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和田義男

 旅紀行ジャパン

2005年7月2日改訂

♪朱 TAM Music Factory

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2005年6月26日作成

雨の明神池

雨の明神池(長野県)

残雪の信濃路

明神池

山のひだや
 明神岳の真下に建つ山のひだや。住所は〒390-1516 長野県南安曇郡安曇村4469-1。和室14室の木造り宿は、ホームページによると、アクセスは唯一上高地バスターミナルから徒歩60分とある。健脚でないと60分では無理。厳しい冬籠もりが終わり、半年の間、登山客で賑わうことだろう。 山のひだやホームページ

明神岳と山のひだや

明神岳と山のひだや

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穂高神社ほたかじんじゃ

   上高地は古くから神降地、神合地、神垣内、神河内とされ、神々を祀るに最も相応しい神聖な浄地だという。  
   太古の昔、奥穂高岳に天降ったと伝わる穂高見神(ほたかみのかみ)を祭神とする穂高神社の本宮(ほんみや)は、長野県南安曇郡(みなみあずみぐん)穂高町(ほたかまち)に鎮座する。古くから信濃の大社として名高く、日本アルプスの総鎮守として、また、交通安全の守神(まもりがみ)として信仰を集めているという。  

菊の紋の入った木製の鳥居

菊の紋の入った木製の鳥居

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穂高神社奥宮ほたかじんじゃおくのみや

   穂高神社の奥宮は上高地の明神池の畔(ほとり)にあり、本宮と同じ祭神・穂高見神(ほたかみのかみ)が鎮座している。また、北アルプス最高峰の奥穂高岳の頂上には、嶺宮が祀られている。  

穂高神社奥宮で拝観料を払う

穂高神社奥宮で拝観料を払う

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   かつて北九州を拠点にしていた海洋民族の安曇族(あずみぞく)が日本海を北上し、この地に移り住み、不毛の地であった安曇平(あずみだいら)を開墾したといわれる。  
   海神・綿津見神(わたつみのかみ)の御子神(みこがみ)を祀る穂高神社は、この安曇族を守る神社であったため、毎年秋になると、海洋民族の名残を伝える御船祭りが開催される。  

明神一之池みょうじんいちのいけ

明神一之池

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明神池みょうじんいけ

   河童橋からおよそ4km上流の梓川の右岸に瓢箪型(ひょうたんがた)をした明神池がある。この池は、1600坪(52,800m2)に及ぶ穂高神社奥宮の神域にあり、手前を明神一之池、奥を明神二之池と呼ぶ。  

神秘の神降池

神秘の神降池

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神秘の

神降池かみこうち

 明神池にはイチョウバイカモ*という珍しい水草が生い茂り、外来魚のブラウントラウトやその雑種が棲息している。水面にはオシドリが羽を休めている。伏流水や湧き水を集めた明神池は、氷結しないことで知られ、四季折々の風情が何よりも素晴らしい。
*イチョウバイカモ:綺麗な水中に育つ水草。上高地では明神池、田代池などに群生している。バイカモは梅花藻の意味。水中葉は糸のように細く裂ける。浮葉は扇形で5つに浅く裂け、イチョウの葉に似る。
お洒落な雄の

鴛鴦おしどり

お洒落な雄の鴛鴦

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明神二之池みょうじんにのいけ

 
   明神一之池からは明神岳が臨めないが、二之池からは御神体である明神岳を拝むことができる。丁度水面に明神岳の影が映っていた。  

御神体・明神岳を映す明神二之池

御神体・明神岳を映す明神二之池

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竜頭鷁首りゅうとうげきしゅ

の御船 

 
   天保12年(1841)の善光寺名所図絵に霊湖とされている明神池は鏡池、神池ともいわれ、明神岳(穂高岳の一峯)の直下にして一の池・二の池からなり、奇石奇樹の島影は神秘ただよい、十月八日神池に浮かぶ竜頭鷁首*(りゅうとうげきしゅ)の御船は碧潭**(へきたん)に映えて美しく平安朝の昔を偲ばせる。・・・奥宮由緒より  
  *竜頭鷁首:龍の頭にアオサギの首  **碧潭:水が深く青緑色に見える淵(ふち)  

雨の明神池

雨の明神池

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  神降地明神池の走り梅雨  北舟 
  かみこうち みょうじんいけの はしりづゆ
 

竜頭鷁首りゅうとうげきしゅ

 
   竜頭鷁首の御船は平安朝の頃、上流社会に於いて盛んに用いられたもので、龍(りゅう)は水を渡るに最も速いもの、鷁*(げき)は風に耐えるに最も強いものとの意味を有し、即ち、妖雲(よううん)を祓って吉祥瑞気(きっしょう・ずいき)を招くという。真に御目出度ものである。・・・奥宮の解説より  *鷁:アオサギ  

御船祭りの船首飾りの模型

御船祭りの船首飾りの模型

 

奥宮の拝殿と本殿

 
   明神一之池に向かって、屋根が付いた門のような拝殿と、その奥に小さな本殿があり、祭神が鎮座する。  

穂高神社奥宮

穂高神社奥宮

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上條嘉門次かみじょうかもんじ

 

上條嘉門次

上條嘉門次

資料

明神池

 霊峯明神岳はその魁偉な山肌をえぐって明神池へなだれこむようにその倒影を撮す 清冽無比の水面は大古のように静寂 造化の妙正にこゝに極まる
 穂高見命を祀る穂高神社奥宮は何時の世よりかこゝに鎮座する 山の名ガイド上條嘉門次は大正六年十月二十六日七十一才で没するまで 池畔にその生涯を委ねた
 池の位置は東経一三七度三十九分 北緯三十六度十五分に位し 水面の標高一五四〇米

(碑文を忠実に再現)

上條嘉門次のレリーフのある碑

上條嘉門次のレリーフのある碑

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嘉門次小屋かもんじごや

 
   優れた山岳ガイドとして知られ、多くの人々を北アルプスへと案内した上条嘉門次。猟師としての腕前も確かで、上高地を愛した彼は明神池の畔で生涯を全うした。 かつて日本アルプスを世界に広めた英国人ウェストンを北アルプスの山に案内したことで、彼の名は世界に知られた。  
   彼が住んでいた場所には、現在も嘉門次小屋があり、山小屋として営業している。昭和33年(1958)に彼のレリーフをあしらった記念碑が嘉門次小屋のすぐ近くに建てられた。  
 

 
   明神二之池を見ていたときに雨が強く降ってきた。雨に打たれながらも、うっすらと煙が立ちのぼる嘉門次小屋の風情は、嘉門次が生きていた頃と全く変わっていないことに感動しながら、帰途についた。  

雨の嘉門次小屋

雨の嘉門次小屋

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和田義男

 
和田義男
 
撮影 2005年5月5-6日
 

OLYMPUS E-300

11-22mm 14-54mm
SIGMA 55-200mm


800万画素

  
1,950枚  3,020MB
 

 犬も歩けば棒に当たる。旅の写真館の醍醐味は、旅先で予期せぬ素晴らしい光景に出会うことである。
 日本は瑞穂(みずほ)の国である。四方を海に囲まれているが、断じて海洋民族ではない。春になると農民たちが一斉に美田を耕し稲作に勤しむ姿を見ると、日本人が農耕民族であることを実感する。
 棒に当たったのは田植の風景である。バスの窓ガラス越しに撮影した沢山の画像の中に宝が埋まっていた。
 信濃の国には北アルプスに抱かれた豊かで美しい農村があった。

▲▲▲

 最後は雨になったが上高地も素晴らしかった。日帰り旅行では行けなかった明神池。神秘的で美しい光景に感動した。そして、ここでも棒に当たったのは、明神橋の日本猿である。専属のモデルになってくれたのかと思うほどで、良い写真が撮れた。これからも森羅万象との素晴らしい出会いを求めて旅を続けたい。2005.6.26 〈 完 〉                                                
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