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Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2016年10月29日改訂

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♪メドレー日本の郷愁
旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

冬とてもふどし一丁炭坑夫   北舟
拡大写真(2400X1800)691KB

Coal miners wearing fundoshi only even in winter.

2001年7月16日制作

「坑内の群像」 村島定児(自由美術協会)画 /石炭記念館(福岡県宮若市宮田)
「坑内の群像」 村島定児(自由美術協会)画 /石炭記念館( 福岡県宮若市宮田)

俳句「海の風景」第39集


 
 















 
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2016年10月5日(水)曇

 平成28年(2016)7月31日(日)、岐阜県郡上市白鳥町長瀧に鎮座する長瀧白山神社(若宮多門宮司 65歳)による第12回阿弥陀ヶ滝みそぎ祭りが白鳥町前谷にある落差60mの阿弥陀ヶ滝で開催されたので、参加取材した。

太平洋に注ぐ長良川の源流の一つ、前谷川の上流に位置する阿弥陀ヶ滝は、落差約60m、幅約7mの名瀑。
 
 723年(養老6年)、白山を開山した泰澄により発見され、長瀧
と名づけられた。戦国時代の天文年間、白山中宮長瀧寺の道雅法師が長瀧の近くの洞窟で護摩修業を行なっていたところ目の前に阿弥陀如来が現れたことから阿弥陀ヶ滝と呼ばれるようになったという。

褌の如き瀑布や美濃馬場

Mino Bamba, the water fall
looks like a fundoshi loincloth.

ふんどしの ごときばくふや みのばんば

▼ 阿弥陀ヶ滝は、かつて、美濃側から白山を参詣する人々が滝行をしていた場所である。葛飾北斎が天保初期(1830年代)に「諸國瀧廻り」で描いた「木曾路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」は、北斎持ち前の想像力で抽象的に描いたもので、実際とはかけ離れた絵となっている。
 
 名勝・阿弥陀ヶ滝では、二十数年前から神職たちによる滝行が行われるようになったが、一般開放されてから今年で12回目を迎え、参加者は36人を数えた。鉢巻、越中褌、草鞋履きという白山修験道を踏襲する雄大な滝行である。

滝風に揺るる注連縄白ふどし

White fundoshi loincloth, a sacred shrine rope waving by the wind of the waterfall.

たきかぜに ゆるるしめなわ しろふどし

▼ みそぎ祭りは、阿弥陀ヶ滝みそぎ祭り実行委員会(小島正則代表)の主催により、AMIDAを基地として毎年7月最終日曜日に開催される。12回目となった平成28年(2016)は、7月31日に開催された。
 
 
みそぎ祭りは、完全予約制で、 7月最終日曜日の午前9時半からAMIDA本館入口に設けられた受付テントで参加申込書を作成し、参加料3000円を納めると、越中褌(持ち帰り可 女性は襦袢)、鉢巻、浴衣、帯、草鞋の禊用具一式が貸与される。  

滝壺に浸かりて禊ぐ行者かな

Ascetic's ablution soaking
in the basin of the waterfall.

たきつぼに つかりてみそぐ ぎょうじゃかな

 準備運動の鳥船を終えた行者たちは、玉岡道彦を先頭に一列縦隊となって滝壺に向かい、禊ぎが始まった。
 
 行者たちは、玉岡道彦の後方で半円形に並び、白山の冷たい霊水に身を沈めて、胸の位置まで浸かった。滝壺はかなり深いので、膝がつけず、しゃがんだ格好のまま、頭を垂れて阿弥陀ヶ滝に向かって合掌した。振魂(ふりたま)をする人は一人もおらず、なかには瞑想する人もみられた。

緑陰の舟漕ぐ行者濡れふどし

Wet loincloth, the ascetics rowing
a boat in the shade of the trees.

りょくいんの ふねこぐぎょうじゃ ぬれふどし

全員、無事に帰還した後、仮設祭壇の前で整理運動の鳥船が行われた。冬の寒い時期ではないのでウォームアップする必要はないのだが、禊ぎの前後二回の鳥船は、神道禊のルーティーンと考えれば良い。
 直会のあと、石井車でカーナビを頼りに長瀧白山神社に行った。車道から離れた場所にあったので、見つけるのに一苦労したが、鳥居をくぐってみるとびっくり!白山開闢(かいびゃく)1300年を来年に迎えるだけあって、広大な敷地に鎮座する白木造りの立派な神社だった。

緑陰や甍の光る神社かな

Shade of the trees, the tiled roof
of the shrine shining white.

りょくいんや いらかのひかる じんじゃかな

 阿弥陀ヶ滝みそぎ祭りは、YouTubeを見て知った。落差60mの大瀧の下で斎戒沐浴するというスケールの大きい勇壮な禊ぎに圧倒され、ライフワークの裸祭りシリーズに是非追加したいという衝動がわき上がり、このたび、全国に紹介することができた。 

  「阿弥陀ヶ滝みそぎ祭り」

2016.07.31  撮影・制作:和田義男 

阿弥陀ヶ滝禊 ( 岐阜県郡上市白鳥町前谷)

阿弥陀ヶ滝全景 10:45

阿弥陀ヶ滝全景 10:45

パノラマ写真(3000X1700)2.01MB

阿弥陀ヶ滝をバックに記念撮影 10:55

阿弥陀ヶ滝をバックに記念撮影 10:55

拡大写真(2600X2150)1.63MB

阿弥陀ヶ滝禊 【六】 11:23

阿弥陀ヶ滝禊 【六】 11:23

パノラマ写真(3000X1450)2.15MB

整理運動の鳥船 【四】 11:43

整理運動の鳥船 【四】 11:43

拡大写真(2400X1650)1.10MB

参 拝 【参】 〜石段の上に見えてきた白く光る甍〜 14:26

参 拝 【参】 〜石段の上に見えてきた白く光る甍〜 14:26

拡大写真(2400x1700)1.32MB


 
 


















 
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2015年12月19日(土)晴

 平成17年(2005)9月19日(月)の祭日、横浜市戸塚区舞岡公園でカワセミを撮影して以来10年目となる平成27年(2015)も野鳥のロマンと感動を求めて旅を続けた。これで8作目となり、身近な鳥ばかりでなく、新しい固体も続々と加わったので、楽しみは尽きない。
 
 野鳥は動きが敏捷で、警戒心が強く、木々に隠れてなかなか姿を見せてくれない。今年も根気と忍耐の撮影行だった。

今季はマヒワの大群が札幌に遣ってきた。雄と雌を撮影できた。
 
 マヒワ(真鶸)は、スズメ目アトリ科の鳥で、夏季にユーラシア大陸北部で繁殖し、冬季はユーラシア大陸南部やアフリカ大陸北部で越冬する。日本では北海道や青森県に少数が周年生息し(留鳥)、本州、四国、九州では冬季に越冬のため飛来する。

野幌の木の芽啄む真鶸かな

A siskin is pecking
at the shoots of Nopporo.

のっぽろの このめついばむ まひわかな

▼ 低い場所で巣作りを始めたカップル、巣はほぼ完成状態のようだった。雌が抱卵の都合も考えて、体全体で巣の形を整えていた。
 
 サンコウチョウ(三光鳥)は、スズメ目カササギヒタキ科の鳥で、日本へは夏鳥として渡来する。繁殖期のオスは、体長の3倍ぐらいの長い尾羽をもつ。羽色は、顔面部が黒紫色、腹部は濁白色、背面はやや赤みのある黒紫色、その他の部分は暗黒紫色で、アイリングと嘴は明るい水色である。

春の朝三光鳥の巣や緑

Spring morning,
green is the nest of paradise flycatcher.

はるのあさ さんこうちょうの すやみどり

▼ この時期、ヤマガラは木の実を採って貯食する習性がある。エゴの実が多いようだが、今回はシイの実を採っていた。
 
 ヤマガラ(山雀)は、鳥綱スズメ目シジュウカラ科シジュウカラ属に分類される鳥で、全長14cm。頭頂部や咽頭部の羽毛は黒い。翼、尾羽の羽毛は青味がかった灰色。背面や腹面の羽毛はオレンジ色になる。
  

逞しく飛び立つ山雀冬木立

Winter trees,
a varied tit is taking the air vigorously.

たくましく とびたつやまがら ふゆこだち

▼ 石垣島と西表島に居るタカの仲間で、当歳の若鳥は白い羽が美しいと聞いていたが、意外とマダラ模様で綺麗な姿だった。
 
 幼鳥は、胸から腹にかけての羽毛、肩羽、雨覆羽が白から黄褐色で、生後2年経つと成羽への換羽が行われるそうで、石垣島ではアヤパニ(綾羽)と呼ばれていて、今年は14羽が巣立ったとか。春までに約半数が落命するといわれているが、多分に餌取りが下手なことが主たる原因かもしれない。

冬空や冠鷲の天下かな

Winter sky
is the world of crested serpent eagle.

ふゆぞらや かんむりわしの てんかかな

          鳥追回顧録 
 
 写真は、記録がフィルムの場合は、現像するまで結果が見えません。デジタルカメラになって、現場で結果が判るようになり、不要であれば削除するのでゴミも残りません。この特徴を理解して鳥の撮影を始めたのですが、かれこれ10年になり、漸く撮影のコツが判ってきたように感じております。

  「日本の野鳥を撮る旅'15」

2015.07.26  撮影・制作:和田義男 

マヒワ / 北海道野幌森林公園 2015.03.07 12:56 ツミ若鳥のエンジェルポーズ / 横浜市野庭団地 2015.07.25 12:37

マヒワ / 北海道野幌森林公園 2015.03.07 13:27

マヒワ / 北海道野幌森林公園 2015.03.07 13:27

拡大写真(3000x2000)359KB

サンコウチョウ / 三浦半島森戸川林道 2015.05.23

サンコウチョウの巣作り / 三浦半島森戸川林道 2015.05.23 08:33

拡大写真(3000x2200)797KB

ヤマガラの飛び出し / 札幌市円山公園 2015.11.07 15:19

ヤマガラの飛び出し / 札幌市円山公園 2015.11.07 15:19

拡大写真(2000x1450)126KB

カンムリワシB / 石垣市名蔵等 2015.11.23 11:30

カンムリワシB / 石垣市名蔵等 2015.11.23 11:30

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2015年12月04日(金)晴

 平成27年(2015)11月24日(火)、隅田川西岸に建つ浅草寺雷門のそばにある浅草変身写真館スタジオ七色に行き、江戸時代の着物・褌姿の侍に変身した。海外に日本の伝統文化を紹介するため、日英のバイリンガルで解説し、フェイスブックにも掲載した。
 浅草寺雷門のすぐ近くに位置する浅草変身写真館「スタジオ七色」は、テレビの報道で知り、日本の侍文化を世界に紹介するため、足を運んだのだか、最近は、外国の観光客だけでなく、日本人客も増えているそうで、江戸時代を再現した時代劇に登場する侍や姫、舞子などの衣装を身につけて、記念写真を撮る喜びを提供してくれる。 Tel 03-3843-7716
  Url
: www.nana-iro.tokyo/
  Email
: info@nana-iro.tokyo

秋深し羽織袴の江戸侍

Deep autumn, transformed into Edo samurai wearing haori hakama.

あきふかし はおりはかまの えどざむらい

 着物を着たら下着は褌でなければならない。パンツのようなハンダコが大正時代に登場するまでは、江戸時代から明治時代に至るまで、日本人男性の下着はすべて褌で、浮世絵に描かれている武士や町人の裸褌姿は、ほとんどがこの前垂式六尺褌だった。白褌が上品で格好良く、侍の多くが愛用した。

天高し六尺ふんどし江戸侍

High sky, transformed into Edo samurai wearing rokusyaku fundoshi.

てんたかし ろくしゃくふんどし えどざむらい

 スタッフの煽りで声を荒げて見栄を切り、更にワイルドなポーズをとった。もはやいっぱしの役者気取り。私的には、おとなしいポーズの方が好きなのだが・・・。
 internetのGoogleによる画像検索でも褌をした侍が皆無であったことに危機感を覚え、低俗なテレビが侍のイメージをゆがませている現実を遺憾に思った私は、自ら六尺褌を締めて撮影し、internetに発信した。あえて褌侍としたのはそのためで、この現実に一石を投じた。格好良い褌侍に喝采を送っていただければ作者冥利に尽きる。

秋雨や見栄切る浪人褌の白

Autumn rain, white is the fundoshi of jobless samurai assuming a frozen pose.

あきさめや みえきるろうにん こんのしろ

 侍に扮するときは、六尺褌を締めないと、腰に当たる刀の感触がどのようなものか分からない。袴の紐と横褌(よこみつ)の間を通った両刀は、腰骨の上端にしっかりと固定され、ずれ下がることがない。刀の重みを感じながら侍を体験した喜びは大きい。

  「褌侍七変化」

2015.11.24  撮撮影:スタジオ七色 出演・制作:和田義男

「日本の裸祭り」のシンボル絵の再現 褌侍参上! / スタジオ七色(東京都台東区雷門)

侍に変身!

侍に変身! / スタジオ七色(東京都台東区雷門)

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褌侍に変身! (前後の姿) 

褌侍に変身! (前後の姿)

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見栄を切る素浪人

見栄を切る素浪人 2/2

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2015年11月21日(土)晴

 平成27年(2015)9月27日(日)、福岡県福津市(ふくつし)西福間(にしふくま)に鎮座する諏訪神社(すわ・じんじゃ)(宮秀文宮司 65歳)で小学生男女による奉納相撲大会が開催されたので、1月3日(土)の「福間浦玉せり」に続き、密着取材した。
 玄海灘に面し人口約5.5万を擁する福津市(ふくつし)福岡県北西部の福岡地方に位置し福岡市と北九州市の中間に位置する。平成17年(2005)1月24日に宗像郡(むなかたぐん)福間町(ふくままち)と津屋崎町(つやざきまち)が合併して発足した。
  福津市の諏訪神社は、JR福間駅西方約700mほどの福間小学校のそばに鎮座している。福津市の中心部にほど近い場所にあり、江戸時代からこの地の氏神として崇められている。本殿には、大己貴神(おおなむちのかみ)(大国主命おおくにぬしのみこと)、建御名方神(たけみなかたのかみ)(大国主の御子神で漁業の神)事代主神(ことしろぬしのかみ)(大国主の御子神)が祀られている。

神童の龍虎従ふ土俵入

Ring entering ceremony by a prodigy attended by dragon and tiger.

しんどうの りゅうこしたがう どひょういり

 諏訪大社を初め、諏訪神社では昔から相撲が盛んで、毎年9月26日・27日に行われる秋季大祭(放生会ほうじょうえ)の二日目に、神社境内の土俵で小学校1年生から6年生までの男女児童による奉納相撲大会が開催される。
 今年の奉納相撲大会は、福津市の旧福間町に属する地区から団体戦10チームと個人戦81名が参加し、いずれもトーナメント方式による熱戦が展開された。

御神燈すまふ童の白ふどし

Shrine lights, white is the loincloth of sumo children.

ごしんとう すもうわらべの しろふどし

 

 会場は、女の子の参加もあり熱狂的な父兄の応援で盛り上がりました。女の子も負けると、悔し涙を流してました。団体戦も個人戦も男女の区別なく進行します。しかし、高学年の参加は少数でした。神社境内の土俵と宮地嶽神社の土俵では相撲教室が開かれ、小学生、中学生も練習しているとのことでした。(吉田好幸)

木漏れ日の土俵せましや白ふどし

Sunlight through trees, white is the sumo fundoshi at the narrow arena.

こもれびの どひょうせましや しろふどし

福津市の漁師町・旧福間町に鎮座する諏訪神社は、漁業を守護する諏訪大明神を奉る鎮守の氏神様として地域住民の信仰が厚く、正月の「玉せり」や9月の「奉納相撲」に見られるように伝統の裸褌文化が変質することなく続いていることに感動する。(和田義男)

  「福間子ども相撲」

2015.09.27  撮影:吉田好幸  監修:和田義男

土俵入り【九】 個人戦3年生の部【壱】 〜3年生15人の戦い〜 13:23

土俵入り 10:27

土俵入り【拾】 〜1年生から6年生まで男女81名が参加した奉納相撲大会〜 10:27

拡大写真(2600X1800)1.12MB

団体戦 〜真剣勝負〜 10:50

団体戦【五】 〜真剣勝負〜 10:50

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個人戦3年生の部 〜大逆転!〜

個人戦3年生の部【弐】 〜大逆転!〜

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2015年10月12日(月)晴

 平成27年(2015)7月26日(第4日曜日)、埼玉県秩父市荒川白久に鎮座する猪鼻熊野神社(井上哲雄宮司)で、「猪鼻の甘酒こぼし」(埼玉県無形民俗文化財)が開かれたので、平成23年(2011)以来連続五度目となる密着取材を行った。
 天平8年(736)以来今日まで約1300年にわたって「甘酒こぼし」を継承してきた奥秩父の猪鼻地区では、過疎化高齢化が進み、かつて70戸あった村落が39戸にまで減少し、もはや地元の氏子だけでは祭の催行が難しくなっている。
 伝統文化の絶滅危惧種とでもいうべき「甘酒こぼし」に加勢するため、筆者は平成24年(2012)からWa☆Daフォトギャラリーに募集広告を掲載して全国から参加者を募り、和田グループを編成して参加取材してきた。

緑陰や一夜の甘酒村祭

Shade of trees, sweet sake
made in one night, village festival.

りょくいんや ひとよのあまざけ むらまつり

 猪鼻熊野神社で醸造する甘酒は、20kgのお米から作ったお粥に10Kgの麦麹(むぎこうじ)を混ぜ合わせただけの素朴なもので、防腐剤などの添加物が一切無いヘルシーなアルコール飲料である。

万緑を背に白褌の四人衆

Surrounded by evergreen,
the men of four wearing white fundoshi.

ばんりょくを せにびゃっこんの よにんしゅう

 去年の取材4年目から筆者も褌を締め、参加者と同じ祭装束で取材に当たるようになった。取材5年目の今年は例年になく猛暑で、じっとしているだけでも汗が止まらなかったが、褌一丁になるとかなり涼しくなり、祭が始まる前に水槽の前で水を被ってリフレッシュした。  
 酒樽が満杯となるまで水が補充されたところで、第一投が投じられ、甘酒こぼしが始まった。最初は原液に近いので黄色い液体だが、この後も人海戦術により水槽から水が補給されてゆくので、徐々に薄まり、最後は完全に水掛祭となる。
 年に一度、大のおとなが褌一丁の素裸になり、不老長寿を願って甘酒を掛け合う素朴な夏祭。 緑に囲まれた神庭(かむにわ)で神々のご加護を信じ、神と一体となって楽しむこの神事は、かつて娯楽の少なかった山村の数少ない楽しみだったことだろう。

万緑を背に白褌の村祭

Surrounded by evergreen, the village 
festival wearing white fundoshi.

ばんりょくを せにびゃっこんの むらまつり

 日本人にとっては、郷愁をそそる原風景ともいえるもので、なぜか心に響くものがある。毎年、常連となった愛好者たちがここに集まるのは、身分や境遇を越えて裸一貫の平等な雰囲気が醸し出す裸祭にしばし熱中したいというDNAに刻まれた本能的な欲求にかられてのことなのかも知れない。
 樽転がしが終わり、水槽で水掛合戦を楽しみながら樽洗いが行われたあと、拍子木が打ち鳴らされ、甘酒こぼしが終わった。甘酒神事の開始から28分、甘酒をかけ始めてから17分のとても短い裸祭だった。
 甘酒こぼしが終わった後、拝殿での御祓いを受けた裸たちは、その足で石段を下り、参道入口に立つ大幟2本の後片付けに協力した。

万緑を背に褌衆の竿倒し

Surrounded by evergreen,
fundoshi guys removing a flag pole.

ばんりょくを せにふどししゅうの さおたおし

 平成27年(2017)10月11日(日)、本年第15作となる「猪鼻の甘酒こぼし」シリーズ第5作が完成した。今年は猛暑だったが、天候に恵まれて、素晴らしい作品が生まれた。
 素朴な前垂式六尺褌一丁での取材は2年目となるが、炎天下にもかかわらず、和田グループ第四期代表として伝統の裸褌文化を十二分に堪能できたことは何よりだった。

  「猪鼻の甘酒こぼし'15」

2015.07.26  撮影・制作:和田義男 

満杯になった甘酒樽 13:17 甘酒こぼし【拾参】 〜裸の躍動!〜

村人と参加者たちとの交流 09:59

村人と参加者たちとの交流 09:59

拡大写真(2400X1800)1.44KB

和田グループ第四期の記念撮影 12:50

 和田グループ第四期の記念撮影 12:50

拡大写真(2000X1685)986KB

豪快に甘酒を掛けあう参加者たち

 甘酒こぼし【八】 〜豪快に甘酒を掛けあう参加者たち〜

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旗竿の収納

旗竿の収納【五】

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2015年10月4日(日)晴

 平成27年(2015)6月21日(日)、2年半ぶりに千葉県長生郡(ちょうせいぐん)一宮町(いちのみやまち)に鎮座する上総国(かずさのくに)一ノ宮(いちのみや)玉前(たまさき)神社(栗原崇次宮司)を訪れ、九十九里浜釣ヶ崎海岸(玉之浦たまのうら)で行われた夏越禊(なごしみそぎ)(2010年以来12回目の浜垢離はまごり)を密着取材した。
 今回の参加者は32人。斎館(さいかん)前のテントで受付を済ませた後、助彦を務める鵜澤幹夫権禰宜と大崎隆史権禰宜に先導されて、茅の輪(ちのわ)をくぐり、参集殿に案内された。
 午前10時過ぎから参集殿で開講奉告祭が行われ、金幣拝戴(きんぺいはいたい)や吉田流笠井神楽の奉納、玉串奉奠(たまぐしほうてん)などの神事が催行された後、栗原崇次宮司の挨拶があり、和歌二首が披露された。

海原の夏越禊や玉の串

A branch of the sacred tree,
summer purification at boundless ocean.

かむにわの なごしみそぎや たまのくし 

 参加者たちは、巫女から御神酒を頂いた後、斎館に移動し、午前10時半から道彦(みちひこ)(禊行の指導者)の小林彰禰宜の下で開講式が開かれた。

いざ行かむ荒波寄する夏禊

Let's go now,
to the summer purification at rough seas.

いざいかん あらなみよする なつみそぎ

 午前11時半過ぎに九十九里浜釣ヶ崎海岸玉之浦に到着した参加者たちは、貴重品を預けたあと、更衣テントの中で鉢巻に大祓詞(おおはらえことば)を挟み、褌裸足となって、禊行の開始に備えた。  
 禊行の準備ができた午前11時45分ころ、参加者たちは、石鳥居と太平洋をバックに記念写真を撮ったあと、一列縦隊となって砂浜に向かい、玉之浦禊行が始まった。

夏怒濤沖に向かひて大祓

Angry waves of summer, 
great purification to the offing.

なつどとう おきにむかいて おおはらえ

 約10分間、土用波を思わせる怒濤の中で禊を行い、大祓詞を斉唱した行者たちは、海から無事に帰還し、整理運動の鳥船を行った後、タンク車の清水をかぶって塩抜きをし、更衣テントで着替えを済ませた。
 有志による直会では、御園生佳万(みそのう・よしかず)氏子総代の発声で乾杯し、海の幸に舌鼓を打ちながら慰安旅行のような雰囲気で相互交流を深めることができた。

夏怒濤身体の赤き老行者

Angry waves of summer,
an old ascetic of red body.

なつどとう からだのあかき ろうぎょうじゃ

 各町会から選ばれる氏子総代は7人で、その中から総代長が選出されるという。加藤俊夫・氏子総代長には、氏子の方々にも禊行に参加して頂き、遠来の常連参加者たちが気軽におつきあいできるようにお願いした。

  「玉前神社夏越禊'15」

2015.06.19  撮影・制作:和田義男 

鳥船【七】 〜深呼吸の氣吹〜 浜垢離【拾四】 〜無心で祝詞を斉唱する〜 12:06

玉串奉奠/玉前神社(千葉県長生郡一宮町)

玉串奉奠/玉前神社(千葉県長生郡一宮町)

拡大写真(2400X1800)662KB

海に向かう行者たち 12:01

海に向かう行者たち 12:01

パノラマ写真(3600X1600)813KB

浜垢離【拾九】 〜引き波の中で!〜

浜垢離【拾九】 〜引き波の中で!〜

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海に祈る老行者/九十九里浜釣ヶ崎海岸

海に祈る老行者/九十九里浜釣ヶ崎海岸(千葉県長生郡一宮町)

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2015年9月4日(金)曇

 平成27年(2015)7月18日(土)19日(日)の両日、福岡県福津市津屋崎に鎮座する波折神社(麻生藤七宮司 55歳)で301年目の祗園山笠が開かれたので、津屋崎山笠保存会(中村周一会長)の協力を得て、全国連和田グループ第一期10名の代表として北流・西古小路に参加し、密着取材を行った。
 津屋崎祗園山笠(つやざき・ぎおん・やまかさ)は、今から301年前の江戸時代・正徳4年(1714)に櫛田神社(博多)から波折神社(津屋崎)に祗園社の神を勧請して3基の山笠を奉納し、疫病、災害の退散を祈願したことに始まる。
 山笠のメイン・イベントである追い山は、かつては7月19日に奉納されていたが、現在では19日に近い日曜日となり、平成27年(2015)は7月19日に行われた。

黒褌の山の宮入おらが夏

Our summer, Yama going to the shrine
wearing black fundoshi loincloth.

くろふんの やまのみやいり おらがなつ

 明治時代に絶頂期を迎えた津屋崎山笠は、高さが10mもあったという。博多同様、津屋崎も電線が張り巡らされるようになると、背の高い山笠は、通過できなくなり、現在のようなサイズに変わっていった。 
▼ 「ごりょんさん」とは、山笠を支える奥様方である。女性は、山笠に触れてはいけないと云われているが、男衆は、口々に「ごりょんさんたちがおらな山はできん、ごりょんさんたちのお陰で山ができるとぞ」という。山笠の最大の立役者は、ごりょんさんたちかもしれない。

山笠や笑顔のエールごりょんさん

Yamakasa Festival, Gorynsan
the wives yelling for men with a smile.

やまかさや えがおのえーる ごりょんさん

▼ 平成27年(2015)7月12日(日)午後6時から今年初のお宮入りが行われた。ポスターでは三流れ勢揃いとなっている。

 生憎の空模様のため、各流ともビニール・カバーをかけてのお宮入りとなった。

 新町流に続き、二番山「岡流」は山笠の全周に子供を10人ほど乗せてお宮入りした。

 お宮入りを終わった三流の山笠は、波折神社の境内で横一列に並び、「三流れ勢揃い」が完成した。

山笠や子宝運ぶ岡流

Yamakasa Festival,
Okanagare carrying children the treasure.

やまかさや こだからはこぶ おかながれ

▼ 山笠の制作は、三本とも地元・筑前津屋崎人形巧房の人形師・第七代原田誠(TEL 0940-52-0419)が担っており、桶狭間の合戦など有名な戦闘シーンや黒田八虎など歴史上の武将の飾り人形を制作している。

 津屋崎山笠では、大企業が多数協賛する博多山笠と違って、人形部分は筑前津屋崎人形巧房からの貸し出しという形を取っており、山解きでは、人形を解体せずに返還される。かつては、山笠だけで半年分の収入があったが、現在はそういうわけにはいかず、人形を再利用して制作費を抑えているのだという。

山笠や八の字髭の武者揃ひ

Yamakasa Festival,
gathering samurai warriors of mustache.

やまかさや はちのじひげの むしゃぞろい

▼ 7月18日(土)午後1時半から玄界灘に面する福津市津屋崎海岸・民宿海の家「吉田屋」二階「金比羅」の間で、茨城、東京、京都、大阪、山口、福岡、佐賀、長崎の各都府県から参加した全国連和田グループ第一期10名のミーティングが行われた。

 第一期参加者は、Wa☆Daフォトギャラリーに広告した 津屋崎祇園山笠のご案内 を見て応募して頂いた方々で、年齢構成は39歳から71歳までと幅広く、平均年齢は54.5歳。博多山笠経験者が2名いるので心強い。

 祭装束と資料の配布・確認を行ってから和田義男代表(68歳)の挨拶があり、続いて自己紹介、実施要領の説明、注意事項の伝達、質疑応答、新尺俊勝世話役による舁き山指導、車二台による実地踏査などが行われ、北流の祭町会のひとつ西古小路(にしこしょうじ)への初参加の準備が進められた。

山笠や褌衆のいざ出陣

Yamakasa Festival,
fundoshi men's kick-off.

やまかさや ふんどししゅうの いざしゅつじん

▼7月18日(土)は、氏子たち全員が午後6時半に山小屋に集合し、翌日の安全を祈願するため、午後7時から9時半ころまで裸参り(三社まいり)を行う。

 和田グループは、軽食の腹ごしらえの後、午後5時半ころ、吉田車と辻車に分乗して波折神社に向かった。

 予定時刻きっかりの午後6時40分、白装束・袴姿の宮総代が社務所のそばから太鼓を打ち鳴らして合図を送り、一番山・新町流を先頭にお宮入りが行われ、5分後に二番山・岡流が、更に5分後に三番山・北流が続いた。

山笠や気合いの宮入北流

Yamakasa Festival, Kitanagare
entering shrine with fighting spirit.

やまかさや きあいのみやいり きたながれ

▼ 三流れは、波折神社のお宮入りを済ますと、境内で隊列を整え、定刻の7月18日(土)午後7時丁度に、一番山・新町流が裸参り(三社まいり)の二番目の神社・金比羅神社に向けて波折神社を出発し、その5分後に二番山・岡流が、更に5分後に三番山・北流が続いた。

 波折神社から東進し、国道495号線を北上して「津屋崎小前」を右折すると田園地帯に入る。空を美しく染める夕焼けの中、稲の青々と茂る水田地帯を走る裸参りは感動的で、古き良き時代のノスタルジアを感じさせる。

益荒男の褌一丁青田道

Trail through the green paddy field,
men of manliness
wearing only fundoshi loincloth.

ますらおの ふんどしいっちょう あおたみち

▼ 波折神社を出発した氏子たちは、約1時間後に、福津市宮司元町(みやじもとまち)に鎮座する宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)(浄見譲宮司)の石段を駆け上がり、手水舎(ちょうずや)で身体を清めた後、野中芳春・権禰宜のお祓いを受けて参拝。一升瓶から茶碗で豪快に御神酒を頂いたあと、脇参道から下山した。

 
宮地嶽神社は、全国にある宮地嶽神社の総本社で、毎年220万人以上の参拝客が訪れ、特に正月三が日には100万人以上の人々が訪れる開運商売繁昌の神社として知られる。

 宗像地方では宗像大社と並んで参拝客が多く、日本一大きいといわれる注連縄や玄界灘に向かう一直線の参道が有名。

注連縄や褌衆の汗光る

Sacred straw rope,
shiny sweat of fundoshi men.

しめなわや ふんどししゅうの あせひかる

ゴールインした「なごみ」前は「第8回サマーナイトインふくつ」会場で「集団山見せ」で三流れの山笠が午後6時から展示されている

 午後9時15分頃から、本部役員の指示により、展示されていた山笠が一番遠い三番山・北流、一番山・新町流、すぐそばの岡流の順に「なごみ」前を出発し、山小屋に無事戻されて、この日の予定がすべて完了した。

 江戸時代は、山笠の担ぎ手は褌一丁の裸山笠だったが、明治維新の後は政府の文明開化政策により、裸が野蛮だとされ、水法被を着用するようになった。筆者は、伝統文化の変質を嘆いているが、新町流の撤収は、江戸時代と同じ裸山笠だった。博多山笠では見られない光景なので、大変貴重である。

新町の裸山笠男粋

How cool and manly the naked
Yamakasa wagon of Shinmachi!

しんまちの はだかやまかさ おとこいき

▼ 平成27年(2015)7月19日(日)、和田グループは、朝5時半に起床。布団をたたみ、洗面など身支度の後、新尺世話役ら山笠経験者が締込みを手伝って祭衣装を整え、記念写真を撮った後、朝食抜きで、車二台に分乗して吉田屋を出発し、波折神社に向かった。

 午前8時10分定刻に先走りの子供たちが運ぶ招き板と幟旗を先頭に、一番山・新町流が波折神社へのお宮入りを始めた。全員の参拝と山笠の移動が終わると、二番山・岡流がお宮に入り、最後に三番山・北流が宮入りした。

華麗なる山笠旋回岡流

Okanagare, marvelous yamakasa turning.
かれいなる やまかさせんかい おかながれ
7月19日(日)午前9時前、一番太鼓の合図と共に一番山・新町流が石鳥居の東側で一番山の特権である「祝い目出度」を唄った後、お宮出しが行われ以後約3分間隔で二番山岡流、三番山北流がこれに続き、波折神社から福津市天神町(てんじんまち)の廻り留めまでの全長約2kmを走破する追い山が始まった。

 津屋崎山笠の追い山コースは極めて複雑で特殊である。お宮出しをした山笠は、津崎精米所前の通り抜けできない狭い路地を東進し、突き当たりの永島宅前で担ぎ手が180度向きを変える「いない直し」を行い、登山電車のスイッチバックの要領で、後棒が先頭になって戻ってくる。

山笠や祝い目出度の誇らしさ

Yamakasa festival,
singing Iwai-medeta proudly.

やまかさや いわいめでたの ほこらしさ

▼ 山笠は、津崎精米所前の空き地で先棒が西になるようにUターンした後、いない直して正常の状態に復して再発進し、波折神社前を通って西進。山笠は、北本町の地蔵堂前から東進し、「豊村酒造」前、「なごみ」前を通過し、定められた追い山コースを全力疾走して「ウオズミ洋服店」前の廻り留めをめざす。

 追い山の見所は、4箇所。特に「なごみ」前のしおさい通りでは、南進と北進で二度回頭する。道路も広いので、安心して観覧できる。北流のような後発の早い山笠が前を行く山笠に追いついて複数が交差することもある。

山笠や津屋崎千軒蘇る

Yamakasa festival,
Tsuyazaki-Sengen revived.

やまかさや つやざきせんげん よみがえる

▼ 三番山・北流が廻り留めにゴールインして約10分ほど休憩した後、二番山・岡流、三番山・北流一番山・新町流の順に廻り留めの駐車場を出発し、下図のコースに従って約1時間ほど町内の流れ舁きが行われた後それぞれの山小屋に帰還した。

山笠や乗りたる子らの大冒険

Yamakasa festival, children's great
adventure on the wagon.

やまかさや のりたるこらの だいぼうけん

● 平成27年(2015)9月2日(水)、裸祭シリーズでは過去に例のない13頁393枚495MBの感動巨編「津屋崎祇園山笠'15」が遂に完成した。今年は特に暑かった8月を書斎の新しいパソコンに向かって褌一丁で編集に没頭し、気がつけば夏が終わり、初秋となっていた。

 和田グループを編成し、代表として参加者と一緒に褌姿になって撮影するという参加型取材は、見附天神裸祭(静岡県磐田市)、猪鼻の甘酒こぼし(埼玉県秩父市)、黒褌神輿(富山県富山市)に次いで四度目であるが、相撲まわしに似た締込みを締めたのは、初めてのことで、感動も一入(ひとしお)だった。

  「津屋崎祇園山笠'15」

2015.07.18-19  撮影:和田義男ほか 制作:和田義男

緑の水田の間を走る北流/裸参り(福岡県福津市) 岡流お宮入り/波折神社(福岡県福津市)

小山市長を乗せて宮入りする北流 2011.07.17 08:21

小山市長を乗せて宮入りする北流 2014.07.20 08:21

拡大写真(2400X1600)909KB
山笠を支える「ごりょんさん」たち / 津屋崎漁協二階会議室

山笠を支える北流の「ごりょんさん」たち / 津屋崎漁協二階会議室 2015.07.05 08:52

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二番山「岡流」のお宮入り 〜子供を乗せて宮入〜

【参】 二番山「岡流」のお宮入り 〜子供を乗せて宮入〜

拡大写真(2600X1800)963KB

新町流の山小屋 〜福島正則〜

【参】 新町流の山小屋 〜福島正則〜

拡大写真(3000X2200)1.34MB

和田グループ 〜第一期 9人の侍 / 吉田屋〜 17:20

【拾壱】 和田グループ 〜第一期 9人の侍 / 吉田屋〜 17:20

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北流のお宮入り 〜襷掛けのリーダーたちが先導する〜

【参】 北流のお宮入り 〜襷掛けのリーダーたちが先導する北流〜

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北流の裸参り 〜緑の水田の間を走る!〜 19:23

【四】 北流の裸参り 〜緑の水田の間を走る!〜 19:23

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北流の裸参り 〜神前に整列する〜 20:18

【四】 北流の裸参り 〜神前に整列する〜 20:18

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新町流の撤収 〜山小屋めざして快走!〜 21:20

【弐】 新町流の撤収 〜山小屋めざして快走!〜 21:20

拡大写真(2400X1630)534KB

岡流お宮入り 〜快速旋回が腕の見せ所!〜 08:17:06

【四】 岡流お宮入り 〜快速旋回が腕の見せ所!〜 08:17:06

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「祝い目出度」を歌う一番山 08:58:45

【壱】 新町流お宮出し 〜津屋崎流「祝い目出度」を歌う一番山〜 08:58:45

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北流追い山 〜しおさい通りを北上〜 09:16:14

【九】 北流追い山 〜しおさい通りを北上〜 09:16:14

拡大写真(3000X2000)1.40MB

北流・流れ舁き 〜子供にとっては大冒険〜

【四】 北流・流れ舁き 〜子供にとっては大冒険〜 09:49:42

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2015年6月11日(木)曇

 このたび、internetで知り合った庚三郎さんより、卓越した才能が凝縮したデジタル画集をお送りいただき、 庚三郎画集【壱】「美しき日本の翁」に続き、庚三郎画集【弐】 「四季爛漫」を公開する栄誉を得た。
▼ 春爛漫の櫻花に浮かれて空中浮遊するかのようにつま先立った庚三郎の美しい裸体はとても魅力的である。褌一丁の裸にもかかわらず、庚三郎はとても上品で、気品に満ちあふれている。
 中国北宋時代の詩人・蘇軾(そしょく)は彼の七言絶句「春夜」で春宵一刻値千金と詠んだ。この老人はその魅力を全身で楽しもうとしているようだ

空に舞ふ桜吹雪や白ふどし

Blizzard of falling cherry blossoms
in the sky, the fundoshi remaining white.

そらにまう さくらふぶきや しろふどし

▼ ときは初夏の夕刻、初夏の翁で、身を清める禊のために美しい緑陰の柔らかな光に包まれた小川に踏み込んだ庚三郎は、老齢のためか、一瞬バランスを崩した。
 水面に姿を写した庚三郎の美しい裸体は、とても上品で、気品に満ちあふれている。 彼はナルシストなのだろうか。

緑陰の川に揺らめく白ふどし

The white fundoshi
swaying on a stream in the shade of trees.

りょくいんの かわにゆらめく しろふどし

▼ 秋爛漫の紅葉に魅了されて、水紋を描く川面に空中浮遊するかのようにつま先立った庚三郎翁の美しい裸体は、とても魅力的である。褌一丁の裸にもかかわらず、庚三郎はとても上品で、気品に満ちあふれている。この老人は、秋の魅力を全身で楽しもうとしているようだ。
 私もいずれ老いてゆくが、せめてこの老人のように清らかで美しく老いてゆければ良いなと思う。今日、ここにこの絵をアップすることで、世界中の方々が庚三郎さんの絵心と私の胸のときめきを共有されることを祈念申し上げる。

錦秋を惜しむ翁や白ふどし

The aged man regrets the splendid autumn
passing, the fundoshi remaining white.

きんしゅうを おしむおきなや しろふどし

▼ 突如として雪の舞う森に刀を持って現れた厳父は、幻だろうか。余りの美しさに、声も出ない。
 「武士道とは死ぬことと見つけたり」という葉隠れの精神が頭をよぎった。かつて新渡戸稲造は、その著書「武士道」で、死ぬ気で頑張れという福音だと説いた。武士はありのままに我が道を行く。

白樺の吹雪の夜や白ふどし

The night of blizzard in the white birches,
the fundoshi remaining white.

しらかばの ふぶきのよるや しろふどし

 江戸時代から明治にかけて、日本人男性の下着はすべて褌で、ハンダコやパンツを履く人が出て来たのは、大正時代からである。下着に使われた褌は殆どが前垂れ式六尺褌だったが、老人や神職・僧侶などは、越中褌を下着としていた。

  「四季爛漫」

 2015.06.11  画:庚三郎 監修:和田義男

春宵 〜カバー画像〜

春宵 〜カバー画像〜

拡大写真(2400X1350)243KB

垢離 〜カバー画像〜

垢離 〜カバー画像〜

拡大写真(2400X1350)198KB

錦秋 〜カバー画像〜

錦秋 〜カバー画像〜

拡大写真(2400X1350)215KB

厳父 〜カバー画像〜

厳父 〜カバー画像〜

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2015年6月3日(水)曇

 平成27年(2015)1月18日(第三日曜日)、熊本県玉名郡長州町(たまなぐん・ながすまち)に鎮座する四王子(しおうじ)神社(松田匡司宮司)で、熊本県を代表する新春恒例行事の一つである的ばかい(まとばかい)(破魔弓祭)が行われた。
 今から400年余の昔、四王子神社が当地に遷宮したときに始まった「的ばかい」は、凍てつく冬空の下、褌一丁で裸足の男たち70-80人が無病息災や家内安全を願って「的」を奪い合う勇壮な裸祭である。
毎年、故事に習い、州崎神社で円座に模した直径60cm、重さ6kgの的を藁(わら)と麻(あさ)で作成し、四王子神社に奉納したあと、神官が破魔矢で的を射る破魔弓祭三射の儀が執り行われる。「的ばかい」は、それに続く神事である。

初春やふんどし締めて大太鼓

The beginning of spring,
bass drum wearing fundoshi loincloth.

はつはるや ふんどししめて おおだいこ

 御祭神が弓道に秀でた神であったことから円座に似た的を作り、それを弓矢で三度射て、悪魔退散、諸厄災消除、家運長久を祈願し、新年の運勢を占った後、その的を奪い合う神事に発展したのが「的ばかい」(的をばかい(奪い)あう)破魔弓祭である。近年は的を奪い合う方が新春の勇壮な裸祭として全国的に知られるようになった。
 四王子神社は有明海に近く、褌衆がもみ合いながら神社の境内から路上、さらには海へと裸祭の舞台が移動する。

初春や藁を咥えて的ばかい

The beginning of spring,
bass drum wearing fundoshi loincloth.

はつはるや わらをくわえて まとばかい

火傷防止のための力水が降りそそぐなか、「的」を守る二人の的芯男(まとしんおとこ)とそれを奪い取ろうとする 「ばかい手」たちのせめぎ合う姿は圧巻。全国から写真マニアが訪れて激写する様子もまた新年の長洲町名物となっている。

【所見】 今年の春、68歳を迎えた筆者にとって、病に倒れた人や亡くなられた方などがテレビで報道されるたびに、憂鬱な気分になる。栄枯盛衰、諸行無常の浮き世にあって、毎年、新春に褌を締込み、毎年同じ式次第で繰り返される裸祭に参加できる健康を享受できる幸せがとても貴重で有り難いことだと思える。

的ばかい海に練り込むふどし衆

Mato catching battle,
fundoshi guys rushing toward the sea.

まとばかい うみにねりこむ ふどししゅう

  「四王子神社的ばかい」

 2015.01.18  撮影・原作:辻 竜二  監修: 和田義男

破魔弓太鼓 〜褌一丁の男性奏者登場〜 11:52

破魔弓太鼓 【参】 〜褌一丁の男性奏者登場〜 11:52

拡大写真(2400X1600)728KB
まと ばかい  13:07

的ばかい 【拾八】 13:07

拡大写真(2400X2000)1.17MB
有明海  〜海に到着!〜 14:14

有明海 【拾五】 〜海に到着!〜 14:14

パノラマ写真(3400X1650)990KB
 

 
 









 

 


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2015年5月26日(火)晴

  平成27年(2015)1月17日(土)、福岡県福津市(ふくつし)津屋崎海岸(つやざきかいがん)で第41回九州地区大学合同寒中水泳大会が開かれ、九州大学など7大学から新成人26人を含む男女73人の水泳部員たちが波飛沫(なみしぶき)を上げながら冬の玄海灘に挑んだ。
▼ 今年で41回を数える九州地区大学合同寒中水泳大会は、大学水泳部の恒例の行事で、津屋崎海岸を飾る新春の風物詩として知られる。参加者たちは、伝統の赤褌(あかふん)を締めて厳寒の玄海灘に分け入り、波飛沫(なみしぶき)をかぶって新年の活躍を期し、新成人の門出を祝う。

赤褌の寒中水浴おらが浜

Cold water bathing at our beach
wearing red fundoshi loincloth.

あかふんの かんちゅうすいよく おらがはま

▲ 津屋崎海岸は、白砂青松の美しい遠浅の海岸線が2kmにわたって続く景勝地で、福岡の湘南とも云われる。町の中心地に近く、交通の便もよいので、夏の海水浴シーズンには、津屋崎海水浴場として賑わいを見せる。
  五月・六月の鯛の水揚げシーズンには、鯛茶漬けを目当てに足を運ぶファンも多い。また、北九州地方のマリンスポーツのメッカでもあり、ウィンドサーフィンやボディボードなどを楽しむ人たちの人気スポットとなっている。
  津屋崎海岸の一等地に位置する民宿海の家・吉田屋は、毎年、九州地区大学合同寒中水泳大会に参加する学生たちの支度部屋のひとつとして使われる。

  「大学合同赤褌水浴」

 2015.01.17  撮影 : 和田義男 吉田好幸 制作 : 和田義男

寒中水浴  〜7分で海から引き揚げる〜 11:08

寒中水浴 【七】 〜7分で海から引き揚げる〜 11:08

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2015年5月13日(水)晴

  平成27年(2015)1月12日(月)宮崎県宮崎市青島に鎮座する青島神社で宮崎を代表する新春恒例行事の一つである「裸まいり」が行われた。
 青島神社「裸まいり」は、日向(ひゅうが)神話の「山幸彦・海幸彦」伝説に基づくもので、山幸彦が海の宮から帰ってくるとの知らせを受けた村人たちが、着衣をまとう暇もなく浜へ飛び出して出迎えたという伝承を再現したものである。
▼ 青島神社前浜の禊場で、カラフルな油津獅子舞のお披露目があった。

獅子舞や洗濯岩に寄する波

Lion dance,
waves rushing to Washing Plate.

ししまいや せんたくいわに  よするなみ

▼ 平成19年(2007)1月8日(月)の取材では278人の参加者があった「裸まいり」だが、平成27年(2015)1月12日(月)の裸まいりは469名(最年長72歳最年少3歳)の老若男女が参加した。これは、筆者が知る限りでは、日本一の禊行である。
「裸まいり」の装束は、「白ハチマキ、白フンドシ、白足袋」と指定され、各自で用意する。
 行者たちは、準備運動の鳥船を簡単に済ませ、波打ち際に集合したあと、竹竿の御幣を先頭に、遠浅の海に一斉に駆け込んだ。。
 青島神社の「裸まいり」にはルールはなく、各自海水に浸かって合掌し、沖に向かって無病息災・家内安全を祈願した。

淑気満つ海に駆け入る褌衆

Men of loincloth
rushing to the sea full of good omen.

しゅくきみつ うみにかけいる ふどししゅう

▼神々が降臨する神籬(ひもろぎ)の立つ神庭(かむにわ)の前浜で禊をして、神のご加護を得たリーダーたちが気合いを込めて搗き上げた紅白の餅は、縁起餅として参拝客に振る舞われた。

【所見】 青島神社の「裸まいり」は、8年前に上平明さんの取材が初めてで、今回で二度目となるが、参加者が469名となり、当時と比べて70%も増加して日本一の寒禊となっていた。

海の気を搗き込む餅や褌衆

Men of loincloth
pounding sea air into rice cake.

うみのきを もちにつきこむ ふどししゅう

  しかも、海中禊だけでなく、参拝後の湯立神事や弥生橋を往復する褌ランニング、参道商店街での冠水、折生迫(おりゅうざこ)広場での褌餅搗と、多彩な行事が用意されている。正月の初禊の光景は、海国日本の面目躍如たるものがある。これからも更なる発展を期待したい。

  「青島裸まいり」 

 2015.01.12  撮影・原作:辻 竜二  監修: 和田義男

カラフルな油津獅子舞 【壱】 10:32

カラフルな油津獅子舞 【壱】 10:32

拡大写真(2400X1600)1.14MB

浜垢離 【八】 〜いざ入水!〜

浜垢離 【八】 〜いざ入水!〜

拡大写真(3000X2000)1.40MB

褌餅搗 【弐】 〜白餅を搗く〜

褌餅搗 【弐】 〜白餅を搗く〜

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2015年5月13日(水)晴

 宮若市石炭記念館は、福岡県宮若市が昭和52年(1977)に設立した入場無料の石炭記念館で、筑豊の炭鉱産業を約1世紀にわたって支えた貝島炭砿の歴史的文化遺産を展示しており、炭坑で使われた道具類や機器、模型、写真、文献、炭坑絵画などが展示されている。貝島私学発祥の旧大之浦小学校の校舎を活かした造りは、団塊の世代にとっては、とても懐かしく、学童時代に誘ってくれる。
▼ 玄関ロビーに飾られていた油絵は、貝島炭砿を象徴する明治期の坑内労働者を活写した「坑内の群像」で自由美術協会の村島定児(むらしまていじ)(1929-2002)による傑作である。男性が身に付けているのは鉢巻、六尺褌、草鞋の三点、女性の方は姐さん被り、腰巻、脚絆、草鞋の四点で、いずれも裸形で働いている。構内では、半纏などの着物は、暑くて着ていられなかったのだろう。

冬とてもふどし一丁炭坑夫

Coal miners
wearing fundoshi only even in winter.

ふゆとても ふどしいっちょう たんこうふ

▼ 田川市石炭・歴史博物館では、炭坑で働く人々の生活や様子を分かりやすく解説した「三井田川伊田坑の模型」、「手堀り道具」、「機械採炭道具」、「坑道のジオラマ」などが展示され、石炭産業の歴史が一目で分かるようになっている。
  明治・大正期の手堀時代の特徴は、2人一組、3人一組で採掘しており、仕事に慣れている人が先山(さきやま)として採炭にあたり、そうでない者が後山(あとやま)として石炭や材料を運んでいた。ジオラマでは、つるはしで採掘している先山は夫で、負籠を背負って掘り出した炭塊を運ぶ後山は妻である。

石炭や手掘坑夫の泥ふどし

Muddy fundoshi
of hand drilling miner under coal.

せきたんや てぼりこうふの どろふどし

▼ 山本作兵衛(1892-1984)は福岡県出身の炭鉱労働者で炭鉱記録画家。平成23年(2011)5月、絵画、日記、原稿など合計697点がユネスコ世界記憶遺産に登録され、日本での登録第1号となった。
戦後、炭鉱が次々と閉山した後、福岡県田川市にある炭鉱事務所の夜間宿直警備員となり、戦死した息子の子供たちにヤマの記録を残そうと思い立ち、自らの経験や伝聞を基に、明治末期から戦後に至る炭鉱の様子を墨や水彩で描いた。余白に説明を書き加える手法で1000点以上の作品を残した。。

冬のヤマ男は気合白ふどし

Coal mining in winter, 
let's fire uptogether
wearing white fundoshi loincloth.

ふゆのやま おとこはきあい しろふどし

  代表作は、画文集『炭鉱に生きる』(1967年)、『王国と闇』(1981年)など。昭和42年(1967)75歳のとき勲六等珠宝章受章。「ヤマの絵師」として知られたが、誠実温厚な人柄で多くの人から惜しまれまがら、昭和59年(1984)逝去。享年92歳。

「裸褌の炭坑夫」 

 2015.02.24  撮影 : 和田義男 吉田好幸 制作 : 和田義男

「坑内の群像」 村島定児画 /石炭記念館ロビー
「坑内の群像」 村島定児画 /石炭記念館(福岡県宮若市宮田)

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褌一丁で働く炭坑夫

褌一丁で働く炭坑夫

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「筑豊炭鉱絵巻」 新装改訂版 海鳥社 (2011年)

「筑豊炭鉱絵巻」 新装改訂版 海鳥社 (2011年)

★彡彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2012年7月7(土)曇 写真俳句のさきがけ 写真に俳句をつけて発表したのは、私が最初。現在、写真俳句として流行っている。作家の森村誠一が自分がはじめたのだと放言しているが、有名になると恥知らずになってしまうものなのだろうか。

 この句集をご覧頂ければ、私が何年も早くはじめていることが分かる。北舟は和田義男の俳号。北海道の稚内で単身赴任しているときに俳句をはじめ、日本最北端の舟・北舟と名乗ることにした。

東京 2011年6月30(木)曇 俳句「海の風景」1,500句達成! 2011年6月30日(木)夜、日本の裸祭り第137集「玉前神社夏越禊’11」をアップして5句を俳句「海の風景」に追加し、「清けしや九十九里の浜の夏禊」の句で遂に1500句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ12年、実質約11年かかって達成した。1000句から1500句までは、29ヶ月しかかかっていない。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。当面の目標は2000句だが、このペースで行けば、あと2〜3年で実現できる。ゴールは夢物語ではなくなってきたのが嬉しい。
 

1500句目の俳句

1500句目の俳句

東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。

東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝の寝ぼけた部分が残る頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の記憶から実景が鮮明に蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

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