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和田義男

 旅紀行ジャパン

2010年1月21日改訂

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♪メドレー「春の海」

 

初詣成田不動の二重屋根   北舟

2010年1月20日制作

First visits of the year, the double roof of Narita Fudo.

威風堂々たる大本堂 10:15

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威風堂々たる大本堂/成田山新勝寺(千葉県成田市)

東国三寺社初詣

成田山新勝寺
成田山新勝寺 不動明王 鹿島神宮 香取神宮 和田義男

はじめに

 快晴の旅行日和に恵まれた平成22年(2010)1月2日(土)、家内と共にクラブツーリズムの日帰りバスツアーに参加し、成田山新勝寺、鹿島神宮、香取神宮の東国三寺社に初詣して、正月風景を切り取ってきた。

 

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

三寺社の位置

三寺社の位置

資料:Googleマップ

 

成田山新勝寺なりたさんしんしょうじ

 
  平成20年(2008)4月に開基1070年を迎えた成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)千葉県成田市にある真言宗智山派の寺院で、同派の大本山である。正式名は「成田山金剛王院新勝寺」といい、本尊は不動明王。関東地方では有数の参詣人を集める著名寺院で、家内安全、交通安全などを祈る護摩祈祷のために訪れる人も多い。寺名は一般には「成田不動」や「成田山」と呼ばれることが多い。 成田山新勝寺公式ホームページ  

成田山新勝寺境内案内図

成田山新勝寺境内案内図

資料:成田山新勝寺

拡大写真(1800X1160)573KB  成田山新勝寺境内案内図
  ▼ 毎年警察が正月の初詣客数を発表しており、成田山新勝寺は、2006年は275万人だったが、2009年は298万人となって毎年増加しており、明治神宮に次ぐ全国第二位の初詣客を獲得している。  

成田山初詣(大本堂)

資料:JP
   開基1070年記念事業として2006年に竣工した真新しい総門は総欅造(そうけやきづくり)で、境内の入口に建つ。高さ15m、桁行14.2m、梁行6.3m。二階部には不動明王や千手観音、大日如来など8体の木製仏像が奉安されている。  

成田山新勝寺の総門  2010.1.2 10:05

成田山新勝寺の総門  2010.1.2 10:05

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  ▼ 国の重要文化財の仁王門は、参道から大本堂へ至る急な階段の途中に建つ。入母屋造の八脚門で、文政13年(1830)の建立。横断幕で見えないが、東京・浅草寺(せんそうじ)の雷門(かみなりもん)のように大きな提灯が下がっている。  

仁王門への参道

仁王門への参道

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  ▼ 仁王門をくぐり、石段を上りきった正面に建つ、新勝寺の中心となる堂が大本堂である。本尊不動明王像を安置する。昭和43年(1968)に建立された入母屋造二重屋根の鉄筋コンクリート造で間口95.4m、奥行59.9m、棟高32.6m。  

威風堂々たる大本堂 10:15

威風堂々たる大本堂 10:15

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  初詣成田不動の屋根二重  北舟 

はつもうで なりたふどうの やねふたえ

First visits of the year, the double roof of Narita Fudo.

頭が良くなりますように!

頭が良くなりますように!

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  ▼ 成田山新勝寺は平安時代中期に起きた平将門(たいらのまさかど)の乱の際天慶2年(939)朱雀天皇が鎮圧のため、寛朝大僧正(かんちょう・だいそうじょう)を東国へ遣わしたことに起源を持つ。  
 寛朝は京の高雄山(たかおさん)神護寺(じんごじ)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、翌天慶3年(940)、海路にて上総国(かずさのくに)に上陸。平将門の乱平定祈願のため、下総国(しもつけのくに)で不動護摩の儀式を行った。新勝寺はこの天慶3年を開山の年としている。

成田山初詣(大本堂)

成田山初詣(大本堂)

   乱平定後の永禄年間1566年頃、成田村の名主が不動明王を背負って現在の場所に遷座し、現在の成田市並木町(なみきちょう)にある「不動塚」付近に伽藍を建立したと伝えられ、そこが成田山発祥の地といわれている。「新たに勝つ」という語に因み、新勝寺と名づけられ、東国鎮護の寺院となった。その後は、戦国期の混乱の中で荒廃してしまい、江戸時代までは寂れた寺となっていた。
大本堂の御護摩

大本堂の御護摩

   江戸時代になると、江戸でたびたび成田不動の「出開帳(でがいちょう)」(秘宝特別公開)が行われた。元禄16年(1703)、富岡八幡宮の別当寺だった永代寺(えいたいじ)(現在の深川不動堂)で行われたのが初めで江戸時代を通じて12回行われた記録がある。
 歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったことなどもあって、成田不動は庶民の信仰を集め、成田参詣が盛んとなり、今なお隆盛が続いている。
御守札受場

御守札受場

   境内は広く新旧のさまざまな建造物が並んで庶民の信仰の場の雰囲気を醸し出している。江戸中期〜末期の建築である仁王門、三重塔、釈迦堂、額堂(がくどう)、光明堂(こうみょうどう)の5棟が国の重要文化財である。

守護矢や御守札など

守護矢や御守札など

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  ▼ 釈迦堂は、大本堂左手の広場に建つ入母屋造の仏堂で、安政5年(1858)建立の旧本堂。後述の光明堂(二代前の本堂)と似た形式になるが、規模はこちらの方が一回り大きく、屋根正面に千鳥破風を付けた点も異なっている。堂の周囲には二十四孝と五百羅漢の浮彫が施されている。
先代の本堂だった

釈迦堂しゃかどう

先代の本堂だった釈迦堂

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  大本堂と釈迦堂の間の広場に見事なハボタン(葉牡丹、英語:ornamental cabbage)が植えられていた。ハボタンは、アブラナ科アブラナ属の多年草で、園芸植物として鮮やかな葉をつける。

葉牡丹と新勝寺

葉牡丹と新勝寺

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  名前の由来は、葉を牡丹の花に見立てたもので、 耐寒性に優れ、冬の公園を彩るほか、門松の添え物にも利用されるが、暖地では色づかず、寒地では屋外越冬ができないという。
古色蒼然の

額堂がくどう

古色蒼然の額堂

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  ▲▼ 額堂(がくどう)は大本堂左裏の階段を上った先の平地に位置する。文久元年(1861)に建てられた入母屋造建具や壁を造らない全面吹き放しの堂で、奉納額や絵馬を掲げるための建物である。
古びた奉納額の数々

古びた奉納額の数々

  光明堂(こうみょうどう)は、額堂のさらに先に建つ入母屋造の仏堂で、元禄14年(1701)に建立。釈迦堂が本堂になる前の本堂である。  
先々代の本堂だった

光明堂こうみょうどう

先々代の本堂だった光明堂

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  ▼ 現在の本堂である大本堂のほか、かつての本堂だった釈迦堂や光明堂も参詣客で賑わっていた。これらの旧本堂は、いずれも国の重要文化財に指定されているだけあり、歴史と風格が備わっている。
光明堂の参拝客

光明堂の参拝客

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成田山新勝寺 不動明王 鹿島神宮 香取神宮 和田義男
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