)

豊後正月裸祭

小松神社裸参り

撮影原作・清原浩

▼ 平成22年(2010)の元旦早朝、大分県国東市国東町見地(おおいたけん・くにさきし・くにさきまち・けんじ)に鎮座する小松神社(こまつ・じんじゃ)年迎え行事として800年の昔から続く裸参りが行われたので、昨年に続き取材した。

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

国旗と門松が飾られた小松神社(大分県国東市) 2009.12.31 23:59

国旗と門松が飾られた小松神社(大分県国東市) 2009.12.31 23:59

拡大写真(1600X1200)394KB
  御神火の火の粉の爆ぜて年迎ふ  北舟 

ごしんびの ひのこのはぜて としむかう 

New Year has come, while sparks of divine fire sparking.

火の粉の爆ぜる御神火

火の粉の爆ぜる御神火

拡大写真(1600X1050)339KB
 小松神社や裸参りの解説は 小松神社裸参り'09 に詳しいので、そちらを先にご覧いただきたい。この神事は、元旦早々の深夜、氏子たちが田深川(たぶかがわ)の垢離取場(こりとりば)に行き、全裸で寒禊(かんみそぎ)をするところに特徴があり、昨年は寒禊のシーンを撮影できなかったので、今年は、氏子たちに同行して密着取材した。

拝殿でお神楽奉納 2010.1.1 00:01

拝殿でお神楽奉納 2010.1.1 00:01

拡大写真(1800X1150)400KB
  あら玉の恵比寿大黒福の舞  北舟 

あらたまの えびすだいこく ふくのまい

A Happy New Year, good luck dancing by Ebisu Daikoku. 

めでたやな恵比寿大黒福の舞

めでたやな恵比寿大黒福の舞

拡大写真(1600X1200)400KB
元旦早々の初詣 00:17

元旦早々の初詣 00:17

社務所に入る氏子たち 00:51

社務所に入る氏子たち 00:51

全員越中褌一丁になり記帳 00:54

全員越中褌一丁になり記帳 00:54

拡大写真(1400X1200)214KB
▲▼ 裸参りの参加者は14人。一人の長老がリーダーとなり、率先垂範して若者13人を指導していた。氏子たちは社務所で越中褌一丁の裸形になったあと、白装束の宮司に導かれて、凍てつく参道や農道を歩き、田深川の垢離取場に向かった。
宮司と長老を先頭に垢離取場に向かう 01:02

宮司と長老を先頭に垢離取場に向かう 01:02

拡大写真(2000X1140)319KB
雪景色の凍てついた農道を行く 01:04

雪景色の凍てついた農道を行く 01:04

拡大写真(2000X1500)370KB
  ▼▲ 垢離取場は、田圃(たんぼ)や畑の中にあるため、深夜、暗闇の中で、懐中電灯だけが頼りの行進だった。  

懐中電灯を頼りに田深川に向かう氏子たち

懐中電灯を頼りに田深川に向かう氏子たち

拡大写真(1600X1200)247KB

田深川の垢離取場に到着

田深川の垢離取場に到着

拡大写真(1600X1200)114KB
  元旦や褌外して垢離を取る  北舟 

がんたんや ふどしはずして こりをとる

New Year's Day, performing water ablutions taking off loincloths.

褌を外して初禊 01:07

褌を外して初禊 01:07

拡大写真(2000X1500)274KB
▲▼ 田深川の垢離取場に着くと、先頭の長老が褌を解き、全裸となって冷水に入り、そのあとに若者たちが続いた。本来は全裸で垢離を取るの習わしだが、恥ずかしいのか、3人の若者が褌を外さずに水に入った。
厳しい寒中禊

厳しい寒中禊

  ▼▲ 垢離取場は、焚き火もなく、寒々としており、見ているだけでも寒気がする厳しい寒行だった。氏子たちは早々に水行を終えると、持参したバスタオルで身体を拭い、褌を締めた。褌をしたままで禊をした人は、濡れた褌を外し、腰にバスタオルを巻いた。  

外していた褌を締める

外していた褌を締める

拡大写真(1600X1600)246KB

宮司の先導で神社に引き返す 01:10

宮司の先導で神社に引き返す 01:10

拡大写真(1600X1650)267KB

拝殿に上がる 01:18

拝殿に上がる 01:18

拡大写真(1600X1165)274KB

升で御神酒の乾杯 01:21

升で御神酒の乾杯 01:21

拡大写真(1800X1230)291KB
  ▲▼ 小松神社の拝殿に上がった氏子たちは、裸のまま正座し、宮司から御神酒をなみなみと注いで貰い、升酒を一気に飲み干して、体内から身体を温めていた。  
升酒を一気に飲み干す若者

升酒を一気に飲み干す若者

   御神酒を五臓六腑に染みわたらせたあと、行者たちは頭(こうべ)を垂れて参拝した。約30分の厳しい裸参りだったが、終わったあとは、全員爽やかな顔をしており、達成感があるのか、笑みがこぼれていた。今年は、長老に続く若者が13人もおり、800年の伝統が現在も堪えることなく続いていることに感動した。  
祭神に向かって裸の拝礼 10:22

祭神に向かって裸の拝礼 10:22

 
全裸禊
 
 全裸による禊は、珍しいものではなく、現代でも銭湯ではみんな全裸になって入浴する裸文化が定着しているため、違和感はなく、公序良俗に反しない撮影なら一向に差し支えない。鐵砲洲寒中水浴大会の作品では、度々銭湯で暖をとるシーンが登場する。
 私が高校生まで過ごした高知県須崎市には新庄川が流れており、夏場には男のお遍路さんが川に入って水浴している光景をよく目にしたが、みんな全裸だった。理由は褌だと濡れてしまって後で乾かさなければならないからである。小松神社の垢離取も褌が濡れないように全裸になっているのだという。
 中に全裸を嫌って褌のままで禊をした人がいたが、彼らは濡れた褌を手にバスタオルで腰を包んで拝殿に上っていた。この光景は見苦しいので、褌のままで禊をしたい人は、もう一本褌を持参し、初詣は全員揃って新しい褌を締めて行う方が神様も喜ばれることだろう。
元気な裸衆14人の記念撮影 01:22

元気な裸衆14人の記念撮影 01:22

拡大写真(1800X1300)297KB
 
虎の門外あふひ坂/名所江戸百景(歌川広重)

虎の門外あふひ坂/名所江戸百景(歌川広重)

拡大写真(600X900)138KB
 

裸参りはだかまいり

 左の浮世絵「虎の門外あふひ坂」は、安政4年(1857)歌川広重晩年の大作「名所江戸百景」119枚揃の1枚。「あふひ坂(あおいざか)」は葵坂で、坂を上りきったあたりに葵の植わった地があったことから命名されたらしい。江戸築城の際に作られた溜池からは、冷たい水が葵坂に沿うように流れ落ちている。

 最も手前には長提灯を掲げて褌一丁で走る職人の二人の弟子が描かれている。

  和田義男
 子供の方の提灯に書かれた「金比羅大権現」の文字から、右奥に位置する金比羅宮へ寒参りに出向いた帰りであることが分かる。
 この絵は、寒中の夜30日間、1日も欠かさずに金比羅宮に参拝し、年季奉公中に技量があがるように祈願する願懸けの寒行をおこなっているところを描いたものであるという。
 寒いときに裸で神社仏閣に参拝する風習を裸参り(裸詣り)と呼ぶが、江戸時代から盛んに行われるようになったらしい。寒行(かんぎょう)の一種で、それを行っている人を行者(ぎょうじゃ)と呼んだ。
 神仏に現世利益(げんせりやく)を祈願するのに、苦行をもってその代償としたもので、百回参拝を繰り返すことで神仏に祈願するお百度参りもこれと同じ趣旨である。
 
   寒いときに褌一丁の裸形になって、水を浴びたり、お参りしたりする風習は日本独自の裸文化である。戦前までは、軍人や官僚たちは、正月に近くの神社で斎戒沐浴して、新しい年に臨んだという。時代の変遷と共にこのような風習が廃れていったが、そのお陰で、夏の行水や風呂に入る習慣が培われ、世界一身綺麗で清潔好きな国民になったのかも知れない。平成22年(2010)1月24日 監修 和田義男  
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2010 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク