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Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

'Erotokritos'-'Matia Ble'-'Tzivaeri'-'Arnisi'

パノラマ写真(2200X1200)636KB

春の海崖岸白きイアの街   北舟  

2001年7月16日制作

The spring sea, Ia the white town on a steep cliff.

イアの街/サントリーニ島

ギリシャ・エーゲ海紀行/エーゲ海編

イアの街/サントリーニ島(ギリシャ・エーゲ海)

 

   
 
 


   






 


 
 
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2009年10月15日(木)

 静岡県磐田市の中心部に位置する見付宿場通り(みつけしゅくばどおり)(旧東海道)一帯は、江戸時代に東海道53次の見付宿(みつけじゅく)として栄えた宿場町である。国指定重要無形民俗文化財の見付天神裸祭は、8日間にわたって行われる矢奈比賣(やなひめ)神社(見付天神)の秋の例大祭で、その最大の見所が毎年旧暦8月10日の直前の土日に催行される御大祭(ごたいさい)である。その3日前に行われるのが浜垢離で、天神の南方8kmの遠州灘に臨む福田浜で行われる。

篦鮒を川に放ちて里祭

A village ritual,
releasing flat crucian carp in the river.

へらぶなを かわにはなちて さとまつり

 松原の神事では、鈴木宮司の祝詞奏上と氏子総代の玉串奉奠のあと、神職と先供(さきとも)たちにより、近くの小川に命之魚(みょうのうお)と呼ばれる大きな篦鮒(へらぶな)が放流された。

小祓を浜に残して秋禊ぐ

The autumnal purification,
leaving a exorcising charm at the beach.

しゅうぶんの すみしひかりや はまのこり

 松原の神事が終わると、氏子関係者たちは福田浜に移動し、海浜の修祓(しゅばつ)が始まった。鉾(ほこ)・天神と呼ばれる大榊・先供と輿番の浜印(はまじるし)(旗)が立てられた祭壇は、遠州灘に向けられ、鈴木宮司の祝詞奏上が行われた。
 次に、参列者全員に20cmほどの竹串に紙垂(しで)を付けた小祓い(こばらい)が配られ、各自小祓いで身体を祓い清めた。
浜の神事が終わると海の禊ぎに入る。神官始め、先供(さきとも)や氏子総代たちは、その場で脱衣して褌(ふんどし)一丁の裸形(らぎょう)となり、小祓いに息を吹きかけ、祭壇のそばの砂浜に挿(さ)して厄を落としたあと、海に向かった。

秋分の澄みし光や浜の垢離

The beach purification,
clear sunlight of the Autumnal Equinox.

しゅうかいの たかまがはらに こしむかう

 先供たちは、波を浴びて垢離(こり)を取ったあと、荒波に洗われて丸くなった小石12個を拾い、浜砂と海水を桶に汲み取った。浜砂と海水は大祭前日の「御池(みいけ)の清祓(きよはらい)」に、小石は大祭の「御輿出御祭」に使われる。
 続いて黒烏帽子・白丁上下・白足袋・草鞋姿の輿役(こしやく)たちが「御輿番・地脇」の浜印を掲げ、一体となって海に入り、心身を清めた。輿番だけは裸にならず、神輿を担ぐときと同じように上衣の袖を肩までたくし上げ、袴の股立ち(ももだち)を取った勇壮なスタイルである。

輿番の意気高らかに秋の空

The autumn sky,
portable shrine carriers in high spirits.

こしばんの いきたからかに あきのそら

 続いて、待ちきれずに浜印と觸鈴(ふれすず)を持って海に走り込ん行ったのは一番觸(いちばんぶれ)(一番町いちばんちょう)の氏子たち。裸祭りに際しては、氏子28ヵ町は祭組(まつりぐみ)を編成し、町名とは別に独自の呼称を用いる。
 28の祭組は、見付天神から遠い地区から順に並んだ西区・西中区・東中区・東区の4つの梯団(ていだん)に所属し、それぞれ8・4・11・5の祭組で編成され、見付天神・拝殿でフィナーレの鬼踊りが行われる堂入りは、梯団毎の順番で行われる。浜垢離もその順に添っているらしく、西区梯団に所属する一番觸が真っ先に海に入った。

白褌の波に洗わる秋の垢離

The autumnal purification, white
loincloths being washed by the waves.

びゃっこんの なみにあらわる あきのこり

 見付天神裸祭で目につくのは次代を背負う子供たちの姿が多いことである。28の祭組は各々「子供連」を編成し世話役が保護育成に当たっている光景が印象的である。
 見付天神裸祭保存会の祭り規約に従い、全員褌一丁を徹底し、ロープに囲った子供たちを連れて海に入ったのは、西区梯団に属する水陣(すいじん)(水堀)である。赤い襷の警固長は水野彰さん。しっかりした指導をされているようで、見ていて惚れぼれするほど、勇壮で美しい禊ぎだった。

秋の空白褌の浜の垢離

The autumn sky, purification
wearing a white loincloth at a beach.

あきのそら しろふんどしの はまのこり

裸っぽ遠州灘の秋の垢離

The naked men,
autumnal purification at Ensyu-nada.

はだかっぽ えんしゅうなだの あきのこり

  海から上がった後も、砂浜や松原で本祭の鬼踊りの練習を兼ねているのか、肩車をし、押し合いへし合い、「オイッショ、オイッショ!」の掛け声も勇ましく、地団駄踏んで裸練りが繰り返し行われた。写真は、水陣の氏子たちによるもので、どうしても私のカメラが向いてしまい、とことん激写させてもらった。

天高し浜の押し合ひ白褌

The autumnal sky,
jostling with a white loincloth at a beach.

てんたかし はまのおしあい しろふどし

 祭り広場では、あちこちで肩車による親子や爺孫の微笑ましい裸の触れ合い(スキンシップ)が見られた。父や祖父の肌の温もりは、子らにとってかけがえのない一生の思い出となることだろう。
 
 西区・元喬社(げんきょうしゃ)(加茂川通)も褌姿の正装を実践しており、親子の微笑ましい触れ合いが素晴らしかった。

 平成21年(2009)9月26日(土)27日(日)、一泊二日の日程で静岡県磐田市で行われた見付天神裸祭の御大祭(ごたいさい)を密着取材した。

爽けしや神に捧ぐる浦安の舞

Refreshing air of autumn, offering
a dance of peaceful seashore to gods.

さやけしや かみにささぐる うらやすのまい

 午後4時から見付天神幣殿で5人の女子による「浦安の舞」が奉納された。毎年、4梯団から2人ずつ小学6年生の女子が舞姫に選ばれ、8人が練習を重ねてこの日に備えてきた。本職の巫女のように、素晴らしい舞を見せてくれた。
 浦安の舞は近代に作られた神楽(巫女神楽)の1つで、舞姫(巫女)が舞う。昭和8年(1933)の昭和天皇御製「天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」が歌詞となっている。一人舞、二人舞、四人舞などがあるが、正式は四人舞で、前半の扇舞と後半の鈴舞とがある。

裸っぽ夜街道の秋祭

Half-naked men,
an autumn ritual of the trunk road at night.

はだかっぽ よるかいどうの あきまつり

 午後6時に煙火(はなび)が打ち上げられ、交通規制が始まると、子供連は、歩行者天国になった旧東海道の見付宿町通り(みつけしゅくまちどおり)をパレードしながら見付天神に向かった。
 見付天神の拝殿に向かって走り込んできたのは、西区子供連の第一陣である。このグループは、保存会が主導する町印鉢巻・腹巻・褌・腰蓑・黒足袋・草鞋の衣装統一が図られた精鋭チームである。

秋祭褌腰蓑足袋草鞋

An autumn ritual, loincloths, straw aprons,
Japanese socks and straw sandals.

あきまつり ふんどしこしみの たびわらじ

 大人顔負けの裸練りを披露してくれたのは、3日前の浜垢離で素晴らしかった西区の水陣を中心とした子供たちである。頭からつま先まで、完璧に衣装統一が図られており、満点の出来栄えである。これこそ、国の重要無形民俗文化財にふさわしい裸練りである。センス抜群の指導者にエールを送りたい。

夜街道腰蓑梯団里祭

A village ritual, a large group
with straw aprons on a night highway.

よかいどう こしみのていだん さとまつり

 午後9時になると煙火(はなび)1発が打ち上げられ、宵祭が始まった。福代邸の二階からの眺めが素晴らしい。まさに高見の見物とはこのことだろう。この交差点で、東中区梯団の地脇と北部4町が写真右下の地蔵小路から御瀧車などと合流。見付天神裸祭最大の勢力にふくれあがり、その熱気に圧倒される。

長き夜や褌腰蓑鬼踊

A long autumnal night, Ogre Dance
 wearing a loincloth with a straw apron.

ながきよや ふんどしこしみの おにおどり

 一足先に拝殿のスロープで待機していたところ、予定よりも13分も早く、午後10時47分に「境松」の提灯を持つ月松社(げっしょうしゃ)の堂入りが始まっり、それに続いてゾクゾクと祭組が拝殿に上がり、鬼踊りと云われる激しい裸練りが行われた。
 天井のスプリンクラーから撒水が開始されると、拝殿の中は徐々に汗と熱気が広がり、やがて堂内を広く包んでむせ返るほどになる。褌腰蓑姿の裸っぽたちが押し合いへし合い、「オイッショ、オイッショ!」という精力的な掛け声と踏みならす床音が次第に激しくなって行く。
 広い拝殿は裸っぽたちの独壇場で、天井のスプリンクラーの水煙が力水となり、汗と熱気と腰蓑の藁の臭いが堂内に満ち、「オイッショ、オイッショ!」の掛け声も勇ましく、地団駄(じだんだ)踏んで床音が響き渡る。
 午前零時過ぎ、拝殿で躍動感溢れる鬼踊りの真っ最中に、その奥の幣殿では、宮司ら神職、先供、輿番一同が本殿の前に据えられた神輿を取り囲んで整列し、渡御奉告祭が行われた。

先觸の鈴の音爽か見附宿

Mitsuke Stage, the refreshing tinkle
of a bell by a herald.

さきぶれの すずのねさやか みつけじゅく

 そのあと、六ッ石のそばの山神社で、提灯と松明の明かりを頼りに、山神社祭が執り行われた。白い切り麻(ぬさ)が空中を舞い、大気が浄められるなか、白衣正装の鈴木宮司による祝詞奏上があり、一番觸、二番觸、三番觸の儀が行われた。
 「一番觸」の声がかかると、世話方より觸榊(ふれさかき)が御山役(おやまやく)に渡され、觸番が觸鈴を打ち鳴らしながら山を下り、「いちばーんぶれー」と連呼しながら総社まで走って神輿渡御が近いことを知らせに出発。御山役は、素手で觸榊を持ってはならず、上衣の袖を使って保持している。

腰蓑を納めてふどし夜半の秋

Midnight autumn, a loincloth
after taking off a straw apron.

こしみのを おさめてふどし よわのあき

 神輿渡御は道中の照明が全て消され、暗闇の中で行われる。御旅所の総社に到着すると煙火が上がり、その合図で町は光を取り戻した。総社は神輿着御祭が行われるなか、神輿渡御にお供してきた裸っぽたちは、総社の西(左)の納所(おさめどころ)で腰蓑納めをしたあと、三々五々帰途に着いた。
 全ての取材を終わり、松本邸に向かうと、腰蓑納めをしたあと一団となって戻ってきた西中区・二番觸の氏子たちが、褌一丁になって最後の裸練りを楽しんでいた。

白褌に鈴打ち鳴らす夜半の秋

Midnight autumn,
ringing a bell wearing a loincloth.

びゃっこんに すずうちならす よわのあき

 御大祭二日目の午後5時、鳳輦車に神輿を奉安し、猿田彦を先頭に還御の行列が総社を出発。一行は旧東海道を西へ進み、西坂、河原でそれぞれ御神酒献上を受け、境松御旅所を折り返し、愛宕下で御神酒献上を受け、三本松御旅所を経て見付天神に還御した。
 神輿が見付天神に戻ると、拝殿前で輿番たちが何十回となく二百数十キロの神輿を振り上げ、八重に取り囲んだ先供たちは、神輿の上下にあわせて提灯を上下に振り、喜びを表した。御大祭のフィナーレを飾る勇壮な神輿練りであった。

白丁の御神霊振りたる月の夜

A moonlit night,
carriers waving the portable shrine.

はくちょうの みたまふりたる つきのよる

  ひと言で感想を云えば、見付天神裸祭は「天下の奇祭」にふさわしい、ロマンと感動に満ちあふれた勇壮な裸祭りだといえる。鈴木宮司以下神官と大勢の氏子たちが褌一丁になって荒波寄せる遠州灘で垢離を取る勇壮な浜垢離神事、旧東海道を褌腰蓑の大集団が進む街道練り、クライマックスの拝殿での鬼踊り、最後に深夜暗闇の街道を行く神輿渡御は、そのどれもが全国に例がなく、国の重要無形民俗文化財にふさわしい豊かな伝統文化を今に伝えている。

「見付天神裸祭」 2009.10.11 制作:和田義男

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先供による

命之魚みょうのうお

(へら鮒)

放生ほうじょう

 10:25

先供による命之魚(へら鮒)の放生 10:25

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小祓いを砂浜に挿す

先供さきとも

たち 10:56

小祓いを砂浜に挿す先供たち 10:56

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海水・浜砂・浜石12個を採取する御輿

先供さきとも

海水・浜砂・浜石12個を採取する御輿先供係

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白丁たちの汐練り込み/地脇(東中区) 10:59

白丁たちの汐練り込み/地脇(東中区) 10:59

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波の中の裸練り/一番觸(西区) 11:06

波の中の裸練り/一番觸(西区) 11:06

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波に打たれる子供たち/水陣(西区)

波に打たれる子供たち/水陣(西区)

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芝生の広場で盛り上がる裸っぽたち/

芝生の広場で盛り上がる裸っぽたち/水陣(西区) 11:50

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「浦安の舞」後半の鈴舞/見付天神幣殿

「浦安の舞」後半の鈴舞/見付天神幣殿

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旧東海道を進む子供連

旧東海道を進む子供連

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褌・腰蓑・足袋・草鞋の正装で揉み合う子供連(西区) 18:56

褌・腰蓑・足袋・草鞋の正装で揉み合う子供連(西区) 18:56

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地蔵小路から地脇、北部4町が合流!/旧東海道 21:42

地蔵小路から地脇、北部4町が合流!/福代邸前(旧東海道) 21:42

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早くも佳境に入った天下の奇祭「鬼踊り」/西区 23:00

早くも佳境に入った天下の奇祭「鬼踊り」/西区 23:00

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一番觸が山神社を出発! 00:15:30

一番觸が山神社を出発! 00:15:30

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神事のそばで祭装束を解く男たち/総社

神事のそばで祭装束を解く男たち/総社

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觸鈴を思う存分振り回す裸練り/二番觸

觸鈴を思う存分振り回す裸練り/二番觸(西中区)

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神輿の御神霊振り/見付天神拝殿前 19:50頃

神輿の御神霊振り/見付天神拝殿前 19:50頃

拡大写真(1800x1200)369KB 写真:見付天神裸祭保存会
 

   
 
 


   




 



 
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2009年9月19日(土)

 2009年1月29日(木)〜2月1日(日)の4日間、親しい友人3人とチュニジア南部に広がるサハラ砂漠を旅した。
 イタリア南方の地中海に面するチュニジアはアフリカ北岸のイスラムの共和国で、日本の2/5の面積に約1千万人が暮らしている。90%以上がアラブ人で、北アフリカの先住民であるベルベル人は僅かに1%しかいない。

冬日向羊を食す砂砂漠

The winter sunshine,
eating lamp in the sand desert.

ふゆひなた ひつじをしょくす すなさばく

 サハラ砂漠の入口ドゥーズには、二日目の13時頃到着。いよいよサハラへ入り、オフロードを進むこと約30分。何もない砂漠に突如現れた標識とその奥に見える喫茶店(掘っ立て小屋風休憩所)。目指すキャンプまでは、あと60km。
 本日は、ここでちょっと遅いランチを頂く。メルゲズというチュニジア風羊のソーセージにチキンと豆の一皿と、オリーブオイルにハリッサという北アフリカの香辛料が添えられたパン。質素だが出来たてほやほや、砂漠のど真ん中で食べるので美味。

寒暁の風紋遙か地平線

Cold winter morning,
wave-like patterns spread to the horizon.

かんぎょうの ふうもんはるか ちへいせん

 昼食会場から約2時間掛けてオフロードを走り、17時頃、本日の宿泊地ティンバインへ到着。広大なサハラ砂漠の砂丘に囲まれた窪地に設営された白いテントでできたキャンプ・ホテルだった。
 翌朝、早起きし、朝日を見に砂丘に登った。冬の太陽が東の地平線から昇る姿は、神秘と荘厳に満ちていた。太陽が徐々に高度を増してゆくにつれて、暗黒のサハラ砂漠が次第に姿を現し、波立つ砂の大海原となった。先ほどまで冷たい闇に閉ざされていたサハラ砂漠の隅々にまで光が満たされると、脈打つ風紋が長い影を引きながら美しく輝き始め、大地の温もりを取り戻す営みが始まった。

風紋のサハラを歩く冬の朝

Winter morning, walking
on the Sahara of wave-like patterns.

ふうもんの さはらをあるく ふゆのあさ

 三日目のキャンプは、オアシスの中のテントホテル「パンシア Pansea 」。60張りのテントがある豪華4つ星ホテルである。
 バギー・ライディングのあとは、ゆったり2時間のキャメル・ライディグ。駱駝が立ち上がるときは、前につんのめるようになるので注意が必要。おとなしそうな駱駝だが、発情期などにはかなりワイルドな状態となるので、駱駝のコンディションをよく見よう。たまに落っこちる人もいるという。

オアシスの駱駝に揺らる冬日和

Nice winter day, camel riding at an oasis.

おあしすの らくだにゆらる ふゆびより

 キャメル・ライディングは超人気のイベントなので、サハラ砂漠に旅した以上、是非、挑戦したい。アフリカの駱駝は全て家畜化されたヒトコブラクダで、野生の駱駝は絶滅しているという。
 サハラ砂漠はアフリカ大陸北部にある世界最大の砂漠である。東西5,600km、南北1,700kmあり、面積は約1,000万km2で、アフリカ大陸の3分の1近くを占める不毛地帯である。

クサールの砦に遊ぶ春隣

Spring coming soon,
going on a trip to the fortress of Ksar.

くさーるの とりでにあそぶ はるどなり

 ツアー最終日は、シェニニとクサール・ハッダダという南部の観光ポイントをめぐりながら、スタート地点のジェルバ島に戻り、飛行機でチュニスに帰還した。
 昼食後、スターウォーズのロケ地として知られるクサール・ハッダダに行った。ここはルークの故郷という設定でロケが行われた村である。ここには、不思議なかたちをした倉庫群が並んでいて、異星人たちが多数登場するスターウォーズにとっては最適のロケ地だろう。

「チュニジアサハラ砂漠」 2009.9.18 撮影・原作:山崎貴暁

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サハラ砂漠の中で昼食

サハラ砂漠の中で昼食

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サハラの風紋

サハラの風紋

拡大写真(2000x1500)526KB

火星のような異次元世界を歩く

火星のような異次元世界を歩く

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駱駝のキャラバンを組む

駱駝のキャラバンを組む

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クサール・ハッダダの4人組

クサール・ハッダダの4人組

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2009年9月14日(月)

 平成21年(2009)6月13日(土)・14日(日)の2日間、家内と共にクラブツーリズムが主宰するツアーに参加した。JR上野駅から「なごみ(和)」に乗車し、群馬県の水上(みなかみ)駅まで2時間半の列車の旅を楽しんだあと、ツアーバスで水上高原・上の原温泉に行き、そこで1泊した。
 翌日、午前7時半にホテルを出発、1時間ほどで鳩待峠(はとまちとうげ)に到着し、午前9時から午後2時ころまで、約5時間13kmの尾瀬の散策を楽しんだ。

残雪の至仏背に尾瀬に入る

Entering Oze, leaving the Mt. Shibutu
with remaining snow behind.

ざんせつの しぶつそびらに おぜにいる

 ミズバショウ(水芭蕉 )は、サトイモ科の多年草。湿地に自生し、発芽直後の葉間中央から純白の仏炎苞(ぶつえんほう)と呼ばれる苞を開く。これが花に見えるが、仏炎苞は葉の変形したものである。

清流の底より萌ゆる水芭蕉

Skunk cabbages, prouting
from the bottom of the clear stream.

せいりゅうの そこよりもゆる みずばしょう

 毎年5〜6月になると、季節の名曲として良く聞かれる「夏の思い出」は、昭和24年(1949)に一週間、石井好子(いしい・よしこ)の歌で放送されたNHKのラジオ歌謡だった。当時の尾瀬は、わずかに植物学者や地質学者が訪れるだけの静かな湿原だったが、この歌のヒットでたちまち有名になり、多くの人々が訪れるようになった。

木道の果てなき原や水芭蕉

Skunk cabbage,
a field of the endless wood trails.

もくどうの はてなきはらや みずばしょう

 かつては単線の木道しか設置されていなかったために行き違いが出来ず、湿原に降りた多くの登山者に踏み荒らされたことを契機に、昭和41年(1966)から尾瀬のほぼ全域で複線の木道が整備されるようになった。
 尾瀬ヶ原の木道は平坦なので老若男女が気軽に散策できるが、尾瀬入口の鳩待峠から山ノ鼻までの3.3kmは標高差約200mの石段や木道を1時間ほど歩かなければならず、体力のない人は尾瀬ヶ原に着くまでにダウンしてしまう。

夏山を宿す池塘や尾瀬ヶ原

Oze-ga-hara, a moor pond
reflecting a summer mountain.

なつやまを やどすちとうや おぜがはら

 疲れた帰りに登りの1時間が待っているので、トレッキング・シューズなどそれなりの装備に加えて、元気でないと尾瀬を散策することはできない。
 尾瀬研究見本園に入ってみるとこちらは温度が低いのか水芭蕉の最盛期で、広範囲に群生が見られ、感動した。わざわざ牛首まで往復しなくても、直ぐ近くで見事な水芭蕉の群生が見られたので、体力が無く、見本園の散策をパスした人たちには気の毒な結果となった。

湿原の奥の果てまで水芭蕉

Skunk cabbages, spreading
to the end of inner part of the moor.

しつげんの おくのはてまで みずばしょう

 昼食を山ノ鼻で取ったあと、ツアーバスの待つ鳩待峠までの登り3.3kmは大変で、午後2時に着いたときには、全身汗だくだった。幸い、ツアーバスで水上温泉に戻って入浴し、着替えることができたので、東京に帰る新幹線では快適に過ごすことができた。翌日は筋肉痛も大したこともなく、元気な身体に感謝した。

「尾瀬の水芭蕉」 2009.9.13 制作:和田義男

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至仏山しぶつさん

(2,228m)と

尾瀬ヶ原おぜがはら

(1,400m)

至仏山と尾瀬ヶ原 2009.06.14 10:50

パノラマ写真(2300X1200)621KB
小川に咲く

水芭蕉みずばしょう

小川に咲く水芭蕉

拡大写真(1600x1200)434KB

燧ヶ岳ひうちがたけ

(2,356m)と

池塘ちとう

(湿原の水溜まり)

燧ヶ岳と池塘(湿原の水溜まり)

パノラマ写真(2500X1200)479KB
朽ちた木道と

池塘ちとう

朽ちた木道と池塘

拡大写真(1800x1350)445KB

湿原を飾る

水芭蕉みずばしょう

湿原を飾る水芭蕉

パノラマ写真(2100x1300)895KB

 

   
 
 


   






 

 
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2009年9月9日(水)

 平成21年(2009)8月26日(水)、富士信仰の町、富士登山北口(吉田口)として知られる山梨県富士吉田市で「吉田の火祭り」が開催された。
00年余の歴史を有するこの秋祭は、8月26日(水)・27日(木)の両日に催行される北口本宮冨士浅間神社と摂社・諏訪神社の祭礼で、毎年、20万人の観客で賑わう。

秋富士に架かる白雲御師の里

The village of mountaineering masters,
white clouds covering Mt. Fuji of autumn.

あきふじに かかるしらくも おしのさと

 富士吉田市歴史民俗博物館には、二階に展望室があり、そこから臨む富士の秋嶺(しゅうれい)が美しかった。
 火伏・安産・産業の守護神として崇められている木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を主祭神とする北口本宮冨士浅間神社は、景行天皇40年(110)、日本武尊が東方遠征の折に、大塚丘より富士山の神霊を遥拝し、「富士の神山は北方より登拝せよ」と勅(みことのり)して大鳥居と祠を建てさせたのが始まりとされている。広大な鎮守の杜に鎮座する社殿は、富士登山道の吉田口の起点にあたる。

絹垣の浅間大神火の祭

The fire ritual,
Asama great god in the silk curtain.

きぬがきの あさまおおかみ ひのまつり

 午後3時45分ころ、神輿に浅間神社と諏訪神社の分霊を移す御霊移しの儀式が始まった。社殿や境内の明かりが全て消され、拝殿奥から神職による「オーッ」という警蹕(けいひつ)の声が響き出すと、浅間大神は長さ10m高さ2mの絹垣(きぬがき)に囲まれて境内に現れ、諏訪神社の方へ運ばれていった。

秋懐の高天原に輿向かふ

The portable shrine going to
 Takamagahara of autumnal atmosphere.

しゅうかいの たかまがはらに こしむかう

 諏訪神社での神事を終えた午後4時半頃、勢子たちが待ちに待った明神神輿と御山(おやま)神輿の出御(しゅつぎょ)が始まった。

輿高く富士の御師町秋祭

The portable shrine
 high above the carriers,
the autumn ritual at the village
of Fuji mountaineering masters.

こしたかく ふじのおしまち あきまつり

 明神神輿の発輿祭(はつようさい)が終わると、聖地・高天原を囲む注連縄が取り払われ、勢子たちは2台の神輿に取り付いて氏子中(うじこちゅう)(氏子町会)に向け出発、中町(なかちょう)にある御旅所の富士吉田市立コミュニティーセンターまで勇壮な渡御が始まった。
 氏子中の渡御の途中、「富士みち」南端の上宿交差点で御山神輿を三度地面に打ち下ろす所作が休憩を挟んで二度行われた。

勢子衆の御影落しや鎮火祭

The fire extinguishing ritual,
Carriers drop the Mikage portable shrine.

せこしゅうの みかげおとしや ちんかさい

赤富士の神輿地を打つ火の祭

The fire ritual, the red Fuji portable shrine
 bumping to the earth.

あかふじの みこしちをうつ ひのまつり

 御旅所に神輿が奏安されると、御旅所着輿祭(ちゃくようさい)と神輿奏安祭が始まり、神職、御師、氏子総代、勢子一同が神輿の前に整列して神事が執り行われた。写真は神饌(しんせん)を手渡しで神前に供えているところ。

神灯の奥に鳳輦火の祭

The fire ritual, the portable shrine
behind the holy lanterns.

しんとうの おくにほうれん ひのまつり

 御旅所の神事の途中で退出し、富士みちに出てみると、既に世話人(せわにん)たちのサポートにより、大松明(おおたいまつ)の奉納主たちが次々に火を入れ始め、火祭り本番が始まっていた。
 火付役は、点火用の竹竿の先の針金にヤニ木(やにぎ)と称する赤松の根の束を引っ掛け、小瓶に入れた灯油を降りかけてからマッチで火を付け、それを松明の上部に置いて点火する作業を繰り返していた。

秋気満つ結松明の火入かな

Full of autumn atmosphere,
lighting a big torch.

しゅうきみつ ゆいたいまつの ひいれかな

 竹竿で火のついたヤニ木を結松明(ゆいたいまつ)の頂上に乗せて松明に火が着くと、拍手喝采がわき起こる。三町の世話人たちは、それぞれの町内に立つ大松明に次々と火を付けてゆく。この作業は急を要するので、一番忙しい奉仕だが、最も重要な作業である。
 大松明は77基あり1基の奉納料は11万円。奉納主を墨書した木札が立っているので広告塔を兼ねる。奉納主の代表者が点火した後点火した松明を背にして記念写真を撮る光景が見られた。

火花散る吉田火祭山じまひ

The closing of the mountaineering season,
 the fire sparking in the Yoshida fire ritual.

ひばなちる よしだひまつり やまじまい

 約2kmに及ぶ富士みちに並ぶ大松明と戸別毎に井桁(いげた)に組んだ薪(たきぎ)が燃え上がるにつれて、富士みちに紅蓮(ぐれん)の炎が広がり、街路灯が消されると、暗闇の道路の中央に浮かぶ一筋の炎がメラメラと川のように流れる幻想的な光景が現れた。夏の終わりを告げる炎の祭典にふさわしい壮大なページェント(野外劇)であり、吉田の火祭りの最大の見どころである。
 吉田の火祭りは、富士山の山じまいを告げるイベントでもあり、今年、山梨(富士北口)からの登山者は、7月1日から8月25日までに約22万人を数え、過去最多だった昨年に次ぐ賑わいだったという。
 俳句では 「火祭」は秋の季語で、単に火祭といえば10月下旬に行われる京都鞍馬・由岐神社(ゆきじんじゃ)の「鞍馬の火祭」を指すが、冨士浅間神社の火祭に因む「吉田火祭」「吉田浅間祭」「火伏祭」「芒祭」も秋の季語となっている。
 世話人たちは、大松明の根元に水を掛け、崩落を防いでいたが、松明の全体に火が回って巻き締めていた荒縄が燃えると、束縛から解放された松明は一瞬にして崩落し、写真のように火が周辺に飛び散る。そばにいると巻きこまれる恐れがあるので、注意が必要である。

松明の俄に崩る火の祭

The fire ritual,
the torch collapsed in a flash.

たいまつの にわかにくずる ひのまつり

 松明の崩落により火の海と化した場所は輻射熱でとても熱く、手で顔を覆いながら足早に通りすぎる光景が見られた。富士みちの両側には、沢山の露店が並び、夜店巡りを楽しむ子供たちの喜々とした姿が印象的だった。

山仕舞ふ富士の北里火の祭

The fire ritual, the northern village of Mt.
 Fuji closing the mountaineering season.

やましまう ふじのきたざと ひのまつり

 金鳥居(かなどりい)のそばの松明は、点火時期が最も遅かったので、午後8時半になっても、まだ、立て札が燃えずに残っている状況だった。金鳥居南方の松明は、殆ど崩落してしまった様子を見通すことができる。今宵の取材は、この辺で切り上げることにした。

「吉田の火祭り」 2009.9.8 制作:和田義男

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富士の秋嶺/富士吉田市歴史民俗博物館展望室

富士の秋嶺/富士吉田市歴史民俗博物館展望室

拡大写真(2000x1350)313B

浅間の大神が

絹垣きぬがき

に囲まれて諏訪神社に遷御 15:45

冨士浅間神社の御神霊が絹垣に囲まれて西隣りの諏訪神社に遷御 15:45

拡大写真(2000x1400)587KB

高天原に向かう明神神輿

高天原に向かう明神神輿

拡大写真(2000X1100)545KB

参道の石段を下る明神神輿

参道の石段を下る明神神輿

拡大写真(1600x1200)405KB

御影みかげ

落し 17:00

御影落し 17:00

拡大写真(2000x1350)527KB

御旅所

着輿祭ちゃくようさい

 18:15

御旅所着輿祭 18:15

パノラマ写真(2550x1200)535KB

人気スポットの金鳥居で大松明に火入れ 18:40

人気スポットの金鳥居で大松明に火入れ 18:40

拡大写真(2000x1500)457KB

燃え盛る筍形大松明 19:35

燃え盛る筍形大松明 19:35

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直後に崩落した大松明 20:12

直後に崩落した大松明 20:12

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金鳥居かなどりい

の大松明 20:25

金鳥居の大松明 20:25

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2009年8月20日(木)

 平成21年(2009)4月21日から30日まで、家内と共にクラブツーリズムが主催する「憧れのギリシャ エーゲ海紀行10日間」の旅に参加した。
 前半のギリシャ本土の観光を終えた一行は、4月24日、ピレウス港で大型フェリーボートに乗船し、午後9時半頃クレタ島に向け出港し、エーゲ海の船旅を楽しんだ。

青年の牛の跳躍春の島

The spring island,
a young man's leap on a bull.

せいねんの うしのちょうやく はるのしま

 翌朝、朝食後、ホテルから歩いて数分のイラクリオン考古学博物館に行った。アテネ考古学博物館はギリシャ全土の遺跡をカバーしているが、唯一クレタ(ミノア)文明の遺跡はこの博物館に収められており、必見の価値がある。
 1時間ほど考古学博物館を見学した後、ツアーバスでクノッソス宮殿に行った。

グリフィンや玉座の壁画春の色

Griffin,

the mural of the throne

  is a spring scenery.

ぐりふぃんや ぎょくざのへきが はるのいろ

 オランダのハーグにある国際司法裁判所ICJの裁判長の椅子は、「玉座の間」の椅子を模して作られている。「ミノス王がこの世で最初の裁判官であった」と伝えられているからだという。
 イラクリオンは壁に囲まれた旧市街とその外側に形成された新市街とに分かれる。ホテルや観光客用のレストラン、博物館は旧市街にある。午後の自由時間に徒歩で旧市街からオールド・ハーバーを巡った。

春の海入日に染まるクレタ島

The spring sea,
Crete island being dyed by the setting sun.

はるのうみ いりひにそまる くれたとう

 旧市街のタベルナ(食堂)で夕食を取ったあと、春の陽気に誘われて、再びオールド・ハーバーを散策した。ライトアップされた要塞を眺めているうちに、おもちゃのような漁船が漁獲物を選別して水揚げしている光景に出くわした。大きなロブスターや赤魚、イカなど、刺網で捕れた海の幸が並べられていた。

エーゲ海春豊饒の海老や鯛

Lobsters and sea breams,
spring fertility of the Aegean Sea.

えーげかいはるほうじょうの えびやたい

 エーゲ海の島々はいくつかの諸島に分類される。北エーゲ諸島、ユービア島、スポラデス諸島、キクラデス諸島、サロニカ諸島、ドデカネス諸島それにクレタ島である。これらの島々は良港を備えているが、古代、中世にはエーゲ海の航海は決して安全なものではなかったという。
 火山島が多く、大理石や鉄の産地でもある。クレタ島のような比較的面積の大きな島には肥沃な耕地が広がるが、多くの島は農業に適していない。しかし、地中海性気候のため、まばゆい太陽が輝く夏季には、太陽に恵まれない地域から多くの観光客が訪れる。

残雪を海より仰ぐクレタ島

Crete Island, looking up
the remaining snow from the sea.

 ざんせつを うみよりあおぐ くれたとう

 キクラデス諸島に位置するサントリーニ島は、エーゲ海に浮かぶギリシャの島で、ミコノス島と並んで人気のある観光地である。島の中心はフィラの町で、崖下に新旧二つの港がある。サントリーニ島は大小5つほどの島々の総称で、一般には最も大きいティラ島をいう。

九十九坂右に左に春の海

The winding slope with hairpin curves,
 looking at the spring sea right and left.

つづらざか

 みぎにひだりに はるのうみ
 翌日、サントリーニ島アティニオス港に入港した一行は、ツアーバスに乗り、フィラの中心街から北方徒歩15分の高台にあるサントリーニ・パレス・ホテルに到着。ここで2連泊し、サントリーニ島を心ゆくまで堪能した。
 サントリーニ島の二日目は弁当を持って火山島ネア・カメニにハイキングに出かけた。ロバは下りが怖いと聞いていたので、行きはゴンドラに乗り、帰りにドンキーに乗ることにした。

春風に向かひて奔るエーゲ海

  The Aegean Sea,

navigating against the wind of spring.

はるかぜに

 むかいてはしる えーげかい
 フィラのオールド・ポートの西方約2kmに浮かぶ無人島のネア・カメニまで45分ほどの船旅を楽しみ、小さな入江にあるポンツーン(浮き桟橋)に到着した。
 標高140mの山頂までのハイキングは、出港の遅延で1時間半の予定が1時間になってしまった。片道30分はかかるので、往復するだけの時間しかなかった。

春の磯泳いで入る温泉場

The spring beach,
swimming to take a hot spring bath.

はるのいそ およいではいる おんせんば

 火山島の観光を終えて再び船に乗り、隣の小島パレア・カミニに到着。ここは、海中に温泉が湧き出ており、泳ぎに自信のある人たちが水着に着替えて海に入り、泳いで温泉に入った。
 海は深いので歩いて行けず、島には桟橋がないので船も接岸できないため、泳げない人は温泉に入れない。過去には溺れそうになった人に救命ブイを投げて助けたというハプニングもあったようだが、今回は、全員無事に帰還することができた。何ともワイルドな温泉ツアーである。

ドンキーののらりくらりと春の坂

The spring slope,
going up lazily on a donkey.

どんきーの のらりくらりと はるのさか

 約3時間の海上ツアーは無事に終了し、船はオールド・ポートに入港した。穏やかな気候で波も立たず、快適なエーゲ海の春の船旅を満喫することができた。
 オールド・ポートからフィラまでの上りはロバの背に揺られるのが良い。上りのため急峻な崖を見ないですむので下りに比べると恐怖感が少ない。
 サントリーニ島最後の観光は、島の北端に位置するイアの町である。ここから眺める夕日は絶景と云われている。
 フィラ同様、イアでもギリシャ正教の青い丸屋根の可愛らしい教会が印象的だった。かつて、森村桂(もりむら・かつら)は、南太平洋のニューカレドニアが「天国に一番近い島」と書いたが、筆者はサントリーニ島こそがその名にふさわしいのではないかと思った。

春の島青き丸屋根イアの町

The spring island,
the blue cupolas in the town of Ia.

はるのしま あおきまるやね いあのまち

 エーゲ海はエージアン・ブルー Aegean bue と呼ばれる独特の青い色が素晴らしい。天候や潮流などの変化に応じて微妙に変化する海の色。フェリーが一筋の白い尾を引いて航走している。洞窟のようになったホテルやレストランから一日中眺めていても見飽きることはないだろう。
 この日の日没は20:10。残念ながら、夕方になってから雲が広がり、エーゲ海に沈む夕日と夕焼け空を拝むことはできなかった。前日もホテルの西側で夕日を待ったが、二日間にわたって期待外れとなってしまったのが唯一の心残りである。

春の海崖岸白きイアの町

The spring sea,
Ia the white town on a steep cliff.

はるのうみ がいがんしろき いあのまち

「ギリシャ・エーゲ海紀行/エーゲ海編」 2009.8.19 制作:和田義男

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「雄牛跳び」のフレスコ画/イラクリオン考古学博物館

「雄牛跳び」のフレスコ画/イラクリオン考古学博物館
拡大写真(2400x1360)877KB

聖獣グリフィンに脇侍された玉座

聖獣グリフィンに脇侍された玉座

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クレタ島の入日 / 要塞の屋上より西方を臨む

クレタ島の入日 / 要塞の屋上より西方を臨む

パノラマ写真(2000X940)319KB

夜のオールド・ハーバー 20:50

夜のオールド・ハーバー 20:50

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残雪のクレタ島春景色

残雪のクレタ島春景色

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サントリーニ島の九十九坂

サントリーニ島の九十九坂

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オールド・ポートを出帆 10:55

オールド・ポートを出帆 10:55

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泳いで海中温泉に向かう観光客たち

泳いで海中温泉に向かう観光客たち

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最後尾を進む驢馬使いと少年

最後尾を進む驢馬使いと少年

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青い丸屋根(キューポラ)の教会 2/2

青い丸屋根(キューポラ)の教会 2/2

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サントリーニ島北端のイアの町

サントリーニ島北端のイアの町

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2009年8月8日(土)

 平成21年(2009)8月1日(土)正午から午後4時半ころまで、東京都府中市宮町に鎮座する大國魂神社(おおくにたま・じんじゃ)(猿渡昌盛宮司)で八朔相撲祭(はっさく・すもう・まつり)が開催された。
 「相撲祭」は大國魂神社のホームページの表現で正式には「大國魂神社四ヶ町八朔奉納相撲」といい今年で420回となる伝統の祭礼である。

褌の昼餉楽しき宮相撲

Sumo wrestling at shrine,
pleasant lunch with fundoshi loincloth.

ふんどしの ひるげたのしき みやずもう

 土俵の南側に八朔相撲の役員席があり、一般の観客席は、土俵の東、北、西に設けられている。相撲褌(まわし)を締めた子供たちの昼食と準備運動が終わり、土俵中央にあった幣束は南東角の白柱に取り付けられ、正午過ぎには、開催が待たれるだけとなった。

八朔や土俵に集ふ府中っ子

First of August,
Fuchu children gathering on the sumo ring.

はっさくや どひょうにつどう ふちゅうっこ

 12時10分頃、相撲に参加する幼児や小学生たち全員が土俵に上がり、回れ右して、本殿に一礼したあと、開会式が始まった。伝統の奉納相撲とあって、男子は直接肌に相撲褌(まわし)を締めている。パンツ姿の男子がいるが、相撲を取るときは、幼児以外は褌一丁になる。女子はズボンやタイツの上に褌を締めている。
 この日は、天正18年(1590)に徳川家康が江戸城に入った日に当たり、これを記念して始まったのが五穀豊穣と天下泰平を祈るこの八朔奉納相撲である。この年、家康は、大國魂神社に社領五百石を寄進し、社殿等の造営を行った。また、奉納相撲のために水引幕も献納したという。

をさなごもふんどし締めて宮相撲

Sumo wrestling at shrine,
little children wearing a fundoshi sash.

おさなごも ふんどししめて みやずもう

  最初は幼児の部の個人戦。相撲の作法やルールも良く分からずどうすれば勝てるのかも理解していない幼児たちが大人と同じ相撲褌(まわし)を締めて対戦する姿が微笑ましい。相手のまわしを取ることを知らないのでどうしてもレスリングスタイルになってしまうのは自然の成り行きである。
 小学生の部は、二つのリーグ戦を行い、各リーグの上位2チームが決勝トーナメントに進む。各チームは小学1年生から6年生までの6人。3勝3敗の五分となったときは、1年生同志で決定戦(プレーオフ)を行う。

緑陰の土俵に相撲ふ府中っ子

Fuchu children competing sumo
in the ring under the shade of trees.

りょくいんの どひょうにすもう ふちゅうっこ

 同学年同志の戦いとなるが、体格が大きい方が有利だとはいえ、本格的に相撲を習っている子が強いのは当たり前。四股(しこ)や蹲踞(そんきょ)、仕切りやすり足など、土俵上の動作を見れば、初心者かどうかが直ぐに分かる。写真右は、見事な上手投げ。同学年でも力量に大きな差がある。
 京所(きょうず)・番場(ばんば)・八幡(はちまん)B・府中Bの4町リーグ戦の結果、全勝の八幡Bと2勝1敗の府中Bがシードチームの八幡Aと府中Aと共に優勝トーナメントに進出した。
 4チームの監督がくじ引きをした結果、決勝トーナメントは、第1試合が八幡A(東)と府中B(西)、第2試合が八幡B(東)と府中A(西)の組合せとなった。

八朔や四百年の宮相撲

First of August, amateur sumo wrestling
at shrine for four hundred years.

はっさくや よんひゃくねんの みやずもう

 優勝決定戦は、八幡A(東)と府中A(西)の対戦となった。府中Aの3連勝で楽勝かと思われたが、そのあと八幡Aが3連勝し、3勝3敗の五分となったため、1年生同志の優勝決定戦(プレーオフ)となった(写真右)。
 府中Aの一年生(左側)は、本格的に相撲の指導を受けていることが良く分かる。優勝決定戦はこのまま押し出して優勝を手中にした。

家康を偲ぶ府中の宮相撲

Sumo wrestling at shrine
in Fuchu,remembering Ieyasu.

いえやすを しのぶふちゅうの みやずもう

 午後3時前、本物のお相撲さんが土俵上に登場した。春日山部屋所属の春日王(かすがおう)で、平成19年(2007)3月場所で西前頭3枚目まで躍進した現役の幕内力士である。
 3人の幕下力士とともに土俵に上がり、子供たちに胸を貸したり、ぶつかり稽古を披露し、見物人たちの拍手喝采を浴びていた。ちびっ子たちは、本物の関取と相撲が取れるとあって大喜び。

春日王相撲ふ童子を鷲掴

Kasugao, grabbing sumo children
like an eagle.

かすがおう すもうわらべを わしづかみ

 若兎馬(わかとば)記念杯は、府中出身の幕内力士・若兎馬(現:尾車部屋付年寄押尾川)の業績を讃えて設けられたもの。若兎馬は平成15年(2003)九月場所において28年ぶりに東京都から誕生した幕内力士だった。

憧れの若兎馬杯や宮相撲

Sumo wrestling at shrine,
the yearning Wakatoba Cup.

あこがれの わかとばはいや みやずもう

 昭和52年(1977)府中市に生まれた若兎馬の正式の四股名は若兎馬裕三(わかとば ひろみ)で、本名は山田裕三(やまだ ひろみ)。身長175cm、体重135kg。最高位は東前頭11枚目(2003年11月場所)。416勝406敗の生涯成績を残し、平成19年(2007)九月場所を最後に引退。現在、押尾川親方として力士の指導育成に当たっている。
 若兎馬記念杯は、準々決勝に進出した8名のうちの4名で争われ、優勝者に親方から直接優勝カップが授与され、このあとレプリカと交換された。

「八朔相撲祭」 2009.8.8 撮影・制作:和田義男

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土俵のそばの楽しいランチ・タイム 11:25

土俵のそばの楽しいランチ・タイム 11:25

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土俵上に集合した子ども力士たち 12:10

土俵上に集合した子ども力士たち 12:10

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幼児の取組 12:25

幼児の取組 12:25

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上手投げ炸裂!

上手投げ炸裂!

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3勝3敗で1年生同志の優勝決定戦!

3勝3敗で1年生同志の優勝決定戦!

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春日王の鷲掴み

春日王の鷲掴み

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親方から直接授与された若兎馬記念杯

親方から直接授与された若兎馬記念杯

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2009年8月3日(月)

 平成21年(2009)7月4日(土)午後5時から午後10時頃まで、全国からWa☆Daフォトギャラリーのファン約50名が東京都中央区銀座6丁目のコートヤード・マリオット銀座東武ホテルに集合し、和田義男講演会兼オフ会が開かれた。

冷やし飴出せば良かった紙芝居

Story telling with picture cards,
iced sweets should be served.

ひやしあめ だせばよかった かみしばい

 平成12年(2000)7月16日に産声をあげた世界の旅の写真館「Wa☆Daフォトギャラリー」は、8年9ヵ月後の平成21年(2009)4月10日に アクセス1,000万件を達成した。これを記念するため、鐵砲洲稲荷神社弥生会(青柳晴男会長)の後援により、石川辰夫幹事長の呼びかけで和田義男講演会実行委員会(今村一憲委員長)が組織され、10ヵ月にわたる準備を経て、この日開催が実現したものである。

オフ会の銀座に集ふ夏の夕

The summer evening,
gathering to the off-line meeting at Ginza.

おふかいの ぎんざにつどう なつのゆう

 懇親会兼オフ会は、午後7時25分から午後9時40分頃まで2階芙蓉の間で開かれた。
 冒頭、オリンパスの若松誠一さんに挨拶と乾杯の音頭をとって頂いてスタート。約40人の参加者が海・旅・祭・弥・生の5つの席に座り、バイキング・フリードリンク方式で飲食を共にしながら、終始和やかな雰囲気の中で、旅や祭、写真談義に花を咲かせた。

「和田義男講演会」 2009.7.4 撮影・制作:和田義男

電子紙芝居「世界を撮す遊び人」による講演

大型スクリーンを使った電子紙芝居「世界を撮す遊び人」による講演

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オフ会兼懇親会の挨拶

オフ会兼懇親会の挨拶

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。
 
東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝のまだ寝ぼけた部分がのこる頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の写真から実景が鮮明な記憶となって蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 HAIKU for PEOPLE

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