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和田義男

 旅紀行ジャパン

2008年11月5日改訂

今 日

昨 日

メドレー「天竜下れば」

 

天龍の舟より見上ぐ秋の空   北舟

 

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Autumn sky, looking up from a boat of Tenryu.

2008年11月5日制作

つつじ橋を通過

つつじ橋を通過(長野県飯田市)

木曽路秋の旅

天龍川

 馬籠宿を最後に木曽十一宿の散策を終え中津川インターから中央道に乗って帰途についたがまだ時間があったので、飯田インターで下りて、中央アルプス(木曽山脈)の東側を流れる天竜川の川下りに参加した。
天竜ライン下り案内図

天竜ライン下り案内図

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資料

天 竜 川てんりゅうがわ

 天竜川は長野県から愛知県、静岡県を経て太平洋へ注ぐ天竜川水系の本流で、一級河川。流路延長は213km(日本全国9位)、流域面積は5,090km2(日本全国12位)。
滔々と流れる天龍川(天竜峡温泉・

姑射橋こやきょう

下流)

滔々と流れる天龍川(天竜峡温泉・姑射橋下流)

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 天竜川は、諏訪湖の唯一の出口である長野県岡谷市の釜口水門を源流とする。長野県上伊那郡辰野町から始まる伊那谷(いなだに)を形成し、一部愛知県をかすめ、静岡県へ抜ける。浜松市天竜区二俣町鹿島で平野部に出、浜松市と磐田市との境を通って遠州灘に注ぐ。
天竜峡温泉港の天竜ライン下りのりば

天竜峡温泉港の天竜ライン下りのりば

 流域は急峻な地形のため、古くから「暴れ川」「暴れ天竜」として知られ、多数のダムがある。江戸時代、徳川家康の命で、京の豪商で運河建設の第一人者であった角倉了以(すみのくら・りょうい)が天竜川の輸送路を確立し、木材や年貢などの物資は、天竜の水運をもって舟で運ばれた。
天竜ライン下りの出発地点(天竜川温泉・

姑射橋こやきょう

上流)

天竜ライン下りの出発地点(天竜川温泉・姑射橋上流)

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天 竜 峡てんりゅうきょう

 
 天竜峡は、長野県飯田市にある天竜川の峡谷で、国の名勝であり、また天竜奥三河国定公園の一部となっている。竜の字を旧字とした天龍峡と記述されることもある。暴れ川と言われた天竜川が切り開いた花崗岩の岸壁には、アカマツやモミジが自生し、渓谷美を誇る。天竜峡温泉もあり、船上から景観を楽しむ天竜川舟下りが運行されている。
東海道五十三次之内 見附 天龍川舟渡し 廣重画

東海道五十三次之内 見附 天龍川舟渡し 廣重画

資料

廣重の浮世絵とそっくりの川舟

廣重の浮世絵とそっくりの川舟

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天竜ライン下り

   天竜川の船旅は、「天竜舟下り」と「天竜ライン下り」のふたつがある。前者は弁天港から時又港までの約35分の川下りであるが、すべて昔ながらの手漕ぎ舟である。今回参加した後者はテレビを見て決めたもので、天竜峡温泉港から唐笠港まで約50分の船旅だが、途中、外舷機による機走があるのは、現地に着いてから分かった。  
出発する舟下りのボート

出発する舟下りのボート

 下流に着いてから出発地の駐車場までどうやって帰るのか、旅の情報誌「るるぶ」には書かれていなかったので事前に電話で確かめたところJR飯田線の便があるときはそれで戻り、ないときは無料のシャトル・バスで戻ってこれるので、参加を決めた。  天竜ライン下り
舟首で櫂を漕ぐ舟方

舟首で櫂を漕ぐ舟方

 天竜峡の命名は、漢学者の阪谷朗廬(さかたに・ろうろ)によるものである。阪谷は弘化4年1847)に当地を訪れている。右岸(西)側の高台には、朗廬の天竜峡碑(漢文)が建立されている。

姑射橋こやきょう

をくぐって下流(南)の唐笠港へ向かう

姑射橋こやきょうをくぐって下流(南)の唐笠港へ向かう

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 明治15年1882当地の文人の招請を受けた書道家の日下部鳴鶴(くさかべ・めいかく)が天竜峡の10の奇岩を選定し、天竜峡十勝とした。これらの岩は上流より順番に命名され、それぞれに鳴鶴自筆の銘が彫られている。
天龍峡の奇岩・

龍角峯りゅうかくほう

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

天龍峡の奇岩・龍角峯

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天竜峡十勝

 
1 垂竿磯(すいかんき) 2 烏帽石(うぼうせき) 3 歸鷹崖(きようがい) 4 姑射橋(こやきょう)  5 烱烱潭(けいけいたん) 6 浴鶴巖(よくかくがん)  7 仙牀磐(せんじょうばん)  8 樵廡洞(しょうぶどう) 9 龍角峯(りゅうかくほう)  10 芙蓉峒(ふようどう)
霊峰・龍角峯の賽銭箱に賽銭を投げ入れる

霊峰・龍角峯の賽銭箱に賽銭を投げ入れる

 昭和2年1927)、東京日日新聞などによる日本新八景の選定に際しては、渓谷部門の読者投票で313万票を得て1位になったが、審査員による最終選考からは漏れた。これに憤慨し、飯田地方では東京日日新聞の不買運動が起きたといわれている。八景には漏れたものの、日本二十五勝には選定された。

芙蓉峒ふようどう

(芙蓉の2文字が見える)

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

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つつじ橋を通過

つつじ橋を通過

拡大写真(1600x1200)499KB

  天龍の舟より見上ぐ秋の空  北舟 

てんりゅうの ふねよりみあぐ あきのそら

Autumn sky, looking up from a boat of Tenryu.

投網の実演

投網の実演

 昭和9年1934)には国の名勝となり、市丸の新民謡「天竜下れば」のヒットと合わせて多くの観光客を集めた。
見事に円形に広がった投網

見事に円形に広がった投網

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 しかし、天竜峡付近は、もともと狭隘で土砂を溜めやすかったため、河床が上昇し、十勝の一部は水面下に沈んだり、砂に埋もれるなどした。その後、昭和59年(1984)から天竜峡下流側で川底からの砂利採取を継続的に行うことで、河床が低下し、景観がある程度回復した。たとえば、芙蓉峒の文字のうち「芙蓉」までが水面上に現れるようになった。
売店舟に横付け

売店舟に横付け

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 昭和44年(1969)には近隣地域とともに天竜奥三河国定公園に指定された。昭和50年(1975)には中央自動車道の飯田インターチェンジの供用が開始され、昭和52年(1977)の昼神温泉の湧出とあわせ、天竜峡を訪れる観光客も増加した。平成元年(1989)の天竜峡温泉の湧出により、観光客は60万人に達したが、その後は低迷しているという。
美しいエメラルド・グリーンの水面に映える川辺の竹林

美しいエメラルド・グリーンの水面に映える川辺の竹林

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 平成20年(2008)には三遠南信自動車道の部分開通、天龍峡インターチェンジの供用開始に伴い、同年を「天龍峡再生元年」と位置づけ、100年をかけて100年前(明治末〜昭和初期)の景観を取り戻す「天龍峡百年再生プロジェクト」の開始が宣言された。
舷側を叩いて到着を知らせる

舷側を叩いて到着を知らせる

 またこれに合わせて地元では新字体である「竜」の字を各種碑文や名勝指定で用いられている旧字体の「龍」の表記に戻す活動が進められている。
アヒルの歓迎

アヒルの歓迎

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和田義男

  
撮影

2008年10月11-13日


OLYMPUS  
E-3 E-510
 

 
12-60mm 70-300mm

1000万画素 1383枚 6.01GB
 

 3日間素晴らしい天候に恵まれ、木曽路の秋を心ゆくまで楽しむことができた。
 奈良井、妻籠、馬籠は歴史的建造物の保存・復元が進み、江戸時代の木曽十一宿の様子が手に取るように再現され、日本の伝統文化の素晴らしさを改めて実感することができた。
 中日は終日木曽御嶽山を巡り、黒沢口での日本アルプスを眼下に従えた絶景を愛でただけでなく、王滝口にも車を走らせ、神道に修験道と仏教が色濃く習合した独特の御嶽神社の山岳信仰の現状を見ることができた。
 9月上旬に武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)の滝行を取材し、武州御嶽山滝行 (ぶしゅう・みたけさん・たきぎょう) を発表したが、今回の取材で、両霊山の頂上に鎮座する両御嶽神社の相違点を明らかにすることができたことは、大きな収穫だった。木曽御嶽山(きそ・おんたけさん)の滝に不動明王(ふどうみょうおう)が祀られているのに対し、武州御嶽山の滝には祓戸大神(はらえどのおおかみ)が祀られていることが、その象徴である。
 また、18世紀の終わり頃、覚明(かくめい)普寛(ふかん)という人の行者が御嶽山(おんたけさん)を開山し、御嶽信仰の礎を築いたが、王滝口を開いた普寛が武蔵国の人であったということを知って、木曽御嶽山と武州御嶽山の因縁浅からざる思いを強くした。更に掘り下げれば、興味深い史実が隠されているかも知れない。

旅紀行ジャパン第105集 「木曽路秋の旅」

撮影・制作 : 和田義男

 平成20年(2008)11月5日 作品:第29作 画像:(大90+小45) 頁数:8 ファイル数:280 ファイル容量:76.41MB
 
平成12年(2000)〜平成20年(2008) 作品数:300 頁数:1,083 ファイル数:36,819 ファイル容量:6,093MB
  御嶽の間近に見上ぐ秋日和  北舟 

おんたけの まぢかにみあぐ あきびより

Sunny autumn day, looking up the Ontake mountain nearby.

【編集子が選ぶ名作】
紅葉の御嶽山・剣ヶ峰(3,067m)
紅葉の御嶽山・剣ヶ峰(3,067m)

拡大写真(1800x1350)514KB

 
レンタカーとバスツアー
 
 今回、レンタカーを利用したため、その場で思いついた所や目に付いた場所で止まり、すぐに取材できたのはこの上なく便利で、事前踏査もせず、ぶっつけ本番の木曽路の旅ではあったが、それなりに中身の濃い作品ができあがった。これは、バスツアーでは絶対にできない利点である。  

 その反面3連休を利用したこともあり帰りの中央道は事故と重なり小仏(こぼとけ)トンネル付近で数十キロの渋滞となり、それを抜けるのに3時間を要した。帰宅したのは午後9時を過ぎており、クタクタに疲れてしまった。

 圏央道が中央道につながり、青梅も便利になったと喜んでいたが、こんなに車が多くては、どうしようもない。バスツアーであれば、集合時間や行動に束縛されるものの、渋滞していても寝ていればそのうちに着くという気楽な良さがある。助手席の家内は特に疲れた様子で、レンタカーはこりごりだと云う。家内が疲れたのは、危なっかしい私の運転のせいかもしれないが・・・。(^^;  〈 完 〉  2008.11.5   和田義男
  秋の川寝覚めの床の太郎冠者  北舟 

あきのかわ ねざめのとこの たろうかじゃ

The autumn river, Taro waked up on the bed.

【編集子が選ぶ名作】
寝覚めの床
寝覚めの床

パノラマ写真(2000x1000)512KB

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