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 特集!旅紀行

2008年3月25日改訂

今 日

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卒塔婆の釈迦の尊顔冬日燦   北舟

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 Brilliant sunshine of winter,
The noble face of Buddha on the stûpa.

2008年3月23日制作

黄金に輝く釈迦の尊顔

             黄金に輝く釈迦の尊顔(カトマンズ/ネパール)

ネパール国旗

ネパール感動の旅

カトマンズ

カトマンズ KATHMANDU
 12月23日(日)朝食後、ポカラから空路でカトマンズに戻る予定が霧のため4時間遅れてしまった。そのため、予定を変更して、カトマンズ市内から観光することになった。

スワヤンブナート仏教寺院

スワヤンブナート仏教寺院

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 カトマンズは、標高約1,300mのカトマンズ盆地に位置し、100万人が暮らすネパールの首都である。かつては、カンティプール kantipur (栄光の都)と呼ばれていたこの都市は、古くから先住していたネワール族が暮らし、都市文明を築いてきた。

タルチョがはためくストゥーバ

タルチョがはためくストゥーバ

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 特に、中世のマッラ王朝時代、ネワール文化が花開き、きらびやかな寺院や数々の記念碑が建てられ、「人よりも神々の方が多く住む町」といわれてきた。しかし、1990年の民主化以降、急速な変貌を遂げ、農村部から人々が流入し、車やオートバイが増え、交通渋滞や大気汚染が社会問題化している。

スワヤンブナート寺院から見たカトマンズ市街

スワヤンブナート寺院から見たカトマンズ市街

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スワヤンブナート寺院 Swayambhunath  Mandir
 街の西郊2kmの緑に包まれた丘の頂上に、白いストゥーバが見える。カトマンズ盆地がまだ湖だった頃から建っていたという伝説を持つスワヤンブナート寺院である。

黄金に輝く釈迦の尊顔

黄金に輝く釈迦の尊顔

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  卒塔婆の釈迦の尊顔冬日燦  北舟 

すとぅーばの しゃかのそんがん ふゆひさん 

 

 Brilliant sunshine of winter,
The noble face of Buddha on the stûpa.

 ここには巨大なドルジェ・金剛杵(こんごうしょ)が安置されているが、これは無明を打ち砕く雷で、真言宗でも使われる密教の法具である。金剛杵に面したストゥーバの側壁に密教の大日如来(毘盧遮那仏びるしゃなぶつ)が安置されている。大日如来は、この仏教寺院の開基に深く関わっているという。

巨大な密教の法具ドルジェ(金剛杵)

巨大な密教の法具ドルジェ(金剛杵)

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カトマンズ伝説
 太古、神々のおわすヒマラヤの麓に、青空を映して輝く大きな湖があった。その湖の真ん中の島に咲く蓮華から大日如来が姿を現した。その頃、中国の五台山にいた文殊菩薩は、チベットを経てインドへ帰国の途につこうとしていた。

愛嬌のある駒獅子

愛嬌のある駒獅子

 旅の途中で、ヒマラヤ湖の不思議を知った文殊菩薩は、大日如来に敬意を表すためにこの地に足を向けた。土地の人々が湖に住む大蛇に苦しめられていることを知った文殊菩薩は、携えていた利剣でチョバールの山を切り開いた。怪物は湖水と共に消え去り、人の住める肥沃なカトマンズ盆地があとに残った。

鳴り物入りの読経

鳴り物入りの読経

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 文殊菩薩は、小高い丘となった島の上に大日如来への奉納としてストゥーバを建立し、後にゴータマ・シッダールタとして生まれ変わる大日如来を万物の創造者として称えたという。
 寺院の開基が伝説の通りだとすれば、スワヤンブナートは、ヒマラヤ最古の仏教寺院となる。境内から盆地を一望することができるが、人々の信仰心の厚さは、今も昔と変わらないという。

土産物売り場

土産物売り場

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マニ ぐるま
 マニ車は、チベット仏教で用いられる宗教用具で、チベット語でマニコロという転経器(てんきょうき)である。円筒形で、側面にはマントラが刻まれており、内部には経文が納められている。
 大きさは様々で、大きいものでは数メートルにも及ぶものがあるという。マニ車を右回りに回転させると、回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるとされる。

チベット仏教のマニ車

チベット仏教のマニ車

カスタマンダプ寺院 Kasthamandap  Mandir
 ダルバール Durbar とは、ネパール語で「宮廷」を意味する言葉。3つのマッラ王朝が盆地に並立した3王国時代には、王宮前広場として、カトマンズ王国の中心だった。
 そのダルバール広場 Durbar Square にあるカスタマンダプ寺院はカトマンズの名前の由来になったネパール最古の建造物のひとつ。カスタマンダプとは「木の家」という意味で、一本の大木で造られたという伝説がある。12世紀頃の建造と考えられ、もとは巡礼宿として使われていたものという。

カスタマンダプ寺院

カスタマンダプ寺院

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シヴァ寺院 Maju Dega
 ダルバール広場の中央にあるシヴァ寺院は、ひときわ高い建物。17世紀末のマッラ王朝のときに、バクタプルの皇太后によって造られた。9段の基壇の上に三重の塔がそびえ、内部にはシヴァ・リンガ(シヴァ神の象徴である男根像)が安置されている。また、寺院前にはシヴァ信仰をあらわすインド・シカラ様式の白いお堂がある。

ダルバール広場のシヴァ寺院

ダルバール広場のシヴァ寺院

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シヴァ・パールヴァティ寺院 Shiva Parvati  Mandir
 広場北側にあり、18世紀後半にゴルカ王朝(現シャハ王朝)のバハドゥル王によって建てられたもの。緻密な彫刻の木彫りの窓枠が高い評価を受けている。上層・中央の窓からは、シヴァ神とバールヴァティ妃のカップルが寄り添って町を見下ろしている。

シヴァ・パールヴァティ寺院

シヴァ・パールヴァティ寺院

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クマリの館 Kumari Bahal
 ダルバール広場の南側に、窓枠の木彫りが見事なクマリの館があり、そこに女神クマリの化身として崇められている少女が住む。クマリには、大女神ドゥルガーや昔のネパール王国の守護神であるタレジュ女神、そして仏教徒密教女神ヴァジラ・デーヴィが宿るという。

クマリの館

クマリの館

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 クマリは家柄の正しい幼女たちから選び出され、初潮をみると交代する。選考は知能などではなく、聖性があるかどうかだという。9月のインドラ・ジャトラ祭では主役をつとめ、国王もひざまずかせるクマリだが、成長してからは不幸になることが多いという。お布施を渡すと、窓から顔を出してくれるが、撮影は禁止されている。

灯明売りの親子

灯明売りの親子

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ディナーショー

夜、カトマンズのレストラン「ご馳走の家」で、ネパール民俗舞踊を見ながらネパール料理を楽しんだ。

ディナーショーのある「ご馳走の家」

ディナーショーのある「ご馳走の家」

ネワール族
 ネワール族はネパールのカトマンズ盆地一帯に居住し、2001年の時点で人口の5.48%に当たる45万人を数え、ネパールで6番目に多い民族である。その母語はチベット・ビルマ語系に属するネワール語。ネパール全体の住民の中で都市文明を築いた例はネワール族以外には見あたらず、大変特異な存在であるという。

ネワール族の踊り子

ネワール族の踊り子

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 ネワール族は長い歴史を経て高度都市社会文化を形成している。カトマンズ盆地での居住は3世紀から4世紀の頃だといわれている。有名な神話によると、カトマンズ盆地はかつて大きな湖であり、文殊菩薩が聖なる剣で周囲の山地を切り開き湖の水を外に流し、ネワール族が居住出来るようになったという。

 近年この地で湖床跡が発見され、また盆地自体が非常に肥沃なことなどから、地学的にもこの神話がある程度の事実を示していると考えられている。

ネワール族の踊り

ネワール族の踊り

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サーランギ sarang  

 

 

カヤール Khyãl
 カヤールは、北インドのカヤールと同じ声楽のスタイル名である。
 ラーガ(インド音楽の旋律法) raga と合わさったフォーク・メロディは、人気のある揺れと装飾を施されて演じられる。楽器はサーランギ sarang

インド風の踊り

インド風の踊り

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