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和田義男

 旅紀行ジャパン

2005年7月29日改訂

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♪正月・境内・神苑 remair〜記憶の星〜

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2005年7月28日作成

小倉城庭園から見た天守閣

小倉城庭園から見た天守閣(福岡県北九州市)

初夏の小倉城

勝山公園

北九州市の花・

向日葵ひまわり

 

北九州市の花・向日葵

拡大写真(1200x900)384KB

 2005年6月30日(木)福岡県北九州市小倉北区にある小倉城(こくらじょう)に行った。JR小倉駅から歩いて15分ほど。朝9時の開園と同時に場内に入った。

小倉城こくらじょう

 小倉城は、人口約100万人の政令指定都市・北九州市の中心地・小倉の勝山公園(かつやまこうえん)にある。城の周りには小倉城庭園、八坂神社、市民会館、松本清張記念館、リバーウォーク、水環境館などの施設があり、市民の憩いの場となっている。
 小倉城は、文永年間(1264〜1274)に土豪の緒方惟重が勝山城(勝野城)と呼ばれた小城を作ったのが始まりで、関ヶ原の戦いのあと、細川忠興(ほそかわ・ただおき)が32万石で入城し、慶長7年(1602)に名城といわれた小倉城を築城した。

JR小倉駅とモノレール

JR小倉駅とモノレール

拡大写真(1200x900)269KB

 この城は海のそばに建つ海城とでもいうべき縄張りで、本丸を中心にいくつもの曲輪(くるわ)が渦巻き状に配置されていた。天守閣の外観は五層六階で破風(はふ)がなく、五層目が四層目よりも大きく黒塗りで、当時は「唐作り」と呼ばれて全国一の珍しい城であった。   北九州市ホームページ   小倉城ホームページ

駅前の小倉祇園太鼓の像

小倉っ子の心意気を象徴する「小倉祇園太鼓の像」。待ち合わせ場所として市民に親しまれている。

駅前の小倉祇園太鼓の像

拡大写真(1200x900)341KB

  細川藩は細川忠利のときに肥後(熊本)に転封となったため、代わって小笠原忠真(おがさわら・ただざね)(当時は忠政)が播州播磨より15万石で入封し、譜代大名として九州探題の威容を誇った。幕末に至り、慶応2年(1866)豊長戦争の際、小笠原藩は自ら城に火を放ち焼失。現在の城は昭和34年(1959)に再建されたものである。

勝山公園

勝山公園

 

小倉城庭園から見た小倉城

   小倉の街の中央を流れる紫川を渡ると、緑に包まれた勝山公園に入る。小倉城庭園は、小倉城の東方、勝山公園内にあり、藩主小笠原氏の別邸にあった池泉回遊式庭園を再現したものである。この庭から見る天守閣は、とても素晴らしい。   小倉城庭園のホームページ

小倉城庭園から見た小倉城

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  夏の庭聳ゆる城の威風かな   北舟 
 

現在の天守閣

 現在の天守閣は、かつての名城の外観に破風(はふ)を加えて見栄えを良くしたものだが、この変更は意見の分かれるところである。再建された小倉城は外観四重、内部五階建ての全館冷暖房完備の鉄筋コンクリート製だが、エレベーターはない。天守閣は高さ28.7m、堀から石垣の高さ18.1mを加えると47.5mとなる。
現在の天守閣

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小倉城庭園の

水馬みずすまし

 

 小倉城公園の池はミズスマシの天国だった。池の水面に空と天守閣が映り、二匹のミズスマシが重なって交尾中であった。ミズスマシはアメンボ(アメンボウ)の俗称で、「水澄まし」「水馬」と書き、夏の季語。

小倉城とミズスマシ

小倉城とミズスマシ

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   アメンボ(アメンボウ)は周水黽と書き、カメムシ目アメンボ科の昆虫の総称。体は細長く棒状で、5〜30mm。脚は長く、先には毛が生えていて水上に浮かんで滑走し、小昆虫を捕食する。飴のような臭いを出す。
  水馬水面の空の交尾かな   北舟 

みずすまし みずものそらの こうびかな

交尾中のミズスマシ(アメンボウ)

交尾中のミズスマシ(アメンボウ)

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