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和田義男

 旅紀行ジャパン

2005年6月5日改訂
♪谷茶前・十九の春・安里屋ユンタ・与那国小唄  夢  現

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2005年5月20日作成

昔の製糖工場

昔の製糖工場(琉球村/沖縄県那覇市)

本島編

沖縄美ら海紀行

琉球村

琉球村のマスコット・赤褌のキジムナー
 
   4月16日(土)午後、本部半島(もとぶはんとう)から南下して再び恩納村(おんなそん)に入り、「伝えたいむかし沖縄」がキャッチ・コピーの琉球村を見学した。
 

 

琉球村りゅうきゅうむら

   琉球村は、昔ながらの沖縄の生活を再現したテーマパークで、建て替えられようとしていた民家7棟を移築し、染織や陶芸、三線(さんしん)などの教室を開いているほか、水牛を使った砂糖製造などを実演し、多くの人々が琉球の伝統文化を身近に体験できる機会を提供している。  琉球村

赤褌のキジムナー

 琉球村のイメージ・キャラクターは、伝説のキジムナー(木の精)*で、男子は赤褌一丁のスタイル。広い村内の要所に道しるべがあり、キジムナーの人形が順路を教えてくれる。
*キジムナー: 沖縄各地に「小妖精・キジムナー」伝説があり、古いガジュマルの大木に住み、人と交流する妖精で、仲良くなると魚をくれたりして、友人を幸せにするという。

琉球村

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京太郎チョンダラー

   入場すると、旧仲宗根家(きゅう・なかそねけ)の庭で、三線(さんしん)や太鼓の演奏と地謡(じうてー)の喉自慢にあわせ、観光客を巻き込んだ賑やかなエイサー(盆踊り)が繰り広げられていた。取り仕切っているのは、尻絡げ(しりからげ)の着物に赤褌の長い前垂れをひらめかせ、志村けんのバカ殿さまのような格好をした男性である。  
   この男は、チョンダラー(京太郎)と呼ばれるエイサーにおける道化役で、観客を笑わせたり、盛り上げたりする役割を持つ。カチャーシー*や拍手を勧めたり、飛び跳ねたり、指笛を鳴らしたり、時には客に酒を勧めたりする。  
   チョンダラーは、明治の末くらいまでは、それを生業(なりわい)としている人たちが那覇の一角に暮らしており、人形劇のほか、葬式の鉦叩きや念仏を唱えたりしていたという。  
  *カチャーシー : 沖縄を代表する賑やかな手踊り。老若男女が三線の早弾きの 軽快なリズムに合わせて踊る。  

クバの葉の扇ををもちユーモラスな動作で場を盛り上げるチョンダラー(旧仲宗根家)

クバの葉の扇ををもちユーモラスな動作で場を盛り上げるチョンダラー(旧仲宗根家)

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エイサー(盆踊り)
   エイサーは先祖の霊を供養する行事で、 舞う者、見る者、すべての人の血を熱くたぎらせる踊りである。お盆に盆踊りが行われるように、エイサーも旧盆に行われる行事で、自分のシマ(地域)を道ジュネー(みちじゅねー)*し、家々を巡る。エイサー、エイサーという念仏歌(ねんぶつうた)の声がその名のおこりだという。  
  *道ジュネー : 集落の辻からぞろぞろと家々を練り歩くパレード。  

エイサー(旧仲宗根家)

エイサー(旧仲宗根家)

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シーサー

   民家の屋根や門柱に置かれている奇妙な顔をした獣像をシーサーと呼ぶ。中国から伝来した魔よけの獅子(ライオン)で、当初は、城門・寺社・王陵・集落の入口などに置かれていた。19世紀末に民家にも赤瓦の使用が許されるようになると、屋根に獅子を据えて魔よけとする風習が広まった。  

旧比嘉家

旧比嘉家

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   瓦職人が屋根を作ったあと、最後に余った瓦と漆喰(しっくい)でシーサーを載せたのが始まりという。屋根獅子には、焼物製と漆喰製があり、漆喰シーサーの方は一見恐ろしげだが、よく見るとユーモラスな顔をしている。  

旧比嘉家のシーサー

旧比嘉家のシーサー

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   沖縄では獅子のことをシーサーとかシーシという。獅子は中国伝来の言葉でライオンを意味するが、中国にはライオンが生息していないので、この中国語も外来語である。  

個性的なシーサー

個性的なシーサー 1 個性的なシーサー 2

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機織りはたおり

   沖縄本島で織られている織物には芭蕉布(ばしょうふ)、読谷山花織(よみたんざんはなおり)、 首里織(しゅりおり)、南風原(はえばる) の絣(かすり)などがあり、王国時代は貢布(人頭税)や自家用として、女性たちの手で織られていた。  
 

 
 

喜如嘉の芭蕉布 きじょか  ばしょうふ

 
   芭蕉布は、芭蕉(バナナの木)の繊維を糸にして織った布のこと。沖縄の織物の中でも最も古い織物で、13世紀頃には既に織られていたという。  
   芭蕉には実芭蕉・糸芭蕉・花芭蕉があり、実芭蕉からは食用のバナナが採れる。糸芭蕉にもバナナの実がなるが、種が大きくて食べられず、その輪層になった幹を剥いで糸にするという。  
   芭蕉布は現在も織られており、その代表的な地域が大宜味村(おおぎみそん)喜如嘉(きじょか)で、そこで織られる芭蕉布は「喜如嘉の芭蕉布」として国の重要無形文化財の指定を受け、人間国宝の平良敏子(たいらとしこ)さんが芭蕉布を織り続けている。 名匠の着物・平良敏子  
 

芭蕉布
 
海の青さに 空の青 南の風に 緑葉
(みどりば)の 芭蕉(ばしょう)は 
(なさけ)に 手を招く 常夏(とこなつ)の国 我(わ)した島 沖縄(うちなー)

 

芭蕉布の着物を着た機織り(旧花城家)

芭蕉布の着物を着た機織り(旧花城家)

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 芭蕉布や琉球村の春深む  北舟 

ばしょうふや りゅうきゅうむらの はるふかむ

紅型びんがた

   琉球王国時代から続く、沖縄の代表的な染物を紅型(びんがた)と呼ぶ。東南アジア、中国、日本の影響を受けながら、沖縄の自然・風土を取り込み、色鮮やかな染物として発展してきた。王府の庇護のもとに、王族衣裳をはじめ、琉球舞踊や組踊りにも取り入れられた。  
   紅型の魅力は、南国的な色彩と艶やかな模様にある。小刀で細かく彫った型紙を用いて染色するという技法により、あの鮮やかな色が表現される。  

艶やかな紅型の女性(旧島袋家)

艶やかな紅型の女性(旧島袋家)

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神アシャギかみあしゃぎ

   御嶽(うたき)は、村の中心をなす地域で、村の守護神である祖霊神(それいしん)が祀られている。御嶽の近くには祖霊神を招いて祭祀を行うアシャギナーと呼ばれる広場があり、そこに軒(のき)が低く、壁や床もない神アシャギと呼ばれる祭祀小屋が建っている。この小屋でノロ*(神女)たちが御嶽を遙拝したり、オモロ(神歌)を謡ったり、神酒(みき)のふるまいを受けたりするという。  
  *ノロ : 神の波動を感じて神と話のできるシャーマンで、村の神事祭祀を司る。  

広場に立つ祭祀小屋・神アシャギ

広場に立つ祭祀小屋・神アシャギ

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舟舞台ふなぶたい

   琉球村の池に2隻のサバニ*を使った舟舞台が浮かんでいた。これを見て、ハリウッド映画「ブルー・ハワイ」で、エルビス・プレスリーが2隻のカヌーを使った舟舞台の上で、ウクレレを弾きながらハワイアン・ウェディング・ソング Hawaiian Wedding Song を歌うエンディングのシーンを思い出した。  
  *サバニ : 古くから沖縄に伝わる手漕ぎ舟  

二隻のサバニを使った舟舞台

二隻のサバニ(沖縄の舟)を使った舟舞台

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製糖工場サーターヤ

   琉球村の一角にサーターヤと呼ばれる製糖工場が復元されており、水牛が軸木(じくぎ)を引いて歯車をまわし、サトウキビから汁を絞る実演が行われていた。絞った汁を大鍋で煮詰め、冷ますと黒糖ができあがる。  

昔の製糖工場

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記念撮影

   花笠をかぶり、鮮やかな紅型衣装を着て記念撮影する女性たち。紅型の打ち掛けは帯を使用せず、前つぶりといって前で結んで留める。沖縄の伝統衣装は、ヤマトンチュ*の女性たちに大好評だった。  
  *ヤマトンチュ : 大和人。ウチナンチュ(沖縄人)以外の日本人。  

紅型衣装で記念撮影するヤマトンチュの女性たち

紅型衣装で記念撮影するヤマトンチュの女性たち

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