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和田義男

 旅紀行ジャパン

2006年5月27日改訂

♪春色 TAM Music Factory

パノラマ写真(1350x710)376KB

津和野路や稲成鳥居の花の雨  北舟

2006年5月25日作成

津和野の春 (太皷谷稲成神社参道より臨む)

津和野の春(島根県鹿足郡津和野町)

中国路の春雨桜

津和野

 
史跡と鯉の町・

津和野つわの

 
   島根県鹿足郡津和野町(かのあしぐん・つわのちょう)は、島根県の南西に位置する人口約1万人の町。かつて津和野藩の城下町であり、山間の小さな盆地に広がる美しい町並みは、山陰の小京都として知られるほか、津和野駅は「SLやまぐち号」の終着駅でもあり、山口・萩とセットで訪れる観光客が多い。  
   2005年9月、隣接していた鹿足郡日原町(かのあしぐん・にちはらちょう)と対等合併し、新たに鹿足郡津和野町となった。町役場は合併前の日原町役場に置かれることとなった。  

石垣が残る国指定史跡・津和野城

石垣が残る国指定史跡・津和野城

 

津和野城つわのじょう

 
   国指定史跡の津和野城は、津和野盆地の南西部に横たわる標高367mの山上にある山城で、江戸時代には津和野藩亀井氏の居城であったが、藩庁は急峻な山城を避け、山麓の津和野盆地に置かれた。  
 明治時代に廃城となり、山上には石垣のみが残る。山上の城址まではリフトで登城できる。麓の津和野市街地には馬場先櫓、物見櫓が現存している。

白壁と石州瓦の武家屋敷が並ぶ殿町通り

白壁と石州瓦の武家屋敷が並ぶ殿町通り

パノラマ写真(2000x770)351KB

 

殿町通りとのまちどおり

 
   殿町通りは、城下町・津和野の最も古い佇まいを残す本通りで、カトリック教会、津和野藩校養老館跡、郡庁跡、家老多胡家表門(かろう・たごけ・おもてもん)など多くの史跡がある。とりわけ、石州瓦(せきしゅうがわら)*の屋根や海鼠塀(なまこべい)、ベージュ色の石畳に目が引かれる。  
  *石州瓦:江戸時代後期以降に石見(いわみ)地域(島根県西部)で作られた赤く輝く釉薬瓦(ゆうやくがわら)。水分が浸み込みにくく、強くて丈夫。  

海鼠塀の下で錦鯉の泳ぐ町

海鼠塀の下で錦鯉の泳ぐ町

拡大写真(1150x1400)275KB

 白壁に鯉群れ泳ぐ里の春  北 舟 
 

 海鼠塀(なまこべい)に面した掘割には錦鯉が群遊している。武者窓のそばの白壁の土塀を背景に白や紫の花菖蒲が咲き、錦鯉がその花陰で群れ遊ぶ季節は、優雅な絵巻物を見るようだと賞賛される。

津和野川の春雨桜と鷺舞の記念碑

津和野川の春雨桜と鷺舞の記念碑

パノラマ写真(1975x650)320KB

 

殿町通りの鷺舞

殿町通りの鷺舞

拡大写真(435x300)58KB

資料

 
津和野の  

鷺舞さぎまい

 津和野の弥栄神社(やさかじんじゃ)に伝わる鷺舞神事は、毎年7月20日の神幸祭、24日の中日(なかび)、27日の還幸祭に町内で奉納される伝統芸能で、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 もともと京都八坂神社の祇園会(ぎおんえ)で奉納されていたものを大内氏が山口の八坂神社に導入し、天文11年(1542)吉見氏が山口から津和野に招来したことに始まる。一旦中断したが、正保元年(1644)亀井氏が再度京都から伝習させたという。
 近年、発祥の地・京都では完全に廃れてしまったことから、最近、津和野の鷺舞が京都に伝習されているという。

彌栄(やさか)神社の春雨桜

彌栄(やさか)神社の春雨桜

 

弥栄神社やさかじんじゃ

 

 弥栄神社は、室町前期に創建された神社で、境内には樹齢540年を超える御神木の欅(けやき)がある。(天然記念物)7月の祇園祭(ぎおんまつり)の神事として奉納される「鷺舞」の舞台でもある。二羽の鷺に扮して舞う姿は古式ゆかしく、かつ優雅であるという。

弥栄神社の欅(けやき)/天然記念物

弥栄神社の欅(けやき)/天然記念物

拡大写真(1400x1050)385KB

 

太皷谷稲成神社たいこだにいなりじんじゃ

 

 津和野川が流れる津和野盆地を見下ろす山上にある太皷谷稲成神社は、産業発展、願望成就の大神として代々津和野城主の崇敬厚く、四季を問わず参拝者を集めているが、正月には数十万人が訪れるという。全国4万社ある稲荷神社の中で「稲成」と書くのはここ一社だけと珍しい。

つづら折りの鳥居

つづら折りの鳥居

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 津和野路や稲成鳥居の花の雨  北 舟 
 
津和野の

千本鳥居せんぼんとりい

 

 津和野のシンボルともいえるこの神社の参道には、トンネルのように連なる朱塗りの鳥居があり、千本鳥居と呼ばれる。鳥居の大きさは正方形で、高さと幅がともに2m70cm。材料となる木は岩国から直接取り寄せ、鳥居職人・長嶺強さんが年間およそ200基を製作。7〜8年の周期で取り替えているという。

鳥居のトンネル

鳥居のトンネル

 

 山陰の小京都といわれる津和野(つわの)が島根県にあることは、殆ど知られていない。赤い稲荷鳥居が続くつづら折りの参道から津和野川を取り囲む石州瓦(せきしゅうがわら)の家々が見える。河原には黄色い菜の花が咲き、土手には桜並木が続く。

津和野の春 (太皷谷稲成神社参道より臨む)/ 島根県鹿足郡津和野町

津和野の春 (太皷谷稲成神社参道より臨む)

パノラマ写真(1350x710)376KB

 

日本五大稲荷神社

 

 山上に鎮座する鮮やかな朱塗りの太皷谷稲成神社は、安永2年(1773)津和野藩第7代藩主・亀井矩貞かめいのりさだ)が津和野藩の安穏鎮護のために、三本松城(津和野城)の表鬼門にあたる東北端の太皷谷(たいこだに)の峰に、京都の伏見稲荷大社*から神々を勧請したのに始まる。主神は宇迦御魂神(うがのみたまのかみ)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)

   廃藩置県後は一般庶民も参拝できるようになって広く信仰を集め、日本五大稲荷神社**の一つに数えられる。
  *伏見稲荷大社:稲荷神社は伏見稲荷(神道系)と豊川稲荷(仏教系)の二系統がある。
**日本五大稲荷神社:近畿・伏見稲荷大社(京都市伏見区)、関東・笠間稲荷神社(茨城県笠間市)、東北・竹駒神社(宮城県岩沼市)、九州・祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)、中国・太皷谷稲成神社(島根県鹿足郡津和野町)

日本五大稲荷神社のひとつに数えられる太皷谷稲成神社

日本五大稲荷神社のひとつに数えられる太皷谷稲成神社

拡大写真(1400x700)245KB

和田義男

 
和田義男
 
OLYMPUS E-500 E-330

11-22mm 14-54mm 40-150mm


800万画素


 1,130枚  1,940MB


撮影 2006年4月11-12日
 

 広島の宮島から島根の津和野まで、中国三県にまたがる2泊3日の旅は、春雨桜の旅だった。岩国ではダムの緊急放水を知らすサイレンを聞くハプニングがあった。

 傘を差し、タオルでレンズを拭きながらの撮影には辛いものがあったが、帰宅してパソコンのディスプレーで見ると、しっとりと濡れた味わい深い景色が収録できており、これなら読者の期待を裏切らない作品に仕上げることが出来ると思い、編集に取り組んだ。

 出張が重なり、編集作業が遅々として進まず、頁数も増えたため、途中で宮島編を独立させ、二本立てとした。

 今回、パソコン・ソフトを使って複数の画像をつなぎ目の無いように連続して貼り合わせたパノラマ写真を多用し、壮大な風景のスケール感を出してみた。多少、ゆがみが生ずる欠点があるが、かなりの臨場感を出せたのではないかと思う。これからもWa☆Daフォトギャラリーの特徴の一つとしてゆきたい。  2006.5.25 〈 完 〉
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