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★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

♪海に帰る・栄華の墓所・巡礼・水の宮・鎮守の森・島の祭り

入道の丸き海坂夏の色  北舟

拡大写真(1800x1170)474KB

Summer color, the round horizon of Cape Nyudo.

2001年7月16日制作

日本海が丸く見える入道崎

 

日本海が丸く見える入道崎(秋田県男鹿半島)

 

 


 


 
 
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2008年11月14日(金)

 平成20年(2008)11月6日(木)〜19日(水)(日曜休館)の午前10時〜午後6時の間、東京都千代田区神田小川町の「オリンパスプラザ東京」ショールーム(入場無料)で「和田義男写真展」が開かれている。

菊日和還暦記念写真展

An ideal day for chrysanthemum seeing,
the photograph exhibition
to commemorate my sixtieth birthday.

きくびより かんれききねん しゃしんてん

 写真展は、還暦記念でもあることから、この句を詠んだ。
 初日は、午後1時から午後4時までの在館予定が終わってみれば閉店の6時まで、連続5時間、休憩無しで対応した。平日でもあり、暇をもてあますのではないかという危惧はすぐに吹っ飛び、鐵砲洲稲荷神社弥生会幹事長の石川辰夫さんを皮切りに、次々と来客があり、楽しい歓談のひとときを過ごさせていただき、終わってみるとあっという間の初日だった。

雲越えて花咲きのぼる吉野山

Yoshino mountain,
Cherry blossoms blooming
up to the top beyond the clouds.

くもこえて はなさきのぼる よしのやま

 吉野と牛車は、英訳ができていなかったので、この機会に英訳した。ひょっとしてダブっているかもしれないが、抜けるよりは良いと思って掲載した。
 和田義男写真展は、現在開催中であるが、僅か21点の展示しかないので、オフ会として多くの来訪者にお会いして交流の輪が広がったことが、一番有意義なことだと思われる。
 「桃栗三年柿八年」というが、平成12年(2000)7月16日(日)にWa☆Daフォトギャラリーを開設してはや8年が経過した。1日1万アクセスをいただくメジャーなサイトに発展した現在、当初1万アクセスを超えるのに11ヵ月を要したことなどは、遠い昔のことのように思われる。
 

諸鬘のたりのたりと牛車かな 

 

Hollyhocks, slowly and slowly
the ox-drawn carriage going.

もろかずら のたりのたりと ぎっしゃかな

 「継続は力なり」を信条に、8年間コツコツと作品を積み重ねてきた結果、柿の木の如く実がつき、ここに初めての個展を開催することができた。多くの読者のご支援と、感動写真集の30人の同志の方々のお陰であり、心から感謝申し上げたい。今後も更に精進を重ね、甘くて大きな果実を枝もたわわに実らせたく、皆様の倍旧のご支援とご鞭撻を賜れば幸甚である。
 

海坂に向かう神輿や白ふどし

 

White fundoshi-loincloths,
the portable shrine
going to the sea horizon..

うなさかに むかうみこしや しろふどし

 江ノ島天王祭は、俳句がなかったので、新しく創作して英訳した。
 全紙やA3のプリントは迫力があり、とても素晴らしいとは思うが、印画紙へのプリントやプリンターによる印刷は、色あわせが難しく、ディテールが微妙に違っているので、原画を忠実に再現してくれるのは、発光体のパソコン・ディスプレーが最良であると思う。

「和田義男写真展」 2008.11.06-19 撮影:和田義男

「ブライトホルン登頂の旅」の沖本ご夫妻と 撮影:小林宗峰

「ブライトホルン登頂の旅」の沖本ご夫妻と

拡大写真(1800x1400)342KB

吉野・上千本の眺望(奈良県)

拡大写真(1600x1565)629KB

御所を出発する牛車(葵祭)

拡大写真(1600x1455)495KB

海渡る白褌神輿/江ノ島天王祭(神奈川県藤沢市)

拡大写真(1600x1390)467KB

 

 





 
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2008年11月10日(月)

 平成20年(2008)10月11日(土)から13日(月/体育の日)までの3連休を利用し、家内と二人でプリウスに乗り、圏央道青梅インターから中央道を経由して木曽路を巡った。

爽籟や昔を偲ぶ奈良井宿

Fresh sound of an autumn breeze,
recalling the past of Narai station.

そうらいや むかしをしのぶ ならいじゅく

 最初に訪れたところは奈良井宿で、中山道69次の内の34次、木曽十一宿の北から二つ目の宿場町である。

秋山路木曾福島の関所門

Autumn mountain path,
a barrier gate of Kiso Fukushima.

あきやまじ きそふくしまの せきしょもん

 中山道37番目の福島宿は、西の御嶽山と東の木曽駒ヶ岳の間に位置する宿場町で、木曽十一宿の真ん中にある。
 徳川家康は五街道の整備を進め、慶長7年(1602)に東海道と中山道を京と江戸を結ぶ幹線道路に定め、その整備に力を入れた。翌年江戸開府を果たした家康は、江戸防衛のため五街道50ヵ所に設けた関所のうち、東海道の箱根(神奈川)と新居(あらい)(静岡)、中仙道の碓氷(うすい)(群馬)と福島(長野)を特に重要視したため、これらの関所が四大関所と呼ばれるようになった。
 江戸から69里(271km)京から68里(267km)に位置する福島関は、福島宿の北口に設けられた。有事の際には関所を封鎖して江戸を守るため、木曽川の断崖と山に挟まれた幅40mほどの狭い場所で、天然の要害にある。
 

御嶽の間近に見上ぐ秋日和

 

Sunny autumn day,
looking up the Ontake mountain nearby.

おんたけの まぢかにみあぐ あきびより

 ゆったりと四方に裾野を広げた大きな姿の独立峰である御嶽山は、長野県木曽郡木曽町、王滝村と岐阜県下呂市(げろし)の境目にある山で、木曽御嶽山や御嶽ともいう。標高は3,067m。日本百名山の一つに数えられている。
 

秋の岳修験の径は霧の中

 

Autumn mountain,
the path of Syugen Buddhists
in a dense fog.

あきのたけ しゅげんのみちは きりのなか

 王滝口の登山ルートは、御嶽山への車道としては最も高い7合目の田の原(2,180m)まで車で登ることが出来、剣ヶ峰へのアプローチが最も短く、片道3時間ほどの行程なので、日本で14番目の高山でありながら日帰り登頂も十分に可能となっている。
 

秋深山水に打たるる行者石

 

A deep autumn mountain,
the falling water beating an ascetic stone.

あきみやま みずにうたるる ぎょうじゃいし

 食堂で遅い昼食を取ったあと、7合目を後にし、3.5合目まで下って清滝(きよたき)と新滝(しんたき)を見て回った。
 その昔、御嶽山に登るには「百日精進潔斎」といって100日間修業をして身を清めなければ、登拝は許されないという掟があり、清滝での厳しい滝行が行われていたという。今日でも夏季には滝に打たれる信者の姿が見られる。冬になると清滝は氷の柱となり、ライトアップされた神秘的な氷の青さに目が奪われるという。
 新滝の裏側には窪みがあり、裏側から滝を眺めることが出来る。いわゆる裏見の滝である。落水が集中する部位にひとつの岩が置かれていた。行者がそこに立って滝に打たれるためだろう。水量がかなりあり、熟練者でないと怪我をする恐れがある。
 

秋の川寝覚めの床の太郎冠者

 

The autumn river,
Taro waked up on the bed.

あきのかわ ねざめのとこの たろうかじゃ

福島宿の次の宿場町・上松宿(あげまつじゅく)の寝覚めの床は、木曽八景の中で最も有名な国の史跡・名勝・天然記念物に指定されている景勝地である。浦島太郎が最後にたどり着いた土地だという伝説がある。ある日、竜宮城から土産にもらってきた玉手箱を開けてみると、あっという間に三百歳の老人になってしまい、ビックリして目を覚ました。夢から目を覚ましたということで、ここを「寝覚めの床」というようになったとか。
 

秋深む妻籠の宿の屋根の石

 

Late autumn,
stones are on the roof of Tsumago inn.

あきふかむ つまごのやどの やねのいし

 妻籠宿は、中山道42番目の宿場で、長野県木曽郡南木曽町(なぎそまち)にあり、」蘭川(あららぎがわ)東岸に位置する。 中山道と飯田街道の分岐点にあるため、古くから交通の要所として栄えた。隣接する馬籠宿(まごめじゅく)と共に木曽路を代表する観光名所として名高い。
 

石坂や秋の気満つる馬籠宿

 

A stone slope,
Magome station full of autumn air.

いしざかや あきのきみつる まごめじゅく

 馬籠宿は中山道43番目の宿場で、かつては長野県木曽郡山口村であったが、平成17年(2005)2月越県合併により、現在は岐阜県中津川市にある。木曽十一宿の一番南に位置する。
 明治28年(1895)と大正4年(1915)の火災により、古い町並みは石畳と枡形(ますがた)以外はすべて消失したが、その後復元されて現在の姿となった。文豪・島崎藤村の生まれ故郷としても知られ、名作「夜明け前」の舞台ともなった宿場町である。
 

天龍の舟より見上ぐ秋の空

 

Autumn sky,
looking up from a boat of Tenryu.

てんりゅうの ふねよりみあぐ あきのそら

 馬籠宿を最後に木曽十一宿の散策を終え、中津川インターから中央道に乗って帰途についたが、まだ時間があったので、飯田インターで下りて、中央アルプス(木曽山脈)の東側を流れる天竜川の川下りに参加した。
 流域は急峻な地形のため、古くから「暴れ川」「暴れ天竜」として知られ、多数のダムがある。江戸時代、徳川家康の命で、京の豪商で運河建設の第一人者であった角倉了以(すみのくら・りょうい)が天竜川の輸送路を確立し、木材や年貢などの物資は、天竜の水運をもって舟で運ばれた。

「木曽路秋の旅」 2008.10.11-13 撮影:和田義男

昔日の面影が残る奈良井宿

昔日の面影が残る奈良井宿

パノラマ写真(2000x1000)420KB

西日の福島関所西門

西日の福島関所西門

拡大写真(1600x1200)569KB

紅葉の御嶽山・剣ヶ峰(3,067m)

紅葉の御嶽山・剣ヶ峰(3,067m)

拡大写真(1800x1350)514KB

霧が流れてきた田ノ原天然公園の湿原

霧が流れてきた田ノ原天然公園の湿原

拡大写真(1400x950)334KB

裏見の滝の新滝

裏見の滝の新滝

拡大写真(1600x1200)476KB

寝覚めの床

寝覚めの床

パノラマ写真(2000x1000)512KB

屋根に石を載せた下嵯峨屋/寺下

屋根に石を載せた下嵯峨屋/寺下

拡大写真(1600x1200)434KB

観光客で賑わう馬籠宿

観光客で賑わう馬籠宿

拡大写真(1600x1200)497KB

つつじ橋を通過

つつじ橋を通過

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2008年10月19日(日)

 平成16年(2004)7月23日から8月1日まで、夫婦揃って郵船トラベルの「夢のブライトホルン登頂チャレンジ10日間」に参加した。ツアー4日目にツェルマットに入り、ブライトホルンの登頂を挟んで、ツェルマットに3泊、モンテ・ローザ・ヒュッテに1泊して、マッターホルン周辺の登山やハイキングを堪能した。

アイゼンのクレバス越えや夏山路

Summer mountain path,
going beyond the crevasses
with climbing spikes.

あいぜんの くればすごえや なつやまじ

 ツアー4日目の7月27日は、マッターホルン・ゴッタルド鉄道(MGB)を利用してツェルマット駅からゴルナーグラート駅(3,089m)に行き、そこからモンテ・ローザ・ヒュッテまでハイクして一泊した。
 ツアー一行は、ゴルナーグラートから急斜面を下り、ゴルナー氷河を渡ってモレーン(積石)を越え、グレンツ氷河から岩場を登ってモンテ・ローザ・ヒュッテに行くコースを辿った。

夏の朝マッターホルンの赤嶺かな

Summer morning,
the red peak of the Matterhorn.

なつのあさ まったーほるんの あかねかな

 翌7月28日早朝、西の山々はモルゲン・ロートと呼ばれる朝焼けで赤く染まった。モンテ・ローザ・ヒュッテに泊まらなければ見ることが出来ない大自然の壮大なページェントに、言葉を失うほどの感動を覚えた。
 ツアー6日目の7月29日は、ブライトホルンに登頂した。この日も快晴で、雲一つない絶好の登山日和となった。
 クライン・マッターホルンは、ゴルナグラート Gornergrat (3,089m) と並び、ツェルマットの代表的な展望台で、ロープウェイで行ける展望台としてはアルプス最高地点(3,883m)にある。眺めが素晴らしいだけでなく、ブライトホルン登頂のスタート地点でもある。
 

夏空に真白き巨峰モンブラン

 

Mont Blanc the great peak,
pure white to the summer sky.

なつぞらに ましろききょほう モンブラン

 この日は、マッターホルンの壮大なモルゲン・ロートを楽しんだあと、もと来たルートを引き返してゴルナー氷河を渡り、ゴルナーグラートの急斜面をマッターホルンに向かって歩き、リッフェルゼー湖を経由してMGBリュッフェルアルプ駅までハイキングを楽しみ、ツェルマットに帰った。
 

夏山路エーデルワイスに出会う旅

 

Summer mountain path,
a journey to meet an edelweiss.

なつやまじ エーデルワイスに であうたび

 アルプスの女王といわれるエーデルワイスは、夏に美しい白い花を開くキク科の多年草で、ヨーロッパと小アジアの高山に産し、日本のミヤマウスユキソウと近縁。高さ10〜20cm。茎・葉に白い軟毛を密生し、頂端の星状に開く苞(ほう)(蕾(つぼみ)を包んでいた葉)の上に数個の頭花をつける。西洋薄雪草とも呼ばれる。
 転じて、ウスユキソウの仲間をこの名で呼ぶことがある。高山植物として有名で、人の近づかない万年雪の岩の裂け目に野生するため、登山家たちのあこがれの花となった。

「ブライトホルン登頂の旅」 2004.7.27-30 撮影:沖本陽子

アイゼンを付けてゴルナー氷河をトラバース

アイゼンを付けてゴルナー氷河をトラバース

拡大写真(1800x1350)503KB

マッターホルンのマウンティン・グロー(山頂光)

マッターホルンのマウンティン・グロー(山頂光)

拡大写真(2000x1500)306KB

西方にアルプス最高峰のモンブラン(4,810m)を臨む

         ↓白く輝くモンブラン(4,810m)

西方にアルプス最高峰のモンブラン(4,810m)を臨む

拡大写真(2200x1400)568KB

アルプスの女王・エーデルワイス

アルプスの女王・エーデルワイス

拡大写真(1300x1300)235KB

 

 

  







 
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2008年9月18日(木)

 平成20年(2008)9月6日(土)7日(日)の両日、東京都青梅市にある標高929mの武州(ぶしゅう)御嶽(御岳)山(みたけさん)山頂に鎮座する武蔵御嶽神社(むさしみたけ・じんじゃ)(宮司:金井國俊 67歳)で修業体験講座が実施された。筆者は、神社のご厚意により密着取材を行い、行者たちと起居をともにして日本の伝統文化溢れる光景を激写することができた。

滝行や朱塗りの門の御師の宿

Waterfall purification,
A lodge for pilgrims
with a gate of dark red.

たきぎょうや しゅぬりのもんの おしのやど

 ケーブルカーの御岳山駅を武蔵御嶽神社の方に南下すると、徒歩10分ほどで御師集落(おししゅうらく)に着く。御師は武蔵御嶽神社の社家で、神社と信者の間にたって祈祷し、御嶽講などの参拝客のために宿泊を世話する。
  御師たちの宿坊が集まった場所が御師集落で、現在、山上に26軒、滝本付近に6軒あり、登録神職は約60名、実質的に活動している御師は約40名だという。

夏山路神代に生ゆる欅かな

A mountain path,
the zelkova came up
at the age of the gods.

なつやまじ かみよにおゆる けやきかな

 社伝によれば、日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の昔から生い茂っていた木とされ、古くから神代(じんだい)ケヤキの名で親しまれている。昭和3年(1928)国の天然記念物に指定された。
 青梅市教育委員会によれば、樹齢約600年樹高30m、目通り目通り(目の高さの幹周り)8.2mという。かなりの老木で、瘤があり、空洞にはカバーがかけられている。
 

神前に玉串捧ず滝行者

 

An ascetic of the waterfall
 offers a branch of a sacred tree
to the gods.

しんぜんに たまぐしほうず たきぎょうじゃ

 奉告祭とは、神に告げる儀式で、修行講座に入学したことを報告し、その恙(つつが)なき成就を祈念するもの。行者の代表者数名が弊殿に上がり、神の前に額ずいて玉串奉奠を行った。
 奉告祭を終えると、一行は神楽殿の畳の部屋に戻り、最初の滝行に備えて準備運動の鳥船(とりふね)などを練習したあと、男性は褌の締め方を教わった。神社側では単に「ふんどし」と呼ぶ行者褌は、白木綿の越中褌で、あらかじめ神楽殿で締めて行く。
  行者たちは拝殿の前に整列し、二礼二拍手一礼で参拝した後、滝行が行われる綾広(あやひろ)の滝に向かった。
 

御嶽山修験の小径滝行者

 

Mt. Mitake,
 Ascetics of the waterfall
 on a path of Syugen Buddhists.

みたけさん しゅげんのこみち たきぎょうじゃ

 滝廉太郎が作曲した箱根八里の歌詞の一節「昼なお暗き杉の並木 羊腸(ようちょう)の小径(しょうけい)は苔(こけ)なめらか」 (昼なお暗い杉並木 羊(ひつじ)の腸のようにくねくねした小道には滑らかな苔が生えている)にピッタリの光景である。
 滝のそばの空き地に茣蓙(ござ)を敷き、着衣を脱いで白鉢巻と褌の裸形になり、いよいよ滝行に入る。女性は滝の下流に白キャンバス製のテントがあり、その中で滝行用の白衣に着替える。
 一行は、綾広の滝の右奥に祀られた祓戸乃大神(はらえどのおおかみ)に拝礼した後、準備運動に入った。最初に行うのが写真下の鳥船。鳥船とは神代(かみよ)の船のことで、古代日本人の海上における雄飛を忍ぶとともに、和船の櫓(ろ)漕ぎ運動を繰り返して心身を強化させる。
 

霊気満つ太古の森の滝禊

 

Full of sacred air,
 Waterfall purification
in the ancient forest.

れいきみつ たいこのもりの たきみそぎ

 

森の気を胸一杯に滝修行

 

Waterfall purification,
deep breathing of the forest air.

もりのきを むねいっぱいに たきしゅぎょう

 鳥船に続いて雄健(おたけび)、雄詰(おころび)、氣(気)吹(いぶき)、を行ったあと、参加者全員が一人づつ交代しながら10秒ほど滝壺に入り、落差約10m、水温7〜8℃の綾広(あやひろ)の滝に打たれる身滌(みそそぎ)(禊)を3回繰り返す滝行が行われた。
 氣吹(いぶき)は手の平を上に向け、両手を広げて差し上げると同時に息を深く吸い、頭上で手を組み、組んだ手を静かに息を吐きながら丹田(たんでん)に向けて下げ、横隔膜を下げ一瞬息を止める。神気、大気を体内に吸いこみ、自己の体内を浄化し、自己の魂の鎮魂を図る。三度反復する。
 

白褌の阿闍梨の気迫滝禊

 

Ajari priest of white loincloth,
fired up in the waterfall purification.

びゃっこんの あじゃりのきはく たきみそぎ

 今回、高野山・真言宗阿闍梨(あじゃり)の小林宗次郎さん(61歳)、最長16回目の長谷川敏彦さん(53歳)、最長老の羽場左近(はば・さこん)さん(74歳)の3人の方からご協力をたまわり、迫力ある滝行を激写することができた。
 都内にお住いの小林宗次郎さんは、法名を小林宗峰といい、まんだらや密教研究所 を主宰しておられる。とりわけチベット仏教に造詣が深く、外国人に英語で密教を解説する国際派で、話の途中で急に英語で般若心経を唱えはじめたので、驚いてしまった。なぜ神道の修行に参加したのかお聞きすると、日本は昔から神仏習合の歴史文化があり、真言宗には垣根がないということだった。
 

綾広の滝に打たるる褌衆

 

Men of fundhoshi loincloth
purifying themselves
beneath the Ayahiro Fall.

あやひろの たきにうたるる ふどししゅう

 全員、身滌(みそそぎ)を3度行った後、鳥船、雄健、雄詰、気吹、拝礼を行い、一拍手にて「おめでとうごうざいます」と手締(てじめ)をして滝行を終える。茣蓙の上で身体を拭き、着替えた後、帰途につく。
 宿に戻った一行は滝行で濡れた褌や白衣を宿の軒先に干し、全員が配膳の手伝いをして夕食の席に着いた。
 

滝行の白褌や御師の宿

 

A lodge for pilgrims,
white fundoshi loincloths
for waterfall purification.

たきぎょうの しろふんどしや おしのやど

 翌日、須崎祭事部長が内神殿の御師の座に座り、行者一同、全員正座して御嶽大神に二礼二拍手一礼し、午前5時半ころ、早朝の滝行に出発した。夕べ軒先に干していた褌は、湿気が多いためか、余り乾いていなかったという。
 一行は綾広の滝と禊乃門をバックに記念写真を撮った後、綾広の滝に祀られている祓戸之大神(はらいどのおおかみ)に拝礼し、準備体操の鳥船に入り、昨日同様の滝行が始まった。
 

綾靄の深山幽谷滝禊

 

Waterfall purification
in the morning haze
of a deep mountain valley.

あさもやの しんざんゆうこく たきみそぎ

 祓戸之大神とは、夏越の祓(なごしのはらえ)と年越の祓(としこしのはらえ)に宮司の祝詞(のりと)として奏上される大祓詞(おほはらへのことば)に登場する神々のうち、罪を祓い清める次の4柱の神々をいう。
○ 瀬織津比賣神(せおりつひめのかみ): 速川の瀬に座し、罪を大海原に持ち出す。
○ 速開都比賣神(はやあきつひめのかみ): 潮に座し、罪を呑み込む。
○ 氣吹戸主神(いぶきどぬしのかみ): 氣吹戸(いぶきど)に座し、罪を根國(ねのくに)、底國(そこのくに)に吹き払う。
○ 速佐須良比賣神(はやさすらひめのかみ): 根國、底國に座し、罪を持ちさすらって失う。
 大祓詞は、4柱の神の役割を説明した後、「・・・此(か)く佐須良(さすら)ひ失(うしな)ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 天(あま)つ神 八百萬神(やおよろづのかみ)等共(たちとも)に 聞こし食(め)せと白(まを)す」「現代語訳:このようにさすらって無くせば、罪という罪は消え失せてしまうことでありましょうから、祓い清め給うことを天つ神や八百萬の神々にお聞き下さいと謹んで申し上げます。」で終わる。
 

御嶽山白褌の滝行者

 

Mt. Mitake,
An ascetic of the fall
 wearing white fundoshi loincloth.

みたけさん しろふんどしの たきぎょうじゃ

 武蔵御嶽神社の主催する18回の滝行のうち16回参加されている長谷川敏彦さん(53歳)。もの静かな滝行にお人柄がにじみ出ている。端正でとても風格がある。
 

御嶽山太古の森の滝三昧

 

Mt. Mitake,
nothing but waterfall
in the ancient forest.

みたけさん たいこのもりの たきざんまい

 心配していた天候は幸いにも予報が外れ、快晴の行日和となり、素晴らしい滝行ができ、心身ともに爽やかな気分で、綾広に滝を後にし、御師の宿に向かった。
 

万緑の巨木に棲みし天狗かな

 

A long-nosed goblin
lived by the huge tree full of green.

まんりょくの きょぼくにすみし てんぐかな

 一行は間もなく奥宮(おくのみや)入口を通過した。早朝に通過したときには、朝靄(あさもや)に霞む天狗の腰掛け杉だったが、帰りはすでに靄が晴れていた。見上げると、本当に今でも天狗が棲んでいるような気がした。
 行者たちは、朝食をとったあと、おにぎり3個と清水500ccのペットボトルが支給され、秋山荘を撤収して午前9時過ぎに最後の修行である山駆けに出発した。荷物は車で神社に運ばれ、午後4時半の解散時に戻される。
 私は、朝の滝行の2時間だけで既に下着までびしょ濡れの大汗をかき、これ以上の密着取材は無理だと判断し、山駆けを前にリタイアさせてもらった。その代わり、幸運にも、午後9時半頃から神楽殿で行われた東京都無形民俗文化財の「御嶽神社太太神楽(みたけじんじゃ・だいだいかぐら)を撮影することができた。
 

山頂の御嶽大神夏神楽

 

Summer Kagura dance,
Mitake Gods on the top of the mountain.

さんちょうの みたけおおかみ なつかぐら

 武蔵御嶽神社には、講が多数存在するが、講の参拝方式で神楽を奏上する形式のものが最も格式が高いといわれている。現存する十七座の舞が社家32戸の御師によって継承されており、これが東京都無形文化財に指定された太太神楽である。

「武州御嶽山滝行」 2008.9.6-7 撮影:和田義男

御師おし

住宅・秋山荘の玄関 12:00

御師住宅・秋山荘の玄関

拡大写真(1400x1050)245KB

御岳みたけ

神代じんだい

ケヤキの坂をのぼる一行

神代ケヤキの坂をのぼる一行

拡大写真(1600x1200)481KB

拝殿はいでん での

奉告祭ほうこくさい

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拝殿での奉告祭

拡大写真(1400x1050)307KB

綾広あやひろ

の滝に到着 15:40

綾広の滝に到着

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太古の森の気を吸う

氣吹いぶき

行を統括指揮する須崎直洋・祭事部長(防水型腕時計が目印)

太古の森の気を吸う氣吹

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高野山・真言宗

阿闍梨あじゃり

の滝行

高野山・真言宗阿闍梨の滝行

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道彦みちひこ

の「エイッ!」の合図で滝を出る

道彦の「エイッ!」の合図で滝を出る

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御師の宿に干された行者褌

御師の宿に干された行者褌

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準備運動の

鳥船とりふね

準備運動の鳥船

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16回目の風格ある長谷川さんの滝行

16回目の風格ある長谷川さんの滝行

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天狗の腰掛け杉

天狗の腰掛け杉

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太太神楽だいだいかぐら の「

奉弊ほうへい

」/神楽殿 09:40

太太神楽の「奉弊」/神楽殿

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2008年9月5日(金)

 三重県鈴鹿市に鎮座する久留真神社では数組の親獅子と子獅子がそれぞれ町を練り舞う光景がみられる。後舞いが女の子で獅子の尻尾を持って舞ったり歩いたりするのが珍しい。

口取の掴む尻尾や獅子の舞

A lion dancing,
the attendant holding the tail.

くちとりの つかむしっぽや ししのまい

 国選択無形民俗文化財の「近江八幡左義長まつり」は、滋賀県近江八幡市に鎮座する日牟禮八幡宮(ひむれ・はちまんぐう)で行われる火祭りである。もともと左義長は、中国の漢時代に正月行事として行われ、爆竹によって厄除けをした行事であったといわれる。
 わが国では承久元年(1219)より、鎮護国家や五穀豊穣を祈る祭りとして行われるようになり、近江八幡では、豊臣秀次が八幡城を築いて城下町を開いたのと同時に、氏神である八幡宮の祭礼として定着したといわれる。
 日曜は、朝から各町内を練り歩き、午後には「けんか」と呼ばれる左義長同士のぶつかり合いが繰り広げられる。午後8時頃から境内で順次奉火され、二日間にわたる祭のクライマックスを迎える。

左義長のぶつかり試合白ねずみ

White mice,
a bumping game of Sagityo ritual.

さぎちょうの ぶつかりじあい しろねずみ

 三重県松坂市に鎮座する粥見神社に伝わる神事「てんてん」の歴史は古く、700年ほど前の延慶年間(1308年〜1311年)には、すでに舞われた記録が残っている。太鼓に合わせて天狗と雄獅子・雌獅子が独特の舞を披露する。平成7年(1995)に松坂市の無形文化財に指定された。
 地上に降りてきた天狗は、地上を祓い清めて神を招く。雄獅子が「ににぎのみこと」、雌獅子が「このはなさくやひめ」という神である。獅子と天狗は勇ましく舞い踊り、見物衆は「エンヤッサイ」と掛け声をかけて、獅子と天狗を励ます。この舞で悪魔が追い払われ、村に平和が訪れるという。
 

赤天狗悪魔を払ふ獅子の舞

 

A long-nosed red goblin,
a lion dance for exorcism.

あかてんぐ あくまをはらう ししのまい

 三重県桑名市の百数十年の歴史を持つ桑名聖天祭は、桑名城主であった松平定信が信心していた大福田寺(だいふくでんじ)の祭礼で、毎年4月1日と2日に行われる。
 聖天祭は、江戸時代に寛政の改革を行った松平定信が寄進した歓喜天の祭礼で、初日には、稚児行列や山伏姿の信者が護摩を炊いてその上を歩く火渡神事があり、2日目には国の重要無形民俗文化財に指定されている伊勢大神楽(いせだいかぐら)が奉納されるなど、両日ともに大変な賑わいをみせる。
 

修験者の護摩の煙や櫻花

 

Cherry blossoms,
the smoke of exorcism
by the Buddhist monks.

しゅげんじゃの ごまのけむりや さくらばな

 国の重要無形文化財に指定されている伊勢大神楽は、獅子舞をしながら檀那場(だんなば)各戸にかつては伊勢神宮、現在では伊勢大神楽講社の神札を配布してまわる人々のことで、彼らのおこなう芸能の総称でもある。
 彼らは各戸で竈祓(かまどばら)いを行う際に獅子舞を舞うが、それ以外に特定村落の鎮守社境内などで総舞と呼ばれる芸能を披露する。 「伊勢大神楽講社」公式サイト
 

真剣を抜きつ祓いつ獅子の舞

 

Lion dance,
drawing a real sword, exorcising the evil.

しんけんを ぬきつはらいつ ししのまい

 滋賀県甲賀市に鎮座する大宮神社に奉納される鬼の面が踊る花笠太鼓踊りは、室町後期から江戸時代にかけて各地に普及した「風流踊り」を原形とする踊りで、雨乞いのための踊りと伝えられている。
 甲賀市土山町の花笠太鼓踊りは、ここ黒川と山女原・黒滝に伝承されており、滋賀県の無形民俗文化財に指定され、毎年4月第三日曜日の祭礼に、地元の青年たちによって奉納されている。
 

鬼の舞櫻の下の赤頭巾

 

An ogre dancing,
a red hood under the cherry tree.

おにのまい さくらのしたの あかずきん

 三重県志摩市に鎮座する伊雑宮(いざわのみや)の御料田(ごりょうでん)で行われる伊雑宮御田植祭は、千葉の香取神宮、大阪の住吉大社とともに日本三大御田植祭の一つに数えられる志摩地方随一の大祭で、国の重要無形民族文化財に指定されている。
 

忌竹を裸で奪ふ田植かな

 

Rice planting,
bare-chested men
taking purification bamboo.

いみだけを はだかでうばう たうえかな

 勇壮な裸の男たちが大きな団扇(うちわ)のついた忌竹(いみたけ)を奪い合う「竹取神事」、古式ゆかしい装束に身を包んだ太鼓打ちや簓摺(ささらすり)らによる田楽(でんがく)が響きわたる中、白い着物に赤いたすきがけをした早乙女(さおとめ)たちによって厳かに行われる「御田植神事」、その後、「めでためでた」の唄声にのせて伊雑宮一の鳥居までを練り歩く「踊込み」と、祭りはいくつもの情景を見せてくれる。
 

夏の夜や褌締めて笊破り

 

Summer night,
a scramble for a bamboo colander
wearing fundoshi sash.

なつのよや ふんどししめて ざるやぶり

 ざるやぶり神事は、三重県津市河芸町一色(つし・かわげちょう・いっしき)に鎮座する八雲神社(やくもじんじゃ)で毎年7月15日に行われる夏祭りで、約400年の伝統を受け継ぐ裸祭りである。紅と白の褌を締め分けた120人ほどの裸男たちが直径1mほどの笊(ざる)を奪い合う光景は勇壮で、町外からも多くの見物客が訪れる。

「中部地方の祭・春夏編」 2008.3-7 撮影:市川 清

家々の前で舞う獅子

家々の前で舞う獅子

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左義長の大ねずみ

左義長の大ねずみ

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悪魔払いをする天狗

悪魔払いをする天狗

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燃え上がる護摩火

燃え上がる護摩火

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正装の獅子舞

正装の獅子舞

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激しく踊る赤鬼

激しく踊る赤鬼

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躍動!

躍動!

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ざるの奪い合い!

ざるの奪い合い!

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2008年8月30日(土)

 平成20年(2008)8月3日(日)から6日(水)まで、東北新幹線とツアーバスを利用して「青森ねぶた」「秋田竿燈」「山形花笠」「仙台七夕」の東北四大夏祭りを見物してきた。

町会のねぶたに集ふ夕間暮

Gathering around a Nebuta wagon
of the town at dusk.

ちょうかいの ねぶたにつどう ゆうまぐれ

 「青森ねぶた」は、「ねぶた」と呼ばれる勇壮で巨大な武者人形の山車が市内中心部をねり歩き、独特の衣装をまとった「ハネト(跳人)」と呼ばれる踊り手が「ラッセラー!ラッセラー!」というかけ声で跳ね廻るのが特徴。ハネトとして参加することをハネルといい、「今日もハネル?」などと使う。ちなみに「ねぶた祭」は暦の上では秋祭りで、俳句では「ねぶた」「跳人」は秋の季語。

にわか雨跳人に嬉し力水

Dancers pleased with refreshing water
of sudden shower.

にわかあめ はねとにうれし ちからみず

 青森県には、青森市の「ねぶた nebuta 」と弘前市(ひろさきし)の「ねぷた neputa 」がある。両者はよく混同されるが、全く別個のものである。現地ガイドによると、青森の「ねぶた」の起源は戦い終わって凱旋したときの祭りといわれ、生還した喜びを全身であらわし、とても陽気で賑やかだが、弘前の「ねぷた」は出陣前の祭りとされ、比較的静かな祭りだという。そのため、前者は「凱旋ねぶた」、後者は「出陣ねぷた」といわれる。
 現在では、日本全国にある土着の七夕祭りや眠り流し*の行事(禊祓い)が変化したものと考えるのが主流だという。「眠い、眠たい」を津軽弁で表現すると、青森では「ねぶて」といい、弘前では「ねんぷて 」「ねぷたし 」という。青森では「ねぶた」、弘前では「ねぷた」と呼び方が違うのは、方言の違いによるものらしい。
 

不夜城の如きねぶたの武者絵かな

 

A samurai picture of Nebuta wagon,
like a nightless castle.

ふやじょうの ごときねぶたの むしゃえかな

 ツアー二日目の8月4日(月)は、朝をゆっくり過ごし、ホテルを出発したのは午前9時半ころ。この日は晴天に恵まれ、最初に訪れた田沢湖は、素晴らしい景観だった。
 

夏草や蔓の向かふに秋田駒

 

Summer grass,
Mt. Akitakoma beyond the vines.

なつくさや つるのむこうに あきたこま

 秋田県中東部の仙北市に位置する田沢湖は、面積 25.8km2 周囲長 20km の日本で最も深い湖である。田沢湖抱返り(だきがえり)県立自然公園に指定されており、日本百景の一つに数えられる。
 公園北部は、十和田八幡平(とわだ・はちまんたい)国立公園の南端にある標高1,637.4mの秋田駒ヶ岳*と隣接しており、青く深く、静かに水を湛える湖畔から望む秋田駒ヶ岳の景観は、息を呑む素晴らしさである。
 かつては、火山性ミネラル分の高い水質と流入河川の少なさのため、昭和6年(1931)の調査では摩周湖に迫る31mの透明度を誇っていたが、昭和15年(1940)に発電所の建設と農業振興のために玉川温泉からpH1.1に達する強酸性の水(玉川毒水)を導入した結果、田沢湖は急速に酸性化し、固有種のクニマスは絶滅魚類はほぼ死滅してしまった。
 そのため、昭和47年(1972)から石灰石を使った酸性水の中和対策が始まり、1991年には抜本的な解決を目指して玉川酸性水中和処理施設が稼働を開始。湖水表層部は徐々に中性に近づいてきており、放流されたウグイが見られるまでになったが、湖全体の回復には至っていないという。行政の愚策が未だに尾を引いていようとは、この美しい景観からは想像できない。
 

夏の湖石斑魚の踊る辰子像

 

 The summer lake,
Daces dancing at the bronze of Tatsuko.

なつのうみ うぐいのおどる たつこぞう

 田沢湖に立つ辰子像が金色なのは、玉川温泉の水を引き入れたために田沢湖の水質が強酸性となり、 従来のブロンズ像ではすぐに錆びるから、金箔漆塗り仕上げとなったという。漆がはげても金箔は腐食しないので、金が剥がれ落ちない限り、永遠の光沢を放つことだろう。
 

緑陰を渡り歩くや角館

 

Kakunodate,
walking shade of the trees
one after another.

りょくいんを わたりあるくや かくのだて

 昼食後、春に続いて夏の角館を訪れた。秋田県仙北郡角館町(かくのだてまち)は、平成17年(2005)に田沢湖町、西木村と合併し、仙北市(せんぼくし)となった。「かくのだて」として名を馳せるこの地は、秋田県のほぼ中央に位置し、深い木立と重厚な武家屋敷が今もなお藩政時代の面影を残しており、「みちのくの小京都」と呼ぶにふさわしい風情を町全体に漂わせた桜の名所である。
 「竿燈まつり」は、毎年8月3日から6日まで秋田市で行われる夏祭りである。竿燈全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立てて、平手・肩・腰・額などに載せ、豊作を祈る。国の重要無形民俗文化財に指定されており、青森のねぶた祭、仙台の七夕まつりと並んで東北三大祭りの一つである。ちなみに「竿燈まつり」も暦の上では秋祭りで、「竿燈」は秋の季語。
 

竿燈の腰より生ゆる妙技かな

 

A wonderful skill,
the Kantoh bamboo standing on his loin.

かんとうの こしよりおゆる みょうぎかな

 ねぶり流し(眠り流し)行事として行われている竿燈であるが、宝暦年間には原型があったといわれる。 五穀豊饒や除災、技芸上達を願って、旧暦の7月7日にあわせて行われる七夕行事とともに、旧暦7月15日のお盆を迎え入れるために一連の行事として現在の形になったともいわれている。
 

大若の稲穂の如き撓りかな

 

A big Kantoh bamboo bending
like a ear of rice.

おおわかの いなほのごとき しなりかな

 竿燈は、差し手(さして)と呼ばれるプレーヤーが上記の若(わか)を平手(ひらて)、額、肩、腰などにのせてバランスをとり、ピタリと静止させる技芸と粋(格好良さ)を競うもので、上達してくると扇子で煽いだり、両手に傘(からかさ)を持つ名人もいる。
 提灯は、「兎の餅つき」の図柄は「上米町一丁目」というように、絵柄で町会の見分けがつくよう工夫されていることが多い。提灯は、雨に濡れても和紙が破れないよう、表面に油が塗られており、また、堤灯台(ちょうちんだい)の下部の両脇に穴があけられており、倒れたときに空気が流れて蝋燭(ろうそく)の火が消えるようになっている。
 竿燈大通りは、秋田県道26号秋田停車場線の「二丁目橋」交差点〜「山王十字路」の区間。この長さ800mほどの車道いっぱいに約200の町内会が散らばり、日頃の技を披露する。最近は企業がスポンサーとして資金援助している例が多く、提灯には企業の宣伝と分かるものが増えている。
 会場の中央分離帯には有料のアルプススタンドが設けられ、両脇の歩道を併せて、三箇所から見学することが出来るので、「青森ねぶた」同様、シートや折りたたみ椅子を持参すれば、指定席を確保しなくても十分に見物することができる。
 参加団体が所定の場所に着くと、19:30から一斉に演技が開始され、20:50まで行われた。
 

入道の丸き海坂夏の色

 

Summer color,
the round horizon of Cape Nyudo.

にゅうどうの まろきうなさか なつのいろ

 ツアー3日目の8月5日(火)は、朝をゆっくりと過ごした後、ツアーバスで「なまはげ」で知られる男鹿(おが)半島の北西端に位置する入道崎(にゅうどうざき)に行った。
 男鹿国定公園に属する入道崎は、秋田県男鹿市、男鹿半島北西端に位置し、日本海に突出する岬で、入道岬と表記することもある。付近には日本海の荒波に波食された海岸段丘が発達しており、落差約30mの荒々しい断崖が続いている。対称的に地上には穏やかな草原が広がる。
 

真山のなまはげ酒を飲む仕草

 

Namahage orges of Shinzan
imitate drinking sake.

しんざんの なまはげさけを のむしぐさ

 なまはげは、秋田県の男鹿市を中心に約80の集落において大晦日に行われる伝統的な民俗行事である。荒々しい仕草で家々を巡り、隠れていた子供たちを見つけ出しては訓戒を与え、災禍を祓い、祝福を与えて去ってゆく。昭和53年(1978)に「男鹿のナマハゲ」として国の重要無形民俗文化財に指定された。
 冬に囲炉裏(いろり)にかじりついていると手足に「ナモミ」という火型(ひがた)ができる。それを剥いで怠け者を懲らしめ、災いをはらい、祝福を与える「ナモミはぎ」から「なまはげ」と呼ばれるようになったという。
 

陸奥の庄内米や青田晴れ

 

Syonai rice of Michinoku,
sunny weather of green fields.

みちのくの しょうないまいや あおたばれ

 男鹿半島を後にバスは山形市を目指して一路南下した。やがて庄内平野に入ると、区画整理で広くなった青田が入道雲の下に広がっていた。植えられている稲はこしひかりが多く、庄内米として好評を博しているという。
 花笠まつりは、毎年8月に菅笠(すげがさ)に山形特産の紅花をあしらった花笠を手にし、「花笠音頭」にあわせて街を踊り歩く祭りである。この祭りは山形市を筆頭に尾花沢(おばなざわ)市や天童(てんどう)市など山形県内数か所で開催されるが、山形市で行なわれるものが広く知られている。東北三大祭りに山形市の花笠まつりを加えた4つの祭りを東北四大祭りと呼ぶ。
 

花笠の波打つをどり秋は来ぬ

 

The dance of waving flower hats,
autumn has come.

はながさの なみうつおどり あきはきぬ

 山形花笠まつりは、8月5〜7日18:00〜21:30の間、山形市内の目抜き通り約1.2kmの直線コースで行われる。3日間で約1万人の踊り手が参加し、「ヤッショ、マカショ」の威勢のいい掛け声と共に「花笠音頭」に合わせて艶やかな花笠踊りが披露され、3日間で約100万人の観客を魅了する。
 

豪華さを競ふ七夕飾りかな

 

Decorations for the Tanabata star
festival,competing luxury.

ごうかさを きそうたなばた かざりかな

 仙台七夕まつりは五節句の1つ「七夕」にちなみ毎年8月6日〜8日に仙台市で行われる。大規模な飾り付けがなされるのは一番町や中央通りなどのアーケード街、仙台駅周辺などだが、商店街組織や単独の店舗に家庭などを加えると大小あわせて3000本といわれる飾り付けがなされ、街中が七夕一色になる。東北三大祭りのひとつに数えられ、例年200万人以上の観客が訪れる。

「東北四大祭の旅」 2008.8.3-6 撮影:和田 義男

町会の全員集合!

町会の全員集合!

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男女とも同じカラフルな正装の

跳人ハネト

たち

男女とも同じカラフルな衣装の跳人たち

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消防第二分団ねぶた会 「 天下布武・信長の野望」

消防第二分団ねぶた会・アサヒビール 「 天下布武・信長の野望」 作:千葉作龍

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夏の秋田駒ヶ岳

夏の秋田駒ヶ岳

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田沢湖に立つ辰子像(舟越保武作)

田沢湖に立つ辰子像(舟越保武作)

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夏の角館・武家屋敷通り

夏の角館・武家屋敷通り

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継竹3本の腰技と平手

継竹3本の腰技と平手

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継竹5本と6本の名人技!

継竹5本と6本の名人技!

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日本海が丸く見える入道崎

日本海が丸く見える入道崎

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なまはげを接待する主人

なまはげを接待する主人

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何処までも続く夏の青田! 2008.8.5

何処までも続く夏の青田!

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郵便局前を通過する山形市役所のグループ

郵便局前を通過する山形市役所のグループ

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七夕まつり初日で賑わう一番町/仙台市 2008.8.6

七夕まつり初日で賑わう一番町

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝のまだ寝ぼけた部分がのこる頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の写真から実景が鮮明な記憶となって蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 see haiku here

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