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 感動写真集

2011年6月11日改訂

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♪チャイコフスキー「白鳥の湖」 情景-四羽の白鳥たちの踊り-終曲・情景

 

クーポルを映す湖夏木陰   北舟

 

 

Tree shades of summer, the lake reflecting the cupolas.

2011年6月10日制作

ノヴォデヴィチ修道院(世界文化遺産)と白鳥の湖

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ノヴォデヴィチ修道院(世界文化遺産)と白鳥の湖/モスクワ( ロシア)

世界文化遺産

ロシア国旗

ロシア初夏の旅

モスクワ

松井公代

  はじめに

 平成18年(2006)6月23日(金)から7月2日(日)までの10日間、ルックJTB心ゆく旅「黄金の環・ロシア世界遺産の古都とモスクワ・サンクトペテルブルク10日間」の旅(参加者6名)に出掛けた。以下、この旅のハイライトを紹介したい。

★☆★彡

                    ■ 旅の概要 ■
 
1日目 2006年06月23日(金) 成田国際空港 12:35〜SU576便(9h40m)〜17:13 モスクワ空港(泊)
2日目 2006年06月24日(土) モスクワ 観光(泊)
3日目 2006年06月25日(日) モスクワ 観光(泊)
4日目 2006年06月26日(月) モスクワ〜 セルギエフ・ポサード〜スーズダリ(泊)
5日目 2006年06月27日(火) スーズダリ〜ウラジミール〜モスクワ(泊)
6日目 2006年06月28日(水) モスクワ〜SU841便(1h10m)〜 サンクトペテルブルク空港(泊)
7日目 2006年06月29日(木) サンクトペテルブルク 観光(泊)
8日目 2006年06月30日(金) サンクトペテルブルク 観光(泊)
9日目 2006年07月01日(土) サンクトペテルブルク空港 13:45 〜SU842便 〜モスクワ SU575便 〜
10日目 2006年07月02日(日) 〜10:00 成田国際空港(解散)

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 

ロシアの位置

ロシアの位置

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ロシア連邦 Российская Федерация

 
▲ 17,075,200km2 という世界最大の国土に1億4千万人を擁するロシアРосси́я )は、モスクワを首都とし、ロシア人が国民の多数を占める大統領制の共和制国家である。国土は、ヨーロッパとアジアにまたがり、北西から順にグリーンランド(デンマーク自治領)、ノルウェー、フィンランド、エストニア、ラトビア、ベラルーシ、リトアニア、ポーランド、ウクライナ、グルジア、アゼルバイジャン、カザフスタン、中国、モンゴル、北朝鮮、日本、アメリカ、カナダの18ヵ国と国境を接し、北は北極海、東は太平洋に囲まれている。

ロシア10日間の歴訪地

ロシア10日間の歴訪地

Google Earth

■  一日目/6月23日(金):成田国際空港 12:35〜SU576便(フライト時間:9h40m)〜17:13 モスクワ空港(泊) 

 

★☆★彡

 
 ツアー初日は、成田国際空港から午後零時35分発アエロフロート・ロシア航空SU576便にて出国し、9時間40分のフライトの後、モスクワ空港に午後5時13分に到着(時差-5時間)。入国・通関後現地ガイドの出迎えを受け、ツアーバスに乗り、午後7時頃ホテルに到着し、3連泊した。

ツアーのルートマップ

ツアーのルートマップ

JTB資料

モスクワ Москва

 
▲ 1,081km2の市域に1千万人が暮らすモスクワ( ロシア語:マスクヴァー。以下同じ。)は、ロシア連邦の首都で、北緯55度45分東経37度37分標高156mに位置し、市の中心をモスクワ川が流れる。近郊を含む首都圏の人口は1,367万人で欧州第1位、世界第17位のメガシティである。

モスクワ空港 2006.6.23

モスクワ空港 2006.6.23

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 ■ 二日目/6月24日(土):モスクワ観光(泊) 

 

★☆★彡

 

ツアー 二日目は、朝9時過ぎに専用のツアーバスにてホテルを出発し、終日、モスクワ市内の観光を楽しんだ。


 

モスクワ大学 МГУ / MGU

 
▼ モスクワ大学は、モスクワにあるロシアの国立大学で、日本の東京大学に相当するロシア最難関の最高学府である。正式名称はM・V・ロモノーソフ記念モスクワ国立総合大学でロシアでは通常МГУ(エム・ゲー・ウー)と呼ばれる。創設者ミハイル・ロモノーソフの名前が冠されており、ロシアの大学としては最大規模である。  

巨大なモスクワ大学

巨大なモスクワ大学

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ノヴォデヴィチ修道院 Новоде́вичий монасты́рь

  ▼ ノヴォデヴィチ修道院(ナヴァヂェーヴィチー・マナストゥイーリ)は、モスクワにある正教会の修道院の中でも有名な女子修道院の1つでスモレンスクがモスクワ大公国に併合されたのを記念してヴァシーリーIII世(在位1505
-1533)の命によって1524年に建てられた女子修道院である。2004年にUNESCOの世界遺産に登録された。
   クーポルを映す湖夏木陰   北舟 

くーぽるを うつすみずうみ なつこかげ

Tree shades of summer, the lake reflecting the cupolas.

ノヴォデヴィチ修道院(世界文化遺産)と白鳥の湖

ノヴォデヴィチ修道院(世界文化遺産)と白鳥の湖

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  ▲▼ クレムリンの出城としての役割もあって城壁に囲まれており白壁と赤煉瓦の鐘楼が美しい。かつてこの近くにチャイコフスキーが住んでおりこの城を湖面に映す湖の畔を散策しながらバレエ曲「白鳥の湖」の構想を練ったという逸話が残されており、この湖は「白鳥の湖」と呼ばれている。  

チャイコフィスキーが作曲した「白鳥の湖」の題材になった湖

チャイコフィスキーが作曲した「白鳥の湖」の題材になった湖

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赤の広場 Красная площадь

赤の広場(クラースナヤ・プローシシャチ)はモスクワの都心にある広場である。「赤」はソビエト連邦の社会主義に起因するものではなく、元々ロシア語では「美しい」という意味もあり広場の名前は本来「美しい広場」というものであった。ソ連末期の1990年にクレムリンと共にユネスコの世界文化遺産に登録された。

クレムリンと赤の広場 (航空写真)

カーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

クレムリンと赤の広場(航空写真)

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  ▲▼ 広場は北西から南東に長く、南西側にはスターリンや片山潜などが眠るクレムリンの城壁とその中の大統領官邸、レーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟、北東側にはグム百貨店、北西端には国立歴史博物館とヴァスクレセンスキー門、南東端には葱坊主の屋根の聖ワシリー大聖堂と処刑場・布告台だったロブノエ・メストがある。  

赤の広場(世界文化遺産)

 

兵器庫

ニコリスカヤ

国立歴史博物館

ヴァスクレセンスキー門

グム百貨店

赤の広場(世界文化遺産)

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聖ワシリー大聖堂
Собор Василия Блаженного

聖ワシリー大聖堂(サボール・ヴァスィーリャ・ブラジェーンナヴァ)はモスクワの赤の広場に立つロシア正教会の大聖堂でポクロフスキー聖堂とも呼ばれる。イヴァンIV世(雷帝)がカザンハーンを捕虜にしてモンゴルに勝利したことを記念して1551年から1560年にかけて建立された。ロシアの聖堂で最も美しい建物のひとつといわれる。
1990年にユネスコの世界文化遺産に登録された。

カラフルな聖ワシリー大聖堂(世界文化遺産)

カラフルな聖ワシリー大聖堂(世界文化遺産)

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▲▼ 聖ワシリー大聖堂は、八つの小聖堂が中央の高さ46mの主聖堂を取り囲んでいる。主聖堂、八つの小聖堂のそれぞれに至聖所*(しせいじょ)があり、合計九つの聖堂が集まって一つの大聖堂を形成している。
 完成時点では地味な姿で、丸屋根も玉葱(たまねぎ)型ではなく、こんにち見る聖堂の葱坊主(ねぎぼうず)のようなクーポル( купол キューポラ/丸屋根)と派手な彩色は、17世紀から19世紀にかけて施されたものであるという。
 設計したのはポストニクとバルマのふたり。イワン雷帝がその余りの美しさに驚き二度とこのような美しい建物ができないようふたりの目をくり抜いてしまったという残酷な逸話が残っている。
*至聖所:宗教的建築物の最も神聖な場所。

聖ワシリー大聖堂の夜景 (赤の広場側)

聖ワシリー大聖堂の夜景(赤の広場側)

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ミーニンとポジャルスキーの像
Памятник Минину и Пожарскому
  ▼ 17世紀のはじめ、モスクワはポーランド軍によって占領されていた。ミーニンはニジニ・ノヴゴロドの市民で、多額の軍資金を集めて軍隊を組織し、1612年12月、ポジャルスキーがその軍隊を指揮してクレムリンを攻撃し、モスクワをポーランドから解放した。
 この像は、ロシアの国民的英雄となった二人を顕彰するために、1818年に建てられた。現在の場所に移されたのはスターリン時代の1930年で、聖ワシリー大聖堂の赤の広場側に、聖堂と寄り添うように立っている。
ミーニンとポジャルスキーの像

ミーニンとポジャルスキーの像

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レーニン びょう   Мовзолей Ленина
  レーニン廟(マヴザリェーイ・リェーニナ)は、赤の広場とクレムリンの間にあり、廟内には、ウラジミール・レーニンの防腐処理された死体が安置されている。市民は廟の中に入ってレーニンの姿を見ることができ、中の薄暗い小部屋の中央には、オレンジ色のライトに照らされたレーニンの遺体が横たわっているという。
 ソビエト連邦解体後、何度も廟の撤去案が持ち上がっているが、その都度反対も多く、現在に至っている。

レーニン廟

レーニン廟

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国立歴史博物館
Государственный исторический музей
  ▼ 国立歴史博物館は、赤の広場に面して建つロシア屈指の大博物館。1872年にアレクサンドル II 世の命によって建設が始まり、1883年にアレクサンドルIII世の戴冠式に合わせて開館した。収蔵品は450万点にも及びその規模は、クレムリンの武器庫をも凌ぐという。
国立歴史博物館

国立歴史博物館

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ロブノエ・メスト Лoбнoe Мecto
  ▼ ロブノエ・メスト(ローブノエ・ミェースタ)は、石柵で囲った円形の石台で、聖ワシリー大聖堂の前、イリイーンカ通りが赤の広場に突きあたる場所にある。かつて、ここで皇帝が全国に布令を読み上げ、また、重罪人に判決を言い渡して処刑した場所であった。農民反乱の首謀者ステバン・ラージン*もここで処刑されたという。
  *ステパン・ラージン:ドン川流域に勢力をはるコサック「ドン・コサック」の頭領ステパン・ラージンは旧ロシア皇帝の圧制に耐えかね、1666年農民一揆を指導し、奴隷を解放し、戦利品を分け与えて救世主と慕われたが、1671年に捕らえられ、モスクワに於いて処刑された。ロシア民謡のステンカ・ラージンは彼を讃えた歌である。  
かつて演説や処刑がおこなわれたロブノエ・メスト

かつて演説や処刑がおこなわれたロブノエ・メスト

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グム百貨店
Главный Универсальный Магазин
  ▼ グム百貨店は、赤の広場に面した百貨店でクレムリンの反対側にある。ロシア語では、頭文字を取った略称ГУМ(グーム GUM )と呼ばれている。1893年に完成したモスクワ最大の百貨店というだけでなく、ロシアを代表する建築物である。1917年に発生したロシア革命までは 店舗数が 1200 あったが1928年に国営百貨店になり1953年に大改装されて、現在、200店舗が営業している。
赤の広場に面するグム百貨店

百赤の広場に面するグム百貨店

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  ▲▼ 内部は吹き抜けになった3階建てて、3つのアーケードが並んでいる。かつては、食料品や衣類などの日用品が売られていたが現在はソ連時代の面影はまったく残されていない。多くの有名外資系ブランド店や土産物屋が並び、常時、観光客で賑わっている。

巨大なグム百貨店の内部

巨大なグム百貨店の内部

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ピョートル・チャイコフスキー  Пётр Ильич Чайковский
 
ピョートル・チャイコフスキー
 
 BGMに流れるバレー曲「白鳥の湖」などの作曲で知られるピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)はロシアの作曲家である。「チャイコフスキー」は、祖父ピョートル・フョードロヴィチの代に伝統的なウクライナの苗字でカモメを意味する「チャイカ Чайка 」から改めた姓であり、家系は現在のポルタヴァ州に領地を持っていたウクライナ・コサックのチャイカ家に出自を持つ。
 チャイコフスキーはその親しみやすい作風から、クラシック入門の企画などで採り上げられることが多い作曲家である。叙情的で流麗・メランコリックな旋律や、絢爛豪華なオーケストレーションが人気の要因となっている。
 また、リズムの天才といわれ、一つのフレーズを発展の連結にしたり、半音階上昇させたり、または下降させたりと、他の作曲家には見られないものがある。曲想はメルヘンチックであり、ロマン濃厚といわれる表情が見えたりする。作品は多岐にわたるが、とりわけ後期の交響曲・バレエ音楽・協奏曲などが愛好されている。
   中でも特に有名なのはバレエ音楽で、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」の3曲はチャイコフスキーの三大バレエのみならず、世界の三大バレエとして、世界中に知られている。

『白鳥の湖』の一場面 / 中央はニーナ・アナニアシヴィリ(ボリショイ劇場)

『白鳥の湖』の一場面 / 中央はニーナ・アナニアシヴィリ(ボリショイ劇場)

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白鳥の湖  Лебединое озеро
  ▲▼ 白鳥の湖(レベヂーナィェ・オーゼラ)はピョートル・チャイコフスキーによって作曲されたバレエ組曲(作品番号20)であり、それを用いた 4幕のバレエ作品である。
   ドイツの作家ムゼウスによる童話「奪われたベール」を元に構想が練られ、1875年、ボリショイ劇場の依頼により作曲。1876年に完成した。バレエが作られたのはロシアのモスクワだったが、物語の舞台はドイツである。  
   チャイコフスキーにとって初めてのバレエ音楽であったが初演当時は踊り手、振付師、指揮者に恵まれず、評価を得られなかった。それでもしばらくは再演されていたが、衣装・舞台装置の破損などからいつしかお蔵入りとなり、その後作曲者の書斎に埋もれていた。しかし、プティパとその弟子イワノフによって改造がなされ、チャイコフスキーが亡くなった2年目の1895年に蘇演(そえん)され、好評を博して以来、名が知られるようになった。  

ゼナイダ・ヤノウスキー扮するオデット

ゼナイダ・ヤノウスキー扮するオデット

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バレエ「白鳥の湖」のあらすじ
  ▲ 【序奏】 少女オデット姫は、悪魔ロッドバルトによる魔法で白鳥に姿を変えられてしまう。
  【第1幕】 お城にて、ジークフリート王子21歳の誕生日。王子の友人による祝福の踊り。王子の母親から、望まぬ結婚の話を聞かされたジークフリートは、白鳥の住む湖へ、思い悩みながら出かける。  
  【第2幕】 白鳥の湖にて、ジークフリート王子は、月の光の下に人間に姿を戻す白鳥たちの秘密を知り、美しい白鳥の踊りに目を奪われる。中でも一際美しかったオデット姫と恋に落ちる。白鳥の呪いを知った王子は、翌日のお城の舞踏会へオデットを招待し、舞踏会でオデットに愛を誓うと、約束を交わす。  
  【第3幕】 お城の舞踏会にて、悪魔ロッドバルトの娘オディール(黒鳥、オデットとの1人2役)の登場。オデットとオディールを見間違えた王子は、オディールと愛を誓ってしまう。そこへ悪魔ロッドバルトが登場し、騙されたことに気づいた王子は失意の下、白鳥の湖へ向かう。  
  【第4幕】 (最終幕) 王子は、白鳥の湖に現れた悪魔ロッドバルトと戦い倒すことに成功するが、オデットの呪いは解けず、二人は湖に身を投げて、来世で結ばれる。(のちに、オデットの呪いが解けてハッピーエンドで終わる演出も出てきたが、原典とは異なる。)  

ソ連時代のボリショイ劇場 / モスクワ (1932年2月)

ソ連時代のボリショイ劇場 / モスクワ (1932年2月)

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ボリショイ劇場  Большой театр
  ▲▼ モスクワにあるボリショイ劇場(バリショーイ・チアートル)は正式には国立アカデミーボリショイ劇場といいロシアが誇る世界的オペラ・バレエ劇場である。「ボリショイ」とは、ロシア語で「大きい」を意味し、単純には「大劇場」。ボリショイ劇場の名称を持つ劇場はロシア国内にいくつか存在するが、一般に「ボリショイ劇場」といった場合はモスクワの劇場を指す。
   1780年に現在の地に劇場が建設されたが、2度の火災に遭い、現在の建物は、1856年にアルベルト・カヴォス(1800-1863)により再建されたもの。内部は、黄金と赤を基調とした装飾で、客席数は約2000。帝政時代から現在に至るまで、オペラ・バレエ界の第一線に君臨し、芸術の国・ロシアの象徴であり続けた。しかし近年、老朽化が進んだため、2005年7月から長期改修工事に入っており、現在は隣りに建てられた新館で上演されている。
 

 
  【 ニーナ・アナニアシヴィリ】 グルジア共和国のバレエダンサー2004年よりグルジア国立バレエ団芸術監督兼付属のチャブキアニ・バレエ学校校長。ボリショイバレエ団のプリマ・バレリーナを20年以上、アメリカン・バレエ・シアター(ABT)のプリンシパルを16年務めたが、2009年6月、ニューヨークでの 『白鳥の湖』 公演を最後に、ボリショイに続いてABTからも引退した。  
  【ゼナイダ・ヤノウスキー】 英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルを務める実力・人気bPのバレリーナー。  

ボリショイ劇場の内部

ボリショイ劇場の内部

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