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和田義男

 旅紀行ジャパン

2005年6月8日改訂
♪芭蕉布・花・島人ぬ宝・ちんさぐの花 Dr.町田のホームページ

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2005年6月7日作成

ライトアップされた鍾乳洞

ライトアップされた鍾乳洞(石垣島川平湾/沖縄県)

八重山編

沖縄美ら海紀行

鍾乳洞

川平観音堂かびらかんのんどう

   川平湾のそばの鬱蒼とした杜の中に赤瓦屋根のお堂が建っていた。鳥居があり、石灯籠が建つ風情は、ヤマトンチューの神社である。グラスボート乗り場の人に尋ねると、観音堂だと教えてくれた。  

川平観音堂

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 internetで調べてみると、川平観音堂(かびら・かんのんどう)といい、次のような伝承があった。
 川平湾にマーラン船*が順風を待って停泊していた。その船から小僧が順風になるまでと川平村へ上陸した。しばらくして戻ってみるとマーラン船はすでに出帆し、はるか沖を帆走していた。小僧は驚き嘆きながら、船が川平湾へ戻るよう一心に神仏に祈った。
*マーラン船:中国のジャンクを参考に作られた琉球独自の外洋帆船。漢字は馬艦船。山原船(やんばるせん)とも。

注連縄のかかる観音堂

注連縄のかかる観音堂

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 小僧の熱願は天に通じて北風が吹き、船は戻って来て乗船することができ、無事目的を成就した。数年後、小僧は和尚となって帰島し、自分の祈願した地に観音堂を建て祀った・・・と。
 このエピソードによれば、観音堂はお寺であり、奥に祀られている像は観音像と思われる。しかし、その後の神仏混交や明治の廃仏毀釈などにより、鳥居・注連縄という神社スタイルの観音堂となったのだろう。

観音堂の中

観音堂の中

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梯梧デイゴ

   ♪ デイゴ〜の花が咲き、風を呼び嵐が来た〜・・・ ブームの「島唄」に歌われている沖縄県の花・デイゴは、インド原産の高木落葉樹で、沖縄が北限という。3〜5月にかけて沖縄のあちらこちらに真っ赤な花を咲かせる。  
   この島唄にあるように、デイゴの花が見事に咲く年は、台風の当たり年となり、大きな被害を受けるといわれる。沖縄の人々は、この美しい花を見ても素直には喜べないという。今年は見事な花をつけているので、風を呼び嵐が来るのだろうか。  

観音堂のそばの立派な梯梧の木

観音堂のそばの立派な梯梧の木

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 嵐呼ぶデイゴ咲きをり夏隣  北舟 

石垣市唐人墓

 色鮮やかに装飾された唐人墓(とうじんばか)は、この地で死亡した中国人の冥福を祈って石垣の島民が建てたもの。1852年アメリカに向かうアメリカ船内で虐待された中国人労働者が暴動を起こしたあと難破したため石垣島に上陸し、島民が暖かく迎えたものの、後日米国と英国の兵隊により殺害されたという悲話が残されている。

【参考】 唐人墓には、次のような碑文が刻まれている。

 唐人墓には中国福建省出身者128人の霊が祀られている。1852年2月、400人余りの苦力(クーリー)が厦門(アモイ)港から米国船ロバート・バウン号でカリフォルニアに送られる途上、辮髪(べんぱつ)を切られたり、病人を海中に投棄されるなどの暴行に堪えかねて蜂起し、船長ら7人を打ち殺した。船は、石垣島沖に座礁し、380人が島に上陸した。石垣の人々は、仮小屋を建て、彼らに住まいを提供した。しかし米国と英国の海軍が三回にわたり来島し、島に砲撃を加え、上陸してきびしい捜索を行った。中国人労働者は山中に逃亡したが、百名以上が銃殺され、逮捕され、自殺者、病没者が続出した。島民は深く同情し、密かに食糧や水を運び、中国人側の被害が少なくするよう配慮した。そして事件処理に関する国際交渉に取り組んだ結果、翌1853年9月、琉球側が船二隻を仕立て、生存者172人を福州に送還した。

石垣市唐人墓

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石垣島鍾乳洞

 八重山観光の最後に、石垣空港の西4kmほどにある石垣島鍾乳洞に行った。「遠野物語」で知られる民俗学者の柳田国男が絶賛したというこの鍾乳洞は、日本最南端の観光鍾乳洞で、総延長が3,200mあり、山口県の秋芳洞(しゅうほうどう)とほぼ同規模の大きな鍾乳洞で、660mの部分を見学することができる。   石垣島鍾乳洞
 沖縄県には公開されている鍾乳洞が16箇所あり、ここは2番目(全国7位)の規模だという。もともと沖縄は隆起珊瑚礁の島なので、珊瑚礁の主成分である石灰岩で作られた鍾乳洞の数は非常に多く、規模の大小、未公開のものまで含めれば125箇所もあるというから驚きだ。

石垣島鍾乳洞

石垣島鍾乳洞

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巨大な石柱

 洞内の保存状態が良く、盗掘された部分が殆どみられない。白く見えるのはペンキではなく、最近(何百年かの近年)作られつつある新しい鍾乳石であるという。この鍾乳洞は生きているという実感が伝わってくる。

クラゲのようなつらら石と石柱

クラゲのようなつらら石と石柱

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 洞内通路はステンレスの手すりが付いたコンクリート舗装の遊歩道で、蛍光灯照明とスピーカーの案内により、子供からお年寄りまで、快適かつ安全に鍾乳洞の探検ができる。

巨大な鍾乳石

巨大な石柱

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見事な 

石筍せきじゅん

 特に石筍の保存状態が素晴らしく、その長さは見事である。50万本以上という石筍の数と成長の早さは日本一といわれる。この辺りは上からのつらら石の発達よりも、石筍の発達が際立っている。

見事な石筍

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 石筍に雫一滴木の芽時  北舟 

洞内のライトアップ

 途中からライトアップゾーンに至る。まるでお伽の国のようで、とても美しく感動的である。鍾乳洞のライトアップを見たのは初めてだが、とかく単調になりがちな洞内探検に変化をつけるのに良いアイデアだと思う。

お伽の国

お伽の国

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 隆起珊瑚礁の島・沖縄。その地底探検をたっぷりと堪能して八重山諸島の観光を無事に終えることができた。

ライトアップされた鍾乳洞

ライトアップされた鍾乳洞

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和田義男

 
和田義男

撮影 2005年4月17・18日
 

OLYMPUS E-300 & E-1

11-22mm 14-54mm
SIGMA 55-200mm


800万-500万画素

 
1,490枚  2,260MB
 

 当サイトが5歳の誕生日を迎える39日前の2005年6月7日、トップページのカウンターが100万アクセスを超えた。
 この記念すべき日に、沖縄美ら海紀行(八重山編)が完成し、本島編と併せて沖縄紀行を完結することができことは大変喜ばしい。

 本島編と八重山編をあわせると約3,000枚4.5ギガの写真を撮影した。フルオート・大量撮影という和田流撮影術により、沖縄紀行の感動を何とか再現できたのではないかと秘かに自負している。 2005.6.7 〈 完 〉
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