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 特集!旅紀行

2007年10月6日改訂

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♪マカーム・クルド(ウード独奏)/エジプトの音楽〜ナイルの調べ

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2007年10月4日制作

エジプトで1、2を争う遺跡・アブ・シンベル神殿の入口

                 エジプトで1、2を争う遺跡・アブ・シンベル神殿の入口(エジプト・アブシンベル)

世界文化遺産

エジプト国旗

エジプト感動の旅

アブ・シンベル

ツアー5日目
 12月13日(月)は、朝6時半にホテルを出発し、セキュリティの厳しいルクソール空港から1時間半のフライトでアスワンに到着。午前中、アスワンハイダムとナーセル湖を見学した。

アスワンの位置

アスワンの位置

                    資料

ヌビア地方 NUBIA
 エジプトの南端、スーダンとの国境に接するヌビア地方は、かつてヌビア人によるヌビア王国があった。B.C.1565年から始まる新王国時代に入ると、ヌビアの殆どの地域がエジプトと同化したが、ヌビア人の文化様式は変わらなかった。独特の地勢や顔立ち、特色ある文化。ここでは今でもエジプトの他の地域とは違った魅力に遭遇する。

アスワン・ハイ・ダム

アスワン・ハイ・ダム

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アスワン ASWAN
 アスワンは、ダムで堰き止められてできたナーセル湖の北部に位置する都市で、ヌビアで産する金や、更に南方の国々から運ばれてきた香油、黒檀、象牙などが集まる交易の中継地として栄えてきた。

ロウ・ダムの上流に建設されたアスワン・ハイ・ダム

ロウ・ダムの上流に建設されたアスワン・ハイ・ダム

資料

アスワン・ハイ・ダム
 アスワン・ハイ・ダムは、アスワンのナイル川に作られた巨大なダムである。アスワンダムは2つあるが、現在ではアスワンダムというとアスワン・ハイ・ダムを指すことが多い。古いアスワンダムは、アスワン・ロウ・ダムとも呼ばれる。アスワン・ハイ・ダムは、ロウ・ダムの6.4km上流に建設され、1970年に完成した。

アスワン・ハイ・ダム記念塔

アスワン・ハイ・ダム記念塔

 建設目的は、ナイル川の氾濫防止と灌漑用水の確保であるが、ロウ・ダムだけでは力不足であったために、当時のナーセル大統領がソ連(現ロシア)の支援を受けて、国家的事業として計画。高さ111m、全長3,600mの巨大なロックフィルダム*である。
*ロックフィルダム:岩石や土砂を積み上げて建設したダム

大規模な赤色花崗岩を算出する石切場

大規模な赤色花崗岩を算出する石切場

拡大写真(1600x1100)326KB

巨大な石切場

 古代からアスワン周辺は、ピラミッドや神殿に用いられた花崗岩(かこうがん)の産地で、ここで切り出された石材は、ナイルの増水時に船でエジプト各地に運ばれた。古王国時代(B.C.2650-2180)からある石切場には、今でも切りかけのオベリスクが残されている。
 その長さは42m、重量1168tonと推定され、もし完成していれば現存するオベリスクの中で最大のものとなったはずだが、制作中にひびが入り、そのまま放置されたものと考えられている。

切り残された巨大なオベリスク

切り残された巨大なオベリスク

拡大写真(1600x1200)300KB

ナーセル湖
 アスワン・ハイ・ダムの巨大な貯水池・ナーセル湖の名はアブデル・ナーセル大統領の功績を讃えてつけられた。アスワン・ハイ・ダムの完成によって、毎年のように起こっていたナイル川の氾濫を防止し、12基の水力発電装置が210万Kwの電力を供給。ダムにより出現したナーセル湖から供給される水は不足がちの農業用水を安定させ、砂漠の緑化も行われた。
   その一方で、ナイル川の生態バランスを破壊したなどの批判もあるが、ナーセル湖の漁業はとても活発で、豊富な水産物は重要な食料として活用されている。  

静かなナーセル湖

静かなナーセル湖

拡大写真(1600x1100)235KB

アブ・シンベル ABU SIMBEL
 正午前、アスワン空港から空路45分でアスワン南西のアブ・シンベルに到着。宿泊するセティ・アブ・シンベル・ホテルで昼食後、アブ・シンベル神殿を見学した。

アブ・シンベルの位置

アブ・シンベルの位置

                    資料

アブ・シンベル神殿
 アブ・シンベル神殿はスーダンとの国境近くにあるヌビア遺跡で、大小の神殿がある。ヌビア砂漠の中に突如として出現するこの巨大な岩窟神殿は、新王国時代第19王朝のB.C.1250年頃にラムセスII世によって建造された。

壮大なアブ・シンベル神殿

壮大なアブ・シンベル神殿

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 太陽の王と讃えられるラムセスII世は、太陽に輝くヌビアの地をこよなく愛し、ファラオの権力が永遠のものとなるよう、巨大な神殿を造り上げた。
 砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られたこの神殿は、大神殿は太陽神ラーを、小神殿はハトホル女神を祭神としている。小神殿は、最愛の王妃ネフェルタリのために建造されたという。

エジプトで1、2を争う遺跡・アブ・シンベル神殿の入口

エジプトで1、2を争う遺跡・アブ・シンベル神殿の入口

拡大写真(1800x1550)333KB

 この神殿では、年に2回、日光が神殿の奥まで届き、神々を明るく照らし出す。ラムセスII世の生まれた日と王に即位した日(夏至と冬至)にその現象が起こるという。現在は、神殿の移築により1日ずれているが、これを一目見ようと、その日には多くの観光客が訪れるという。

大神殿(左)と小神殿(ハトホル神殿)

大神殿(左)と小神殿(ハトホル神殿)

拡大写真(1600x1120)263KB

 時とともに、神殿は砂に埋もれ、忘れ去られていたが、1813年にスイスの東洋学者ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって小壁の一部が発見され、1817年にブルクハルトの知人であったイタリア人探検家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニによって出入口が発掘された。

アブ・シンベル小神殿(ハトホル神殿)

アブ・シンベル小神殿(ハトホル神殿)

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世界遺産の

嚆矢こうし

 1960年代、ナイル川のアスワン・ハイ・ダム建設計画により、水没の危機にあったが、ユネスコによって、国際的な救済活動が行われた。1964年から1968年の間に、神殿は約60m上方の丘に移築された。このことが世界遺産の創設のきっかけとなったため、アブ・シンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡として知られるようになった。現在、世界文化遺産に登録されている。
 夜、アブ・シンベル神殿で音と光のショーがあり、再訪して幻想的な古代遺跡の素晴らしさを十分に堪能した。

アブ・シンベル宮殿のライトアップ

アブ・シンベル宮殿のライトアップ

 翌12月14日(火)は、朝5時50分にホテルを出発し、アブ・シンベル神殿の夜明けを見学。午前6時25分、雲ひとつない朝焼けの中で、太陽がナーセル湖の東岸にゆっくりと顔を出した。素晴らしい御来光を目の当たりにして、古代エジプト人が太陽に神の存在を見いだしたことが分かるような気がした。

アブ・シンベルの夜明け

アブ・シンベルの夜明け

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世界四大文明
 学校で必ず習った世界四大文明は、人類の歴史において4つの大文明が最初に起こり、以降の文明はこの流れをくむという歴史観に基づく概念で、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明を指す。
 しかし、このような考え方はアジアでは広まったものの、欧米では受け入れられず、考古学研究が進展した現代では、初期の文明を4つに限定するのには無理があり、四大文明という概念自体が知識が乏しかった過去のものとなっている。

朝のアブ・シンベル宮殿

朝のアブ・シンベル宮殿

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