ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

和田義男

 旅紀行ジャパン

2006年11月2日改訂
「海ゆかば」メドレー

拡大写真(1400x1120)165KB

江田島に木霊す喇叭秋の天   北 舟

2006年11月2日作成

信号喇叭

信号喇叭(大和のふるさと/広島県呉市)

戦艦大和の故郷

鎮魂

 

幹部候補生学校

 
   防衛庁の幹部候補生学校(幹候)は、自衛隊の幹部自衛官を養成する組織であり、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊それぞれに設置されている。海上自衛隊の幹部候補生学校は、江田島にあり、海軍兵学校のエリートたちが起居した煉瓦造りの立派な生徒館を庁舎としている。
   幹候は、自衛隊幹部を養成するための教育機関であり、初級幹部としての職務を遂行するに必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練を行う。 幹部候補生学校(フリー百科事典)  

煉瓦造の幹部候補生学校全景

煉瓦造の幹部候補生学校全景

パノラマ写真(2400x800)327KB

   江田島の幹候は、約150名の一般幹部候補生(防衛大学校卒業者が半数と一般大学等卒業者が半数)、航空学生出身の飛行幹部候補生、海上自衛隊部内から選抜された一般幹部候補生(部内)、海曹長・准海尉で昇任試験に合格した幹部予定者、防衛医科大学校及び一般の医科歯科大学の卒業生からなる医科歯科幹部候補生等の教育を行っている。
 

教育期間は6週間から1年で、卒業後、三等海尉(大学院卒及び医科歯科幹部候補生は二等海尉)に任官する。

幹部候補生学校正面玄関

幹部候補生学校正面玄関

拡大写真(1600x1100)364KB

 

江田島基地

 
   江田島にある海上自衛隊の基地を江田島基地といい、第1術科学校、幹部候補生学校の他、対岸にある呉基地に配備されているおおすみ型輸送艦のLCAC訓練施設・整備場、自衛隊貯油場などがある。また、海上自衛隊の特殊部隊「特別警備隊(SBU)」もここに配備されている。 江田島基地(フリー百科事典)

第一術科学校全景

第一術科学校全景

パノラマ写真(2000x800)187KB

 

第1術科学校

 
   海上自衛隊に4校ある術科学校の一つで、砲術、水雷、掃海、航海、通信、応急、陸上警備等に必要な知識技能を修得させるための教育訓練を行うとともに、これらの術科に関する部隊の運用等に関する調査研究を実施している。機関と潜水艦に関する術科を除く艦艇術科教育の中心地である。 第1術科学校(公式ページ)

広大な芝生の運動場

広大な芝生の運動場

拡大写真(2600x870)343KB

 
戦艦 陸奥むつ の砲塔
 
   戦艦「陸奥」は、40cmの主砲を8門搭載していた。この連装砲は陸奥の4番主砲で、新式のものに換装にされた昭和10年(1935)に、海軍兵学校生徒の教材としてここに移設されたもの。
  【性能】 弾薬重量:219kg 口径:45口径16インチ(40.6cm) 初速:780m/sec 最大射程:30km (ここから岩国飛行場まで約24km 広島市街中心まで約17km)射撃速度:2発/分 最大仰角:30度 砲全長:18.8m 弾薬重量:1000kg  

戦艦陸奥の巨大な砲塔と砲弾

戦艦陸奥の巨大な砲塔と砲弾

拡大写真(1600x970)204KB

 

表桟橋おおてさんばし

   波静かな江田島湾に浮かぶポンツーン(浮き桟橋)は、表桟橋と呼ばれ、かつての海軍兵学校時代から現在の幹部候補生学校まで、一貫してこの学舎(まなびや)で起居を共にする学生たちの表玄関となっている。そのそばに、数多くの訓練用カッター(短艇/端艇)がダビットに吊り下げられ、出番に備えていた。

訓練用カッター

訓練用カッター

拡大写真(1800x1200)453KB

 
信号 喇叭らっぱ
 
   表桟橋で信号ラッパ*の練習をしている学生たちがいた。OBのガイドから見学者の前で吹くようにいわれたので、横を向いて、少し緊張気味であったが、ラッパの音色を聞かせてくれた。澄み渡った音色が江田島湾の秋の空に吸い込まれていった。
  *信号ラッパ:音楽を演奏する金管楽器とは異なり、信号を遠くへ伝えることを目的としたラッパ。真鍮の管に息を吹き込み、管内の空気柱の振動により音を発生させる。ピストンなどの音程を変える装置が付いていないため、出せる音は自然倍音(下から「ド」「ソ」「ド」「ミ」「ソ」「シ♭(但し音程が低い)」「ド」)に限られる。マウスピースに当てる唇の形によって音を吹き分ける。奏者の力量によってはさらに高音を出すことができるという。  
   旧海軍では、航海科の信号がラッパ手となった。日本海海戦で敵艦との距離をラッパによる数字符丁で伝達して効率的な指揮を行ったという。海軍はコルネット型のラッパを採用していた。  
   「起きるも寝るも皆ラッパ」といわれたように、陸海軍共に起床から消灯までラッパの音と共にあり、ラッパ譜に歌詞をつけて口ずさまれるほどに親しまれ、元将兵の多くはラッパの音にある種の郷愁を抱いているという。ちなみに、食事ラッパは正露丸のCMや商標で現在でもよく知られている。  
   日本の陸・海・空各自衛隊でも、このラッパが使用されている。海上自衛隊では毎日、朝夕の自衛艦旗掲揚・降下に際してラッパを以て「気を付け」を令することが定められている。   

信号喇叭

信号喇叭

拡大写真(1400x1120)165KB

 江田島に木霊す喇叭秋の天  北 舟 
 

特殊潜航艇「海竜」

 
   大和ミュージアムで展示されていたものは「海龍」と表示されていたが、同じもので、本土決戦用に急きょ造られた特攻兵器である。230隻完成していたが、一度も使用されなかったとの説明があるが、大和ミュージアムには被弾した海龍が展示されており、使用例があると思われるが・・・。
  【要目】排水量:19.30ton 速力:水上7.5kt/水中10.0kt 全長17.28m 航続距離:水上5kt 450mile/水中3kt 36mile 直径:13m 乗員:2名 安全潜行深度:250m 兵器:45cm魚雷2本又は炸薬600kg  

特殊潜航艇(海竜)

特殊潜航艇(海竜)

拡大写真(2000x925)334KB

 

教育参考館きょういくさんこうかん

   立派な白亜の洋館に幕末から第二次世界大戦までの海軍関係者の遺書や遺品が展示されている。特に、自らを犠牲にしてお国のために散っていった若き特攻隊員の遺書が胸を打つ。撮影禁止であったのが残念である。
  17、18歳の少年飛行隊員の最後の言葉:「教官殿 お世話になりました。あとの日本をよろしくお願いいたします。私達の分もどうか、長生きしてください」  
   特攻隊員を教育したのは日本海軍だが、その精神文化を養ったのは、日本の母だという。最初に出陣した40人の身上調書を見ると、三分の二が長男又は一人っ子であり、明らかに日本の母親の力だという説明だったが、本当にそうだろうかと思った。彼らは、母の写真を胸に抱いて出撃していったことは間違いないが・・・。  

教育参考館

教育参考館

拡大写真(1600x1000)218KB

 

真珠湾奇襲作戦に参加した特殊潜航艇

 
 

 教育参考館のそばに巨大な戦艦「大和」の主砲砲弾と、昭和16年(1941)12月8日、真珠湾特別攻撃隊として出動してハワイで座礁した特殊潜航艇が展示されていた。特殊潜航艇は、戦後日本に持ち帰り、復元したもの。

巨大な大和主砲砲弾と特殊潜航艇

巨大な大和主砲砲弾と特殊潜航艇

拡大写真(1800x800)301KB

特殊潜航艇の解説

特殊潜航艇の解説

特殊潜航艇の船首部

特殊潜航艇の船首部

拡大写真(1600x1000)406KB

Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2006 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク